「犯行は極めて悪質で動機も理不尽。自己中心的といわざるをえない」
検察側は被告の犯行をこう断罪した。
11月28日にさいたま地裁で行われた、殺人罪などに問われている無職・渡辺宏被告(68)の公判。渡辺被告は散弾銃を持って埼玉県ふじみ野市内の自宅に立てこもり、母親の主治医である鈴木純一さん(当時44)の胸を散弾銃で撃ち殺害したとされる。検察側は「殺意があった」と無期懲役を求刑した。
「渡辺被告は公判で、犯行前日に92歳で亡くなった母親を助けてくれなかった恨みを述べています。『母の蘇生措置をお願いしても聞いてもらえず頭に血が上った』と。事件当日は鈴木さんら医療関係者7人を自宅に呼び出し鈴木さんを銃殺した他、40代の理学療法士にも発砲し重傷を負わせました。
渡辺被告は亡くなった鈴木さんらに対し『猛省しています』と謝罪。弁護側は『(鈴木さんの)ヒザを撃とうとしたが銃をしっかり持っていなかったため胸に当たってしまった』と、傷害致死などの罪が妥当と主張しています」(全国紙司法担当記者)
『FRIDAY』は’22年2月18日号で、当該の立てこもり銃殺事件について詳しく報じている。再録し、渡辺被告の犯行前の戦慄の言動を振り返りたい(内容は一部修正しています)――。
’22年1月28日、埼玉県警東入間署は母親の在宅診療を担当していた医師の鈴木さんを散弾銃で撃った殺人未遂容疑で渡辺被告を逮捕した。
「渡辺被告は前日の27日『(亡くなった母親に)線香を上げに来い!』と、鈴木さんらスタッフ7人を電話で自宅へ呼びつけました。前日に鈴木さんが母親の死亡を確認していたにもかかわらず、『心臓マッサージをして蘇生させてほしい』と要望。断った鈴木さんに散弾銃の引き金を引いたのです。
その後、渡辺被告は11時間にわたって立てこもりましたが、翌朝8時に県警が突入。逮捕に至りました。その後、鈴木さんの死亡が確認され殺人容疑で送検されています。『母が死んでしまい、この先いいことがないと思った。先生やクリニックの人を道づれにして自殺しようと考えた』などと供述していました」(全国紙社会部記者)
渡辺被告が母と埼玉県ふじみ野市にある家賃5万2000円の一軒家に引っ越してきたのは’19年3月のこと。生活保護を受けながら自宅で母の介護をしており、近隣住民との関わりはほとんどなかったという。
「越してきてから3年の間、家の外で見かけたことは一度もありません。渡辺さんの生活は母親中心。午前中は母親の食事や排泄物の世話をしていました。私たちと話をしている最中でも、母親に呼ばれると飛んで行ってしまう。日当たりのいい部屋に母親のベッドを置いて、夜は母親の近くで寝ていたそうです」(渡辺被告の知人)
母親を心配するあまり、病院で問題を起こすことも少なくなかった。渡辺被告が10年間、母親を通わせていた病院の関係者はこう話していた。
「診察の順番を待つ間に『(自分の)母親を先に診ろ』と待合室で騒いだり、長文の抗議文を送ってきたりトラブルだらけの人物でした。『この薬を出してほしい』と薬品名を指定してきたこともありました。『患者さんのことは医者が一番わかっている』と言っても納得してくれず、対応に困っていました」
鈴木さんと渡辺被告の間に溝が生まれたのは、「母親の診療を巡って意見が食い違ったことがキッカケだった」と地域医療相談室の担当者が語る。
「’21年1月から15回ほど渡辺被告の相談を受けました。『母親が食事をしない。排泄がない』という内容です。『もう90歳を超えているので、それは終末期が近い』と伝えても、渡辺被告は『最後まで診てほしい』と聞く耳を持たない。鈴木先生はお母さまの体調を考えて、無理な投薬は勧めていませんでした。
鈴木先生が身体になるべく負担をかけないことを第一に考えていたのに対して、渡辺被告はどんな手を使ってでも延命させたかった。渡辺被告から最後に電話があったのは事件3日前。母親の介護の相談でした。普段と違う淡々とした声でした」
担当者に最後の相談をした1月24日の夕方、近隣住民は渡辺被告が自宅アパート前で絶叫している姿を目撃していた。
「頭をかきむしりながら『あ~~~なんでだよ、クソがぁ!』と叫んで、同じ道を行ったり来たりしていました。民家の塀などを蹴ったりもしていた。隣を通り過ぎようとしたら、顔を真っ赤にして私と子供をニラみつけてきたんです。『すみません』と反射的に謝ったら、『早く行けよ!』と怒鳴りつけられたので逃げました……」
母親を失った悲しみを、歪んだ形で医師にぶつけた渡辺被告。判決は12月12日に言い渡される予定だ。