過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー、桐島聡容疑者と名乗った男。「内田」という名前で50年近く逃亡していたとみられますが、指名手配直後に男を雇ったという男性がJNNの取材に応じました。男性が男に告げたというある言葉とは。
桐島聡容疑者(70)。「韓国産業経済研究所」の爆破事件に関与したとして、1975年5月に指名手配され、逃亡期間は48年に上っています。
そして、「桐島聡です」と名乗り、おととい神奈川県鎌倉市の入院先で死亡した男。「内田洋」の名前で暮らしていましたが、桐島容疑者の手配直後の夏ごろ、男を雇ったという男性は…。
内田と名乗る男を手配直後に雇った男性「髪型は写真の時と変わらない、眼鏡はかけていなかった。おとなしくて無口でかわいい顔をしていた。仕事は一生懸命やっていた」
この男性は当時、神奈川県藤沢市で工場を経営していて、従業員の紹介で「内田」と名乗る男を雇ったといいます。ある時、男性はふと感じたことを「内田」に告げました。
内田と名乗る男を手配直後に雇った男性「どこかで見たことある顔をしているというような形で話をしたことがある。(手配)写真に載っているのに似ているなって話をした」
すると男はこう返したといいます。
内田と名乗る男を手配直後に雇った男性「『そんな冗談じゃないです、知らないですよ』『自分じゃないですよ』と。怯えるとか隠そうとか、そういうのはなかった。お茶飲んで、次の日も来ていた。それで2日か3日経ったら来なくなった」
やりとりからほどなくして、男は姿を見せなくなりました。
2年後、男性は男と偶然再会しますが、このとき男は「藤沢市内の工務店で働いている」と話したということです。
男は今年1月に末期のがんで病院に入院するまで、この工務店に勤務していて、50年近い逃亡期間のほとんどを藤沢市周辺で過ごしたとみられます。
周囲から「うっちー」「うーやん」という愛称で呼ばれていた男。遺体は先ほど、病院から神奈川県内の警察署に移されていて、警視庁が桐島容疑者本人か確認を進めています。