生活のために働くことは、結果としてお金持ちから遠ざかってしまうことに(写真:Luce/PIXTA)
幸せな生活を送るには、お金が必要だ。そう考えて、仕事や投資を頑張っている人も多いのではないでしょうか。しかし脳化学では、お金ばかりを追求している人は生活の幸福度や満足度が低いということがわかっているのだとか。
幸せになるためには、どうすればいいのか。脳科学者の茂木健一郎氏が、「お金」と「幸せ」の関係性について解説します。
本稿は『一生お金に困らない脳の使い方』より一部抜粋・再編集したものです。
戦後、内田百は、お金のないときにお酒を飲む際、ご飯粒をつま楊枝に刺して七輪で炙あぶり、それを醤油につけてつまみにしたのです。そして、それが最上の幸せだといったそうです。
確かに、高級料亭で美味しいお酒を飲むよりも、安酒で、ご飯粒を醤油につけてというのは、究極の自由という意味でいえば贅沢な気がします。また、今でこそ何億円もするような千利休の茶道具がありますが、それらはもともとは利休自身が竹藪に入って竹を切って作った花入や茶杓であって、原価はタダ同然だったはずです。
それを考えれば、すごく安いものと高いものの価値観というのはつながっていて、ある程度の経験をすることで見えてくることがあります。私は学生で飛行機のエコノミークラスにしか乗っていないときは、「ビジネスクラスやファーストクラスに乗ると、どんなすごい世界が待っているんだろう」と思っていました。
それこそ優雅にシャンパンを飲みながらキャビアを食べたりするとどんな気分なんだろう、と。そのうち社会人になって、仕事などでビジネスクラスやファーストクラスに乗せてもらえるようになったときに、「ちょっと狭くて寝にくいけど、エコノミークラスでも十分だな」と心境が変化していったのです。
「ああビジネスクラス、ファーストクラスいいなあ」と思っていても、実は想像している以上の大した差はありません。ここで肝心なのは、人間の本質的な幸せというものは、お金によって得られるものではないということを理解するためには、ある程度経験しないといけないということです。
本来持っている、人間とお金の関係上の性を乗り越えて、自分が幸せであるという境地に行き着くということこそ、幸せの本質だと私は思います。読者の皆さんも、改めて幸せの本質を目指してみてはいかがでしょうか。
そのためにはある程度のお金を稼いで、そういうことも経験してみて、その上で「ああ、お金だけで幸せって買えないんだ」と思えたら、それは素敵なことだと思います。
私が育ったのは埼玉県だったので、東京に対するコンプレックスのようなものを持っていました。今になって青山や赤坂を歩いていても、レストランに入ってみても、「なんで、あのときあんなコンプレックスを持っていたんだろう」と不思議に思うことがあります。
でもそれは、私自身が社会に出ていろいろな経験を積んできたことによって、幸せの本質に近づけたからにほかならないのです。
世の中にはたくさんお金を持っている人がいますが、それでも満足できなくてずっとお金を追い続けるというタイプの人がいます。おそらく、そのようなタイプの人は幸福度が低いのだと思います。
私は脳の研究をしていて「幸福とは何か」という、人間が生きる上でとても重要なテーマを扱っているのですが、お金ばかりを追求している人というのは、生活の幸福度や満足度が低いことが多いのです。
だからこそ、宮崎駿さんや大谷翔平選手のような生き方に憧れるのです。芸術家やアスリートというのは、お金が目的ではないということがなんとなく理解できるはずです。
絵コンテを描いている時間というのは、それが楽しい、うれしいということであって、その結果として宮崎さんの場合であれば映画が成功してご自身も経済的な見返りがあると思うのですが、そこでは、お金を追うことが本筋ではないということです。また、大谷翔平選手が1本ホームランを打てばいくらの儲け、という意識で打席に立っているとは思えません。
お金自体を目的とするということは、お金を儲けるということにおいては役立つこともあるかもしれませんが、クオリティ・オブ・ライフ、あるいはどれくらい幸せかということこそが、お金と幸せのバランスを考える上での重要なポイントなのです。
人間には所有欲というものがあり、お金があれば物やサービス、あるいは時間を買ったりできる。そのためにいかにお金を稼ぐか、お金を貯めるかということを考えるものだと思います。
しかし、お金自体を目的にしてしまうと、人間の脳が本来最も喜びや幸せを感じる「生きる手段」からずれていってしまうと思います。また、不思議なことに、他の人が貧乏なのに自分だけがお金を持っている状況に対して、脳はあまり幸せを感じないようなのです。
脳科学の研究においても、自分がすでにお金をたくさん稼いでいるときに、自分がさらにお金を稼ぐのと、自分の周りの人たちがお金を稼ぐことのどちらがうれしく感じるものなのか、というテーマがあります。
普通であれば、自分がお金を稼ぐほうがうれしいはずなのですが、自分がすでに満足するほどのお金を稼いでいる場合に限っては、周りの人がお金をたくさん稼ぐことがうれしくなり、脳内のドーパミンなどの報酬系が活発化するのです。
つまり、不平等が減るほうが脳にとっては幸せであるということが研究でわかっているのです。確かに、お金をたくさん稼ぐ、お金をたくさん持っているというほうが幸せかもしれないということは誰もが思うことかもしれません。
しかし、その一方では、周囲の人たちとの人間関係や時間の共有といったことも幸せということに大きく関係しているのです。あまりにも貧富の差がありすぎると結局は幸せに感じられないため、誰かにプレゼントをあげたり、飲み会でおごってあげたりするような行動が生まれるわけです。
そういう、「生きたお金の使い方」が自分の幸せにもつながるということが、脳のメカニズムでも解明されているのです。そのような意味において、日本のお笑いタレントで映画監督の北野武さんは理想的だといえます。
お金もあって成功もしていますが、自分だけ売れて幸せというよりは、軍団のメンバーを育てながら幸せの還元を考えていたり、「俺は浅草に育ててもらったから浅草にお金を返すんだ」ということで、浅草で声をかけられた道行く人に、お金を渡したりしていたという話も聞いたことがあります。
当然ですが、名誉はお金では買えません。例えば、ノーベル賞は10億円出せばもらえるものではありませんし、国民栄誉賞も同じです。人間はお金を手にすると、次に名誉を求めます。
それは、スポーツ選手も同様です。何億円ももらっているクラブチームでの試合よりも、ナショナルチームの一員として国のために戦うことに誇りと名誉を感じるものです。
また、本当に稼ごうと思ったときは、おそらく国際金融で働くのが一番いいはずです。それこそ、ボーナスが何十億円という世界です。しかし、すべての人がそうしないのはなぜでしょうか。それは、やはり人生はお金だけではないと思っているからです。人は、クリエイティブなことに夢を追い求めるところがあります。
例えば、アニメーターは給料が低いとされますが、多くの人がアニメーターに夢を抱きます。これはよくいわれていることなのですが、仕事の内容がおもしろければおもしろいほど、たとえ給料が低くても人が集まってくるのです。
宮崎駿さんも最初は全然売れないアニメーターだったといわれていますが、それでもやり続けたというのは、お金よりも追いかけられる夢があったからではないでしょうか。
今でこそ「脳科学」という分野も世の中の認知度が高まっていますが、私が大学生の頃は、「そんなんじゃ絶対に飯が食えないからやめておけ」と散々脅されたのを覚えています。
私は理系でそれなりに成績が良かったので、学校の先生やみんなからは「医学部に行け!」「教職取っておけ」といわれていました。
なぜ、周囲の人がそのようなことをいうのか、よくよく聞いてみると、「将来収入がいいからだ」というようなことだったのです。

「物理なんかやっても絶対飯が食えないぞ、貧乏だぞ」と脅かされれば、思春期の頃なので不安になりました。しかし、お金が儲かるからという理由で人生の方向を決めたことは、結局一度もありません。
これは「生活のために働く、職業を決めてしまう」ということが、結局は心を貧しくしてしまうということが、自分なりにわかっていたからではないでしょうか。
やはり、日本人は生活のために働くという意識が強すぎるため、それによって国全体として少し貧しくなってしまっている部分があるかもしれません。
私自身は、生活のためというよりは多くの興味や好奇心があるので、いろいろな仕事をしていますが、結局は自分のやりたいことをやっていたほうが結果としてお金もついてくるというふうに、これまでの経験から感じています。
(茂木 健一郎 : 脳科学者)