近年、価格高騰が続くウナギ。現在、我々が食べているウナギは、ウナギの稚魚・シラスウナギを採取して、それを養殖池で育てたものだが、シラスウナギの採捕量も年々減り続けている。
ウナギは卵から養殖するのはむずかしく、シラスウナギを大きくするほかないと聞く。このままではウナギが食べられなくなってしまうのか。
「いえ、比較的に安定して採卵することは可能になっていて、卵からシラスウナギを育てていますよ」
こう言うのは、国立研究開発法人水産研究・教育機構でウナギ養殖の研究をしている風藤行紀(かぜとう・ゆきのり)氏。
なんとすでに13年前に、卵から育てた成魚から更に卵を採り人工種苗を作る完全養殖に成功しているというのだ。これでもう安心。食卓に完全養殖のウナギが乗る日も近い?
「いつになったら完全養殖のウナギが食卓に乗るか、まったくわかりません」
言下に否定されてしまった。
「完全養殖が成功したと報道されると、すぐ販売されると思うかもしれませんが、たとえば1尾100万円かかっても、完全養殖できたということなんです。けれど、これでは市場に出すことができません」
‘16年度は稚魚1匹あたりの生産コストは2万7750円。それが’20年度には3026円まで下がったというが、それでも今の価格に3000円プラスされたら、気軽に食卓に乗せられない。
いったいなぜ、こんなに生産コストがかかってしまうのだろう。
「それはエサも手作り、水槽も手作り、そのうえ飼育にとても手間がかかるからです」
シラスウナギを育てる方法はすでに確立されており、全国の養鰻業者が養殖している。水産研究・教育機構で行われているのは、採卵し、それをシラスウナギにまで育てる研究だ。
ウナギは卵から孵るとプレレプトセファルスという仔魚になり、その後成長してレプトセファルスになる。これが“変態”すると、シラスウナギになり、やがて大きなウナギになる。
プレレプトセファルスのときは、体に蓄えた栄養で生きる。エサが必要になるのは、レプトセファルスからだ。
「レプトセファルスは消化管がまっすぐなんです。特殊なエサを与えないと、消化も吸収もできない。食べるけれど成長しない、食べるけど死んでしまうエサは山ほどあります」
通常の養殖ではワムシやアルテミアという小さなプランクトンをエサにしているが、レプトセファルスはそういうものは食べない。だから、特別なエサを作らなければならないのだが、何を与えるといいのか、最初はまったくわからなかったという。端から試し、現在のエサにたどりついたのだとか。
ウナギは謎が多い生物だと聞く。生態などが明らかになっていないことが多いため養殖が一筋縄ではいかない原因と言われるが、
「天然のサケは虫なども食べていますが、養殖のサケのエサに虫は入っていません。魚が成長するには、どのような栄養素が必要なのかある程度わかっています。天然のウナギが何を食べているかわからなくても、エサを作ることはできます」
今、レプトセファルスに与えているのは、魚粉をベースにしたもので、それを緩い歯磨き粉のようにドロドロにしたもの。レプトセファルスはウナギの赤ちゃんなので、一度にたくさんは食べられない。エサやりは1日に5回。ドロドロのエサが水槽の壁面につき、そのままにしておくと雑菌がついて病気になってしまうので、水槽の掃除も1日5回行っているとか。本当に手間がかかるのだ。
「しかも、赤ちゃんの時期が150~300日と長い。いちばん飼育がむずかしい時期がほかの魚の5倍10倍という長さなのも養殖を困難にしている要因です」
さらにウナギは成長しても成熟しないのだとか。
「たとえばサケなどは季節を感じて、適切な時期に、適切に成熟します。ただ、ずっと暗い条件にしたり、不適切な水温で飼育したりすると成熟しない。卵や精子ができないんです。成熟するためには何かしらの環境要因が必要なんですが、ウナギの場合、それが何かわからない」
水温や明るさなど、考えられることはすべて行ったが、わからなかったという。その結果、
「諦めました。卵に関してはホルモンを作って、それを注射しています。人間の不妊治療をするのと同じです。これによって安定して卵がとれるようになりました」
長い間、わからなかったウナギの産卵場所が、マリアナ諸島付近だとわかったのが’09年。しかし、産卵場所がわかったからといって、養殖に劇的な変化がもたらされることはなかった。
「生態がわかったら、なんとかなるという考えは間違っています。たとえばウナギが水深500mのところで産卵していたとして、水深500mある水槽を作ることはできません。逆に生態がわからなくても、できることはあるんです」
ウナギの養殖が簡単でないのは、生態に謎が多いからだと思っていたが、そうではないようだ。
研究者の皆さんの不断の努力によって1匹の生産コストが3000円ほどになってきた。これからもっと安く作れそう?
「特殊なエサに、特殊な水槽、そして特殊な飼育方法。ウナギの養殖には費用がかかります。安く作るのは無理です。
‘16年に3万円弱だった生産コストが3000円になったのは、それだけウナギの生残率が上がったからです。これまで10匹しかとれなかったものが100匹とれるようになれば、1匹あたりの生産コストは下がる。そういうことです」
現在、卵からシラスウナギになるのは、3~5%。これは、ほかの魚に比べても決して劣る数字ではないのだとか。
「この研究所で一生懸命作れば1年に3~5万匹は養殖できます。けれど、全国の養鰻場で必要とされているシラスウナギは9000万匹から1億匹。まだまだ大きな開きがあります。
なんとか早く食卓に乗せられるように、エサや水槽、飼育方法を工夫して、1匹あたりの生産コストを1000円ぐらいに、可能なら、もう少し下げられるようにしたい。そのために日々努力しているところです」
ニホンウナギはすでに‘14年に「近い将来、野生での絶滅の危険性が高い」とされる「絶滅危惧種1B種」として、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストに掲載されている。シラスウナギの採捕も制限されている。採捕が禁止される前に、完全養殖のウナギが食卓に上るようになることを祈るばかりだ。
風藤行紀 国立研究開発法人水産研究・教育機構, 水産技術研究所(南勢), 部長。‘20年、「ウナギ生殖腺刺激ホルモンを用いた人為催熱・採卵技術の高度化とその応用に関する」研究で水産学技術賞を受賞。
取材・文:中川いづみ