《石破首相に読売トップが謝罪》報道で蒸し返された「退陣スクープ」はどのようにして作られたのか

週刊文春は8月28日号で、《石破首相 強気のウラに読売の“謝罪”があった!》と題し、「石破首相 退陣へ」と報道した読売新聞グループ本社の山口寿一社長と石破茂首相が面会し、山口社長が「退陣報道」を釈明したことなどを報じた。読売はこれを受けて「事実無根」「名誉が著しく毀損された」と抗議し、謝罪と記事の取り消しを求めているが、そもそも「退陣報道」はどのようにして作られたのだろうか。
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首相の退陣報道をめぐって読売は7月23日、「石破首相 退陣へ」との見出しで号外を配布して「月内にも退陣表明の方向」と報じた。翌24日朝刊でも、「退陣」の続報を出すなどしたが、石破氏は即座にこれを否定した。月内どころか8月後半に差し掛かっても石破氏は辞任するどころか「石破おろし」をはねのけて続投のスタンスを崩していない。そのため、読売のスクープは誤報ではないかとの指摘が浮上していた。
文春記事はこういった経緯を踏まえ、8月4日からの週に石破氏と面会した際に山口氏が《謝罪の意を表明したという》《「政治部はアンタッチャブルで、(社会部出身の)自分は制御がきかなかった」》《「退陣へ」報道について釈明をした》――などと報じた。
「確認したところ、両者の極秘の面会は間違いなくあったようです。そこで何を話したのかはハッキリとしませんが、読売による退陣報道直後の接触なのでそれに触れないわけはないよねというふうに仲間内で話しています」
と、他社の政治部デスク。読売側は今回の謝罪報道について「虚偽の事実を断定的に報じたのは極めて悪質」だとしている。
「個人的に聞いたところでは、読売記者の取材はとてもしっかりしたものだったとのことです。山口氏が石破氏に謝罪したか否かはわかりませんが、少なくとも取材に問題がなかったのであれば頭を下げる必要はないように感じました」(同)
そもそも退陣報道はどのように進められたのか。
「石破政権を支える屋台骨の森山裕幹事長にももちろん取材はしていたとは思いますが、首相の退陣を報じるにあたってそれだけでは十分でなく、これ以上ないところ、つまり石破氏本人から“辞任”の意思を確認する必要があります。石破氏は参院選での敗北が現実味を帯びて行く中で退陣は不可避と考え、そのことを7月20日の開票日前から読売記者も把握していたとのことです」(同)
読売は開票翌日の21日にも「退陣へ」と報じることは可能だったようだが……。
「最終的に自公で47議席を獲得し、石破氏は“思ったほど負けなかった”“投げ出さずに頑張れば状況を好転させられるのではないか”などと考え始めたようなのです。心変わりと言うか“辞めるのをやめるかもしれない”ことが読売記者に伝えられた結果、参院選直後の退陣報道は回避されたのではないかと見られています」(同)
ところが、23日に退陣が報じられる。号外に至るまで両者間でどんなやり取りがあったのだろうか。
「そこはハッキリとしないのですが、読売は改めて石破氏本人から退陣の意思を確認したようです。号外を出すにはそれなりにお金がかかりますから、聞き間違いやとらえ違いがないかどうかこれ以上ないチェックを済ませ、記事に相当な自信があったことは想像にかたくありません」(同)
しかし、石破氏は報道を全面否定した。
「良し悪しは別にして、少し前の考え方と現状との間に齟齬があっても意に介さないというのが石破氏のキャラクターだと言われています。個人的に経験はありませんが、過去の退陣報道も首相本人から確認せずになされたことはほとんどないと思います。今回も同様だったと見られていますが、辞めていない以上、誤報扱いもやむなしではありますね」(同)
権力者は孤独ということに尽きるのかもしれないが、永田町界隈では「石破氏は当時何を考えていたのだろうか」がミステリーのように語られている。「いまだ辞めないのはなぜか」と同様、明快な答えに行き着いた者はまだいないという。
デイリー新潮編集部