インターネット配信番組の範囲を定めた規則に反してNHKがBS番組配信に向けた予算措置を行っていた問題で、前田晃伸前会長時代の役員らが規則に関する議論をせず、稟議(りんぎ)書を回すのみで決裁していた。
ネット業務拡大に厳しい目が注がれる中、国民・視聴者の受信料で成り立つ公共放送のガバナンス(組織統治)のあり方が問われている。(文化部 辻本芳孝、笹島拓哉)
「NHKプラスでBS番組を配信することになっている」――。
BS配信設備に関する今回の稟議書が役員らに回る前の昨年秋に開催されたNHKの会議の席上、理事の一人がさも既成事実のように発言したという。出席者には口外しないようくぎを刺したというが、既にその頃からBS配信は内部で協議されてきた。
公共放送であるNHKの本来業務は放送法で「放送」と規定される。主な財源である受信料は、テレビ所有者に契約義務を課し、徴収されているからだ。このため、ネット業務は、放送を補完する任意業務に位置付けられる。
ネット業務費は年額200億円を上限とし、「実施しようとする業務が真に必要で有効なものか、受信料財源により賄うことが妥当かなどの観点から不断に点検して抑制的な管理に努める」と、総務相が認可する規則「インターネット活用業務実施基準」には明記されている。今年度予算で言えば、受信料収入6240億円のうち、ネット業務の費用は197億円。これを使って受信契約者向けに無料で提供されるのがNHKプラスだ。
NHKは配信事業を拡大したい考えだが、その実現は容易でない。そもそも民放をはるかに上回る豊富な受信料収入で運営されるNHKが、野放図に配信内容を広げれば、民業を圧迫しかねない。
実施基準ではNHKが配信できる範囲にBS番組は含まれていない。配信するには、総務相の諮問機関から答申を受けた上で変更が認可されることが必要だ。
その意味で実施基準はNHKがネット事業を行う上での大原則で、「役員なら知っていて当然」(幹部)だが、今回はそれに抵触しないかの議論もなく、理事会すら開かれぬまま、当時の正籬聡副会長や伊藤浩専務理事など一部役員らが稟議書だけで約9億円を今年度予算に盛り込んでしまった。NHKのガバナンスを行う経営委員会もそれを見抜くことができず、国会に提出され、承認された。経営委の責任も重い。
■甘い認識
今回、規則に反する行為が行われた理由について、別の幹部は、「そもそも総務省などとすり合わせて慎重に進めねばならない話なのに、承認した理事たちの中には、サービスを始める時には認可が必要だが、先行投資については認可が不要と考えていた節がある」と認識の甘さを指摘した。局内では、役員らの判断を危ぶむ職員も少なくなかったという。
結局、今回の約9億円は、使用目的を変更し、12月から始まる新BSチャンネルの広報費用などとすることで違法性はないとされる。しかし、森下俊三経営委員長は30日の記者会見で「全く知らされていなかった」と遺憾の意を表明した。
砂川浩慶・立教大教授(メディア論)は「通常のプロセスとは違うところで、役員が勝手に計画を作ってしまっている。普通であれば決めた人たちも含めて『これは今認められていない話をしているよね』と思うはずだ」と指摘。「隠す必要がないことを隠密裏に進め、問題になったら(使用目的を変えて)つじつま合わせをやっている。結局、やりたかったBS番組の配信もできなくなってしまった」と話している。
■ネット業務 肥大化恐れ
NHKのネット業務のあり方については、有識者による総務省の作業部会が昨年9月、議論を始めた。若い世代を中心にネットでの動画視聴が増え、放送のみを本来業務とする制度の下では、NHKが従来の情報の社会基盤としての役割を果たすことが困難になるという意見もある。そのため、ネット業務の本来業務化が主な論点となっている。
まだ結論は出ていないが、作業部会では、おおむねネット業務の拡大やむなしとの方向で議論が続いている。これには日本民間放送連盟や日本新聞協会から、民業が圧迫され、健全な民主主義に不可欠なメディアの多元化を脅かすといった意見が出ている。
肥大化批判をかわそうと、NHKは2021~23年度の経営計画で、経営規模のスリム化を強調。10月には受信料を値下げし、地上波とBSの両方が見られる衛星契約が月額1950円、地上波のみの地上契約が同1100円になる。衛星契約には割高感がある中、12月にはBSチャンネルが一つ削減される。
音好宏・上智大教授(メディア論)は、「今回の件は、BSの減波後に予想されるBS放送への視聴者支持の低下を防ぐ対策だったのだろう」とみる。
「組織のスリム化などが急激に進められる一方、ガバナンスの整備もうたわれていたはずだが、それらの一連の改革が実際には十分機能していなかった。NHKには、国民に向けての十分な説明と、改めてガバナンスの再整備が求められる」と話している。