1970年代の連続企業爆破事件で指名手配されている桐島聡容疑者を名乗り、29日死亡した男の遺体が入院先の病院から神奈川県内の警察署に移されました。捜査関係者によりますと男は神奈川県内の病院に今月中旬に末期の胃がんで入院し、入院中に桐島聡容疑者を名乗った後、29日、容体が悪化し、死亡しました。男の遺体は31日午後、入院先の鎌倉市内の病院から神奈川県内の警察署に移されました。現在もDNA型鑑定などによる本人確認が進められています。

桐島容疑者は「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、1975年の「韓国産業経済研究所」爆破事件に関わったとして指名手配され、50年近く逃亡しています。その後の捜査関係者への取材で男は死亡する前、警視庁公安部の任意の聴取に対して「韓国産業経済研究所」爆破事件への関与を否定する一方、大手ゼネコン間組を狙ったほかの爆破事件については関与をほのめかす話をしていたことがわかりました。男は一連の事件について「後悔している」「一人で逃亡していた」とも話したということです。また、男は「内田洋」の名前で数十年前から神奈川県内の工務店で住み込みで働いていたということで警視庁は引き続き本人確認を行うとともに裏付け捜査を進めています。
1970年代の連続企業爆破事件で指名手配されている桐島聡容疑者を名乗り、29日死亡した男の遺体が入院先の病院から神奈川県内の警察署に移されました。
捜査関係者によりますと男は神奈川県内の病院に今月中旬に末期の胃がんで入院し、入院中に桐島聡容疑者を名乗った後、29日、容体が悪化し、死亡しました。
男の遺体は31日午後、入院先の鎌倉市内の病院から神奈川県内の警察署に移されました。現在もDNA型鑑定などによる本人確認が進められています。
桐島容疑者は「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、1975年の「韓国産業経済研究所」爆破事件に関わったとして指名手配され、50年近く逃亡しています。
その後の捜査関係者への取材で男は死亡する前、警視庁公安部の任意の聴取に対して「韓国産業経済研究所」爆破事件への関与を否定する一方、大手ゼネコン間組を狙ったほかの爆破事件については関与をほのめかす話をしていたことがわかりました。
男は一連の事件について「後悔している」「一人で逃亡していた」とも話したということです。