2022年3月18日、大阪府泉南市内の当時中学校1年生だった松波翔さん(享年13)が自宅近くで自殺した。小学校時代に同級生や上級生によるいじめが始まり、学校や市教委に相談したものの悲劇を防ぐことはできなかった。
【画像】いじめを苦に自殺した松波翔さん(享年13)

後に調査委員会が出した報告書や母親の証言によると、翔さんがいじめを受けるようになったのは3年生の頃だったという。
上級生の男子児童たちに「アホ」「死ね」「カス」「ちび」と継続的に罵倒される、クラスで新聞作りをしている時に翔さんの言葉使いをからかわれるなどの状態が続いていた。翔さんは精神的に追い詰められ、学校の池に飛び込むなどの問題が起きていた。
同じクラスで暴言を投げかけた児童は謝罪したが、6年生男子は特定されることはなかった。家庭訪問の際に教員が6年生の写真を見せて「いじめた人がこの中にいる?」と聞いたが、翔さんは「いない」と答えていた。
見かねた母親は翔さんに「学校に行かなくていい」と伝えたが、翔さんは登校を続けた。しかし他の児童に突き飛ばされて怪我をするなどのいじめ被害は止まらず、その時も担任らが家庭訪問して対処をしたが加害児童は特定できなかった。
さらに「くさい」「風呂に入っていない」と暴言を投げかけた児童と取っ組み合いになる事件や、体育の授業のときに倉庫に閉じ込められるなどのいじめも起きていた。
「翔はいじめられたことを教員に相談したが『お前の言うことは信じない』と言われました。そのことに傷ついて小4の9月頃から不登校になったんです」(母親)
翔さんが生前に使っていた部屋はまだ片づけられずにいる
翔さんは地元の中学校に進学したため、いじめは止まらなかった。小学校6年生のときに不登校だったことが広まり、「少年院に行っていたから学校に来れなかった」、「少年院帰り」、「障害者」などの噂を流されたという。
「少年院帰り」という噂は学校内だけでなく、市内の全員まで広がっているのではと不安を感じたという。教師たちの対応もにぶく、翔さんは苦しみから逃れる方法として隣の阪南市への転校を教育委員会に希望した。
しかし、この時点では「転校は市内に限る」とされた。その事実を知った数日後に翔さんは自ら命を絶っている。
そもそも翔さんに対するいじめが始まったのは、2歳年上の兄が教師から受けた扱いがきっかけだった。翔さんの兄が小学5年生の頃、音楽の担当教員が他の児童の前で、兄を罵倒したのだ。
「このままだと将来、ニートのようになるかもしれない」
「あんたみたいな子は、仕事しようと思っても、試験受けても受からへん」
授業が始まった後も廊下にいたことが原因とされているが、母親によれば「担任の先生と話をしていたから」だという。つまり授業に遅れたのは兄のせいではなく、それを担任はわかっていたはずなのに音楽担当教員が兄を罵倒するのを見て見ぬふりをしたことになる。

この事態を学校は保護者に連絡しなかったが、家庭訪問の際に不意に発覚し、校長や音楽担当教員、学年主任などが翔さんの家を訪れて謝罪することになった。
「一応謝ってはいましたが、学年主任が『普段から謝ったら許す大切さを教えているよね。じゃあ、どうしたらいいかわかるよな』と詰め寄り、お兄ちゃんは『許す』と言うしかない状況でした。校長先生も『お母さん。これでものごと解決です』と帰って行きましたが、私もお兄ちゃんもまったく納得できませんでした」(母親)
そしてこの「兄へのハラスメント」が、翔さんと兄へのいじめが始まるきっかけになったのだ。翔さんは兄の同級生から「お前の兄貴、障害なのか?」「お前の兄はおかしいんやろ」などと暴言を浴びることが増えたのだ。
一度「いじめられっ子」というポジションに追いやられた翔さんは、その後約5年間断続的にいじめを受け、最悪の事態に至ってしまったことになる。

翔さんが亡くなった10カ月後の23年1月、泉南市長は諮問機関「中学生自死の重大事態の調査に係る第三者委員会」を設置し、調査の末に24年5月に報告書を公表した。
報告書は、いじめがあったこと、いじめが自殺の一因になったこと、その背景に教員の不適切な指導があったことなどを指摘している。
報告書を読んだ母親は、この報告書を大筋で歓迎しているという。
「一部の事実関係が違ったりはしていますが、自分たちがずっと訴えてきたことを大体は認めてくれています。これまで認めなかったのは、学校の非を認めたくなかったのでしょう」

ただ、もちろん不満は残っている。調査の過程で翔さんの同級生にアンケートをとっているのだが、母親はそれを読んで愕然としたという。
「子どもたちの意見が希薄すぎるなと思いました。そもそもほとんど白紙で、書いてあるものは全体の約1割。しかも教師たちの言い分を真に受けたのか、翔が悪いというアンケートも多くあります。『結局、家庭の問題ちゃうの?』『まだこの問題やってるん?』などの意見もありました……」
報告書では、学校の責任を認め、翔さんの苦しみについても言及している。
《教員が他の児童がいる教室の中で兄を名指しで指導したことは、他の児童及び保護者に向けて、兄が「変わった子ども」「問題がある子ども」であることをいわば学校が公認した形になり、同時に、当該児童(翔さん)についても「変わった子どもの弟」「問題がある子どもの弟」という眼で見られるきっかけを作った》
《自己所属感の喪失につながると同時に、学業不振からの将来への不安や母への自責の念、これらが不幸にも同時期に起こってしまったことで、当該児童(翔さん)にとっては幾度となく押し寄せる波のように、永遠に続くかもしれない苦悩に苛まれ、心理的狭窄に至り自死を決意することに至ったと考えられる》
しかしこの報告書は、あくまでも第三者委員会によるもので、まだ翔さんが通った小中学校や泉南市の教育委員会が認めたわけではない。

母親の戦いは終わっていない。
「(教育委員会が)認めませんよって言ったら終わりです。なので意見書は出そうと思っています。翔の死に責任があったことを具体的に認めさせるためにも、交渉はまだ続きます」
(渋井 哲也)