「流石にこれはただごとではない」……実家で自堕落な生活を送った結果、体が動かなくなってしまった20代青年を襲った病とは? 在米10年目のアラフォー駐在員US生活&旅行さんが、自身の体験をまとめた『底辺駐在員がアメリカで学んだギリギリ消耗しない生き方』(KADOKAWA)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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仕事のストレスから実家に戻り、自堕落な生活を送っていた青年を襲った病とは? 写真はイメージ getty
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私は20代の約5年間、フリーターでした。むしろ、ニートに片足を突っ込んでいた状態だったと言ってもいいかもしれません。
大学卒業後は一般企業に新卒で入社し、営業職として働いておりましたが、なぜその会社を選んだのか、なぜその職業を選んだのか、今思い返してもよくわかりません。
中学高校時代から、「やりたいことは? なりたい職業は?」と聞かれても何も思いつかず、いつも「やりたいことはありません」と答えて、先生に呆れられていた記憶がございますが、それは大学に入っても変わりませんでした。
やりたいことはないが、周りが就職活動をしているので、自分も何となく就職活動をして、何となく社会人になった、というのが正直なところです。
自分の性格や適性も考えずに何となく入社した会社でしたが、営業職ですから、新卒であっても新規顧客開拓の成績が求められます。
しかし、人と話すことが苦手な私は営業に向いておらず、当然のことながら成績はまったく上がりませんでした。
朝起きて、会社へ行って、外回りに行って、ちょくちょく公園でサボりつつ、適当に仕事をして、会社に戻って上司に怒られる毎日。
やがて怒られることにも慣れ、奮起する、努力するということもなくなり、成績が上がらなくても最小限食べていける給料さえ貰えればOKと考える、やる気ゼロのダメ社員になっていきました。
何となく社会人になったものの毎日が面白くもなく、向上心の欠片もない人間へと流されていた頃、仕事を離れたところでも生活が荒んでおりました。
その当時は東京で一人暮らし。朝食は食べず、昼頃にファストフードを炭酸飲料片手にドカ食いし、夜も油っぽい食事だろうがお構いなしに食べるという毎日でした。
加えて、休日はお昼過ぎまで寝ているという体たらく。趣味がないので、外出もせず家でゴロゴロしているだけで、運動もせず、部屋の掃除や洗濯もまともにせず、不健康極まりない生活をしておりました。
今、その当時の自分を思うと虫唾が走ると言いますか、もしも、その当時の自分に会えるなら、ぶん殴ってやりたいくらいです。
そんな暮らしを続けて2年になろうかという頃、体がだるくて会社へ行くのが徐々に億劫になり、休日も布団から起き上がるのが辛くなってきました。
子どもの頃から大きな病気をしたことがなく概ね健康だった私は、「体がだるいのは自分がぐうたらになったせいだ」と思い込んでおりました。
仕事がつまらなくてぐうたら生活に陥っても、収入がなくなるのは困るので、仕事を辞めることは考えていませんでした。ところが、体は日に日に辛くなる一方です。
そんなときにぼんやりと頭に浮かんだのは、就職活動を始めた頃からよく耳にした「3年は同じ会社にいたほうがいい。仕事が続かず、早く辞めると、経歴に傷が付き次の仕事が見つけにくくなる」という言葉でした。
大した学歴も職歴もなく、経歴に傷が付くも何もないのですが、「仕事を続けるか、辞めて一旦ラクになるか」と一応悩み、3年続けるのは無理そうなので、区切りのいいところまで頑張ろうと決め、新卒入社した会社を2年間勤務して辞めました。
趣味もなく、休日も何もしないつまらない人間だったおかげで貯金が数百万円あり、次の仕事が見つかるまで「何とかなるだろう」と軽く考えておりましたが、実際は、そう甘くはありませんでした。
フリーターとも、ニートとも言えるような生活が続き、次に正社員の職につくまで紆余曲折あり、6年もかかってしまったのでございます。
仕事を辞めてからは、家賃を節約するために一旦実家に身を置きました。
親のお金で大学に行き、社会に出た20代半ばの野郎が、「体が辛いから仕事を辞めた」と言って実家に戻ってくるなど、世間一般ではあり得ないことだと思いますので、両親はよく許してくれたものです。
仕事のストレスから解放されれば体調も戻るだろうから、就職活動も体調が戻ってから始めようと考えておりましたが、当時の私はホントにダメ人間でございましたので、一旦仕事のストレスのない生活に慣れ、甘い汁を味わってしまいますと、なかなか普通の生活には戻れません。
子どもが風邪をひいて学校を休むと、やがて行くのが億劫になり休み癖がついてしまうのと同じで、絵に描いたようなぐうたら生活から抜けられなくなっていきました。
両親が仕事に行って誰もいなくなった昼頃に起き出し、テレビを観ながら好きなものを食べたいだけ食べる。しかも、1日5食。本能のままに過ごす生活は、飛ぶような速さで一日が終わっていきます。
また、そうした自堕落な生活をしておりますと不思議と何もかもやる気が失せていくもので、再就職活動はもちろん、外出するのも、風呂に入るのも、果ては着替えるのや体を起こすのさえ面倒になってしまうものなのです。
家の中で動かなくなると、少しでも動くと疲れるようになり、ますます不健康になるという悪循環で、再就職からはどんどん遠のいていきました。
あのままの状態が続いていたら、テレビ番組の「8050問題」として取り上げられても、まったくおかしくなかったと思います。
自分でボーダーラインを経験したから痛感いたしますが、社会とつながっていられるか、引きこもってしまうかの境目は、本当に紙一重。
こうして仕事ができるようになったのは、ある出来事が起き、自分の人生を反省したからでございます。
その出来事は、何の予兆もなく、やってきました。
朝起きようとすると、首から下が麻痺していて、体がまったく動かないのです。
ある朝目覚めると、自分が巨大な虫になっていたというフランツ・カフカの小説『変身』ではありませんが、自分に何が起きているのかわからないのは、恐怖でしかありません。
当初、両親はすぐに良くなるだろうと考え、あまり心配していなかったようです。ところが1日以上一人でお手洗いにも行けず、まったく動かない私を見て、「流石にこれはただごとではない」と感じたようで、体が動かなくなって24時間以上経ってから病院に連れていかれた次第でございます。
父親に背負われて病院に向かい、検査、即入院となりました。
20代半ばの男が親に背負ってもらうのは、とてつもなく恥ずかしく、悲しく、情けなく、そのときの気持ちは今も忘れることができません。
病院での検査結果は、甲状腺機能亢進症の一つ、いわゆるバセドウ病です。
入院時の体重は、わずか53kg。身長175cmの私の適正体重をBMI(Body Mass Index)計算式を使って求めますと67.38kgとなりますから、53kgはかなりの低体重状態でございます。
その頃の私は1日5食の超大食い生活をしていたこともあり、自分が痩せているとか、ましてや病気を患っているとは思ってもおりませんでした。 しかし、安静状態で血圧は上が200超、脈拍は1分間に120超の頻脈ですから、常にジョギングしているような状態が続き、体重が知らず知らずのうちに落ちていたのです。 別の言い方をしますと、カロリー消費量が異常で、代謝がめちゃくちゃ良い状態になっていた、ということです。ダイエットされている方からは羨ましいと思われるかもしれませんが、なんでも行き過ぎると危険なものでございます。 ちなみに、朝起きたときの体の麻痺も、この病気の特徴でございます。麻痺はすぐに良くなり退院できましたが、安静時=ジョギング状態、徒歩=全力疾走くらいに感じる体力の消耗は、通院しながら治療していくこととなりました。〈「わずか7年で家賃は2.5倍」「近隣住民が警察に連れていかれる」ことも…あまりにスリリングな「アメリカの住宅事情」〉へ続く(US生活&旅行/Webオリジナル(外部転載))
その頃の私は1日5食の超大食い生活をしていたこともあり、自分が痩せているとか、ましてや病気を患っているとは思ってもおりませんでした。
しかし、安静状態で血圧は上が200超、脈拍は1分間に120超の頻脈ですから、常にジョギングしているような状態が続き、体重が知らず知らずのうちに落ちていたのです。
別の言い方をしますと、カロリー消費量が異常で、代謝がめちゃくちゃ良い状態になっていた、ということです。ダイエットされている方からは羨ましいと思われるかもしれませんが、なんでも行き過ぎると危険なものでございます。
ちなみに、朝起きたときの体の麻痺も、この病気の特徴でございます。麻痺はすぐに良くなり退院できましたが、安静時=ジョギング状態、徒歩=全力疾走くらいに感じる体力の消耗は、通院しながら治療していくこととなりました。
〈「わずか7年で家賃は2.5倍」「近隣住民が警察に連れていかれる」ことも…あまりにスリリングな「アメリカの住宅事情」〉へ続く
(US生活&旅行/Webオリジナル(外部転載))