それは実に奇妙な同居生活だった。57歳の祖母のもとに、34歳の母らきょうだいが蝟集。大人たちの繰り広げる荒れた暮らしにあって、6歳の男児は命を落としてしまう。神戸市で起きた園児遺棄事件。一家の来し方からは、その“萌芽”が至る所に見てとれるのだ。
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【写真を見る】中学校時代の沙喜容疑者 当時は支援学級に通学していた 悲劇の舞台となったのは神戸市西区、第二神明道路の玉津インター近くに位置するアパートである。築三十余年のこの住宅に、当事者である「穂坂一家」は2011年から住み続けてきたという。

事件は6月20日深夜、57歳祖母が自宅から数キロ離れた路上で発見されたことに端を発する。「110番通報によって保護された時、祖母は車椅子姿でした。彼女が“自宅で殴られていた”と話したため県警がアパートを訪ねたのですが、同居していた4人の子たちと長女の息子はいずれも不在。行方を捜していたところ、22日の15時頃、三宮の商店街で4人一緒にいるのがわかったのです」(県警担当記者)職員が家庭訪問していたが… 4人は長女の沙喜(34)と次男の大地(32)、そして双子の朝美と朝華(30)。いずれも母親への監禁と傷害の容疑で逮捕されるのだが、「その過程で沙喜が、息子の修(なお)君(6)の遺棄に言及。これに基づき捜索したところ、スーツケースに入った修君の遺体が自宅から800メートルほど離れた草むらで発見されました」(同) 一家の住む部屋は3LDKのメゾネットタイプで、家賃6万円。逃げ出してきた祖母は、3月から断続的に1階部分の押し入れで監禁されていたという。現場のアパート「食事やトイレは許されていたものの、通報時左目に皮下出血、背中に打撲痕など傷がありました。本人は“鉄パイプのような棒で殴られた”と話しています」(同) 一方、亡くなった修君は2月頃から保育園を休みがちで、4月20日の登園時、右肩と尻にあざがあるのを見てとった園が24日、神戸市西区役所に連絡したという。「同日、区が家庭訪問しますが、おばあさんとお母さん(沙喜容疑者)は“あざに心当たりはない”とのことでした。5月1日の訪問ではお母さんから“祖母に暴力をふるう”“育てにくい”と相談があり、一時保護を希望したため市のこども家庭センターに来訪される約束になっていました」(神戸市役所家庭支援課) が、沙喜容疑者はセンターに現れず。9日には大地容疑者から“保護は不要”との意向が示されたという。その後、「6月1日にはセンター職員も家庭訪問し、あらためておばあさんに『(修君と)面談させてほしい』と告げたのですが、『人と会うと興奮することがあるので会わせられない』などと断られてしまいました」(同)ペットのように道路標識に縛りつけ そうした行政とのやり取りの合間も、祖母は監禁され続けていたのだった。穂坂家を知る近隣住民が言う。「あの家が越してきた当初は、今回の被害者である祖母と双子の次女・三女の3人暮らしでした。そのうちシングルマザーの沙喜が転がり込んできて、男の子は0歳から保育園に通っていた。ただ誰も働いておらず、数年前からガスを止められていました。一家は生活保護を受給していて、料理はカセットコンロを使い、お風呂も近所の銭湯に通っていましたが、そこが廃業してからは近所の家に貸してもらっていたと聞きました」 地域でも、ひときわ異彩を放っていたわけである。「沙喜はいつもボサボサ頭でサンダル履き、子育ても普通ではなかった。玄関先で修君を『お前ふざけんなや』と怒鳴ったり、保育園の送り迎えの際には子供用のハーネスを着けた修君がもたもたすると『何やっとんじゃお前!』と、辺りかまわず叫んで、バス停で待っている時などペットみたいに修君を道路標識に縛りつけたりしていました」(同) こうした“折檻”は、次男の大地が暮らしに加わった昨年暮れからエスカレートしていった。「いつも沙喜とは指を絡ませながら歩いていたので、最初は彼氏かと思っていました。その頃から『はよ食えや』といった男の怒声や、鈍器で何かをたたくような音が聞こえ出した。修君が2階のバルコニーに放り出されて『助けて』と泣き叫ぶこともありました」(同)弟との“関係”をほのめかす沙喜容疑者 祖母の監禁が続いていた6月19日の夕刻、4人きょうだいは修君を遺棄すべく、連れ立って外出した。「スーツケースを引きながら、楽しそうに談笑しているサングラスの4人組とすれ違いました。彼らがいた場所に、女性ものの二つ折り財布が落ちていたので交番に届けたのですが……」 とは、別の住民。交番で財布の中身を確かめたところ「穂坂沙喜」と記された所持品が出てきたという。前出記者が言う。「修君の死因は外傷性ショックの疑いと発表されました。背中を中心に打撲の痕跡が広がっており、遺棄前日の18日から暴行が激しくなったとみられます。県警は、祖母の監禁傷害と修君の遺棄のいずれも大地が主犯だと踏んでいる。実際に沙喜は『弟に指示された』と供述し、祖母も『大地が(遺棄に使った)スーツケースを用意させていた』と説明しています」 それでも、謎は尽きない。「祖母の夫の所在や生死は不明。また大地には妻がいて別居状態だという。さらに、肝心の修君の父親についても県警は“正式に戸籍に出てこないのでわからない”としています。また沙喜に至っては、弟である大地との“関係”をほのめかすなど、判然としない状況が続いています」(同)市営住宅も追い出され その穂坂家は、かつて同市垂水区の市営住宅に住んでいた時期があった。が、当時からトラブルが絶えなかったという。「今回はおばあさんが被害者になっていますが、20年以上前、ここにいた頃は間違いなく“加害者”でした」 そう断じるのは、市営住宅の住民である。「その頃は長男もいて、下の双子はまだ保育園児でした。父親はおらず生活保護を受けていましたが、母親は夜になると遊びに出かけていた。当時は“アホ”“ボケ”と、お母さんが毎日のように怒鳴っていて、家の前を通ると子どもらのすすり泣く声が聞こえてきたものです。沙喜ちゃんは金属の棒で殴られたりしてあざが目立ち、団地の階段でうずくまっている姿も、よく見かけました」 生活は荒み切っており、「穂坂家は3階に住んでいたのですが、ベランダや共用通路にもごみが溢れ出していて、母親は窓から生ごみを投げ捨てるなど無茶苦茶でした。幼い子どもらには、おもちゃ代わりにウサギや小鳥などのペットを与えていましたが、世話は子ども任せで臭いもひどく、刺し傷のあるウサギの死骸がビニール袋に入れられて下の階に落ちてきたこともありました」(同) あまりに苦情が多く、一家は団地の別棟への転居を余儀なくされた。が、その後もごみを散乱させるなど変わらずで、しまいには市営住宅からも追い出されていったというのだ。ホストを好きになり… そんな苛酷な環境は、きょうだいの成長にいかなる影響を及ぼしたのか。「沙喜には軽度の知的障害があり、中学ではなかよし学級、高校は特別支援学校に通っていました」 とは、沙喜容疑者の20年来の友人。06年に兵庫県で開催された全国障害者スポーツ大会では陸上競技に出場するなど、アクティブな一面もあったというのだが、「“お母さんは怒鳴るばかりで何もしない。私が家事や妹の世話をやらされる”と漏らしていました。高校の時、足に大きなケロイドがあるのを見つけて“どうしたん”って聞いたら“お母さんのタバコが落ちた”と言っていたけれど、わざと火を押し付けないとあんな傷にはなりません」(同) 高校卒業後は梱包作業の仕事に就いていたといい、「その後は三宮のキャバクラやガールズバーに流れていった。そこでホストを好きになって、身ごもったのが修君。出産後は店の仲間からオムツや子ども服、ジュースをもらっていたけど、ジュースは自分で飲んでしまい、服は“ブランド品とちゃう”と捨てたり人にあげたりで、修君には届かなかった。」(同)踊り場は血の海に さらに、その姉の産んだ子を死に至らしめた主犯とされる大地容疑者もまた“片鱗”をうかがわせていた。 小学校で大地容疑者と同級生だった女性の父親が言う。「娘が卒業間近だった04年2月のことでした。6年生と1年生が一緒に給食を食べる行事があって、娘は1年生の飲み終わった牛乳の空き瓶を手に階段を下りていました。その時、下から穂坂大地が駆け上がってきて、娘に足を引っかけて転ばせたのです。その拍子に娘は頭から落下し、右手に握っていた牛乳瓶が粉々に割れ、無数の破片が突き刺さってしまいました」 踊り場は血の海と化し、女性は直ちに救急搬送。病院に駆けつけた父は医師から「右手が動かなくなるおそれも」と告げられた。半日に及んだ大手術はひとまず成功したものの、破片は一度に除去できず、複数回の手術を要したという。「その後、相手の母親はいっこうに謝りに来なかった。担任の先生が見かねて3月に面会をセッティングしてくれたのですが、大地を連れた母親は私を見るなり“これ、息子が悪いことしたから”と、安物のクッキーの缶を渡してきた。私は感情が抑えられないまま突っ返しました。娘はその後も入院が続き、中学へ登校できたのは1年生の2学期になってから。恐怖で数年間は階段を下りることができず、いまでも右手中指はまっすぐ伸びません」(同)“浪費を防ぐため” 卒業後、大地容疑者は学区外の中学へと転出していったという。ちなみにこの祖母は神戸地裁に自己破産を申し立て、06年8月、免責を許可されている。「祖母は金遣いが荒く、近隣のパチンコ屋などで散財を繰り返していました。きょうだいの一部は“母を監禁したのは浪費を防ぐためだった”と供述しています」 とは、さる捜査関係者。穂坂家には毎月、家賃補助と合わせ少なくとも約35万円の生活保護手当が支給されているとみられ、実際に、事件直前に沙喜容疑者と会食した加古川市の友人によれば、「沙喜ちゃんは“母にお金を使われて困っている”と、悩みを口にしていました」 親の背を見て子は育つ。とはいえ、わずか6年で人生をいや応なく閉ざされた男児は、到底浮かばれまい。「週刊新潮」2023年7月6日号 掲載
悲劇の舞台となったのは神戸市西区、第二神明道路の玉津インター近くに位置するアパートである。築三十余年のこの住宅に、当事者である「穂坂一家」は2011年から住み続けてきたという。
事件は6月20日深夜、57歳祖母が自宅から数キロ離れた路上で発見されたことに端を発する。
「110番通報によって保護された時、祖母は車椅子姿でした。彼女が“自宅で殴られていた”と話したため県警がアパートを訪ねたのですが、同居していた4人の子たちと長女の息子はいずれも不在。行方を捜していたところ、22日の15時頃、三宮の商店街で4人一緒にいるのがわかったのです」(県警担当記者)
4人は長女の沙喜(34)と次男の大地(32)、そして双子の朝美と朝華(30)。いずれも母親への監禁と傷害の容疑で逮捕されるのだが、
「その過程で沙喜が、息子の修(なお)君(6)の遺棄に言及。これに基づき捜索したところ、スーツケースに入った修君の遺体が自宅から800メートルほど離れた草むらで発見されました」(同)
一家の住む部屋は3LDKのメゾネットタイプで、家賃6万円。逃げ出してきた祖母は、3月から断続的に1階部分の押し入れで監禁されていたという。
「食事やトイレは許されていたものの、通報時左目に皮下出血、背中に打撲痕など傷がありました。本人は“鉄パイプのような棒で殴られた”と話しています」(同)
一方、亡くなった修君は2月頃から保育園を休みがちで、4月20日の登園時、右肩と尻にあざがあるのを見てとった園が24日、神戸市西区役所に連絡したという。
「同日、区が家庭訪問しますが、おばあさんとお母さん(沙喜容疑者)は“あざに心当たりはない”とのことでした。5月1日の訪問ではお母さんから“祖母に暴力をふるう”“育てにくい”と相談があり、一時保護を希望したため市のこども家庭センターに来訪される約束になっていました」(神戸市役所家庭支援課)
が、沙喜容疑者はセンターに現れず。9日には大地容疑者から“保護は不要”との意向が示されたという。その後、
「6月1日にはセンター職員も家庭訪問し、あらためておばあさんに『(修君と)面談させてほしい』と告げたのですが、『人と会うと興奮することがあるので会わせられない』などと断られてしまいました」(同)
そうした行政とのやり取りの合間も、祖母は監禁され続けていたのだった。穂坂家を知る近隣住民が言う。
「あの家が越してきた当初は、今回の被害者である祖母と双子の次女・三女の3人暮らしでした。そのうちシングルマザーの沙喜が転がり込んできて、男の子は0歳から保育園に通っていた。ただ誰も働いておらず、数年前からガスを止められていました。一家は生活保護を受給していて、料理はカセットコンロを使い、お風呂も近所の銭湯に通っていましたが、そこが廃業してからは近所の家に貸してもらっていたと聞きました」
地域でも、ひときわ異彩を放っていたわけである。
「沙喜はいつもボサボサ頭でサンダル履き、子育ても普通ではなかった。玄関先で修君を『お前ふざけんなや』と怒鳴ったり、保育園の送り迎えの際には子供用のハーネスを着けた修君がもたもたすると『何やっとんじゃお前!』と、辺りかまわず叫んで、バス停で待っている時などペットみたいに修君を道路標識に縛りつけたりしていました」(同)
こうした“折檻”は、次男の大地が暮らしに加わった昨年暮れからエスカレートしていった。
「いつも沙喜とは指を絡ませながら歩いていたので、最初は彼氏かと思っていました。その頃から『はよ食えや』といった男の怒声や、鈍器で何かをたたくような音が聞こえ出した。修君が2階のバルコニーに放り出されて『助けて』と泣き叫ぶこともありました」(同)
祖母の監禁が続いていた6月19日の夕刻、4人きょうだいは修君を遺棄すべく、連れ立って外出した。
「スーツケースを引きながら、楽しそうに談笑しているサングラスの4人組とすれ違いました。彼らがいた場所に、女性ものの二つ折り財布が落ちていたので交番に届けたのですが……」
とは、別の住民。交番で財布の中身を確かめたところ「穂坂沙喜」と記された所持品が出てきたという。前出記者が言う。
「修君の死因は外傷性ショックの疑いと発表されました。背中を中心に打撲の痕跡が広がっており、遺棄前日の18日から暴行が激しくなったとみられます。県警は、祖母の監禁傷害と修君の遺棄のいずれも大地が主犯だと踏んでいる。実際に沙喜は『弟に指示された』と供述し、祖母も『大地が(遺棄に使った)スーツケースを用意させていた』と説明しています」
それでも、謎は尽きない。
「祖母の夫の所在や生死は不明。また大地には妻がいて別居状態だという。さらに、肝心の修君の父親についても県警は“正式に戸籍に出てこないのでわからない”としています。また沙喜に至っては、弟である大地との“関係”をほのめかすなど、判然としない状況が続いています」(同)
その穂坂家は、かつて同市垂水区の市営住宅に住んでいた時期があった。が、当時からトラブルが絶えなかったという。
「今回はおばあさんが被害者になっていますが、20年以上前、ここにいた頃は間違いなく“加害者”でした」
そう断じるのは、市営住宅の住民である。
「その頃は長男もいて、下の双子はまだ保育園児でした。父親はおらず生活保護を受けていましたが、母親は夜になると遊びに出かけていた。当時は“アホ”“ボケ”と、お母さんが毎日のように怒鳴っていて、家の前を通ると子どもらのすすり泣く声が聞こえてきたものです。沙喜ちゃんは金属の棒で殴られたりしてあざが目立ち、団地の階段でうずくまっている姿も、よく見かけました」
生活は荒み切っており、
「穂坂家は3階に住んでいたのですが、ベランダや共用通路にもごみが溢れ出していて、母親は窓から生ごみを投げ捨てるなど無茶苦茶でした。幼い子どもらには、おもちゃ代わりにウサギや小鳥などのペットを与えていましたが、世話は子ども任せで臭いもひどく、刺し傷のあるウサギの死骸がビニール袋に入れられて下の階に落ちてきたこともありました」(同)
あまりに苦情が多く、一家は団地の別棟への転居を余儀なくされた。が、その後もごみを散乱させるなど変わらずで、しまいには市営住宅からも追い出されていったというのだ。
そんな苛酷な環境は、きょうだいの成長にいかなる影響を及ぼしたのか。
「沙喜には軽度の知的障害があり、中学ではなかよし学級、高校は特別支援学校に通っていました」
とは、沙喜容疑者の20年来の友人。06年に兵庫県で開催された全国障害者スポーツ大会では陸上競技に出場するなど、アクティブな一面もあったというのだが、
「“お母さんは怒鳴るばかりで何もしない。私が家事や妹の世話をやらされる”と漏らしていました。高校の時、足に大きなケロイドがあるのを見つけて“どうしたん”って聞いたら“お母さんのタバコが落ちた”と言っていたけれど、わざと火を押し付けないとあんな傷にはなりません」(同)
高校卒業後は梱包作業の仕事に就いていたといい、
「その後は三宮のキャバクラやガールズバーに流れていった。そこでホストを好きになって、身ごもったのが修君。出産後は店の仲間からオムツや子ども服、ジュースをもらっていたけど、ジュースは自分で飲んでしまい、服は“ブランド品とちゃう”と捨てたり人にあげたりで、修君には届かなかった。」(同)
さらに、その姉の産んだ子を死に至らしめた主犯とされる大地容疑者もまた“片鱗”をうかがわせていた。
小学校で大地容疑者と同級生だった女性の父親が言う。
「娘が卒業間近だった04年2月のことでした。6年生と1年生が一緒に給食を食べる行事があって、娘は1年生の飲み終わった牛乳の空き瓶を手に階段を下りていました。その時、下から穂坂大地が駆け上がってきて、娘に足を引っかけて転ばせたのです。その拍子に娘は頭から落下し、右手に握っていた牛乳瓶が粉々に割れ、無数の破片が突き刺さってしまいました」
踊り場は血の海と化し、女性は直ちに救急搬送。病院に駆けつけた父は医師から「右手が動かなくなるおそれも」と告げられた。半日に及んだ大手術はひとまず成功したものの、破片は一度に除去できず、複数回の手術を要したという。
「その後、相手の母親はいっこうに謝りに来なかった。担任の先生が見かねて3月に面会をセッティングしてくれたのですが、大地を連れた母親は私を見るなり“これ、息子が悪いことしたから”と、安物のクッキーの缶を渡してきた。私は感情が抑えられないまま突っ返しました。娘はその後も入院が続き、中学へ登校できたのは1年生の2学期になってから。恐怖で数年間は階段を下りることができず、いまでも右手中指はまっすぐ伸びません」(同)
卒業後、大地容疑者は学区外の中学へと転出していったという。ちなみにこの祖母は神戸地裁に自己破産を申し立て、06年8月、免責を許可されている。
「祖母は金遣いが荒く、近隣のパチンコ屋などで散財を繰り返していました。きょうだいの一部は“母を監禁したのは浪費を防ぐためだった”と供述しています」
とは、さる捜査関係者。穂坂家には毎月、家賃補助と合わせ少なくとも約35万円の生活保護手当が支給されているとみられ、実際に、事件直前に沙喜容疑者と会食した加古川市の友人によれば、
「沙喜ちゃんは“母にお金を使われて困っている”と、悩みを口にしていました」
親の背を見て子は育つ。とはいえ、わずか6年で人生をいや応なく閉ざされた男児は、到底浮かばれまい。
「週刊新潮」2023年7月6日号 掲載