新卒で入社した大手IT企業を2か月で辞め、転職先のベンチャー企業はわずか1週間で退職したコンカフェ嬢のゆいにゃさん(23)。中学・高校は「女子御三家」の一角・女子学院で過ごし、その後、早稲田大学法学部に進学。いわゆる“エリートコース”を歩んできた。
【画像多数】清純黒髪姿で今とはまるで別人…早稲田大学に通う“女子大生時代”のゆいにゃさん23歳
そんなゆいにゃさんが、なぜ安定した年収と職を捨てるに至ったのか。短期間で2度も会社を辞めた“本当の理由”とは? 「自己肯定感が低かった」という彼女の学生時代から振り返り、その素顔に迫る。(全3回の1回目/2回目に続く)
早稲田卒のゆいにゃさん23歳 杉山秀樹/文藝春秋
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――ゆいにゃさんは、「朝起きられない、時間が守れない社会不適合者だ」とご自身のことをメディアで発信していましたね。
ゆいにゃ はい。今日の取材も14時からスタートだと分かっていたのですが、起きたら13時過ぎていて。結局1時間近く遅刻してしまってすみません……。
――「キャラ作りじゃなくて、本当に朝に弱いんだな」というのが分かりました。
ゆいにゃ だから、朝早く起きて仕事に行く生活に全然馴染めなかったんですよね。今は、夕方から出勤すればいいコンカフェで働いています。
――偏差値76の難関女子校・女子学院を卒業後、現役で早稲田大学法学部に入学し、新卒で大手IT企業に入社したものの……という経歴にも注目が集まっています。まずは、女子学院を目指した理由を教えてください。
ゆいにゃ 小学生のときに、近所でやっている中学校や高校の文化祭に行ったんですよ。どの文化祭も楽しそうだったのですが、特に女子学院は生徒がすべて企画・運営していて。
「ここなら、自分のやりたいことを自由にできるのかもしれない!」「女子学院に入ったら、こんな楽しい生活が送れるんだ!」と憧れたんです。中学受験を意識したのは、そのときからです。

――女子学院は、「お嬢様校」のイメージがある人も多いと思いますが、ゆいにゃさんはどんな家庭で育ったのですか?
ゆいにゃ 父と母と私の3人家族で、一般的なサラリーマン家庭でした。ただ、一人っ子だったこともあって、子どもの教育費は惜しみなく出す、くらいの金銭的余裕はあったと思います。
でも、私立中学を受けさせるような雰囲気はなかったですね。親から「勉強しなさい」と言われることもほとんどなくて。特に母からは、「子どもはいっぱい遊びなさい」と言われていました。
――親から「勉強しなさい」と言われない家庭で、自分から進んで中学受験の勉強をするのは大変ではなかった?
ゆいにゃ 大変と言えば大変でした。でも、当時の私としては勉強は習い事感覚だったんですよね。例えば、ピアノを習っている人は自宅でも練習しますよね。勉強も一緒で、塾に通っているなら家で勉強するのは当たり前だよな、という感じです。
また、父も母も「あなたがやりたいなら」と応援はしてくれるけど、私に無理やり勉強させることはありませんでした。私自身も、「何が何でも合格しなきゃ」とは思っていなかった。勉強自体は大変でしたが、追い詰められることはなかったですね。

――中学受験のとき、女子学院以外にはどこを受けたのでしょうか。
ゆいにゃ 願書を出したのは、慶應義塾湘南藤沢中等部と、広尾学園、浦和明の星女子中学です。女子学院に受かった時点で受験は辞めてしまったので、願書を出したすべての学校を受けたわけではないのですが、受験したところは全て受かりました。
――「自由な校風に憧れた」とお話がありましたが、実際に女子学院中学校に入学して感じたことを教えていただけますか?
ゆいにゃ 他の学校と比較すると、校則はかなり自由だと思います。特に髪型や服装、メイクは完全に自由。ロリータの格好で登校する人もいるくらいでした。
同時に、「自由には責任が伴う」と、厳しさを教えてくれたのも女子学院でした。「誰かに寄りかかる人生じゃなくて、自分で選んだ人生を自分の足で歩んでいく」という考えは女子学院での6年で身につきました。
女子学院では、人格形成に役立てるために「生き方」をディスカッションする機会があるんですよ。私がつまづきながらも進学や就職、退職を自分で決断できたのは、この経験がベースにあるからだと思っています。

――素敵な校風ですね。
ゆいにゃ ただ、私は中高の6年間で自己肯定感が地に落ちてしまって。入学する前は「私みたいに女子学院の自由な校風に憧れて入学してくる人が多いだろうから、気の合う友達がたくさんできそうだな」と期待していました。
でも、実際に入ってみたら劣等感に苛まれることの方が多くて……。女子学院には、「完璧な子」が多いんですよ。そんな周りと勝手に比較して、「私なんか」って考えをどんどんこじらせていっちゃったんですよね。
――「完璧な子」とは、具体的にはどのような人が多かったのでしょうか。
ゆいにゃ 例えば、私は一般的な家庭の生まれですが、同級生には社長や医者の娘がごろごろいる。テスト勉強をしなくてもテストがいつもほぼ満点の子や、「勉強が趣味」と言って1日に10時間以上も楽しそうに机に向かっている子もいる。
しかも、勉強をしっかりした上で、部活や趣味にも抜かりないんですよ。
一方で私は、勉強も彼女たちほどはできないし、勉強と部活の両立もできなくてすぐにキャパオーバーしちゃって。もう、劣等感しかなかったですね。

――現在は「人は人、自分は自分」という姿を見せていますが……。
ゆいにゃ あの頃は、本当にネガティブでした。だから高校時代には「良い大学に受かって、見返してやりたい」って気持ちが膨らんでいったのかもしれません。
――見返してやりたい、とは?
ゆいにゃ 真面目で勉強ができる子が多いからこそ、成績が悪い人を冷めた目で見る人が少なからずいたんですよね。特に私は成績が悪いだけじゃなくて、学外でバンドを組んでいてちょっと目立っていたから、陰口を叩かれることが多くて。
「あの子チャラいよね」「不特定多数の相手と付き合っているらしいよ」と、事実とは違う噂を広められたこともあって、悔しい思いをしました。
でも、勉強ができる人しかいない環境では、勉強ができない私は無力なんです。だから、女子学院の子たちも納得できるような大学に入って、自信を取り戻したかったというか。今なら、「勉強のできるできないだけで判断するなんて、狭い世界にいたな」って分かるんですけどね。

――以前、「MARCHに人権はない」と発言して炎上していましたが、あれはどういう意図だったのでしょうか。
ゆいにゃ 偏差値にかかわらず素晴らしい大学がたくさんあることは、もちろん知っています。私自身、大学受験では青山学院大学や立教大学、学習院大学、専修大学や神奈川大学といった大学も受験しました。
残念ながら青学と立教は落ちてしまったのですが、学習院に受かったときは泣くくらい嬉しかった。「こんな素敵なところでキャンパスライフを送れたら、絶対楽しいだろうな」と思っていました。
でも、東大や早慶、医学部に進学する子が多い女子学院の中で、私が人並みの自信をつけるには、当時は学歴を身につけるしか方法がなかった。高校時代の私が信じ込んでいた感覚を表す意図もあって「MARCHに人権はない」と発言してしまったんです。
――高校卒業後は、早稲田大学の法学部に進学します。
ゆいにゃ 高校3年生の夏ごろまでは、ほぼずっと学年最下位の成績でした。周りからは「お前が早稲田に受かるわけない」と言われていたし、私自身も「見返したい」とは思いつつ、自信はありませんでした。
でも、結果的に早稲田大学の法学部と慶応大学の経済学部に合格できて、より「自分に合いそう」と思った早稲田への進学を決めました。
撮影=杉山秀樹/文藝春秋
〈「コンビニまで15分かかるから会社を辞めた」大企業に新卒入社→わずか2か月で退職…早稲田卒のエリート女性(23)が明かす、年収も地位も捨てた“本当の理由”〉へ続く
(仲 奈々)