ラブホテルの一室で被害者を殺害、首を切断して頭部を自宅に持ち帰るなどした猟奇的な事件から1年。殺人、死体損害などの罪で逮捕、起訴されたのは田村瑠奈被告(30歳)とその両親だ。6月4日に母親の浩子被告(61歳)の初公判が札幌地裁で行われ、瑠奈被告と両親の歪んだ親子関係も明かされた。
批判される田村夫妻の育児方法だが前半記事『《ススキノ首切断》18歳から「自殺未遂」を繰り返していた田村瑠奈被告…有名精神科医が指摘する「両親の確かな愛情」と「精神科医だった父親の信念」』に引き続き、精神科医が説明する。
当時62歳だった男性会社員のAさんをラブホテルで殺害、その頭部を自宅に持ち帰り、さらに皮をはぐなどして損壊。その様子を撮影し、「作品」などと称していたのは田村瑠奈被告(30歳)。殺人、死体遺棄などの罪で逮捕、起訴されている。
この事件には、瑠奈被告の両親も携わり、一家ぐるみで行われていたこともさらなる衝撃を与えた。
だが、法廷で明らかになったのは常軌を逸した瑠奈被告の行動と両親との関係だった。
両親は瑠奈被告のことを溺愛しており、幼少期から叱ることはなかった。成人した後も、彼女の要望には最優先で応えていたという。
その一方で、瑠奈被告は些細なことでも両親を叱責し、修被告が運転中にも関わらず首を絞めて怒りをぶつけることもあったという。
「冒頭陳述によると、家族の中では瑠奈被告が圧倒的な上位者、両親は奴隷扱いをされても叱ることはせず、『瑠奈ファースト』の親子関係が形成されていた」
さらに修被告が精神科医だったことでも批判が集まっていた。
「父親が精神科医なのになぜ娘が事件を起こしたのか」「治療しなかったのではないか」「ほかの医師の診断や治療を行わなかったのではないか」といった声が相次いでいたのだ。
「精神的な疾患は治療を続けていてもなかなか治らない病気の一つ。不登校、引きこもりといった行為だって薬で治るものではありません。発達障害もそうですが、当事者に根気よく対応し、向き合っていくしかないんです」
そう訴えるのは精神科医の和田秀樹氏。
「父親が精神科医なのに、治療がうまくいかなかった、などといった指摘は精神科医や専門家ではない人たちの声ですよね。専門的な知識がない人たちはそう考えることはあるでしょう」(和田氏、以下「」内も)
溺愛とされた「叱らない子育て」や「瑠奈ファースト」という暮らしぶりも、両親は真摯に瑠奈被告と向き合っていたプロセスのひとつだと考えられるという。
「両親は瑠奈被告を本当に大切に育ててきたのでしょう。修被告は医師としての自分の地位とか名誉なんてどうでもいい、というくらいの感覚で関わっているような気がしています」
甘やかし、わがまま放題に育てていても、それは瑠奈被告の特性に合わせてのこと。生きづらさを抱える娘が「少しでも楽に生きられれば」と、両親は苦しみながらもそうした子育て方法を選んだのではないだろうか。望むものを与え、外出にも付き合ったり、やりたいことをさせた。娘の社会性回復につながるのであれば惜しみなく与え、献身的に支えてきた。
浩子被告の初公判では親子関係が破綻していたことも指摘されているが、これについて和田氏は次のように推測している。
「例えば家庭内暴力です。止めるのではなくて、当事者の気がすむように振るわせておくというのが一般的な関わり方。良いか悪いか、正しいか正しくないか、その判断は第三者である私たちには判断できません。状況によって、ちょっと違うかな、と私自身も思うことはありますが、修被告の医師としての瑠奈被告への接し方は、いわゆる教科書通りのこと。間違ったことはしていないのです」
やり方が間違っていればもっと早い段階で違う方法を選択することもできただろう。それをしなかったということは破綻しているように見える親子関係であっても、「うまく機能している」と、家族が認識し、納得していたとすれば否定することはできない。
「瑠奈被告には生活を通し、生きることに自信を持たせて、徐々に外に出られるようにしていく、それが両親の戦術だったのだと思います」
小学生のころは友達を家に招くなどどこでもいるような普通の少女だった瑠奈被告。だが成長するにつれ、彼女の持つ特性から生きづらさを覚え、自傷行為や自殺未遂を繰り返すようになったのではないだろうか。
そのため、被害者とのトラブルが起きる前、「クラブで知り合った人と遊びに行く」との瑠奈自身の行動に対し、自発的に外に出て、家族以外の人と交流を持つチャンスと家族はとらえたのだろう。公判では母親が喜んでいた旨が明かされている。
ただし、その行動が発端となり、瑠奈被告は被害者に恨みを持つことになった。
「家族にしてみれば性被害に遭うことは、もちろん考えてはいなかった。そこら辺までは能天気だったと思いますよ。これまで褒めて育ててきたかいがあった、と。しかし、結果は娘は傷つけられて帰ってきた」
一転して家族にとっての「地獄の始まり」となってしまった。
前出の和田氏によると「事件を防ぐ手立てはあった」という。
「警察の対応です。瑠奈被告が被害男性とトラブルになったときに動けていれば事件は起こらなかったと思います。瑠奈被告に限らず、性暴力や性被害にあった当事者は被害を訴えても警察が何もしてくれない、解決されない問題が非常に多い」
おまけに被害男性は瑠奈被告の自宅を複数回訪れ、接触を試みていた。家族は追い返す方法を考えるのではなく、被害男性を「ストーカー」「性加害者」として警察に相談していれば事態は大きく変わっていたと推測される。
だが、そうした様子は見られない。
「特に修被告は警察を信用していなかったのでしょう。何もしてくれないことがわかっていた。私を含めて精神科医は過去のトラブルや怖い思いを明かした患者から『警察は動いてくれなかった』ということをよく聞きます。
性暴力や被害を受けたとき『警察への被害相談』は大切なこと。ですが、実際に警察にいっても『先生ダメでした』と訴えられるケースがほとんど。
そうなると自分たちの手で被害男性を探しだして問題を解決する、という考えに辿りついてもおかしくはない。当然、娘を傷つけた男性を親は許せません」
修被告は患者と向き合い、真摯にその声に耳を傾けることに長けていた評判の精神科医だったという。だからこそ、警察では解決できないこともわかっていたのだろう。
怒り、不安定になる娘に対して「警察に行こう」とはせず、瑠奈被告の気持ちも汲みながら「我々で解決しないといけない」との気持ちに駆られていたのではないだろうか。
誤算だったのは娘が殺人を犯すということだ。
そこまでは考えが及ばなかったのだろう。
「あくまでも推測ですが、両親にとってみれば被害者は娘を傷つけた憎い相手。殺されても仕方がない、と思っていたかもしれません。だから殺しが発覚したときは家族でかばおうとしたのでしょう」
とはいえ、両親は猟奇的な瑠奈被告の行動に強いストレスを覚えていたというが警察に通報することはなかった。それどころか「警察がきたときは運命を受け入れよう」「その日までのわずかな時間をこれまで通り、家族として生活することを選択した」としていたことが公判の中で明かされている。
そして事件後には猟奇的な状況や、瑠奈被告の疾患ばかりが面白おかしく注目されることになる。
「確かに大事件を起こした加害者が自宅に引きこもっていたり、発達障害や精神疾患があった、とされることはあります。ですが、そうした当事者が事件を起こすケースは確率論としては非常に低い。発達障害だから、精神疾患だから事件を起こす、という考えは間違っています。むしろ社会での生活を目標に頑張っている当事者たちがさらに生きづらくなってしまう」
そうした偏見や差別が当事者とその家族をさらに追い込んでいくのではないだろうか。障害や疾患を事件と安易に結びつけることが、さらなる差別や悲劇を生み出すことに多くの人々は気づいていない。
「精神科医、プロでも発達障害や精神疾患の治療は非常に難しい。どうにかその子の取り柄を探し、その世界で生きることを受容する必要がある。引きこもっていたとしたらその世界でどう生きていくかを考える。
ですが、社会は変わり者を『排除』しようとする。悩む当事者やその家族を追い詰めるのではなく、社会としてどう受け止め、社会全体で矯正する必要があるかを考えることだと思うんです」
その当事者、家族にとっては一般社会では理解できないことであっても、本人たちにとっては幸せなことがある。お互いにどう折り合いをつけ、受容することができるかが社会には求められている。
「歪んでいても被告の家族にとっては『幸せ』だったのではないでしょうか。社会とは異なるペースで進んでいたとしても瑠奈被告だって徐々に自分自身を見つけ、暮らしていく方法を見つけていけたのではないでしょうか。なにより家族以外で瑠奈被告のことを理解し、愛してくれる男性と出会えていたらまた違った人生があったでしょう」
修被告のSNSのヘッダーに使われている浩子被告が描いたイラスト。アマビエをモチーフにしたとされているが、どこか瑠奈被告を思わせる印象を受ける。
その背後には虹が輝く。
雨上がりの後のように、いつかこの辛い生活の後には家族が幸せになれる、浩子被告は娘の未来に希望を抱いていたのではないだろうか――。
7月1日、事件が起きたこの日に第2回目となる浩子被告の公判が行われる。そこに修被告が証人として出廷することでも注目を集める。
両親は娘に対して何を語るのだろうか。
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