厚生労働省が出している人口動態統計によると、年間約600~1,500人が熱中症で亡くなっている。1年間を通してではなく、毎年暑い5~9月の短期間でこの人数が亡くなっているのだ。
「これは能登半島地震の関連死を含めた人数よりも圧倒的に多いんです。毎年必ず決まった時期に来るため、地震や津波と違って予測と予防ができるのが熱中症なんですが…」
医療者に向けた熱中症に関する本を出版し、日本救急医学会「熱中症に関する委員会」委員長を務めたこともある帝京大学医学部附属病院・三宅康史医師はこう語る。
FRaUwebが取材した久美子さん(仮名・35歳)は2022年9月に熱中症で救急搬送された。当時、離婚から半年経った頃で、ベンチャーのWeb制作会社の正社員になったという久美子さん。15人いる社員の平均年齢が30歳という若く活気がある会社で、自分が担当するイベントの仕事の最中に倒れたのだ。家に帰り休むも吐き気がおそってきて、一気に嘔吐。やがて視界が狭くなり、歯がガチガチいうほどの寒さに「コロナ……? 」と思ったという。「後で熱中症だとわかるんですが、思い込んでいた症状と、実際に発症してみると全然違うんです」と語る。
FRaUwebでは、熱中症で命の危機を感じた久美子さんの体験を元に、帝京大学医学部附属病院の三宅康史医師に解説いただく。
三宅康史医師
帝京大学医学部教授。帝京大学医学部附属病院高度救命救急センター長。日本救急医学会評議員・専門医・指導医。
専門分野は救急医学、集中治療医学、脳神経外科、外傷学、災害医学、医学教育。編著に『医療者のための熱中症対策Q&A』『現場で使う!! 熱中症ポケットマニュアル』などがあり、日本救急医学会「熱中症に関する委員会」委員長を務めたこともある。
熱中症になると、体が暑さでぼーっとするのかと思っていた久美子さん。しかし、実際は吐き気が止まらず、寒気が起こり、視野が狭くなり、頭痛が激しくなる。
「水をちびっと飲み、吐くを繰り返していたら、ドアがドンドンと叩かれ、“姐さん、入るよ”と会社の女性の同僚が入ってきた。涙を流しながら口からよだれを垂らし、横になっている私の様子を見て、すぐに救急車を呼んでくれました」
久美子さんは倒れてから4~5時間は経っていると思っていたが、1時間半しか経過していなかったという。そのくらい、苦しかったのだ。
「同僚がウチに来てくれたのは、上司から“姐さんの様子を見に行って”と言われ、住所を渡されたからだそうです。個人情報より命だと思ったみたい。彼女が来てくれても、オートロックだったら対応できなかったと思うし、鍵を閉め忘れていなければ、彼女は家に入れなかった。奇跡が重なったから、私は今生きているんです」
救急車が来る間、同僚は久美子さんのブラトップを脱がせ、Tシャツと短パンに着替えさせる。両脇と鼠蹊部、首に冷凍庫の保冷剤を当てて、おでこには冷凍チャーハンを袋ごと乗せてくれたという。それほど必死だったのだ。
前出の三宅医師に対策方法を聞いた。
「熱中症になったら、冷房が効いている室内に移動すること。日陰で局部冷却するよりも体全体を冷やしたほうが効果は高い。あとは、水を飲むこと。冷たいほど体を冷やす効果が高いので、できるだけ飲ませてください。大量に汗をかいた後に熱中症になった方は塩分が不足していますので、スポーツドリンクや経口補水液が有効です」(三宅医師)
今回の久美子さんの例には当てはまらないが、屋外スポーツや労働での熱中症は「労作(ろうさ)性熱中症」と言う。その場合も同じで応急処置の頭文字を並べた「FIRE」(水を飲む・Fluid、身体を冷やす・Icing、安静にさせる・Rest、緊急搬送・Emergency)が重要だという。
「脱水になると心臓自身を養う血液も減るので、心臓も大きなダメージを受けます。若いうちはいいですが、高齢の方、心臓を含めた基礎疾患がある方はそのまま命を落としてしまうことがあるのです」(三宅医師)
厳しい部活動も問題だ。高校生が練習や試合中の熱中症から熱による脳障害と低酸素脳症になり、言語や肉体機能の障害に苦しんでいる例も報道されている。
「脳細胞は熱に弱いのです。熱のダメージを受けた脳を蘇生させるには、まず頭部を含めた全身を冷やすこと。それにより脳そのものの温度を下げるのです」(三宅医師)
久美子さんの同僚は、頭に冷凍チャーハンの袋を乗せた。それは理にかなっているのだ。
「脳の傷みが手遅れになってしまうと治療のしようがないことがほとんどです。テレビのニュースなどで報道されている後遺症が残ったケースは、熱中症になったあとすぐに対処されていないケースも多いんです。」(三宅医師)
冷凍庫にあるもので体を冷やされた久美子さんは、救急隊員によって運び出される。同僚は財布の入った通勤バッグにハンドタオルを入れて同行してくれた。病院に搬送されている間、何度も名前、年齢、生年月日、今日の日付などを聞かれたという。
「口がカラカラで吐き気がするのに、救急隊員の方が強い口調で聞いてくるんですよ。うんざりしながらも、必死で答えていました。今思うと、意識を保つためにやってくれたんでしょうね。病院に到着すると、医師が手の甲をつねる。なんだろうと思ったら、脱水があるかどうかの診断だったみたいです」
これはツルゴール(皮膚の張り)反応の有無を見定めるものだったという。脱水症状になると、皮膚は元に戻りにくくなるという。熱中症だと診断されると、すぐに点滴を打たれて、1時間30分程度で帰宅になる。
「点滴を打ったら、あっという間に体調が戻りました。同僚は“姐さん、無理しないでくださいよ”と帰って行きました。時間外診療費も含め支払いは全部で7000円くらい。健康保険制度ってすごい」
その日はよく眠れたというが、問題は翌日からだった。熱中症以前と以降では、別人のように体力が落ちてしまったという。朝、起きられない、眠りが浅い、食欲が湧かないなどの明らかな体調の変化があった。
「1年間ほど、不調が続きました。なんとなくだるくて、最寄り駅まで一気に歩けない。駅の階段が上がれない、重い荷物が持てないなどです。仕事も営業先への同行なども難しくなり、熱中症から半年間は、完全内勤に切り替えてもらいました。会社の飲み会も食べられる量が減るのと、食事中に吐き気が込み上げることが多く、辞退するように。1年で体重が5キロほど落ちました」
熱中症を発症する以前の久美子さんの生活を聞くと、仕事と遊びに邁進する不規則な生活を続けていた。食事、サプリメントの多用、鎮静剤や胃腸薬、睡眠導入剤の常用、アルコールの過剰摂取などもあったという。そんな彼女の生活は、現代社会で働く人の多くに当てはなるのではないだろうか。
熱中症の後遺症について三宅医師に聞くと「外来レベルの熱中症で、長く後遺症が長く残るということは基本的にない」という。
「倦怠感やだるさが続くと言う人もいますが、軽症ならその日のうちに回復します。ただ、熱中症で肝機能が落ち、老廃物がうまく処理できなくなっている可能性も考えられます。でも、それはレアケースです。ただ、感染症にかかって咳や熱が出てしまうと回復に数日間かかることもあります」(三宅医師)
久美子さんが熱中症以降の不調から脱したのは、発症から1年以上の時間が必要だった。
「地道なストレッチと、健康的な食生活、ストレス対策のための瞑想レッスンなどを続けて、やっと体調が戻りました」
熱中症以降は、1日2リットルの水を飲むようになったという。
「それまで私には、定期的に水を飲む習慣がなかったんです。幼い頃に母親から“トイレが近くなるから、水を飲んじゃだめ”と叱られ続けていました。それに、私が幼い頃は、学校の授業中に水を飲むのはもってのほかでしたし、部活の合間に水を飲んだら殴られていた。いつの頃からか“水分補給”なんて言われるようになりましたけど、私の世代までは“水を飲む=悪”という感覚はあります」
今年の夏は、水と塩タブレットを併用して、熱中症予防に努めているという。
「同僚が来てくれかなったら、間違いなく死んでいた。あんな怖い思いをしたからこそ、生活を変えました。命の危機を感じると、人間は変わります」
熱中症は音もなく忍び寄ってくる。万全の対策をして、命を守ってほしい。
「コロナと思ったら熱中症だった」35歳女性が熱中症で倒れるまでに起きたこと