「ミャクミャクに笑顔で手を振りながら去っていった」退陣表明をした石破首相がどうしても叶えたかった“個人の夢”とは《自民党関係者が明かす》

「退陣表明をした首相はどこか肩の荷がおり、足取りがとても軽く見えました」──そう語るのは、政治部総理番の記者だ。
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9月7日夜、首相官邸で自身の退陣の記者会見に臨んだ石破茂首相。「選挙結果に対する責任は総裁たる私にある」と辞任の理由を説明した。選挙結果とはいうまでもなく、自民・公明両党で議席が過半数割れすることになった7月の参院選の大敗のことだ。
参院選の投開票日は7月20日であり、首相は退陣の決断を下すまでに50日もの日数を要した。その理由について、全国紙政治部記者はこう解説する。
「首相は7日の記者会見で、トランプ政権との関税協議に区切りがついたことを退陣のタイミングとして強調していました。しかし、自民党内の見方は違います。
首相はここまで、党内で実施を求める声が高まっていた『総裁選の前倒し』という最大の課題に直面していました。8日には、国会議員や都道府県連の代表者から賛否の意思確認を行う手続きが迫っていた。総裁選の前倒しは『石破おろし』を意味し、続投したい首相は前倒しに賛成の『反石破』勢力を牽制するため、『衆院解散』のカードもちらつかせていたほどです。
しかし、『衆院解散』に理解は広がらず、6日夜には菅義偉・副総裁と小泉進次郎・農水相が首相公邸を訪れ、首相に退陣を促しました。8日の総裁選前倒しの賛否を迎えてしまうと、党内の分断が修復不能なレベルに達してしまうことを菅氏らは危惧したようです。そんな状況に、石破氏は抵抗しきれなくなった」
石破氏は、なぜ首相という立場にこだわり続けていたのだろうか。
「7月の参院選の前にも、党内では首相を辞任せよという声が高まっていました。しかし、当時『戦後80年談話』を出したがっていた。
石破氏は時の政権幹部を批判することが多く、『後ろから鉄砲を撃ってばかり』と揶揄されてきましたが、ブレなかったことの一つが『反安倍(晋三元首相)』であることでした。安倍氏が出した『戦後70年談話』を意識し、それとは違った歴史観を持つ首相は『石破談話』の発出を探っていた。しかし、結局は党内の反発を招いて見送ったのは報道に出ていたとおりです」(同前)
散々な結果となった参院選以降も、なかなか辞めなかった理由についてはこう推測する。
「戦後80年談話と並んで首相が意欲を示していたとされるのが米ニューヨークで開かれる国連総会への出席なんです」
国連総会は毎年9月に開催され、「国連ウィーク」と呼ばれる期間には各国の首脳らによる一般討論演説が行われる。別の自民党関係者は「国連総会での演説は首相の夢だったようだ」と話すのだ。
「国連総会での演説は、日本の首相として自国を良い方向に導く政策とは異なり、個人の夢に近い。それは周囲にも、折りにふれて伝えてきた。これまで彼は紆余曲折ありながらも、『防衛大臣になりたい』『首相になりたい』という夢を叶え続けてきました。そして8日には岩屋毅外相が、国連総会に首相が出席する意向であることを明らかにしました。彼としては最後にまた一つ、夢を叶えられそうなわけです」
この先も混迷が続く自民党。ある政治部総理番の記者はこう話している。
「退陣表明をした首相はどこか肩の荷がおり、とても足取りが軽く見えました。首相官邸の入り口付近には、大阪万博のマスコットのミャクミャクの人形が置いてあるんですが、これは電源を切り忘れると、センサーが反応して『大阪万博盛り上がっているね』などと喋るんです。
シリアスな外交の場面で、外国の要人が通ったことに反応して永遠に喋り続けるミャクミャクが空気を台無しにすることがあるのですが、そんなミャクミャクに笑顔で手を振りながら去っていく首相が印象的でした」
総裁選前倒しを求める議員らとの衝突を避けた石破首相。重責を肩からおろし、国連に出席する夢の道筋にも目処がたったようだ。