臨時国会召集から一夜明けた10月21日、菅直人元総理(77)が次の衆院選に立候補しない意向をSNSで表明した。
【写真を見る】「若い世代に引き継ぎたい」77歳の菅直人元総理と「これで引退なんてできない」79歳の細田前衆院議長…2人の重鎮議員にみる“政治家の引き際”とは「次期衆院選で東京18区から立候補しない意向は、前回選挙で『集大成』と訴え、地元の会合などでも申し上げてきたので、従来から変わっていません。『市民政治』『戦うリベラル』の旗を、若い世代にしっかり引き継ぎたいと思います」(菅氏のXより)次期衆院選への不出馬は“既定路線”だった。半年ほど前、菅氏は筆者に対しても「俺は今期限りだとうちの嫁さんが言っているから(次は出ない)」と明言していた。いずれ発表するとは思っていたが、解散風が吹いているわけでもないタイミングでの不出馬宣言は唐突だった。なぜいまなのか。菅氏に会ってその真意を聞いた。

なぜいま次期衆院選「不出馬」宣言なのか永田町の議員会館にある菅直人事務所の応接会議室には、政治活動を始めた27歳から総理大臣になった63歳までの歩みが写真パネルの形で飾ってある。ひな壇に並ぶ菅内閣の顔触れを眺めていたら、18人いた閣僚の半数以上が既に引退または鬼籍に入ったことに気づいた。そもそも、今期限りで引退することはいつ決めたのだろうか。「我が家には菅伸子という人がいてね、前回の選挙の時ぐらいから『もうこの辺りでいいんじゃないの』というのがなんとなく決まってた」と菅氏は苦笑する。「私自身、総理大臣もやらせてもらったし色々な課題もやってきたんで、体力的な事も含めて潮時かなと。うちの嫁さんは妻であると同時に選挙を一緒に戦ってきてくれた最大のパートナーだから、その意向とマッチしたということですよね」菅氏は地元での選挙活動の多くを妻の伸子さんに委ねてきた。だから、伸子さんの意向は絶対なのだろう。「私だけのことであればギリギリでもいいかもしれないけども、その次の候補者のことまで考えて段取りするとなると、このあたりのタイミングかと思ったんでね」「これで引退なんてできない」…病気で議長辞任の自民・細田氏「任期途中だが、衆議院議長の職を退任したい」菅氏の不出馬宣言で思い出したのが、その8日前に行われた細田博之前衆院議長(79)の退任会見。脳梗塞の初期で「公務に支障を来す可能性がある。迷惑をかけてはいけない」と議長を退く一方で、「原子力発電やエネルギー問題には非常に強く関与してきた。そういうことはなかなか私以外の人が簡単にできるような仕事じゃない」と次の衆院選にも出馬すると宣言した。「ちょっと病気になったが、これで引退なんてできない」地元の漁業関係者と面会した際もこう述べて、議員続投へのこだわりを見せたという。自民党内からは「体調不良を理由に議長を辞任するのに議員は続けますというのでは、国民の理解がなかなか得づらい」(中堅議員)との声が聞こえてくる。「世襲は国民の参政権を制限している」…政治家の世代交代とは菅直人氏の後継候補として多くの人が最初に思い浮かべるのは、長男の源太郎さんだろう。約20年前に岡山1区から衆院選に挑戦した経験があり、現在は菅氏の政策秘書を務めている。しかし、これも“既定路線”なのだが、菅氏の意中の後継候補は地元選挙区の自治体の首長だという。なぜ源太郎さんではないのか。「政治の道を行くことは別に否定しないけれど、我が家ではいわゆる世襲という考え方は望ましくないという発想なのね。世襲というのは、逆に言うと一般の国民の参政権を制限しているわけだよ。民主主義という基本的な土俵の上でそれが広がり過ぎることは望ましいことではないと私自身も思っているよね」国会論戦の好敵手だった小泉純一郎元総理は「私も3代目の世襲でずいぶん批判されたが、この私の親バカぶりもご容赦いただき、私に賜ったご厚情を進次郎にも頂きたい」と息子に地盤(後援会組織)、看板(知名度)、カバン(資金)の揃った選挙区を引き継いだ。それとは対照的だ。「歌舞伎とか芸術的なものが引き継がれるとか、分野によっては一概に私も否定しないけども、封建時代じゃないんだから政治が家業みたいになるのはおかしいよ」世襲でないとしたら、菅氏にとって望ましい後継者はどんな人なのだろうか。「後継者を選ぶのは有権者なんだから、私がこういう人が特にいいとか言ったら、それはまた世襲みたいになる。でも、私がコテコテの保守のほうに変わるはずがないんでね。やっぱり、色々政党名は変わったけど、大体私の路線はリベラルなやや革新的なというところでずっと一貫してるから、その流れを踏襲してくれる人であれば応援しやすいよね」「私は永久に市民運動家だから」…菅直人氏の考える“政治家の引き際”民主党が政権交代を果たした2009年9月の特別国会召集日、筆者は国会の廊下を菅直人氏と肩を並べて歩いていた。その時の菅氏の言葉が印象的だった。「俺、今でも夢見てるんじゃないかと思うんだ。それで頬っぺたつねってみたら痛いから、ああ本当に政権交代したんだなという実感が湧いてきたよ」あの日から14年余り。短命に終わった民主党政権では1年3か月にわたって総理大臣も務めたが、福島第一原発事故への対応をめぐり称賛と批判の両方が今もくすぶり続ける。「原発事故のことはやっぱり一番気になっているよね。原発を復活させようという動きは経産省にも電力会社にもあるからね。太陽光とか風力とかクリーンな再生エネルギーで十分やれることがわかってきたから、今さらコストもリスクも高い原発に戻るべきではないというのは、特に事故を経験した総理として極めて強い信念だよね」議員としての残り任期、そして議員を引退した後も、脱原発に逆行するような動きが出てくれば「逆行を許さない」と発言し行動していくという。「私は市民運動的な活動の中で、極めて珍しいケースかもしれないけど総理までやらせてもらった。私は永久に市民運動家だから、原発問題に限らず、元気なうちは何かあれば今までのスタンスでやれることはやりたいと思っていますよ」(執筆:TBSテレビ解説委員 緒方誠)
「次期衆院選で東京18区から立候補しない意向は、前回選挙で『集大成』と訴え、地元の会合などでも申し上げてきたので、従来から変わっていません。『市民政治』『戦うリベラル』の旗を、若い世代にしっかり引き継ぎたいと思います」(菅氏のXより)
次期衆院選への不出馬は“既定路線”だった。半年ほど前、菅氏は筆者に対しても「俺は今期限りだとうちの嫁さんが言っているから(次は出ない)」と明言していた。いずれ発表するとは思っていたが、解散風が吹いているわけでもないタイミングでの不出馬宣言は唐突だった。なぜいまなのか。菅氏に会ってその真意を聞いた。
永田町の議員会館にある菅直人事務所の応接会議室には、政治活動を始めた27歳から総理大臣になった63歳までの歩みが写真パネルの形で飾ってある。ひな壇に並ぶ菅内閣の顔触れを眺めていたら、18人いた閣僚の半数以上が既に引退または鬼籍に入ったことに気づいた。
そもそも、今期限りで引退することはいつ決めたのだろうか。
「我が家には菅伸子という人がいてね、前回の選挙の時ぐらいから『もうこの辺りでいいんじゃないの』というのがなんとなく決まってた」と菅氏は苦笑する。「私自身、総理大臣もやらせてもらったし色々な課題もやってきたんで、体力的な事も含めて潮時かなと。うちの嫁さんは妻であると同時に選挙を一緒に戦ってきてくれた最大のパートナーだから、その意向とマッチしたということですよね」
菅氏は地元での選挙活動の多くを妻の伸子さんに委ねてきた。だから、伸子さんの意向は絶対なのだろう。
「私だけのことであればギリギリでもいいかもしれないけども、その次の候補者のことまで考えて段取りするとなると、このあたりのタイミングかと思ったんでね」
「任期途中だが、衆議院議長の職を退任したい」
菅氏の不出馬宣言で思い出したのが、その8日前に行われた細田博之前衆院議長(79)の退任会見。脳梗塞の初期で「公務に支障を来す可能性がある。迷惑をかけてはいけない」と議長を退く一方で、「原子力発電やエネルギー問題には非常に強く関与してきた。そういうことはなかなか私以外の人が簡単にできるような仕事じゃない」と次の衆院選にも出馬すると宣言した。
「ちょっと病気になったが、これで引退なんてできない」
地元の漁業関係者と面会した際もこう述べて、議員続投へのこだわりを見せたという。自民党内からは「体調不良を理由に議長を辞任するのに議員は続けますというのでは、国民の理解がなかなか得づらい」(中堅議員)との声が聞こえてくる。
菅直人氏の後継候補として多くの人が最初に思い浮かべるのは、長男の源太郎さんだろう。約20年前に岡山1区から衆院選に挑戦した経験があり、現在は菅氏の政策秘書を務めている。しかし、これも“既定路線”なのだが、菅氏の意中の後継候補は地元選挙区の自治体の首長だという。なぜ源太郎さんではないのか。
「政治の道を行くことは別に否定しないけれど、我が家ではいわゆる世襲という考え方は望ましくないという発想なのね。世襲というのは、逆に言うと一般の国民の参政権を制限しているわけだよ。民主主義という基本的な土俵の上でそれが広がり過ぎることは望ましいことではないと私自身も思っているよね」
国会論戦の好敵手だった小泉純一郎元総理は「私も3代目の世襲でずいぶん批判されたが、この私の親バカぶりもご容赦いただき、私に賜ったご厚情を進次郎にも頂きたい」と息子に地盤(後援会組織)、看板(知名度)、カバン(資金)の揃った選挙区を引き継いだ。それとは対照的だ。
「歌舞伎とか芸術的なものが引き継がれるとか、分野によっては一概に私も否定しないけども、封建時代じゃないんだから政治が家業みたいになるのはおかしいよ」
世襲でないとしたら、菅氏にとって望ましい後継者はどんな人なのだろうか。
「後継者を選ぶのは有権者なんだから、私がこういう人が特にいいとか言ったら、それはまた世襲みたいになる。でも、私がコテコテの保守のほうに変わるはずがないんでね。やっぱり、色々政党名は変わったけど、大体私の路線はリベラルなやや革新的なというところでずっと一貫してるから、その流れを踏襲してくれる人であれば応援しやすいよね」
民主党が政権交代を果たした2009年9月の特別国会召集日、筆者は国会の廊下を菅直人氏と肩を並べて歩いていた。その時の菅氏の言葉が印象的だった。
「俺、今でも夢見てるんじゃないかと思うんだ。それで頬っぺたつねってみたら痛いから、ああ本当に政権交代したんだなという実感が湧いてきたよ」
あの日から14年余り。短命に終わった民主党政権では1年3か月にわたって総理大臣も務めたが、福島第一原発事故への対応をめぐり称賛と批判の両方が今もくすぶり続ける。
「原発事故のことはやっぱり一番気になっているよね。原発を復活させようという動きは経産省にも電力会社にもあるからね。太陽光とか風力とかクリーンな再生エネルギーで十分やれることがわかってきたから、今さらコストもリスクも高い原発に戻るべきではないというのは、特に事故を経験した総理として極めて強い信念だよね」
議員としての残り任期、そして議員を引退した後も、脱原発に逆行するような動きが出てくれば「逆行を許さない」と発言し行動していくという。
「私は市民運動的な活動の中で、極めて珍しいケースかもしれないけど総理までやらせてもらった。私は永久に市民運動家だから、原発問題に限らず、元気なうちは何かあれば今までのスタンスでやれることはやりたいと思っていますよ」
(執筆:TBSテレビ解説委員 緒方誠)