【前後編の後編/前編を読む】3年間の単身赴任から戻ると「わが家」に違和感… 51歳男性が「やめろ」と言った長男の趣味
「3年前の息子の告白から人生が狂った」と語る徳倉祐司さん(51歳・仮名=以下同)は、同級生の瑛美さんと26歳で結婚し、3人の子をもうけた。長男が中学生のころに転勤が決まり、3年間の単身赴任を経験。戻ると家族の雰囲気が変わっていた。娘はキックボクシングを始め、次男は野球よりサッカー派に、長男は理系志向の大人しい青年になっていた。さらに、長男が「手芸」好きと知り、祐司さんは嫌悪感すら抱いたという。そんな長男が「告白」をしたのは、20歳の祝いの席だった。
長男の告白とは……。祐司さんは苦しそうに顔を歪めた。絞り出すような声が聞こえた。
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「女の子になりたい、と……。『おとうさんは昔からよく、男はこうだ、女はこうだ。男は男らしくしろって言ってたけど、僕にはまったく理解ができなかった。本当はキャッチボールもあまり好きじゃなかったんだ』って。僕はそのとき、どういう反応をしたらいいかわからなくて、『きみは何か思い違いをしているんだよ。男として生きる自信がないから、そんなことを言ってるんだろう』というようなことをつぶやいた記憶があります」
だが長男は怯まなかった。今だって、ときどき大学に化粧していくことがある、バイト先のカフェでは女の子として働かせてもらっていると言った。改めて長男を見てみると、次男と違って背も高くはないし、骨格も細い。顔立ちは妻にそっくりだ。なにがどう間違って、彼が女になりたいのかはわからないが、言われてみれば、こんな女の子がいても不思議はないなとふと感じた。それでも、自分の息子が女の子になりたいというのは、言葉として理解できても気持ちが追いつかなかった。
「彼はいろいろ説明していましたよ。女の子になりたいというとショックだろうけど、第一義には男でいたくないというのが本音で、中性でかまわない。ただ、ファッションは女性っぽくするのが好きだとか、性的欲求はないとか。聞いているうちにイライラしてきて、僕は思わず『もうやめろ。なにをどうやったって、おまえは男だ』と言い、席を立ってしまったんです。店の女将には『つけておいて』と言って、息子を置き去りにしてしまった」
家に帰る気にはなれなかった。そのまま街を歩き続け、バーに入って1杯やってはまた街をほっつき歩いた。気づいたら電車はなくなっていた。
懐が痛いなと思いながらタクシーで帰宅すると、リビングで妻が起きて待っていた。
「知ってたのかと言うと、妻はかすかに頷きました。長男が高校2年生のときに手芸をしながらぽろっと本音を洩らした、と。『私だって驚いたけど、考えてみればあの子の人生はあの子のものだから。性転換手術をしたいわけではない、今はときどき女の子のファッションをしているだけでいい、男性に性的欲求は感じないけどプラトニックなら男性が好きみたい』などと言う。聞きたくなかった、知りたくなかったですよ、そんなことは。オレの長男はどこへ行ってしまったんだ……そう思うとなんだかいたたまれなかった」
家にはいたくない。そう思ってリビングから飛び出すと、自室から出てきた次男と鉢合わせになった。
「おとうさんからの圧で、兄貴、あれでけっこう生きづらい人生を送ってきたんだよと次男が言うんです。だってオレは今日知ったばかりでと言いかけたら、『おとうさんはずっと男はこうあるべきって言ってきたじゃん。ああいう言葉がいちいち兄貴の心をグサグサ突き刺していたんだよ』って。だってアイツは男だよと思わず言ってしまった。男と女、ふたつの性の間には、さまざまな特徴のある人がいるんだよ、二分されるわけじゃないんだと次男は言いました。後から知ったけど、次男はそういう問題をいろいろ独学で勉強していたみたいです」
中学生になったばかりの娘も、その様子を見ていた。「私はおにいちゃんが男でも女でも、その中間でも何でもいい。おとうさんは男だ女だって言い過ぎだよ」とつぶやいた。
知らなかったのは自分だけ、四面楚歌か……。家族って何だったのだろう。祐司さんはそのまま寝室にこもった。その晩、妻は寝室へは現れなかった。どうやら娘の部屋で寝たようだ。長男は帰ってきているのだろうかとは思ったが、長男のことを思うと胸がざわざわする。受け入れるとか認めるとかいう以前に、彼の心の中には何の準備もできていなかったのだろう。
「それからしばらくは家に帰っても、家族とはあまり口をききませんでした。腹を立てているわけではないんだけど、どういう態度をとればいいのかわからなかった。長男は僕とは顔を合わせないようにしている。妻でさえ夫婦の寝室には来ない。でも、このままでいいはずがない。妻も同じように思っていたんでしょう。週末、寝室に来ました。『話せる?』と」
あなたを仲間はずれにしていたわけではない。ただ、相当なショックだろうし、認めるとは思えないから、長男は言うべきタイミングを考えていたんだと思うと妻は言った。飲みに行こうと誘われて長男はうれしそうだった。だからこそ、最初に告白したのだろう。勇気が必要だったはずなのに、あなたはそれをまったく斟酌しなかった。妻は静かにそう言った。
「受け入れられるのかと聞いたら、妻は『どういう子であれ、私たちの子よ』と言いました。母親はすごいなと思った」
数日後、彼は浮かない気持ちを抱えて、やはりまっすぐ帰る気にはなれず、街で見つけたバーに寄った。止まり木でひとり飲んでいると、華やかな美女が隣にすっと座った。思わず見ると、彼女も彼を見てうっすらと微笑んだ。
「1杯、いかがですかと思わず言ってしまいました。彼女は僕が飲んでいるものを見て、じゃあ同じのをって。華やかだけど品がある。グラスの持ち方、掲げ方、目線の動かし方、どれも上品な色気に満ちていた。30代前半かなあ、落ち着いているけど若さがあった」
ぽつりぽつりと言葉をやりとりした。彼女は「優奈と言います」とだけ自己紹介した。
「今まで観た映画の中でいちばん心震えたのは?」「生まれてから最初の記憶は?」など、仕事や背景をいっさい抜きにした質問がやんわりと飛んできた。しばらく話したあと、優奈さんは「男と女の間に肩書きなんていりませんよね」と言った。
「これは誘われてるんだと思いました。女性の誘惑を断るなんて男としてはできない。女性に恥をかかせることになる。そのまま店を出てタクシーに乗り、ホテルへ行きました。彼女は会話のセンスも素敵だったけど、体もすばらしかった。また会いたい。そう言ったら連絡先を教えてくれた。それでときどき会うようになったんです」
お互いに下の名前しか知らなかった。お互いの仕事も聞かなかったし、出身地もどこに住んでいるのかも、既婚かどうかも知らない。目の前の互いの肉体と心を通わせることしか考えなかった。
「半年ほど、週に2回くらいの割合で会っていました。お互いをつなぐのはSNSのメッセージだけ。でも彼女は約束を必ず守ったし、僕らは本当にいい関係だったと思う。暗黙の了解のように互いのプライバシーには立ち入らないようにしていたんだけど、あるとき、『あなた、結婚してるでしょう。私、あなたを奪いたくなった』と彼女が言い出した。家庭は相変わらずの雰囲気だったし、僕はいてもいなくてもいい存在だと思っていたから、『いいけど、まだ養育費がかかるよ』と正直に言いました。『私も一緒に払うわよ』と彼女。おもしろい人だなと思った。彼女の背景はなにもわからないけど、家庭から脱落して、こういう女性と暮らしてもいいかもしれない。本気でそう思いましたね」
数日後、帰宅すると妻が待ち構えており、「どういうことなの」と紙を突きつけられた。それは優奈さんからの手紙だった。どうしてもお宅のダンナさんと一緒になりたいから離婚してくださいと書いてあった。
「妻が、全部見てという。書類がついていました。優奈の戸籍謄本で、あちこち消してあったけど、両親の名前のところに『長男 優』と書いてあったんです。わけがわからなかった。優奈が長男? 優奈はどこからどう見ても女性ですし、僕らは体の関係もあるのに。ふざけたことをしていると思いました。てっきりいたずらだと……」
優奈さんはこの手紙を持って私の会社に来たのと妻が言った。彼女はあなたのことを調べていたのよ。妻からそう聞き、彼は「優奈に脅迫されたのか」と聞いた。
「違う、彼女はあなたに本気になった。だけど自分が性転換手術したことを言い出せなかった。戸籍上は男だから結婚もできない。それでも私を愛してくれるのだろうかと涙ながらに語ってた。私の立場では怒るべきだし嘆くべきだけど、彼女の真摯な態度に怒れなくなった。確かにあの子はいい子よ。あなたが本気で好きになったなら、私は離婚してもいいと思ってる。ただ、この真実を知って、あなたはそれでも彼女を愛せる? だったら息子のことも愛してよ。私が本当に言いたいのはそのこと」
妻はそう言って黙り込んだ。祐司さんは衝撃が大きすぎて、まったく対応できなかったという。言葉ひとつ発せなかった。
「僕の浮気と、長男のことは別の話なんだけど、妻も僕もそれを別にはできなかった。なにをどう考えればいいのかわからなくて、生きているかどうかもわからないような生活が続きましたね。その間も妻は優奈と連絡をとっていたみたいです」
祐司さんは優奈さんに会うことができなかった。会ったら前と同じような情熱がわいてくるのか、あるいは顔も見たくないと思うのか、判断ができなかったのだ。会うのが怖かったというのが本音だと彼は小声で言った。
「でも彼女を好きだったのは本当なんでしょうと妻には言われました。生まれたときの性別が男だとわかったとたん、彼女を嫌うのはおかしいと。確かにそうなんですが、受け入れられない。彼女を女性として好きだった自分のことも信じられなかった」
彼は気持ちを整理できないまま日々を過ごしていた。ある日、優奈さんからの手紙を妻から受け取った。そこには一言、「ごめんね、さようなら」と書いてあった。本当にこのままでいいのかと妻に聞かれた。優奈さんにまったく気持ちが残っていないわけではない。だが体が動かなかった。頭ではわかっているのに体と心が拒否していた。
「その後、大学を卒業した長男は家を出て行きました。僕がいないところで妻やきょうだいとは連絡をとっているようです。元気でやってくれればいい、それ以上のことは今は考えたくないと思っているうちに年月が過ぎている」
妻との関係は家庭内別居に近い。次男や娘もほとんど話しかけてはこない。ただ、ときどき妻は「大丈夫?」と声をかけてくれる。それがささやかな救いになっていると祐司さんは言った。
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自らの言動によって、家庭崩壊を招いてしまった祐司さん。その萌芽は3年間の単身赴任にあったのかもしれない。【記事前編】で紹介している。
亀山早苗(かめやま・さなえ)フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。
デイリー新潮編集部