県教委は22日、兵庫県太子町沖代の沖代(おきだい)遺跡で縄文時代後期の竪穴住居の遺構5棟が見つかったと発表した。この時期の住居跡が、炉や柱の配置が分かる形で3棟以上まとまって出土したのは県内で初めて。石器、土器も大量に見つかり、九州や四国など広い範囲の交流があったことも分かった。
【吉野ケ里遺跡 石棺墓の石蓋開く 「謎のエリア」1800年ぶり】 県道整備に伴い約1400平方メートル(幅約16・5メートル、長さ約89メートル)を調査。土器の大半が特定の型式(元住吉山式擬阿料梓)だったことから約3700年前(縄文時代後期中ごろ)の集落で、約50年で別の場所に移動したと考えられるという。

5棟はいずれも直径4~5メートルで、約20メートルの範囲にかたまって見つかった。住居の中央に炉の跡があり、周りに数カ所の柱穴があった。矢じり、ナイフなどの石器は香川県産のサヌカイトが使われ、九州地方の土器の一部もあった。男性器をかたどった石棒(長さ約37センチ)と、東海地方に分布するタイプの土偶の一部(右側のでん部)も見つかり、いずれも祭祀(さいし)に使われたとみられる。 立命館大の矢野健一教授(考古学)は「石棒と土偶の両方が見つかったことで拠点的な集落だったと考えられ、貴重な遺跡だ」と話している。 現地説明会は24日午前11時。JR網干駅から徒歩約20分(駐車場なし)。雨天中止。現地事務所(079・277・6222)。【村元展也】
県道整備に伴い約1400平方メートル(幅約16・5メートル、長さ約89メートル)を調査。土器の大半が特定の型式(元住吉山式擬阿料梓)だったことから約3700年前(縄文時代後期中ごろ)の集落で、約50年で別の場所に移動したと考えられるという。
5棟はいずれも直径4~5メートルで、約20メートルの範囲にかたまって見つかった。住居の中央に炉の跡があり、周りに数カ所の柱穴があった。矢じり、ナイフなどの石器は香川県産のサヌカイトが使われ、九州地方の土器の一部もあった。男性器をかたどった石棒(長さ約37センチ)と、東海地方に分布するタイプの土偶の一部(右側のでん部)も見つかり、いずれも祭祀(さいし)に使われたとみられる。
立命館大の矢野健一教授(考古学)は「石棒と土偶の両方が見つかったことで拠点的な集落だったと考えられ、貴重な遺跡だ」と話している。
現地説明会は24日午前11時。JR網干駅から徒歩約20分(駐車場なし)。雨天中止。現地事務所(079・277・6222)。【村元展也】