前編記事<5日後には生存率が「ゼロ」に…増え続ける「認知症行方不明者」の深刻すぎる実態>もあわせてお読みください。
65歳以上の高齢者の認知症発症率は、推計15%。2012年時点で約462万人であることが厚生労働省の調査で明らかになっています。その数は年々増え続けており、2025年には730万人へ増加し、65歳以上の5人に1人が認知症を発症するといわれています。
また、警察庁生活安全局人身安全・少年課が発表した「令和4年における行方不明者の状況」によると、認知症やその疑いがあり「行方不明」になった人が全国で延べ1万8700人余りと過去最多となりました。この10年でおよそ2倍に増えた計算です。
https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/fumei/R04yukuefumeisha.pdf
この1万8700人余りという数字は、あくまで行方不明届出の数です。届出がないものを含めれば更に多くの高齢者が、認知症によって行方不明になっていると見て間違いないでしょう。ただ、認知症行方不明者の確認状況を見ると、受理当日に確認された割合が77.5%、1週間以内に99.6%が所在確認されており、行方不明者全体と比較して早期に所在確認に至っているとも言えます。
今回は、徘徊が原因でトラブルになった家族の例を紹介していきましょう。
山田博さん(50歳)は、アルツハイマー型認知症と診断された実母の雅子さん(78歳、要介護2)、高校生の息子、一郎さんと横浜市の戸建て住宅に住んでいます。
実家は山梨で、かつては83歳の父親が認知症の母をうまくケアして暮らしていました。しかし、その父が肺炎をきっかけに入院。仕事の関係で面会も行きにくいため、神奈川県内の中核病院に転院しました。母の雅子さんをひとり残すわけにもいかないので、博さんの家に連れて帰り、同居することに決めたのです。
博さんは数年前に妻と離婚をしていたこともあり、部屋数的には余裕があったので、ひとり増えても住居を変える必要がなかったのは不幸中の幸いでしょうか。父親が入院していた病院も近く、母はひとりで父の見舞いに行くことができました。
ただ、父親の病状はなかなか快方に向かわず、ひと月後に亡くなりました。何が起こるか分からない齢でもあり、博さんは無念ながらも父の死を受け入れました。母は、夫の死を理解しているようなしていないような、微妙な様子でした。
これからはひとりで母の面倒を見なければーー。漠とした決意しかなかった博さんですが、「自分が浅はかだった」と感じる出来事があったと言います。
実は父親が亡くなったあとも、雅子さんがひとりで見舞いに行ってしまうことがよくあったのです。
孫の一郎さんが帰宅して家の鍵が開くと、さっと出て行ってしまうのです。雅子さんは話がかみ合わなかったり、理解力や判断力が低下していると感じたりすることはありましたが、自分の名前が言えなかったりしたわけではく、まだ認知症の初期段階と思っていました。むしろいつまでも夫婦の絆はあるものだなと、涙ぐましくすら思っていたのです。
しかし、雅子さんの症状は、博さんが思っていたよりも深刻でした。ある日突然、雅子さんが姿を消してしまったのです。
山梨では要介護2でデイサービスにも通っていたため、そろそろ地域ケアプラザ(地域包括支援センター)に相談に行こうと思っていた矢先のことでした。
その日、一郎さんが帰宅すると雅子さんは、かつてあったように玄関から外に出て行ってしまいました。すでに日も暮れかかり17:30くらいだったのでしょうか。「また病院まで行ったのかな」と、一郎さんは特に気にすることもなく、そのまま声もかけずにドアを閉めてしまいました。
博さんは話します。
「父親の入院も突然だったし、介護や認知症について、自分も勉強不足でした。一郎には母(雅子さん)がアルツハイマー型認知症だということも伝えていませんでしたから、息子を責めるわけにもいきません。すべて自分の危機管理不足です」
博さんが帰宅したのは19:30。雅子さんがいないので確認すると、一郎さんは、雅子さんは病院の方に向かっていったこと、何か用事があるように急いでいる感じがしたことのほかに、茶色っぽい洋服を着ていたことだけは覚えていました。
不安がよぎります。博さんはひとまず、病院に行ってみましたが見つかりません。その後も駅や公園なども探しましたが見当たりませんでした。
複数路線が走っている博さん宅周辺は、以前から高齢者の事故も多く、心配になった博さんは警察に相談に行きました。時刻は夜の22:00過ぎ。家を出てから4時間以上が経っていました。
警察からは、氏名、年齢、性別、住所、容姿(最近の写真など)、不明時の服装、認知症の症状、持ち物、最後に目撃された場所、家族の連絡先などについて問い合わせされました。写真は病院で父親と最期に撮影したものがスマホにあり、それを提供しました。
その日は一睡もできず、会社を休み車で近郊を探したのですが、見つかりません。山梨から連れ出した母にとって、このあたりは全く土地勘のない場所。いったいどこに行ってしまったのだろうか。もう駄目だろうか、不安は募るばかりです。
それから2日経って、警察から携帯に連絡が。一瞬、最悪の事態を覚悟した博さんでしたが、吉報でした。警察によると、見つかったのは隣市のとある民家の台所でした。
どういう経緯かはわかりませんが、その家の勝手口から入り、台所で朝、うずくまっていたところを発見・通報されたのです。運よく上着に雅子さんの名前が入っており、そこから警察のネットワークで身元が判明したのです。
安心した博さんは会社に事実を報告したうえで、母親を引き取りに行きました。家を飛び出した理由を尋ねると「豚が逃げたから追いかけた、お父さんに知らせる」などと支離滅裂なことばかり話していましたが、衰弱している様子はありません。
「むしろ家族のほうが疲弊するものですね。本人は事の重大さがわかっていないから気楽なものです」と、博さんは話します。
こうして徘徊事件は一件落着したものの、次の課題が博さんに降りかかります。実は、その後、確保された横須賀市のお宅にお礼の電話をした際、衝撃的なことを言われたのです。
「お母様が無事であったことは本当に良かったです。我が家で力になれたことは光栄です。ただ、誠に申し上げにくいのですが、生活費として台所の食器棚にしまっておいた生活費50万円の入った紙の封筒が無くなっているのです。前日には確実にあったので、お母様がお持ちではないかと思いまして」
というのです。早い話が、生活費として棚に入れておいた50万円がなくなった。犯人はお母さんしか考えられない。盗ったのではないかと疑われたということでしょう。
博さんは雅子さんを自宅に連れ帰った際、所持物を確認しましたが、ポケットティッシュがズボンポケットに入っていた以外は金銭も持っていませんでした。
その後、話を聴くために向かった横須賀の民家は和風で決して新しい家のではありませんでした。勝手口があることも実は山梨の実家のつくりと似ています。「母は、自分の家に帰りたかったのだろうか」とも思いつつ、母の見つかった場所とご主人の言う棚の位置を確かめます。雅子さんでも手が届く位置でした。
盗った証拠もないが、盗っていないとも言えないし、母に聞いても何も答えません。警察に相談する事も考えましたが、大事にしたくないという思いもあって、「勉強代」と「保護費」として全額支払うことにしたそうです。
「疑ったらキリがないのですけどその50万円という提示も微妙ですね。これが3桁だと怪しいし、こちらもすぐには払えない。恩人と揉めたくないので、飲むことにしました」
その後の博さんはというと、一郎さんにも認知症のことを話して今後は家から出さないようにすることを伝えました。また徘徊防止用にドアノブにサムターンカバーをつけて、自分では家の中からは出られないようにしました。
地域ケアプラザ(地域包括支援センター)にも相談して、週3でデイサービスに行くようになりました。
問題は残りの4日間は自宅でひとり過ごすしかありません。これが思わぬ事態を引き起こしたのです。知らない土地でも一日中外にも出ずに家の中で過ごすうちに、雅子さんの性格がどんどん暴力的になっていきます。
母の部屋は1階にして負担を少なくしていたのですが夜中にガタガタと玄関のドアを引っ張るし、窓から飛び出そうとしたりするようになったのです。こうなると家族は落ち着いて睡眠をとることもできません。
博さんは、小さい窓ガラスを含めて、家じゅうのカギの対応に追われて疲弊してしまいました。
「あの徘徊でトラブルを起こす前は、在宅でも問題なく過ごすことができました。自分も面倒をみるつもりだったし、ずっとそうしようと思っていました。ただ、この状況は限界かも知れません。
現在、施設を探しているのですが、要介護度2では公的施設は難しく、民間施設に入るしかありません。そうなると、経済的負担は大きくなることは避けられないでしょう。自分も65で定年です。老後は趣味を楽しみたいと思っていたのですが、そんな余裕はなくなってしまいましたね」
山田さんのケースはよくある話とは言えないかも知れませんが、誰にでも起こりえる話でもあります。そのことはぜひ知っていて下さい。
(人物や地名はプライバシーの都合上、一部仮名にしています)
5日後には生存率が「ゼロ」に…増え続ける「認知症行方不明者」の深刻すぎる実態