正月休みに入り、移動する人が増えるこの時期、バスの利用客も増える。だが、昨今のニュースでも取り上げられているとおり、各地でバスの減便や路線廃止が顕著になっている。その都度、指摘されるのが「ドライバー不足」だが、ドライバーの「数」が減っているのは、彼らの過酷な勤務や労働環境のせいだ。その実態はいかなるものか――トラックドライバーはじめ、運輸業界の事情に詳しい、フリーライターの橋本愛喜さんがリポートする。
【写真】意外と知られていないバス運転手の苦労バスドライバーが足りない この年末年始、バスで実家へ帰省したり旅行したりする人もいるだろう。 最近ではそのバスの減便に関するニュースがよくメディアで取り上げられるようになってきている。先日も、ある地方のバス会社が「日曜日は市内の単独運行路線をすべて運休にする」として世間に衝撃を与えた。バスドライバーもつらいよ(写真と本文は関係ありません) 旅客輸送業界は、国の社会インフラそのものだ。 特に少子高齢化、旅行客の回復が目覚ましい今の日本では、免許返納などをする「高齢者の足」、国内外から集まる「地方の旅行客の足」の確保が欠かせなくなっているが、これら慢性的な人手不足に輪をかけて、職業ドライバーの働き方改革施行によって生じる「2024年問題」で、今後ますます「移動難民」が続出する恐れがある。 そのため、人手不足に対する改善は急務であり、業界もあの手この手でドライバー確保に乗り出しているのだが、彼らの労働環境の過酷さゆえになかなか人が集まらない。 その影響をもろに受けるのは、もちろん利用者である我々乗客なのだが、バスドライバーの労働環境を過酷にしている大きな原因が、他でもないその乗客にあることを、どれくらいの人が自覚しているだろうか。バスドライバーの労働環境 元バスドライバーで、現在は長距離トラックドライバーをしている男性は、バスの苦労をこう表現する。「バスはトラックと違って、“荷物”がしゃべる。しゃべるだけならいい。文句を言ったり営業所に理不尽なクレームを入れたりする」 文字通り「多くの人命」を背負って走るバスドライバー。彼らが口をそろえて「しんどい」とするのが、その運んでいる客からの「カスハラ」だ。「満席時、車イスのお客様が乗られたので座席の移動をお願いしたら『自分はどこに座ればいいんだ!』と怒鳴られる」「『いちいちアナウンスがうるさい』と文句を言われる。アナウンスしなかったらしなかったで『聞いてない。何で言わない』と文句を言われる。どうすれば…」「雨の日、バス停の近くに雨宿りできるような建物があると、そこで待機し、バスが見えたら出て行こうとするお客様がいらっしゃるんですが、死角になっていて気付かずに通過して営業所に鬼クレーム。『バス停近くのコンビニの店内で待っていた』と」 今年、バスやタクシードライバーの車内での氏名掲示義務が廃止されたことが大きな話題になった。掲示義務廃止の理由は、名指しによる理不尽なクレームが後を絶たないから、だったのだが最近はその名札がなくなったことに対するクレームまであるという。「何かが気に入らずクレームを入れようとしたお客さんなんでしょう。運転士の名前を確認しようとしたら、今まであった場所に名札がなく、営業所に『名札をなくすな、クレームが入れられないじゃないか』、というクレームがきました」 この名札廃止の動きと同じころ、ドライバーの「サングラス着用」を認めるとする報道もあったが、これについても未だに苦情があるという。「『見た目が威圧的だ。客に対して礼に欠ける』というクレームが入ったと聞いて、サングラスは着用OKになっても掛けづらいですね。ただ、一面がフロントガラスになっているバスは、ドライバーが直射日光に晒される時間も長いため、本当に目に負担がかかる。見た目くらいでクレームなんて入れないでほしいです」遅延に対するカスハラ タクシーのように近道を、鉄道のようにレール上を走れないバスは、常に交通状況との戦いを強いられる。特に生活道路にある停留所を順番通り通過しなくてはならない「街バス」の場合、渋滞による遅延はつきものだ。 そんな状況は乗客も分かっているはずなのに、日本に蔓延る「時間厳守」の文化のせいか、この遅延に関するクレームやカスハラは後を絶たない。現役ドライバーが言う。「時刻表通りにバスが来ないことに対するクレームは非常に多い。先日も『寒空のもと10分も待たされ大事な会議に遅刻した』という電話が鳴ったばかりです」 停留所の時刻表を見ると、よく「“予定”時刻表」という表記を見る。道路環境に左右されやすいバスの時刻表は、あくまでも「目安」だからだ。遅延することは往々にしてある。 しかしその一方、バスは「旅客自動車運送事業運輸規則」の定めで、その予定時刻表よりも早く停留所を出発する「早発」が禁じられている。 そのため、渋滞する走行区間に備え、比較的交通量の少ない区間であらかじめ時間稼ぎをしておく、ということもできない。つまり、早めに到着した停留所では、その先で予想される渋滞にやきもきしながらも、各停留所で出発時刻になるのを待たなければならないのだ。 しかし、そんな事情を知らない客からは、停留所で時間待ちをしていると「急いでいるんだからさっさと出発しろ」という罵声が飛ぶこともあるという。客が遅延の原因になることも バスを遅延させるのは、何も「渋滞」だけに限らない。ほかでもない、乗客自身が遅延を発生させることもある。「交通系ICカードを利用しようとするお客様の『残高不足』も困ります。タッチして残高不足が判明。そこでもたつく。これがまたなぜか、駆け込みのお客様に多いんですが…そこからスマホでチャージを始めるので1分近くは足止めを喰らいます。バスの車内ポスターにあった『どこでもチャージできるじゃない』ってのが、皮肉に見えました」 特に空港バスや高速バスの乗客は、飛行機の出発時間が決まっていたり、長旅になったりするせいか、気が立っていることが少なくないという。「安全運転のために黄色で停車したら『今の信号行 けただろ』と罵声を浴びせられた」「『渋滞やダイヤの乱れが発生する恐れがある』と何度も事前にアナウンスしていても、遅延すると『もう飛行機に間に合わないから遅延証明書を書け』と求めてくる人もいます」 こうした客が現れると、その対応のせいでさらに時間が延びるという悪循環も発生する。 バスドライバーは基本的にワンマン運転だ。クレーム客の対応をドライバー自身がすることで、今度は別のターミナルに向かおうとしている他の乗客が遅れることになるのである。「年末年始などの大型連休は、普段バスに乗り慣れていないお客様が乗り合うのでトラブルになりやすい。あらかじめICカードにはしっかりチャージしておく、予定より数本早いバスに乗るなど、客側でも努力をしてほしいです」車内事故「乗客は『しゃべる』だけでなく『動く』から本当に怖い」というドライバーも。「高齢者に多いのですが、走行中は席の移動はしないでくれとあれほどアナウンスしているのに、なぜかよりにもよって走行中にドライバーに質問しようと運転席へ歩き出し、転倒。弊社の場合、車内で走行中に転倒した場合は、理由の如何を問わず車内事故扱いになり、ドライバーの責任になります」 こうした理由から、席が空いていても「優先席だから」と座りたがらない乗客には「是非座ってほしい」と訴える。「立っていられると車内事故の確率が非常に高くなる。雨や雪の日は、足を滑らせての転倒も多いです。また、コロナ禍以降、つり革や手すりにつかまりたがらない人が増え、ブレーキを踏むのも怖くなります」 もちろんバスドライバーは、こうした車内事故を起こさぬため日ごろから安全運転をしているのだが、それでも「運転が荒い」というクレームは少なくない。「ドライブレコーダーで確認しても制限速度を守り安全運転しているのに、『運転が荒くて吐きそうになった』と匿名で営業所に電話がきた」 しかし、いくらドライバーが安全運転をしていても急ブレーキを避けられない瞬間は発生する。それは、周囲で一緒に走る他のクルマや自転車の無謀な走行、歩行者の無謀な横断によるところが大きい。「バス付近には『人間』が集まりやすい。降りた乗客が発車したバスの前を横切ろうとするケースがよく起きるのですが、そうなれば嫌でも急ブレーキを踏まざるを得ない。本当に危ないのでやめてほしいです」「年末年始は、普段運転に慣れていないペーパードライバーや、やたらと急いでいるクルマも増えます。停留所ごとに停車するバスにイライラして嫌がらせしてくるクルマも。危険な運転をされたあげく『デカいくせにノロノロ走るな』というクレームまで入る」 バスドライバーは、こうして車内だけでなく、車外からも理不尽なクレームを浴びせられることが多いのだ。労働環境を過酷にする「中休」 実はもう1つ、彼らの労働環境が過酷になっている原因として特筆しておくべきことがある。 それは、「独特な勤務形態」だ。現場が「仕事がキツい」とする理由として、先のカスハラと同じくらい上がるのが「中休(ちゅうきゅう)」という勤務形態の存在である。 多くのバス会社の場合、ドライバーの勤務形態は、主に「早番」「遅番」「通し」「中休」という4つの形態に分かれている。 早番や遅番、通しは想像が付くだろうが、この「中休」は、バスや鉄道特有の勤務形態で、一般のバスドライバーや運転士のQOL(生活の質)を著しく低下させるとして悪評が高い。 とりわけこの中休勤務が生じやすいのが、「街バス」だ。 バスが1日のうちで最も必要になるのは通勤通学ラッシュ時と、帰宅ラッシュ時だ。 当然、これらの時間帯にはドライバーが多く必要になるのだが、そのラッシュを過ぎた日中は、逆にドライバーがそれほど必要なくなる。 そのため、例えば始発の朝5時から9時に運転業務をしたあと、6時間の「中休み」を取り、15時から19時まで帰宅ラッシュ時に再度運行に入る、という勤務形態ができあがる。 この「中休み」が「中休」の正体だ。 中休は「休憩時間」になるので、いったん帰宅してもいいことにはなっている。しかし、自宅から営業所までの往復時間を考えると全く合理的ではなく、そのあともまたすぐに仕事に戻ることを考えると、精神的にも落ち着かない。 何をするにも「時間が短すぎ、そして長すぎる」のである。 そのため、多くのバスドライバーが中休ですることといえば、普段足りていない睡眠の補充くらいだ。 朝のラッシュ時間帯の勤務はトイレに行く時間もなく走り続けるドライバー。なかには、その中休の間、営業所に帰る時間すら惜しいと、バスの回転場に停めたバスの後部座席の長椅子で仮眠を取るドライバーもいる。 この中休で最も問題なのは、この「仮眠を取る」ことくらいしかできない中途半端な中休が、多くの現場で「拘束時間」に含まれないことにある。その結果、中休以外の休みや休日が短くなったり、長時間拘束の原因になったりする。これにより、バスドライバーのQOL全体が低下するのだ。 そんな激務にもかかわらず、彼らの給料は驚くほど安い。 バスの運賃改定は国の認可制になっているうえ、公共交通機関であるという理由から、なかなか運賃は上げられないのだ。生活弱者も多く利用するバスは、10円運賃が上がるだけで乗客に大きな影響が及ぶ。 そのため彼らの給料は上がらず、結果的に人手不足の要因になってしまっているのだ。「給料、安いですね。人の命を預かり、大きなリスクを引き受けて走っているプロドライバーであるにもかかわらず、あまりにも待遇が悪い。ひどい時には、もろもろ控除されて手取りが10万円台の時もある」休みが抽選 年末年始、毎度多くのバス会社 では世間の知らないところで行われていることがある。「抽選」だ。「年末年始は普通に仕事です。公休以外の休みは抽選で決めます。公共交通機関なうえ、初詣や旅行客が増えるので、完全に運休にするわけにはいかない。正月返上で走っているドライバーの存在を、少しでも分かってもらえれば幸いです」 大型連休になると、道路にも車内にも普段クルマに乗り慣れていない人が集結する。お互いの事情を汲み、心と時間に余裕を持ち、どうか気持ちのいい新年を迎えてほしい。橋本愛喜(はしもと・あいき)フリーライター。元工場経営者、トラックドライバー、日本語教師。ブルーカラーの労働環境、人権、ジェンダー、差別などに関する社会問題を中心に執筆・講演、メディア研究などを行っている。著書に『トラックドライバーにも言わせて』(新潮新書)、『やさぐれトラックドライバーの一本道迷路~現場知らずのルールに振り回され今日も荷物を運びます』(KADOKAWA)。デイリー新潮編集部
この年末年始、バスで実家へ帰省したり旅行したりする人もいるだろう。
最近ではそのバスの減便に関するニュースがよくメディアで取り上げられるようになってきている。先日も、ある地方のバス会社が「日曜日は市内の単独運行路線をすべて運休にする」として世間に衝撃を与えた。
旅客輸送業界は、国の社会インフラそのものだ。
特に少子高齢化、旅行客の回復が目覚ましい今の日本では、免許返納などをする「高齢者の足」、国内外から集まる「地方の旅行客の足」の確保が欠かせなくなっているが、これら慢性的な人手不足に輪をかけて、職業ドライバーの働き方改革施行によって生じる「2024年問題」で、今後ますます「移動難民」が続出する恐れがある。
そのため、人手不足に対する改善は急務であり、業界もあの手この手でドライバー確保に乗り出しているのだが、彼らの労働環境の過酷さゆえになかなか人が集まらない。
その影響をもろに受けるのは、もちろん利用者である我々乗客なのだが、バスドライバーの労働環境を過酷にしている大きな原因が、他でもないその乗客にあることを、どれくらいの人が自覚しているだろうか。
元バスドライバーで、現在は長距離トラックドライバーをしている男性は、バスの苦労をこう表現する。
「バスはトラックと違って、“荷物”がしゃべる。しゃべるだけならいい。文句を言ったり営業所に理不尽なクレームを入れたりする」
文字通り「多くの人命」を背負って走るバスドライバー。彼らが口をそろえて「しんどい」とするのが、その運んでいる客からの「カスハラ」だ。
「満席時、車イスのお客様が乗られたので座席の移動をお願いしたら『自分はどこに座ればいいんだ!』と怒鳴られる」
「『いちいちアナウンスがうるさい』と文句を言われる。アナウンスしなかったらしなかったで『聞いてない。何で言わない』と文句を言われる。どうすれば…」
「雨の日、バス停の近くに雨宿りできるような建物があると、そこで待機し、バスが見えたら出て行こうとするお客様がいらっしゃるんですが、死角になっていて気付かずに通過して営業所に鬼クレーム。『バス停近くのコンビニの店内で待っていた』と」
今年、バスやタクシードライバーの車内での氏名掲示義務が廃止されたことが大きな話題になった。掲示義務廃止の理由は、名指しによる理不尽なクレームが後を絶たないから、だったのだが最近はその名札がなくなったことに対するクレームまであるという。
「何かが気に入らずクレームを入れようとしたお客さんなんでしょう。運転士の名前を確認しようとしたら、今まであった場所に名札がなく、営業所に『名札をなくすな、クレームが入れられないじゃないか』、というクレームがきました」
この名札廃止の動きと同じころ、ドライバーの「サングラス着用」を認めるとする報道もあったが、これについても未だに苦情があるという。
「『見た目が威圧的だ。客に対して礼に欠ける』というクレームが入ったと聞いて、サングラスは着用OKになっても掛けづらいですね。ただ、一面がフロントガラスになっているバスは、ドライバーが直射日光に晒される時間も長いため、本当に目に負担がかかる。見た目くらいでクレームなんて入れないでほしいです」
タクシーのように近道を、鉄道のようにレール上を走れないバスは、常に交通状況との戦いを強いられる。特に生活道路にある停留所を順番通り通過しなくてはならない「街バス」の場合、渋滞による遅延はつきものだ。
そんな状況は乗客も分かっているはずなのに、日本に蔓延る「時間厳守」の文化のせいか、この遅延に関するクレームやカスハラは後を絶たない。現役ドライバーが言う。
「時刻表通りにバスが来ないことに対するクレームは非常に多い。先日も『寒空のもと10分も待たされ大事な会議に遅刻した』という電話が鳴ったばかりです」
停留所の時刻表を見ると、よく「“予定”時刻表」という表記を見る。道路環境に左右されやすいバスの時刻表は、あくまでも「目安」だからだ。遅延することは往々にしてある。
しかしその一方、バスは「旅客自動車運送事業運輸規則」の定めで、その予定時刻表よりも早く停留所を出発する「早発」が禁じられている。
そのため、渋滞する走行区間に備え、比較的交通量の少ない区間であらかじめ時間稼ぎをしておく、ということもできない。つまり、早めに到着した停留所では、その先で予想される渋滞にやきもきしながらも、各停留所で出発時刻になるのを待たなければならないのだ。
しかし、そんな事情を知らない客からは、停留所で時間待ちをしていると「急いでいるんだからさっさと出発しろ」という罵声が飛ぶこともあるという。
バスを遅延させるのは、何も「渋滞」だけに限らない。ほかでもない、乗客自身が遅延を発生させることもある。
「交通系ICカードを利用しようとするお客様の『残高不足』も困ります。タッチして残高不足が判明。そこでもたつく。これがまたなぜか、駆け込みのお客様に多いんですが…そこからスマホでチャージを始めるので1分近くは足止めを喰らいます。バスの車内ポスターにあった『どこでもチャージできるじゃない』ってのが、皮肉に見えました」
特に空港バスや高速バスの乗客は、飛行機の出発時間が決まっていたり、長旅になったりするせいか、気が立っていることが少なくないという。
「安全運転のために黄色で停車したら『今の信号行 けただろ』と罵声を浴びせられた」
「『渋滞やダイヤの乱れが発生する恐れがある』と何度も事前にアナウンスしていても、遅延すると『もう飛行機に間に合わないから遅延証明書を書け』と求めてくる人もいます」
こうした客が現れると、その対応のせいでさらに時間が延びるという悪循環も発生する。
バスドライバーは基本的にワンマン運転だ。クレーム客の対応をドライバー自身がすることで、今度は別のターミナルに向かおうとしている他の乗客が遅れることになるのである。
「年末年始などの大型連休は、普段バスに乗り慣れていないお客様が乗り合うのでトラブルになりやすい。あらかじめICカードにはしっかりチャージしておく、予定より数本早いバスに乗るなど、客側でも努力をしてほしいです」
「乗客は『しゃべる』だけでなく『動く』から本当に怖い」というドライバーも。
「高齢者に多いのですが、走行中は席の移動はしないでくれとあれほどアナウンスしているのに、なぜかよりにもよって走行中にドライバーに質問しようと運転席へ歩き出し、転倒。弊社の場合、車内で走行中に転倒した場合は、理由の如何を問わず車内事故扱いになり、ドライバーの責任になります」
こうした理由から、席が空いていても「優先席だから」と座りたがらない乗客には「是非座ってほしい」と訴える。
「立っていられると車内事故の確率が非常に高くなる。雨や雪の日は、足を滑らせての転倒も多いです。また、コロナ禍以降、つり革や手すりにつかまりたがらない人が増え、ブレーキを踏むのも怖くなります」
もちろんバスドライバーは、こうした車内事故を起こさぬため日ごろから安全運転をしているのだが、それでも「運転が荒い」というクレームは少なくない。
「ドライブレコーダーで確認しても制限速度を守り安全運転しているのに、『運転が荒くて吐きそうになった』と匿名で営業所に電話がきた」
しかし、いくらドライバーが安全運転をしていても急ブレーキを避けられない瞬間は発生する。それは、周囲で一緒に走る他のクルマや自転車の無謀な走行、歩行者の無謀な横断によるところが大きい。
「バス付近には『人間』が集まりやすい。降りた乗客が発車したバスの前を横切ろうとするケースがよく起きるのですが、そうなれば嫌でも急ブレーキを踏まざるを得ない。本当に危ないのでやめてほしいです」
「年末年始は、普段運転に慣れていないペーパードライバーや、やたらと急いでいるクルマも増えます。停留所ごとに停車するバスにイライラして嫌がらせしてくるクルマも。危険な運転をされたあげく『デカいくせにノロノロ走るな』というクレームまで入る」
バスドライバーは、こうして車内だけでなく、車外からも理不尽なクレームを浴びせられることが多いのだ。
実はもう1つ、彼らの労働環境が過酷になっている原因として特筆しておくべきことがある。
それは、「独特な勤務形態」だ。現場が「仕事がキツい」とする理由として、先のカスハラと同じくらい上がるのが「中休(ちゅうきゅう)」という勤務形態の存在である。
多くのバス会社の場合、ドライバーの勤務形態は、主に「早番」「遅番」「通し」「中休」という4つの形態に分かれている。
早番や遅番、通しは想像が付くだろうが、この「中休」は、バスや鉄道特有の勤務形態で、一般のバスドライバーや運転士のQOL(生活の質)を著しく低下させるとして悪評が高い。
とりわけこの中休勤務が生じやすいのが、「街バス」だ。
バスが1日のうちで最も必要になるのは通勤通学ラッシュ時と、帰宅ラッシュ時だ。
当然、これらの時間帯にはドライバーが多く必要になるのだが、そのラッシュを過ぎた日中は、逆にドライバーがそれほど必要なくなる。
そのため、例えば始発の朝5時から9時に運転業務をしたあと、6時間の「中休み」を取り、15時から19時まで帰宅ラッシュ時に再度運行に入る、という勤務形態ができあがる。
この「中休み」が「中休」の正体だ。
中休は「休憩時間」になるので、いったん帰宅してもいいことにはなっている。しかし、自宅から営業所までの往復時間を考えると全く合理的ではなく、そのあともまたすぐに仕事に戻ることを考えると、精神的にも落ち着かない。
何をするにも「時間が短すぎ、そして長すぎる」のである。
そのため、多くのバスドライバーが中休ですることといえば、普段足りていない睡眠の補充くらいだ。
朝のラッシュ時間帯の勤務はトイレに行く時間もなく走り続けるドライバー。なかには、その中休の間、営業所に帰る時間すら惜しいと、バスの回転場に停めたバスの後部座席の長椅子で仮眠を取るドライバーもいる。
この中休で最も問題なのは、この「仮眠を取る」ことくらいしかできない中途半端な中休が、多くの現場で「拘束時間」に含まれないことにある。その結果、中休以外の休みや休日が短くなったり、長時間拘束の原因になったりする。これにより、バスドライバーのQOL全体が低下するのだ。
そんな激務にもかかわらず、彼らの給料は驚くほど安い。
バスの運賃改定は国の認可制になっているうえ、公共交通機関であるという理由から、なかなか運賃は上げられないのだ。生活弱者も多く利用するバスは、10円運賃が上がるだけで乗客に大きな影響が及ぶ。
そのため彼らの給料は上がらず、結果的に人手不足の要因になってしまっているのだ。
「給料、安いですね。人の命を預かり、大きなリスクを引き受けて走っているプロドライバーであるにもかかわらず、あまりにも待遇が悪い。ひどい時には、もろもろ控除されて手取りが10万円台の時もある」
年末年始、毎度多くのバス会社 では世間の知らないところで行われていることがある。「抽選」だ。
「年末年始は普通に仕事です。公休以外の休みは抽選で決めます。公共交通機関なうえ、初詣や旅行客が増えるので、完全に運休にするわけにはいかない。正月返上で走っているドライバーの存在を、少しでも分かってもらえれば幸いです」
大型連休になると、道路にも車内にも普段クルマに乗り慣れていない人が集結する。お互いの事情を汲み、心と時間に余裕を持ち、どうか気持ちのいい新年を迎えてほしい。
橋本愛喜(はしもと・あいき)フリーライター。元工場経営者、トラックドライバー、日本語教師。ブルーカラーの労働環境、人権、ジェンダー、差別などに関する社会問題を中心に執筆・講演、メディア研究などを行っている。著書に『トラックドライバーにも言わせて』(新潮新書)、『やさぐれトラックドライバーの一本道迷路~現場知らずのルールに振り回され今日も荷物を運びます』(KADOKAWA)。
デイリー新潮編集部