「この変な臭い、どこから…」目の前にはコタツの横で“失禁した80歳の母”…転職活動中に「母の認知症」に気づいた41歳男性の悲劇

「お母さん、どうしちゃったの?」「わかんねぇ、わかんねぇ」――転職先を探し始めた矢先、母に異変が起きた。
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かつて飛び込み営業に情熱を燃やした“僕”。転職を重ね、ようやく次の一歩を踏み出そうとしていたその時、80歳の母が認知症を発症し、いきなり介護の現実と向き合うことになった。高齢者人口率は29.4%、家族に認知症が決して他人事とはいえない日本の現在地とは……。認知症の母を7年間在宅で介護し続けてきた御厨謙氏の新刊『キャバクラ店員へとへと裏日記』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
写真はイメージ getty
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三流大学の学生だった僕が、就職活動を経て、OA機器の販売会社に入社したのは今から41年前の1984年、22歳の時です。仕事は飛び込みセールスでコピー機、ファクシミリ、ワープロを毎日百件くらい訪問販売していました。
当時の僕は仕事に燃えていました。口八丁手八丁で相手を口説き落として、商品を売ったときには、何かを成し遂げたような興奮を覚えたのです。若かったのでしょう、何をするにも新鮮な楽しみがありました。
しかし毎日、毎日同じことの繰り返しで嫌になってしまい、3年半で退社しました。それから二、三社転職をします。一回転職癖がつくとなかなか長く勤める甲斐性をなくすもので、我ながら社会人劣等生。ダメ人間だと思います。
そして社会人として最後に勤めた会社が倒産してしばらく仕事を探していた41歳の時に“事件”が起こります。当時、実家の持ち家で、僕と二人で暮らしていた母(当時80歳)が認知症になってしまうのでした。
認知症は脳の病気や障害が原因で、記憶や判断能力などの認知機能が低下し、日常生活に支障をきたす状態のことです。高齢者が加齢によって発症する場合は、一般に『ボケ』とも呼ばれています。
現代医学では治療は困難で、ひとたび発症すれば日を追うごとに進行していき、ついには一人で生活ができなくなり、介護が必要な状態になることも珍しくありません。母はその一歩手前の状態でした。
話を戻すと、当時すでに父は他界し、唯一の姉弟である姉は結婚して別のところに住んでいました。僕自身は、就職の時に家を出て、一人暮らしをした時期もあったのですが、紆余曲折あって家に出戻ってきたのです。
〈僕が母の面倒をみないといけないんだろうな…〉
本当は姉と僕の二人で母の面倒を見ることができると助かるのですが、姉は遠方に住んでいるので、結局、身近な僕が母の世話をするしかないという状況なのでした。
これまでのほほんと実家暮らしをしていた僕に、突如として母の介護という重たい現実がのしかかってきました。
話を急ぎ過ぎました。少し時間を戻しましょう。
母の認知症に気づいたのは、次の会社を探してハローワーク求人を見に行って、何の成果もないまま家に帰ってきたときです。
コタツに入ろうとした途端、何か異様な臭いにさいなまれました。
〈この変な臭い、どこからくるんだろう…〉
原因はすぐにわかりました。僕が帰る前からコタツに入って横になっていた母がこともあろうか失禁していたのです。
母に、「どうしたの? 漏らしちゃったの?」と尋ねても何も答えず、横になったままで動こうともしません。
とにかく母を風呂場に連れていき、服を脱がせてシャワーで洗い流し、たっぷりのボディーソープで体を洗います。コタツの敷布団を取り替えて、着替えを終えた母をベッドに連れていきました。

翌日、昨日のことがあったから母のベッドに行き、掛け布団をめくると、予測はしていたのですが、案の定また失禁していました。
「お母さん、どうしちゃったの?」「尿意とか便意とかわからなくなっちゃったの?」と聞いても、「わかんねぇ、わかんねぇ」を繰り返すだけでした。
これはボケてる。
認知症だとその時初めて僕は確信しました。
〈毎月の年金30万円、それでも生活は赤字続き…「まさかこんなに苦しいとは思わなかった」認知症の母を7年介護し続けた48歳男性を救った『介護の裏ワザ』〉へ続く
(御厨 謙/Webオリジナル(外部転載))