「スマホ1日2時間条例」無意味と批判する人の誤解

愛知県豊明市で提案された「スマホ1日2時間」条例が波紋を呼んでいます(写真:今井康一撮影)
【写真】誤解が多い、「スマホ1日2時間」条例。実際の中身は…
ここ数日間で最も身近なニュースといえば、「スマホ1日2時間の条例」ではないでしょうか。
若年層は「無理」「守る気はない」と反発し、親世代は「健康のためにはいいことだけど……」「子どもだけの話ではないのか」と戸惑い、中高年は「そんなに使うものなの?」「市がやること?」とピンとこないなど、さまざまな声があがっています。
このニュースは、8月25日に愛知県の豊明市議会が「豊明市スマートフォン等の適正使用の推進に関する条例」案を提出。9月22日に採決が行われ、可決されれば10月から施行されるようです。
スマホに関するニュースはこれだけではありませんでした。27日には韓国で、小・中・高校生の授業中のスマホなどの使用を制限する改正法案が可決。2026年3月から施行され、制限の基準や罰則などは各校で定めるとされています。
それ以外の国でも、オーストラリアでは2024年11月に世界で初めて16歳未満のSNS使用を禁止する法案が可決され、2025年12月から施行。アメリカでも学校でのスマホ禁止やSNSの利用制限を行う州があるほか、フランスでも15歳未満のSNS利用を制限する方針であるなど、世界的な動きがあることは間違いないでしょう。
では日本でもスマホやSNSを使用制限していくのは当然なのか。子どもだけでなく大人にも使用制限したほうがいいのか。
条例案のニュースが報じられてからの3日間、小・中・高校生とその親、未婚の社会人、中高年層の計72名から直接聞いた話を交えながら、制限のある・なし、それぞれの恩恵と弊害を掘り下げていきます。
豊明市の条例案を見ていくと、「仕事・家事・学習時間・移動時間などを除く余暇時間にスマホなどを使用する場合、1日2時間以内を目安とする」「対象はすべての豊明市民約6万8000人と市内の学校に通う18歳未満の子どもで、小学生以下は21時まで、中学生以上の未成年は22時まで」「スマホだけでなくパソコン、タブレット、ゲーム機器なども含む」「目安であり、違反しても罰則はなし」などの内容が明かされています。
なぜ豊明市はこのような条例案を提出したのか。
小浮正典市長はその狙いについて、「『不登校の子どもたちがスマホを手放せないために家に閉じこもってしまう』という問題からスタートしています。全住民が自分のそれぞれのスマホの使い方を見つめ直して、自分や家族の生活がないがしろにされていないか、見つめ直すきっかけとしてほしい」などと語っていました。
市民には自分の健康や、大切な人とのコミュニケーションを大事にしてほしいという思いが感じられます。
さらに注目すべきは、小浮市長らが「2時間」の制限にこだわっているわけではないこと。むしろ「支障がなければ3~5時間になっても問題ない」というスタンスを明かしています。罰則のない目安であることも含め、“提案”あるいは“スローガン”というニュアンスの条例案といっていいでしょう。
そのうえで書いておきたいのは、全国から豊明市への批判は無用であること。
すでに市内ではなく市外から多くの電話があり、その9割が「反対」であることが明かされていますが、条例案は議論のきっかけを与えてくれたようなものにすぎず、少なくとも現時点での過剰反応は不要でしょう。
逆に「自分や家族のスマホ使用時間を確認して、適正な使い方を考えるチャンスをもらった」というポジティブな受け止め方をしたいところです。
では、スマホをはじめとするデジタルデバイスの使用制限はあったほうがいいのか。それとも、ないほうがいいのか。それぞれどんな恩恵と弊害が考えられるのでしょうか。
条例に対する反響を受けて、豊明市が公式サイトで発表した内容(写真:豊明市の公式サイトより)
今回、情報番組のコメンテーターの発言を見ても、ネット記事のコメント欄を見ても、多くの大人が「反対」のスタンスを採っていることに驚かされました。
特に多かったのは「行政が口を出す問題ではない」「自分と家庭で考えて決めること」「罰がないならどうせ守らないし、こんなものは無意味」などの声。どれも一理こそあるものの、一方でそのように割り切れず、「行政に頼りたい」「罰則なしでも意味はある」という人々もいるのです。
今回話を聞いた11歳と7歳の子を持つ母親は、「子どもたちも夫もスマホを見てばかりで会話が少なく、話しかけても生返事ばかり。やめてと言っても私の言うことは聞きません」と話していました。
さらにその言葉を聞いていた14歳と11歳の子を持つ母親も、「ウチもほとんど同じで、家族旅行しているのに子どもはスマホやタブレットばかり見ていました。旅館に着いても観光スポットに着いてもそうでしたし、夫もあきらめたのか注意するのではなくスマホを見ていました。せっかくの旅行が台なしです」と嘆いたのです。
そんな2人の母親に今回の条例案について聞くと、「子どもたちも夫も私が言っても聞かないから行政に言ってほしい」「目安だけでも『守らなければいけない』『みんなそうしている』と言えるだけで助けられる親はたくさんいる」などと話していました。
また、仕事で子どもの教育に携わっている30代女性は、「深夜の24時前後までYouTubeやゲームをしている小中学生は珍しくありません」と断言。
「寝不足で遅刻するし、学校に行ってもだるそうで、食欲もなく給食も少量のみ。親の中には怒っても優しくしても突き放しても、子どもを変えられなくて悩んでいる人がたくさんいます」などと深刻さを明かしました。
さらにこのようなエピソードは学生の話だけではなく職場でも同様。
話を聞いた中にも、「ずっとスマホを横目に仕事している後輩がいる」「仕事の効率が下がるから何度か注意したけどやめないし、逆恨みされてパワハラと言われるのも怖い」と悩まされる30代男性がいました。彼も「罰則なしの目安でもいいから制限をかけてほしい」と思っていたのです。
これらを「当事者の問題」と斬り捨てるのは簡単ですが、年齢や環境を問わず人々の健康的な暮らしを守っていくためには、地域や国のサポートが必要な時代になったのかもしれません。
批判の中には、「強制的にやめさせるのは違法」などと条例案の内容を読んでいないであろう人の強烈な否定もありました。
ただこれは裏を返せば、これほど強烈に否定したのは、自分を守るための防御本能が働いたということでしょう。それだけスマホなどのデジタルデバイスが重要ということであり、そういう人こそ自分ではない第三者からの客観的な指摘が必要にみえます。
2024年度の総務省調査によると休日のインターネット利用時間は、10代が5時間16分、20代が5時間3分、30代が3時間38分、40代が3時間19分、50代が2時間45分、60代が2時間11分、70代が1時間でした。
やはり10代・20代の利用時間は突出していますし、その上の年代も仕事や家事などで忙しいにもかかわらず長いことに気づかされます。
もちろんデジタルデバイスの使用は個人の自由ではあり、尊重されるべき一方で、「自己責任に任せるべき」と議論を終了させられない背景も少なくありません。
その筆頭は心身の不調と、それに伴う損失や事故。
デジタル画面を長時間見ることで眼の異常だけでなく、首や肩の凝り、頭痛や腰痛、手足のしびれ、不安などの精神症状が表れる“デジタルデバイス症候群”、目の筋肉が緊張した状態が続くことで老眼と同様の症状が表れる“スマホ老眼”、脳が疲労して物忘れ、集中力・記憶力の低下、言語障害などの認知症と似た症状が出る“スマホ認知症”などのリスクがあり、仕事や勉強のパフォーマンス低下ならまだしも、事故などで他者を巻き込んでしまうケースは避けたいところです。
その他でも「歩きスマホの人にぶつかられた」「スマホを見ながら自転車に乗っている人にぶつかられそうになった」「飲食店でスマホを使っている人が席を占領して待たされ続ける」「トイレの個室に入りたいのに、スマホを使うために居座っている人がいる」「信号待ちや渋滞のときにスマホを見るため、後続車に迷惑をかける」など、他者に迷惑をかけられた経験がある人は少なくないでしょう。
重大事故に巻き込まれてしまう最悪のケースを考えても、もはや「自己責任」では自分と大切な人を守り切れない時代になったのかもしれません。これらの行為を行う人は自身が認めなくても、他人からは“スマホ依存”に見えるのではないでしょうか。
今回話を聞いた人々の中には、「0歳のころからタブレットでYouTubeを見ていて、5歳になった今では充電が切れただけで怒るようになってしまった」「2歳児なのにトイレや風呂にもタブレットを持ち込む」という子どもがいました。
その一方で「スマホに買い換えてからずっと使っていて妻にあきれられている」「以前はテレビを見ていたが、最近は気づくと一日中パソコンを見ている」という70代もいました。
すでにネット依存は0歳からはじまり、それが高年層まで続くリスクがある時代といっていいのではないでしょうか。
その意味で、まだ自制心が十分ではなく犯罪に巻き込まれるリスクが高い子どもだけでなく、大人たちにもある程度の制限は必要なのかもしれません。
ただ、その制限は豊明市の条例案がそうであるように、各家庭内で決めるのが理想でしょう。また、子を持つ親はできる限り同じルールを自分にも課すことで子どもを導きたいところです。
しかし、もし「各家庭内で決める」という性善説の方法がうまくいかず、自分を傷つけ、他人からも傷つけられるケースが増えたらどうすればいいのか。
たとえば、スマホそのものではなくSNSや動画視聴などの利用制限を設ける。行政が罰則つきの利用制限を作り、監視する。デジタルデバイスの使用で他者を傷つけた時の損害賠償を大きくするなど、安心して過ごしていくための議論が必要でしょう。
その安心こそが、デジタルデバイスの使用を制限することで得られる最大の恩恵。自分と大切な人の健康と安全、ひいては社会のあり方への安心感が得られるでしょう。
さらにデジタルデバイスを使用していた時間をコミュニケーションにあてられたら、相互理解や円満な関係につながるなどのメリットも考えられます。
デジタルデバイスを使うほど得られる情報量は増える一方で、考える機会が減って想像力を働かせる機会も減りやすいもの。
また、デジタルデバイスを使いこなす人ほど情報処理力は上がる一方で、ここぞの集中力が下がりやすい傾向が見受けられます。自らデジタルデバイスの使用制限をすることで、想像力や集中力が上がるかどうか、試してみてはいかがでしょうか。
さらにもう1つ、自分で確認してほしいのは、デジタルデバイスから得た多くの情報は本当に必要なものなのかということ。心に残り、自分に好影響を与えるものなのか。限りある貴重な時間をかけるにふさわしいものなのか。
もしあなたが「必要」「好影響」「ふさわしい」と言い切れるのであれば利用制限は不要でしょう。
逆に「必要」「好影響」「ふさわしい」と言い切れないのであれば、多少の利用制限をしていいのかもしれません。もちろんデジタルデバイスには人生を豊かにするものもたくさんありますが、利用時間が増えるほどそれ以外の時間が充実していないことの裏返しになっていくのも事実でしょう。
その意味で「スマホを見ることを忘れて夢中になっていた」「楽しくてSNSにアップするのを忘れていた」という瞬間をいかに作るかが、令和を生きる私たちの課題といってもいいのではないでしょうか。
最後にもう1つふれておきたいのは、デジタルデバイスの利用を制限しても制限しなくても、過程の段階にすぎないということ。それぞれどんな恩恵と弊害があるのか。推察と事実を混同させず、個人としても組織としても議論と検証を続けていくことが重要でしょう。
筆者が話を聞いた人々の多くは、「今回のニュースを見て自分のスマホ利用時間を調べたら思っていたより多かった」と言っていました。これを機にデジタルデバイス全体の使用、ひいては生活全体のあり方について考えたとしたら、それだけであなたにとって意義深いニュースだったのではないでしょうか。
(木村 隆志 : コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者)