労務相談やハラスメント対応を主力業務として扱っている社労士である私が労務顧問として企業の皆様から受ける相談は多岐にわたります。
経済や社会情勢の変化によって労働問題やハラスメントの捉え方も変わり、指導をする側も困惑するような事態が生じることも度々あり、対応に頭を悩ませている企業からの相談も増えてきました。
前編<指導社員を「休職」に追い込んだ、20代・女性営業職の「ヤバすぎる仕事」の中身…本人は「反省している」というが>に引き続き、性格は悪くないのに問題行動を起こす社員の業務改善に取り組んだ企業の事例を匿名化してご紹介します。
このような問題を起こす社員の場合、まずは当事者が『ミスがどの程度の問題になっているかということの認識を得られるような指導であったかどうか』という点が極めて重要です。
そこで私は、K野さんに対する過去の指導の履歴を確認しました。この点について、S野マネージャーは次のような注意・指導だったといいます。
・問題が発覚した都度、先輩社員が口頭で注意していた。
・先輩社員は注意したことをS野マネージャーにメールで報告していた。
・顧客とのトラブルがあった場合は、K野さんをCCに加えてメールでの謝罪文を送ったり、謝罪訪問の際は同席させていた。
T社のこのような指導方法は、それ自体が悪いわけではないのですが、じつはK野さんにとっては、言われるがままの『受け身の対応』になっていることが気になりました。
K野さん自身が問題に気が付き、反省し、改善できるような取組みが含まれていない限り、業務態度は改善されずに繰り返し問題が生じてしまう可能性があります。
また、K野さんに対する指導履歴が文書で残っていないことも指摘しました。いつどのような問題に対してどのような指導をしたのか、ということを履歴として残しておかないと、係争になったときに「言った」「言わない」の問題が生じます。
T社の場合、指導者側のメール報告は「口頭注意した」にとどまっており、具体的な指導内容までは記載されていません。これだけではK野さんの行動改善につながるものであったかどうかは不明確です。
そこで、今後は仮に類似の事例があった際に、注意されたことについて業務日報にコメントを付けて記載をさせる、始末書をとることも含めて履歴を残すことを徹底してほしいと伝えしました。
S野マネージャーの話では、K野さんは反省はしているものの、繰り返し問題となる行動を起こしています。このような場合、K野さんは他の社員と同じような指導の仕方、伝え方ではうまく情報を処理できていないことを周囲が知らない可能性があります。
K野さんは、フォローしてくれた先輩社員の休職を自分のせいだと思いつめる発言をしており、仕事に対する責任感は持っていると理解できます。注意に素直に向き合う性格の持ち主でもあり、伝え方を工夫すれば、改善が見込める余地が十分にありそうです。
S野マネージャーの希望に沿い、現時点でも退職勧奨を行えますが、K野さんが勧奨に応じるかどうかはわかりません。退職勧奨はあくまでも退職を勧奨する、つまり自発的に辞めてもらうよう働きかける行為にすぎません。
つまり、労働者に勧奨に応じる義務はないのです。退職勧奨は交渉行為なので、労働者側から退職に当たっての条件を提示することも可能で、多くの場合、解決金などの金銭提示を伴います。
合意に至らない場合は、労働者はその会社に引き続き残ることになります。このようになったときでも、「この人は自分に退職勧奨をしてきた人だ」「会社は自分に辞めてほしいと思っている」という事実は残ります。それは確実に、その後の社内の人間関係、信頼関係に影を落とすことになります。
また、退職勧奨は受けた人だけでなく、それを告げる人にも少なからぬ負荷をかける行為です。退職勧奨や解雇の通知は決して快いものではありません。伝える人の意に反していることさえあり、場合によっては逆恨みされることもあります。
退職勧奨はあくまで交渉であり、それをするのは本当に最後の最後でよいのではないかと私が考えるゆえんです。
もう絶対にK野さんと仕事ができないという状況なのであれば致し方ありませんが、打てる手をすべて打ってからでも良いのではないかとS野マネージャーに相談すると、S野マネージャーは少し困惑したご様子でした。
「それは、退職勧奨するよりは、指導方法を変えてくれたらそのほうがいいです。K野は悪い子ではないんです」
「では、一定期間少し指示の入れ方を変えてみてはいかがでしょうか? もしうまくいかなくてもその都度指導の履歴を残していただければ、仮に退職勧奨に応じず解雇になったときにも貴社に有利な証拠になります。うまくいけば、K野さんがきちんと仕事ができるようになります」
私からはK野さんへの指導方法、情報共有の仕方として次のような改善を提案しました。
・一度に複数の情報・指示は与えない。例えば「文書作成後各部署に送達」という内容であれば、まず「文書を作成する」という指示を与え、終了後に「各部署に送達」という指示に分割する。
・口頭ではなく記録が残るテキストでコミュニケーションを行う。口頭で伝えた内容は、必ずテキストでフォローする。
・指示のテキストはなるべく簡便に、あいまいな言葉を使わずに表現する。
・リスク管理から、社外と連絡が必要な部署からは異動(現在の総務業務を継続)。
これを見たS野マネージャーは当初、提案に難色を示していました。この方法では情報伝達にコストがかかりすぎると思われたようでした。
「ここまで丁寧に伝えないと分からないものなんでしょうか? 他の社員には十分伝わって業務ができているので、K野の理解不足ではないかと思いますが」
「理解不足なのはその通りだと思います。ただ、情報がうまく入らないことが原因でしたら、忘れているのではなくてそもそも情報として受け取れていない可能性が高いです。
こちらが伝えたつもりでも情報として伝わっていないのであれば後々の結果、フォローのコストがかかりますよね。先にそのコストを払っておくことで防止できることもあるかと思います」
「……信じがたいですが、やってみたいと思います。でも役員会で結論が出たことですし、あまり時間はかけられません」
S野マネージャーは納得したような、していないような、という表情でしたが、ともあれ一度試してみますと言って、いったん相談は終わりました。3か月――それが、後日S野マネージャーが再び役員会ではかって得られた猶予期間でした。
S野マネージャーからの連絡は3か月もたたずにありました。2か月ほど経過して、K野さんの業務態度に改善がみられたというのです。
「先生、K野はよくわかっていなかったみたいです。指示を短く区切って出すようにしたら、タスクで抜けることがほとんどなくなりました。また、総務のようなルーチンの業務が多いところも性に合うようです。ルーチン化されたことは抜け漏れなく行えています」
「それはよかったです。電話応対のほうはいかがですか?」
「電話ですとやっぱり抜けがあるようです。本人に最後に復唱させると抜けているところが分かるので、今はそれでなんとかフォローできています」
S野マネージャーは今後退職勧奨する可能性はゼロではないが、いったんは総務で様子見をしようと言うことになったと教えてくれました。私の対応としてはいったんここで終了しておりますが、退職勧奨に至らず改善を図ることができ、とても嬉しく思いました。
今回のケースは、社員の問題行動の原因を検討し、働きかけ方を変えたことで改善された例です。
すべての問題がこのように改善されるわけではないでしょうし、K野さんが今後また別の問題を引き起こさない保証はありませんが、それでも退職と言う選択肢のほかにも選べる道があることが分かることで状況が変わる可能性があることをぜひ知っていただければと思います。
…つづく<繁忙期に有給取得を「ゴリ押し取得」した、20代「空気が読めない社員」が起こした想定外の事態>では、普段からミスが多い20代社員が、繁忙期の有給休暇をとったことで思わぬトラブルに発展した事例を紹介します。
繁忙期に有給取得を「ゴリ押し取得」した、20代「空気が読めない社員」が起こした想定外の事態