北海道函館市の南西、福島町にそびえる大千軒岳は標高1072メートルと、松前半島の中でもっとも高い山だ。その大千軒岳の山中で今年11月2日、一人の大学生の遺体が発見された。性別が不明なほど損傷が激しいその遺体の近くに横たわっていたのは、血に塗れたクマの死骸。クマが人を襲う被害が各地で起きる中、この事件も大々的に報じられ、世間の注目を集めた。なぜ、クマは大学生を襲いながら息絶えたのか。実は、その陰に地元消防署員による知られざる「格闘」があった――。(前後編の前編)(以下、年齢などは今年11月の取材時のもの)
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【写真を見る】九死に一生!クマとの壮絶な闘いを演じた現場はどこかクマのフンの跡「クマだ!」鋭い牙と爪で襲い掛かる 10月31日、地元消防署員の船板克志さん(41)が大千軒岳を登山中にそう叫んだ。大学生の遺体が見つかるわずか2日ほど前、時刻は午前10時半頃だった。 この日、船坂さんは消防署員の同僚である大原巧海さん(41)と後輩(36)の3人で人気のないこの山を登っていた。 「一人亡くなられた方がいるので、取材はお断りしていたんですが……」 と苦しい胸のうちを語るのは、その大原さんである。「僕らは大千軒岳に行ったことがなく、今後、消防署員として捜索することはあるので、いざという時のために、捜索ルートを確認しておこうと登山を計画していたんです」 明治29年に一等三角点が設置され、日本三百名山に数えられる大千軒岳。松前藩によって処刑されたキリシタンの殉教碑が建ち、天気が良ければ、山頂から青森県の八甲田山まで絶景を眺めることができる。ただ、観光客でごった返す山というわけではなく、登山客はまばらだ。 3人は大千軒岳への登山を昨年から計画していたものの、予定があわず、なかなか実現しなかった。「どうせ行くなら、1人や2人 でない人数で山に入り、ルートを確認できたらと思っていました。行く前に下調べはしていましたよ。登山の2週間前から、『ヤマップ』というアプリで大千軒岳を登った人の投稿をチェックしながら、最近、クマのフンの跡があったなどの情報は把握していました。クマに遭遇する危険も念頭に、計画を立てていたんです」購入していた刃渡り5センチのナイフ 事前に購入していたのが刃渡り5センチほどのナイフ。結果的にこのナイフが3人の命を救うことになる。「今年に入って、山菜を採るために入山したところ、クマを目撃したことがありました。50メートルほど先のところにクマがいて。そのときに何も身を守るものを持っていなかった。そこで、何かのときのためにと、ホームセンターでナイフを買っていました。魚や山菜を切ったりするような目的のナイフです。で、登山の直前に確認したところ、誰もクマスプレーを持っていなかったので、ナイフを持っていこうと思いました」(大原さん) 同じく大千軒岳に登った船板さんが言う。「3人とも登山経験はそんなにありません。ただ、地元の山だし、登山者や山菜採りの方々が遭難すると応援要請が入り、捜索に入ることもあります。“どんな山か知っておこう”“経験として登ってみるのもいいよね”と登ることにしました」 3人で入山したのは、31日の午前7時頃だった。「12時には頂上に着いて、夕方くらいには帰るつもりでした。4、5キロくらいのリュックを背負い、服装は一般的な登山用です。いま振り返ると、登山口の駐車場にはクマに襲われて亡くなった方のものと思われる車がありました」クマスプレーがあったら 亡くなった大学生が大千軒岳に入山したのが、10月29日のこと。20代男性が遭難した可能性があると北海道松前署が発表したのが、11月1日のことだった。10月31日の夜になり、北海道警は登山口に残された大学生の車を発見している。「登山に際し、クマよけの鈴やホイッスルはそれぞれが持っていました。人がいるということをクマに知らせるため、要所要所で鳴らしていたんです。クマは臆病だとも言われていますし。さらに、火薬で音が鳴るピストルを2丁用意していました。こちらは私と後輩で持ち、時折発砲するようにしていました。クマの気配がないか、匂いが変わったりしていないか、気をつけながら登り、それを万全と言っていいかわかりませんが、我々なりの対策はしていたつもりでした。クマスプレーがあったら良かったかもしれませんね。急遽登ることが決まったので、個人的に持っていこうとはしていたんですけど、買いに行く時間がなかったんです」(船板さん) 登山口を出発しておよそ2時間半後、急な登り坂の途中で“異変”が起きた。その“黒い物体”に最初に気づいた船板さんが続ける。「私は2人からちょっとだけ遅れている状態でした。立ち止まって休憩しているところで、私は追いかける形で登っていた。その時はホイッスルも鳴らしていなかったと思います。そして、私がふと振り返ったときに、カーブのところから、クマが四つ足でのそのそ歩いているのが見えたんです。音もせず、私には猫が忍び寄ってくるように感じられました」クマは怯むことなく近づいてきた しかし、そのクマは体長1.5メートルほどで、船坂さんが気づいたときにはわずか約5メートル先にいた。「“クマだ!”と思わず声を上げました。あまり刺激しないように睨み合いながら徐々に後退りするも、クマは気にせず、距離を詰めてきました。目を合わせるのはよくないと知っていたので漠然とクマ全体を見るようにしていました」(船板さん) 一方、登山道の先で立ち止まっていた大原さんによると、「クマが近づいていることには全く気がつきませんでした。“クマだ!”という声が聞こえて、振り返ったら、クマが歩いていた。いつから尾けられていた のだろうという感じでした。声を出して威嚇しても、クマは怯むこともなく近づいてきました」 思わぬ形でクマと遭遇した3人は「おい!」と大声をあげ、ピストルを3発放った。しかし、クマは全く意に介さない。登山道の脇は急斜面。逃げる場所もなかった。 再び船板さんが言う。「クマを発見して10秒ほどしたでしょうか。このままではまずいと思い、木の陰に逃げ込もうとしたその瞬間、クマの左手の爪で右太ももを引っかかれるように引きずり倒されたのです。倒されてから、私はかなり抵抗しました。噛まれないように両足を使って、足を突っ張り、クマの顎を蹴り上げました。それでも、右太ももを噛まれ、今度は首を噛まれました。その時は必死で、傷がどうなっているかとか、全く考えられませんでした。不思議なんですけど、死ぬかもしれないと思う余裕もなく、どうやって逃れようとしか。目の前にあるのは、牙と爪。致命傷にならないようにとにかくもがいていました」 抵抗はなおも続いていた。(後編 「爪が太ももに食い込んで」「一か八か喉元にナイフを」 唸り声を上げ襲いかかる人食いヒグマを撃退した消防署員の告白 に続く)デイリー新潮編集部
「クマだ!」
10月31日、地元消防署員の船板克志さん(41)が大千軒岳を登山中にそう叫んだ。大学生の遺体が見つかるわずか2日ほど前、時刻は午前10時半頃だった。
この日、船坂さんは消防署員の同僚である大原巧海さん(41)と後輩(36)の3人で人気のないこの山を登っていた。 「一人亡くなられた方がいるので、取材はお断りしていたんですが……」
と苦しい胸のうちを語るのは、その大原さんである。
「僕らは大千軒岳に行ったことがなく、今後、消防署員として捜索することはあるので、いざという時のために、捜索ルートを確認しておこうと登山を計画していたんです」
明治29年に一等三角点が設置され、日本三百名山に数えられる大千軒岳。松前藩によって処刑されたキリシタンの殉教碑が建ち、天気が良ければ、山頂から青森県の八甲田山まで絶景を眺めることができる。ただ、観光客でごった返す山というわけではなく、登山客はまばらだ。
3人は大千軒岳への登山を昨年から計画していたものの、予定があわず、なかなか実現しなかった。
「どうせ行くなら、1人や2人 でない人数で山に入り、ルートを確認できたらと思っていました。行く前に下調べはしていましたよ。登山の2週間前から、『ヤマップ』というアプリで大千軒岳を登った人の投稿をチェックしながら、最近、クマのフンの跡があったなどの情報は把握していました。クマに遭遇する危険も念頭に、計画を立てていたんです」
事前に購入していたのが刃渡り5センチほどのナイフ。結果的にこのナイフが3人の命を救うことになる。
「今年に入って、山菜を採るために入山したところ、クマを目撃したことがありました。50メートルほど先のところにクマがいて。そのときに何も身を守るものを持っていなかった。そこで、何かのときのためにと、ホームセンターでナイフを買っていました。魚や山菜を切ったりするような目的のナイフです。で、登山の直前に確認したところ、誰もクマスプレーを持っていなかったので、ナイフを持っていこうと思いました」(大原さん)
同じく大千軒岳に登った船板さんが言う。
「3人とも登山経験はそんなにありません。ただ、地元の山だし、登山者や山菜採りの方々が遭難すると応援要請が入り、捜索に入ることもあります。“どんな山か知っておこう”“経験として登ってみるのもいいよね”と登ることにしました」
3人で入山したのは、31日の午前7時頃だった。
「12時には頂上に着いて、夕方くらいには帰るつもりでした。4、5キロくらいのリュックを背負い、服装は一般的な登山用です。いま振り返ると、登山口の駐車場にはクマに襲われて亡くなった方のものと思われる車がありました」
亡くなった大学生が大千軒岳に入山したのが、10月29日のこと。20代男性が遭難した可能性があると北海道松前署が発表したのが、11月1日のことだった。10月31日の夜になり、北海道警は登山口に残された大学生の車を発見している。
「登山に際し、クマよけの鈴やホイッスルはそれぞれが持っていました。人がいるということをクマに知らせるため、要所要所で鳴らしていたんです。クマは臆病だとも言われていますし。さらに、火薬で音が鳴るピストルを2丁用意していました。こちらは私と後輩で持ち、時折発砲するようにしていました。クマの気配がないか、匂いが変わったりしていないか、気をつけながら登り、それを万全と言っていいかわかりませんが、我々なりの対策はしていたつもりでした。クマスプレーがあったら良かったかもしれませんね。急遽登ることが決まったので、個人的に持っていこうとはしていたんですけど、買いに行く時間がなかったんです」(船板さん)
登山口を出発しておよそ2時間半後、急な登り坂の途中で“異変”が起きた。その“黒い物体”に最初に気づいた船板さんが続ける。
「私は2人からちょっとだけ遅れている状態でした。立ち止まって休憩しているところで、私は追いかける形で登っていた。その時はホイッスルも鳴らしていなかったと思います。そして、私がふと振り返ったときに、カーブのところから、クマが四つ足でのそのそ歩いているのが見えたんです。音もせず、私には猫が忍び寄ってくるように感じられました」
しかし、そのクマは体長1.5メートルほどで、船坂さんが気づいたときにはわずか約5メートル先にいた。
「“クマだ!”と思わず声を上げました。あまり刺激しないように睨み合いながら徐々に後退りするも、クマは気にせず、距離を詰めてきました。目を合わせるのはよくないと知っていたので漠然とクマ全体を見るようにしていました」(船板さん)
一方、登山道の先で立ち止まっていた大原さんによると、
「クマが近づいていることには全く気がつきませんでした。“クマだ!”という声が聞こえて、振り返ったら、クマが歩いていた。いつから尾けられていた のだろうという感じでした。声を出して威嚇しても、クマは怯むこともなく近づいてきました」
思わぬ形でクマと遭遇した3人は「おい!」と大声をあげ、ピストルを3発放った。しかし、クマは全く意に介さない。登山道の脇は急斜面。逃げる場所もなかった。
再び船板さんが言う。
「クマを発見して10秒ほどしたでしょうか。このままではまずいと思い、木の陰に逃げ込もうとしたその瞬間、クマの左手の爪で右太ももを引っかかれるように引きずり倒されたのです。倒されてから、私はかなり抵抗しました。噛まれないように両足を使って、足を突っ張り、クマの顎を蹴り上げました。それでも、右太ももを噛まれ、今度は首を噛まれました。その時は必死で、傷がどうなっているかとか、全く考えられませんでした。不思議なんですけど、死ぬかもしれないと思う余裕もなく、どうやって逃れようとしか。目の前にあるのは、牙と爪。致命傷にならないようにとにかくもがいていました」
抵抗はなおも続いていた。
(後編 「爪が太ももに食い込んで」「一か八か喉元にナイフを」 唸り声を上げ襲いかかる人食いヒグマを撃退した消防署員の告白 に続く)
デイリー新潮編集部