お正月、お雑煮を食べましたか? すまし汁仕立てか味噌ベースか、角餅か丸餅か、具だくさんかシンプルか……。地域や家庭によっても様々です。しかし、そもそも筆者は地元・新潟県佐渡島にいたとき、いわゆる「お雑煮」を食べたことがありませんでした。同僚に話すと驚かれ、「自分の家だけなのでは?!」と疑いのまなざしも。佐渡を離れて18年。この機会に、これまで向き合ってこなかった佐渡のお雑煮文化を調べてみることにしました。(withnews編集部・河原夏季)

【画像】佐渡の「お雑煮」はこれだった!? あなたの家はどの「お雑煮」?お雑煮と言えば…お雑煮と言えば、お餅が入っている汁ものをイメージします。年末が近づくある日、同僚とお雑煮の話になりました。「うちはすまし汁タイプで、角餅、鶏肉、大根、人参、なると、三つ葉でした」(茨城県出身)「昆布とかつおだし、うちでついた餅、鶏肉、菜っ葉、なると、ゆず。人参も入ってた気がする」(東京都出身)次々と出てくるお雑煮話を、うらやましいなぁと聞く筆者(36)。なぜなら地元・新潟県佐渡島でお雑煮を食べたことがないからです。お正月にお雑煮を食べることはテレビで知り、憧れを抱いていました。「本当に?!」「自分の家だけ食べてないんじゃないの?!」「じゃあ何食べてたの?!」驚く同僚。質問が止まりません。筆者がお正月に実家で食べていたのは、ゆでた餅にあんこをかけた一品。その他、煮物や黒豆などもありましたが、お雑煮にあたるようなものはありませんでした。しかし、質問を投げかけられるうちに自信がなくなってきました。佐渡を離れ18年。当時も今も、お雑煮について調べたことはありません。母親に聞いてみました本当に家では食べていなかったのか。まず母(62)に確認してみました。佐渡の東に位置する旧両津市内に住んでいます。返ってきた答えは「食べてないよ。よく分からないけど、うちの集落はお雑煮食べないみたいだよ」。よかった。私の記憶は間違っていませんでした。あんこ餅の記憶を伝えると、「佐渡はあんこ餅、餅を焼いたり煮たりしてあんこをつけて食べる方が多いんじゃないかな?」と返ってきました。しかし、母の母、私の祖母の実家(旧両津市の別の集落)では話は違ったようです。母は続けます。「私の子どもの頃はお正月に遊びに行くと必ずお雑煮を作ってくれたよ。鶏肉のだしのしょうゆ味で、餅、ほうれん草、かまぼこ、ゆずが入ってておいしかったよ」なぜ我が家でそのお雑煮を作ってくれなかったんだ……。まもなく89歳になる父方の祖母(同じく旧両津市在住)にも聞きました。「あん餅はするけも、特別雑煮を食べた記憶はねぇなぁ。雑煮を食べる地域もあるだろうけも。おだしを取って、中へ焼いた丸餅を入れてネギくらい落とすか知らんけど」。やはり主流はあんこ餅の我が家でした。なぜあんこ餅だったのかについては「自分たちが作っとった小豆がいくらでも取れたし、それは食文化っちゅうかな、田舎で取れるものを食べてたんだと思うよ」と話します。友達に聞いてみましたほかの家庭ではお雑煮を食べていたのか気になり、保育園から高校まで一緒に過ごした友達2人にも聞いてみました。1人は、「うち特有かもだけど、正月はお雑煮ではなくおしるこでした。お餅にあんこをかけて食べるやつ」。もう1人も「うちも雑煮は食べたことがない気がする。だいたいお餅を焼いてのり巻いて、甘じょうゆで食べてた」。お餅の食べ方こそ違いましたが、お雑煮を食べない派が近くにいました。みんな住んでいた集落は違いますが旧両津市内なので、これは地域性の問題か……。島内のほかの地域はどうなのか。文献を探してみると、40年前に新潟県教育委員会がまとめた「越佐の小正月行事」に一家庭のお正月の過ごし方が書かれていました。<朝飯にはアンモチを食べる。ゾウニは作らないが、汁餅といって味噌汁に餅を入れて食べる仕きたりになっている――新潟県教育委員会.「無形の民俗文化財記録第7集 越佐の小正月行事ー越後・佐渡の農耕儀礼調査報告書1ー」.1982,185p>これは、佐渡の北部(旧相川町)に住んでいた家庭の様子だそうです。さらにさかのぼること76年。1906(明治39)年発売の雑誌「月刊食道楽」に、佐渡の南部地域のお雑煮レシピを見つけました。<▲同佐渡郡小木△牛蒡(ごぼう)、蒟蒻(こんにゃく)、焼豆腐(やきどうふ)、盤海苔(ばんのり)――「月刊食道楽」第二巻.有楽社,1906,13p>どうやら地域によってはお雑煮を食べる習慣があったようです。現代では地域性なのか受け継いでいないからか食べない家庭もあるのかもしれません。話を聞くに、あんこ餅を食べる家庭も多そうです。結局のところどうなのか、佐渡の文化に詳しい人にお雑煮について聞くしかありません。佐渡博物館に聞きました伝統文化の保存や文化振興に取り組む、佐渡博物館の担当者に聞きました。「佐渡にお雑煮文化はあるのでしょうか?」しかし、返ってきたのは「お雑煮に関して書かれている文献がほとんどなく、調べている方もほとんどいらっしゃらないのです」という答え。担当者のご厚意で佐渡の文化に詳しい博物館OBら何人かに問い合わせてくれましたが、いずれも「分からない」とのことでした。ただ、みなさんの家庭ではあんこに丸餅を入れて食べているよう。ちなみに博物館の担当者は「豚汁のような汁にお餅を入れて食べたり、あんこ餅を食べたりしていました。ただ、地域によって違うのか、我が家が特殊だったのか分かりません」。お雑煮は家庭内で完結するため、周りと比較することは少ないのかもしれません。もしかしたら、全国のお雑煮を研究している人なら何か知っているかも……。お雑煮研究家に聞きました各地の多彩なお雑煮に魅せられ、全国のお雑煮を調べているお雑煮研究家・粕谷浩子さんに問い合わせてみました。粕谷さんは見知らぬ人に「お正月にどんなお雑煮食べていますか?」と「お雑煮ナンパ」をしてしまうほどその魅力にどっぷり浸かっているそうです。佐渡のお雑煮については、近著「地元に行って作って食べた日本全国お雑煮レシピ」(池田書店)で取り上げていました。「佐渡は『お雑煮がない』のではなく、『あんこを餅にかけたタイプのお雑煮』と捉えています。島や海沿いでおぜんざいタイプのお雑煮を食べている話を良く聞くんです」「鳥取や島根もそうですし、三重県の神島でも同様のタイプでした。汁の多い少ないの違いはあり、佐渡は少なめです。ごぼう入りのおぜんざいもあります」なんと、餅にあんこをかけたあのひと品を「お雑煮」と捉えていいなんて。ただ、粕谷さんは「地元ではそう捉えていないと思いますし、そう捉えなくていいとも思いますよ」と話します。なぜあんこ餅がベースのお雑煮が広まっているのか。粕谷さんは「小豆は邪気を取り払う食材で、祝いの時に食べられていました。お正月はとびきりの『ハレの日』です。佐渡は本土と文化も違いますし、あんこ餅を食べる習慣が残っているのでは?」と仮説を立てます。その裏付けをするべく、現在は古文書を読む勉強をしているそうです。「お雑煮はお祭りの行事食ではなく家庭料理なので、文献にも残りにくいと思います。残っているとすれば日記やお手紙といったもの。古文書を読めるようになって、プライベートな文献からお雑煮について見つけたいです」粕谷さんによると、そもそもお雑煮は正月料理ではなく、公家が食べていた高級な料理でした。庶民に広まったのは江戸時代。沖縄や栃木・佐野などお正月にお餅を食べない地域もありますが、多くの地域で独自の進化をしています。「『お雑煮』とひと口に言っても各地で食べているものが違い、地域の食文化が濃縮されているおもしろい文化です。一方で食べられなくなってきていて、高齢の方しか知らない文化もあります」「佐渡のお雑煮の聞き取り調査はできていませんが、お雑煮にまつわる物語が残っているだろうと思います。今度行って調べたいです」佐渡に限らず、お年寄りしか知らないお雑煮にまつわる経験や物語はたくさんあると思います。筆者が祖母に地元のお雑煮文化について聞いた際、「昔のことを知っとるもんがおらんなった。私の年代になるとおらんもん」ともらしていました。お雑煮について聞いていたはずが、お正月のお膳やお供え、ならわしについても話が広がっていき、久しぶりにじっくり話をしました。話を聞いていったらさらにおもしろい発見があるかもしれません。もっと祖母に電話をしよう。そう思う新年でした。
お正月、お雑煮を食べましたか? すまし汁仕立てか味噌ベースか、角餅か丸餅か、具だくさんかシンプルか……。地域や家庭によっても様々です。しかし、そもそも筆者は地元・新潟県佐渡島にいたとき、いわゆる「お雑煮」を食べたことがありませんでした。同僚に話すと驚かれ、「自分の家だけなのでは?!」と疑いのまなざしも。佐渡を離れて18年。この機会に、これまで向き合ってこなかった佐渡のお雑煮文化を調べてみることにしました。(withnews編集部・河原夏季)
【画像】佐渡の「お雑煮」はこれだった!? あなたの家はどの「お雑煮」?お雑煮と言えば…お雑煮と言えば、お餅が入っている汁ものをイメージします。年末が近づくある日、同僚とお雑煮の話になりました。「うちはすまし汁タイプで、角餅、鶏肉、大根、人参、なると、三つ葉でした」(茨城県出身)「昆布とかつおだし、うちでついた餅、鶏肉、菜っ葉、なると、ゆず。人参も入ってた気がする」(東京都出身)次々と出てくるお雑煮話を、うらやましいなぁと聞く筆者(36)。なぜなら地元・新潟県佐渡島でお雑煮を食べたことがないからです。お正月にお雑煮を食べることはテレビで知り、憧れを抱いていました。「本当に?!」「自分の家だけ食べてないんじゃないの?!」「じゃあ何食べてたの?!」驚く同僚。質問が止まりません。筆者がお正月に実家で食べていたのは、ゆでた餅にあんこをかけた一品。その他、煮物や黒豆などもありましたが、お雑煮にあたるようなものはありませんでした。しかし、質問を投げかけられるうちに自信がなくなってきました。佐渡を離れ18年。当時も今も、お雑煮について調べたことはありません。母親に聞いてみました本当に家では食べていなかったのか。まず母(62)に確認してみました。佐渡の東に位置する旧両津市内に住んでいます。返ってきた答えは「食べてないよ。よく分からないけど、うちの集落はお雑煮食べないみたいだよ」。よかった。私の記憶は間違っていませんでした。あんこ餅の記憶を伝えると、「佐渡はあんこ餅、餅を焼いたり煮たりしてあんこをつけて食べる方が多いんじゃないかな?」と返ってきました。しかし、母の母、私の祖母の実家(旧両津市の別の集落)では話は違ったようです。母は続けます。「私の子どもの頃はお正月に遊びに行くと必ずお雑煮を作ってくれたよ。鶏肉のだしのしょうゆ味で、餅、ほうれん草、かまぼこ、ゆずが入ってておいしかったよ」なぜ我が家でそのお雑煮を作ってくれなかったんだ……。まもなく89歳になる父方の祖母(同じく旧両津市在住)にも聞きました。「あん餅はするけも、特別雑煮を食べた記憶はねぇなぁ。雑煮を食べる地域もあるだろうけも。おだしを取って、中へ焼いた丸餅を入れてネギくらい落とすか知らんけど」。やはり主流はあんこ餅の我が家でした。なぜあんこ餅だったのかについては「自分たちが作っとった小豆がいくらでも取れたし、それは食文化っちゅうかな、田舎で取れるものを食べてたんだと思うよ」と話します。友達に聞いてみましたほかの家庭ではお雑煮を食べていたのか気になり、保育園から高校まで一緒に過ごした友達2人にも聞いてみました。1人は、「うち特有かもだけど、正月はお雑煮ではなくおしるこでした。お餅にあんこをかけて食べるやつ」。もう1人も「うちも雑煮は食べたことがない気がする。だいたいお餅を焼いてのり巻いて、甘じょうゆで食べてた」。お餅の食べ方こそ違いましたが、お雑煮を食べない派が近くにいました。みんな住んでいた集落は違いますが旧両津市内なので、これは地域性の問題か……。島内のほかの地域はどうなのか。文献を探してみると、40年前に新潟県教育委員会がまとめた「越佐の小正月行事」に一家庭のお正月の過ごし方が書かれていました。<朝飯にはアンモチを食べる。ゾウニは作らないが、汁餅といって味噌汁に餅を入れて食べる仕きたりになっている――新潟県教育委員会.「無形の民俗文化財記録第7集 越佐の小正月行事ー越後・佐渡の農耕儀礼調査報告書1ー」.1982,185p>これは、佐渡の北部(旧相川町)に住んでいた家庭の様子だそうです。さらにさかのぼること76年。1906(明治39)年発売の雑誌「月刊食道楽」に、佐渡の南部地域のお雑煮レシピを見つけました。<▲同佐渡郡小木△牛蒡(ごぼう)、蒟蒻(こんにゃく)、焼豆腐(やきどうふ)、盤海苔(ばんのり)――「月刊食道楽」第二巻.有楽社,1906,13p>どうやら地域によってはお雑煮を食べる習慣があったようです。現代では地域性なのか受け継いでいないからか食べない家庭もあるのかもしれません。話を聞くに、あんこ餅を食べる家庭も多そうです。結局のところどうなのか、佐渡の文化に詳しい人にお雑煮について聞くしかありません。佐渡博物館に聞きました伝統文化の保存や文化振興に取り組む、佐渡博物館の担当者に聞きました。「佐渡にお雑煮文化はあるのでしょうか?」しかし、返ってきたのは「お雑煮に関して書かれている文献がほとんどなく、調べている方もほとんどいらっしゃらないのです」という答え。担当者のご厚意で佐渡の文化に詳しい博物館OBら何人かに問い合わせてくれましたが、いずれも「分からない」とのことでした。ただ、みなさんの家庭ではあんこに丸餅を入れて食べているよう。ちなみに博物館の担当者は「豚汁のような汁にお餅を入れて食べたり、あんこ餅を食べたりしていました。ただ、地域によって違うのか、我が家が特殊だったのか分かりません」。お雑煮は家庭内で完結するため、周りと比較することは少ないのかもしれません。もしかしたら、全国のお雑煮を研究している人なら何か知っているかも……。お雑煮研究家に聞きました各地の多彩なお雑煮に魅せられ、全国のお雑煮を調べているお雑煮研究家・粕谷浩子さんに問い合わせてみました。粕谷さんは見知らぬ人に「お正月にどんなお雑煮食べていますか?」と「お雑煮ナンパ」をしてしまうほどその魅力にどっぷり浸かっているそうです。佐渡のお雑煮については、近著「地元に行って作って食べた日本全国お雑煮レシピ」(池田書店)で取り上げていました。「佐渡は『お雑煮がない』のではなく、『あんこを餅にかけたタイプのお雑煮』と捉えています。島や海沿いでおぜんざいタイプのお雑煮を食べている話を良く聞くんです」「鳥取や島根もそうですし、三重県の神島でも同様のタイプでした。汁の多い少ないの違いはあり、佐渡は少なめです。ごぼう入りのおぜんざいもあります」なんと、餅にあんこをかけたあのひと品を「お雑煮」と捉えていいなんて。ただ、粕谷さんは「地元ではそう捉えていないと思いますし、そう捉えなくていいとも思いますよ」と話します。なぜあんこ餅がベースのお雑煮が広まっているのか。粕谷さんは「小豆は邪気を取り払う食材で、祝いの時に食べられていました。お正月はとびきりの『ハレの日』です。佐渡は本土と文化も違いますし、あんこ餅を食べる習慣が残っているのでは?」と仮説を立てます。その裏付けをするべく、現在は古文書を読む勉強をしているそうです。「お雑煮はお祭りの行事食ではなく家庭料理なので、文献にも残りにくいと思います。残っているとすれば日記やお手紙といったもの。古文書を読めるようになって、プライベートな文献からお雑煮について見つけたいです」粕谷さんによると、そもそもお雑煮は正月料理ではなく、公家が食べていた高級な料理でした。庶民に広まったのは江戸時代。沖縄や栃木・佐野などお正月にお餅を食べない地域もありますが、多くの地域で独自の進化をしています。「『お雑煮』とひと口に言っても各地で食べているものが違い、地域の食文化が濃縮されているおもしろい文化です。一方で食べられなくなってきていて、高齢の方しか知らない文化もあります」「佐渡のお雑煮の聞き取り調査はできていませんが、お雑煮にまつわる物語が残っているだろうと思います。今度行って調べたいです」佐渡に限らず、お年寄りしか知らないお雑煮にまつわる経験や物語はたくさんあると思います。筆者が祖母に地元のお雑煮文化について聞いた際、「昔のことを知っとるもんがおらんなった。私の年代になるとおらんもん」ともらしていました。お雑煮について聞いていたはずが、お正月のお膳やお供え、ならわしについても話が広がっていき、久しぶりにじっくり話をしました。話を聞いていったらさらにおもしろい発見があるかもしれません。もっと祖母に電話をしよう。そう思う新年でした。
お雑煮と言えば…お雑煮と言えば、お餅が入っている汁ものをイメージします。
年末が近づくある日、同僚とお雑煮の話になりました。
「うちはすまし汁タイプで、角餅、鶏肉、大根、人参、なると、三つ葉でした」(茨城県出身)「昆布とかつおだし、うちでついた餅、鶏肉、菜っ葉、なると、ゆず。人参も入ってた気がする」(東京都出身)
次々と出てくるお雑煮話を、うらやましいなぁと聞く筆者(36)。なぜなら地元・新潟県佐渡島でお雑煮を食べたことがないからです。お正月にお雑煮を食べることはテレビで知り、憧れを抱いていました。
「本当に?!」「自分の家だけ食べてないんじゃないの?!」「じゃあ何食べてたの?!」
驚く同僚。質問が止まりません。
筆者がお正月に実家で食べていたのは、ゆでた餅にあんこをかけた一品。その他、煮物や黒豆などもありましたが、お雑煮にあたるようなものはありませんでした。
しかし、質問を投げかけられるうちに自信がなくなってきました。佐渡を離れ18年。当時も今も、お雑煮について調べたことはありません。
母親に聞いてみました本当に家では食べていなかったのか。まず母(62)に確認してみました。佐渡の東に位置する旧両津市内に住んでいます。
返ってきた答えは「食べてないよ。よく分からないけど、うちの集落はお雑煮食べないみたいだよ」。
よかった。私の記憶は間違っていませんでした。あんこ餅の記憶を伝えると、「佐渡はあんこ餅、餅を焼いたり煮たりしてあんこをつけて食べる方が多いんじゃないかな?」と返ってきました。
しかし、母の母、私の祖母の実家(旧両津市の別の集落)では話は違ったようです。母は続けます。「私の子どもの頃はお正月に遊びに行くと必ずお雑煮を作ってくれたよ。鶏肉のだしのしょうゆ味で、餅、ほうれん草、かまぼこ、ゆずが入ってておいしかったよ」
なぜ我が家でそのお雑煮を作ってくれなかったんだ……。
まもなく89歳になる父方の祖母(同じく旧両津市在住)にも聞きました。
「あん餅はするけも、特別雑煮を食べた記憶はねぇなぁ。雑煮を食べる地域もあるだろうけも。おだしを取って、中へ焼いた丸餅を入れてネギくらい落とすか知らんけど」。
やはり主流はあんこ餅の我が家でした。なぜあんこ餅だったのかについては「自分たちが作っとった小豆がいくらでも取れたし、それは食文化っちゅうかな、田舎で取れるものを食べてたんだと思うよ」と話します。
友達に聞いてみましたほかの家庭ではお雑煮を食べていたのか気になり、保育園から高校まで一緒に過ごした友達2人にも聞いてみました。
1人は、「うち特有かもだけど、正月はお雑煮ではなくおしるこでした。お餅にあんこをかけて食べるやつ」。もう1人も「うちも雑煮は食べたことがない気がする。だいたいお餅を焼いてのり巻いて、甘じょうゆで食べてた」。
お餅の食べ方こそ違いましたが、お雑煮を食べない派が近くにいました。みんな住んでいた集落は違いますが旧両津市内なので、これは地域性の問題か……。
島内のほかの地域はどうなのか。文献を探してみると、40年前に新潟県教育委員会がまとめた「越佐の小正月行事」に一家庭のお正月の過ごし方が書かれていました。
<朝飯にはアンモチを食べる。ゾウニは作らないが、汁餅といって味噌汁に餅を入れて食べる仕きたりになっている――新潟県教育委員会.「無形の民俗文化財記録第7集 越佐の小正月行事ー越後・佐渡の農耕儀礼調査報告書1ー」.1982,185p>
これは、佐渡の北部(旧相川町)に住んでいた家庭の様子だそうです。
さらにさかのぼること76年。1906(明治39)年発売の雑誌「月刊食道楽」に、佐渡の南部地域のお雑煮レシピを見つけました。
<▲同佐渡郡小木△牛蒡(ごぼう)、蒟蒻(こんにゃく)、焼豆腐(やきどうふ)、盤海苔(ばんのり)――「月刊食道楽」第二巻.有楽社,1906,13p>
どうやら地域によってはお雑煮を食べる習慣があったようです。現代では地域性なのか受け継いでいないからか食べない家庭もあるのかもしれません。話を聞くに、あんこ餅を食べる家庭も多そうです。
結局のところどうなのか、佐渡の文化に詳しい人にお雑煮について聞くしかありません。
佐渡博物館に聞きました伝統文化の保存や文化振興に取り組む、佐渡博物館の担当者に聞きました。「佐渡にお雑煮文化はあるのでしょうか?」
しかし、返ってきたのは「お雑煮に関して書かれている文献がほとんどなく、調べている方もほとんどいらっしゃらないのです」という答え。
担当者のご厚意で佐渡の文化に詳しい博物館OBら何人かに問い合わせてくれましたが、いずれも「分からない」とのことでした。
ただ、みなさんの家庭ではあんこに丸餅を入れて食べているよう。ちなみに博物館の担当者は「豚汁のような汁にお餅を入れて食べたり、あんこ餅を食べたりしていました。ただ、地域によって違うのか、我が家が特殊だったのか分かりません」。
お雑煮は家庭内で完結するため、周りと比較することは少ないのかもしれません。もしかしたら、全国のお雑煮を研究している人なら何か知っているかも……。
お雑煮研究家に聞きました各地の多彩なお雑煮に魅せられ、全国のお雑煮を調べているお雑煮研究家・粕谷浩子さんに問い合わせてみました。
粕谷さんは見知らぬ人に「お正月にどんなお雑煮食べていますか?」と「お雑煮ナンパ」をしてしまうほどその魅力にどっぷり浸かっているそうです。
佐渡のお雑煮については、近著「地元に行って作って食べた日本全国お雑煮レシピ」(池田書店)で取り上げていました。
「佐渡は『お雑煮がない』のではなく、『あんこを餅にかけたタイプのお雑煮』と捉えています。島や海沿いでおぜんざいタイプのお雑煮を食べている話を良く聞くんです」
「鳥取や島根もそうですし、三重県の神島でも同様のタイプでした。汁の多い少ないの違いはあり、佐渡は少なめです。ごぼう入りのおぜんざいもあります」
なんと、餅にあんこをかけたあのひと品を「お雑煮」と捉えていいなんて。ただ、粕谷さんは「地元ではそう捉えていないと思いますし、そう捉えなくていいとも思いますよ」と話します。
なぜあんこ餅がベースのお雑煮が広まっているのか。粕谷さんは「小豆は邪気を取り払う食材で、祝いの時に食べられていました。お正月はとびきりの『ハレの日』です。佐渡は本土と文化も違いますし、あんこ餅を食べる習慣が残っているのでは?」と仮説を立てます。
その裏付けをするべく、現在は古文書を読む勉強をしているそうです。「お雑煮はお祭りの行事食ではなく家庭料理なので、文献にも残りにくいと思います。残っているとすれば日記やお手紙といったもの。古文書を読めるようになって、プライベートな文献からお雑煮について見つけたいです」
粕谷さんによると、そもそもお雑煮は正月料理ではなく、公家が食べていた高級な料理でした。庶民に広まったのは江戸時代。沖縄や栃木・佐野などお正月にお餅を食べない地域もありますが、多くの地域で独自の進化をしています。
「『お雑煮』とひと口に言っても各地で食べているものが違い、地域の食文化が濃縮されているおもしろい文化です。一方で食べられなくなってきていて、高齢の方しか知らない文化もあります」
「佐渡のお雑煮の聞き取り調査はできていませんが、お雑煮にまつわる物語が残っているだろうと思います。今度行って調べたいです」
佐渡に限らず、お年寄りしか知らないお雑煮にまつわる経験や物語はたくさんあると思います。筆者が祖母に地元のお雑煮文化について聞いた際、「昔のことを知っとるもんがおらんなった。私の年代になるとおらんもん」ともらしていました。