新宿・歌舞伎町にほど近い新宿大ガード下で、およそ4年間にわたって路上生活を続けている本間弥和さん(59)。前編ではそんな彼女のもとを訪れる”歌舞伎町の住民たち”の声をお届けしたが、後編では彼女の生い立ちに迫った。
“新宿大ガード下の主”本間弥和さんの元へやってくる界隈民たち
時刻は夕方の6時。このくらいの時間になると、新宿大ガード下は仕事帰りと思しきスーツ姿のサラリーマンが行き交い、人通りもピークを迎える。

だが、ガード下に集まる界隈民たちはお構いなし。缶チューハイを片手に会話に夢中になっている。そんななか、本間さんがクーラーボックスの中から取り出したのは、きゅうりの浅漬けとレバーの煮付けだ。彼女が「ほら、食べて食べて」と呼びかけると、その場にいた界隈民の女性やトー横キッズの少女は「いただきまーす」と言って箸でつまみ出す。すぐに「おいしい」「ママのご飯サイコー」「酒が進むわ」などの声が飛び交い、本間さんも満足気な表情を浮かべる。
記者もお言葉に甘えてひと口いただくが、なかなか濃い口でおいしい。これを肴に缶チューハイを飲みながら界隈民たちと雑談を交わしているうちに、取材で訪れたとはいえ、この空間に居心地のよさを感じるようになってきた。本間さんは、ふだんから界隈民のために料理を作っていて、カセットコンロのほか、調理器具もひと通り揃えているというが、月に数回は行政に撤去を余儀なくされるんだとか。
「大ガード下は月に2回だけ清掃があるんだけど、そのときはすべての荷物を持ってここから追い出されるの。それできれいになった通りを清掃業者がパシャッと写真を撮ったら終わるから、そうしたら戻るという感じかな。もちろんここに段ボールを敷いて寝泊まりするのはダメってわかってるけど、じゃあホームレスにどこに行けって言うのよ。役所側も事情をわかっているからここから追い出そうにも追い出せないのが現状なんじゃないかな」
新宿大ガード下には数十年前から路上生活者が住んでおり、本間さん自身も、知人に紹介されて“移住”を決意したという。それまでは生活保護を受けながら大田区のアパートに住んでいたというが、彼女は自らの生い立ちについてこう語る。
「私ね、北海道札幌市出身で、両親とも北大(=北海道大学)出身のエリート家庭に生まれたの。それで私も北大に通ってたんだけど、当時はまだ男女雇用機会均等法ができたくらいの時期で、まだまだ女性の社会進出は進んでいなかった。それにちょうど不景気の年にも当たってしまって東京にある一社しか内定も出なくてね。でも当時は、まだ上京するなんて勇気もなかったから、卒業後は道内の進学塾で働いてたの」
その後、転職を繰り返すうちに上京し、34歳のころに結婚。その4年後には待望の第一子を出産したが、幸せな日々は長続きしなかった。「息子ができてしばらく経ってから離婚したの。だから一緒に住んでいたのは3歳半くらいのころまでかな。そのぐらいの時期から精神に支障をきたすようになって、別れたあとに生活保護も受けてたよ。その後は、事務職とか雑誌の校正とか職を転々として再婚もしたけど、結局それも長く続かなかった。
ふたたび精神に支障をきたすようになって、今から10年くらい前にまた福祉に頼るようになったの。息子とも最後に会ったのは2年前くらいかな。まあ色々と迷惑もかけちゃったし、向こうは顔も見たくないという感じだろうね。親としては生きててくれたらそれで十分なんだけどさ」(同)
夜の8時を回ると、トー横広場で宴会を始めるためか、界隈民たちも続々と移動し始めた。「じゃあママ、あとで来てねー」と言いながら歌舞伎町方面に去っていくと、新宿大ガードは閑散として電車の走行音だけが響きわたる。しかし、その後も本間さんの元にはトー横キッズと思わしき少女が訪ねてきては、「ねえママ、私どうすればいいと思う?」などと心配そうに訊いてくる。相談が終わり少女が立ち去ると、本間さんは軽いため息をつきながら「こんなのはまだマシな方だよ」と話す。
「私もかれこれ4年はここにいるから、いろんな子を見てきたよ。これまで仲よくしてたキッズが自殺したり、市販薬OD(=過剰摂取)の影響で亡くなった子も見てきたしさ。キッズから『もう死にたい』なんて相談を受けることも多いけど、そういう子に対して『死ぬな』なんて私は言えない。だってそんなのただのきれいごとじゃない? だから私は『わかった。じゃあ一緒に死のう』とか『もし○○(キッズの名前)が死ぬなら私も後を追って死ぬから』と言うようにしてる。こっちのほうが説得力があるからね」
そんな本間さんも今年で還暦を迎える。今後について尋ねると、「もしかしたら再び生活保護を受けて違うところで生活するかもしれないし、それはわからない」と話しつつも、「ここにいるのが私の役目なのかなとも思うよね」と微笑む。
「もしかしたら自分の息子だけじゃ子どもが足りなかったのかもしれないね(笑)。やっぱり界隈民に『ママに会えるだけで安心する』とか『とにかくいてくれるだけでいいから』と言われるのはすごく名誉なことだし、今は歌舞伎町から離れて生活してる人が、わざわざ会いにきてくれたりすると素直にうれしいよね。もちろんこの先のことはわからないけど、こうしていろんな人の支えになれるのは、ほかの人にはできない天職なのかなと思う」
時刻は夜の9時すぎ。トー横広場に行くと、イベント用スペースとして封鎖された柵の外では20人近くが地べたに座りながら酒盛りしていた。年代は10代~70代までさまざまで、地雷系ファッションに身を包んだトー横キッズのほか、先ほどまで新宿大ガード下にいたトー横ミドルの姿も目に入る。アコースティックギターで中島みゆきの「糸」を弾き語りする50代の男性もいれば、泥酔したのか地面に倒れている男性までいた。トー横キッズの少年は「ここにはキッズ以外にもいろんな大人がいて楽しいっすよ」と言う。
「一応グループはわかれてますけど、終電後は合体して大人と一緒に飲むこともあるし、そのときは『お前たちもたくさん飲めよ』と言って缶チューハイをおごってくれたりします。それと、大人たちは経験も豊富なので、僕たちが市販薬をOD(=過剰摂取)してヤバくなったときは助けてくれる。『ひたすら水飲ませとけ』とかアドバイスしてくれるので頼りになりますね」新宿・歌舞伎町の中心では、こうして今宵も終わらない宴が繰り広げられるのだった。取材・文/神保英二