今日もネットで何かが燃えている。明日もまた何かが燃える。あまたのネット炎上はときに激しく燃え盛るが、いつの間にか煙のように風に吹かれて忘れられていく。それでも続くのが人生ならば、彼らのその後はどうなったのか。炎上を経験した人たちのもとを訪ねてみた。◆“ブランコの人”として“すべらない人生”を生きる
“ブランコの人”として平成から令和と年号をまたいでも色褪せることなく、デジタルタトゥーとして刻まれている写真がある。8年前、笹本裕月さんが高校2年生のときにバケット型のブランコにハマった写真だ。
地元の友達8人くらいで公園に集合したとある夜。いつもの光景が一変した。
「ブランコに脚だけ通していたら、友達に押し込まれてハマっちゃって。友達は助けてくれないのでおばあちゃんに連絡したら、大袈裟なことになってしまった」
◆Twitterに投稿して「大阪の迷惑なDQN」と炎上
かわいい孫がブランコにハマったと聞き、祖母はすぐさま救急車を呼んだ。駆けつけた救急隊員を見て友達が笑うのはわかるが「救急隊員もニヤニヤしながら近づいてきた」という。
みんなが自分のことを笑っている。“何をしとんのや”と自分自身に呆れた。
救急隊員が四方八方から引っ張ること約15分。最終的にその場にいた女友達の「ニベアで滑りを良くしたら?」のひと言で、引っかかっていた腰骨あたりの服の上から彼女の持っていたニベアを塗ると、スルッと抜けた。
即日、友達が撮っていた写真を感謝の意を込め、「救急隊員の方ありがとうございました」とTwitterに投稿すると炎上。“大阪の迷惑なDQN”と非難された。
◆長期で炎上バブルが継続。すべらない話の鉄板に
非難に対して反省するどころか、炎上=バズることで快感を覚えた笹本さんは、翌日から自分の名前やハッシュタグ“ブランコの人”でエゴサすることが日課に。写真を撮った友達も「不謹慎だと思ったが、面白くてずっと笑っていた」とこの状況を楽しんだ。
そんなとき、「夜中に中学生がブランコを見に集まってきてうるさい」と、学校に地域住民からクレームが入る。“ブランコの人”による二次災害が起きていたのだ。
「所属していたバスケ部の顧問が生活指導担当だったこともあり、部活は1か月の謹慎処分に。謹慎中は校内清掃と地域清掃に励んで反省しました」
以来、「うかつにSNSに写真は上げてはいけない」が教訓となった笹本さん。
◆「ブランコは今でもちょっと怖い」
とはいえ地元のゲームセンターに行けば写真撮影を求められ、高校3年生のときには校内にいる一定数の“ブランコの人ファン”からの投票で体育祭の副団長にも選ばれた。
大学に進学してからは合コンで、社会人となった現在は仕事の場で、炎上を“すべらない話”として披露し、円滑なコミュニケーションを進めている。
「ブランコにハマったときは怖いし痛かったけど、今はこの経験をうまみとして有効活用するしかありません」
取材を終えて、件の公園に向かう。笹本さんは久しぶりに再会したブランコに少しだけ脚を通す。「ブランコは今でもちょっと怖い」と言いながら、いたずらっぽく笑った。
◆<炎上の経緯>
’14年6月に公園のブランコで友人たちと遊んでいたところ、ブランコにハマり抜け出せなくなり119番。その姿を写した写真がTwitterで拡散され「そんなことで税金を使って救急車を動かすな」「迷惑かけるな」と炎上した。
取材・文/週刊SPA!編集部 撮影/杉原洋平※2/7発売の週刊SPA!特集「ルポ[ネット炎上後]の人生」より