累計188万部の大人気シリーズ『おとなの週刊現代』が大幅リニューアル!週刊現代で大反響だった記事の中から、相続や在宅介護など、「死後の手続きと生前準備」にまつわる記事を、加筆のうえ、ピックアップ。
〈第1部 知らないと損する死後の手続きの新常識〉、〈第2部 今日から始める生前準備のすべて〉、〈第3部 身の回りの整理整頓。人生の最期を考える〉の三部構成からなる『おとなの週刊現代 2024 vol.4 死後の手続きと生前準備』 (講談社MOOK) より一部抜粋・再編集して、人生の最期で失敗しないためのノウハウをお届けする。
『「孤独死を恐れてはいけない…」ひとり暮らしの終末期、自宅で「清々しく逝く」ための戦略』より続く
自宅で最期を迎えたいとは思うものの、「やっぱり家族に負担を掛けるのが申し訳ない」「病院のほうが痛みを抑えてくれるんじゃないか」と不安になる人もいるだろう。
実際に肉親を看取った二人の有名人の体験談を聞こう。
’06年に母を亡くしたエッセイスト・コメンテーターの安藤和津さんは、「家族と自宅で最期の時を過ごせた母は幸せだったと思う」と振り返る。
「母の脳にテニスボール大の腫瘍があって、それが原因で老人性うつ病と認知症が進行していました。施設に預けるという選択肢もあったんですが、当時はあまり環境がいいところがなくって。
部屋も狭ければ窓もない。建物の近くから排泄物の臭いが漂ってくるようなところも。『自分の親をこういうところに入れたら、私は一生後悔するな』と思ったんです。
母は私たちと同じマンションの違う階に住んでいたんですが、私たちの部屋にも毎日のように来ていたので、自宅のようなもの。一日でも気持ちよく母が長生きできるように、家族みんな一緒に自宅で最後まで過ごそうと決めました」
実際に母の介護をすると、想像以上に大変だったという。昼夜を問わず母から送られてくるヘルプサイン。安藤さんは介護うつにもなったが、それでも「最後に母と家族で濃密な時間を過ごせたことは、母と私たちにとって幸せな経験になった」と回想する。
「母は佃煮や塩辛いものが大好きだったので、全部減塩で手作りしましたし、梅干しもベランダで作りました。大変だったけど、母が私のご飯を食べながら『ありがとう。あなたがいなければ、何もできなかったわ。あなたのおかげよ』って言ってくれたんです。
母はプライドが高くて、私のことをいつも『グズ』と呼ぶような人でした。それが、感謝の言葉を口にした。このときのことは、いまでも忘れられません」
最後の瞬間もよく覚えているという。母の容態がいよいよ危なくなって、看取りの看護師さんが「まったく意識がない状態です」と告げた。家族全員で覚悟して、そろそろか……と想い出に浸りながら、母が寝るベッドの近くで、母が好きだった食べ物をしりとりのように次々と挙げていくと、急に母の意識が持ち直したという。
「結局そこから長くは生きられなかったんですが、母はあのとき間違いなく、家族との会話を楽しんでいました。あの時間は人生の宝物。
母は孫を溺愛していたので、二人の娘の成長を見ながら旅立てたのは、幸せだったと思います。病院や施設だったら、こんな濃密な時間は過ごせませんでした」
安藤さんは、「自宅で最期を迎えたいなら、すべての終活を終えておくことが肝要」と説く。
「病気が進行したときに手術をするのかしないのか、延命をするのかどうか。おカネや遺産・相続はどうするのか。
大事なことを家族に伝えて、面倒なことも弁護士などに相談しながら書き残しておくこと。
元気な状態でそのときを迎えられればいいですが、何も残さないままで認知症が進行したりすると、家族が『どうすればいいんだ……』と困惑し、大変な苦労を掛けます。それでは、ご自身も家族も幸せな最期を迎えることはできません」
俳優で心理カウンセラーの大場久美子さんは、8年前に父を失った。亡くなるその瞬間まで父のケアをするなかで「自宅で最期を迎えること」の意味を認識するようになったという。
「生前、父とは関係が良かったわけではないんです。長い間がんを患っていた割に元気に過ごしていた父ですが、実は不安を抱えていると知って、うちに来るか聞いてみたところ『行きたい』と返ってきました。かかりつけの病院に行くのも、うちからの方が都合良かったですし、なによりも夫の理解があったので、急遽迎え入れる事になりました。
父は最後まで知らなかったのですが、私が主治医から父の余命が3ヵ月だと聞いていたことも、最期の人生をささえる事を決心した理由です。父は、病院でただ最期の時を迎えるのはいやだ、と話してましたから」
父の最期の時間を一緒に過ごすと決めたときから、必要なモノを揃える作業が始まったが、それ自体は大変なことではなかった、と振り返る。
「大人用のおむつなどの介護用品は3日もあれば揃えられたし、父が介護保険や国の制度を全部調べていて、担当のケアマネさんもすでにいらっしゃったので、苦労はありませんでした。父はできるだけ、家族に負担を掛けたくないと思っていたんでしょうね」
ともに過ごした期間は約3ヵ月。食べたいものを食べてもらい、好きな演歌を聞かせるなど、病院とは違う心地よさを感じてもらうようにしたという。
「私が面倒を見ると決めたからには、とことん毎日を楽しんでもらおうと思ったんです。亡くなる直前はほぼ寝たきりで自分では何もできなくなったんですが、体を起こしてベッドの手すりにつかまりながらも、演歌の番組を観ていました」
最後の3日間は、シングルベッドで父に添い寝をして過ごした。
「父はしゃべれなくなる直前にひと言、『ありがとう。いろいろと申し訳なかった』と私に言ってくれました。
父は不自由ながらもできること、やりたいことをできたんじゃないかと思います。きっと、もう少し長く生きたかっただろうとは思いますが」
大場さんは、現在のところは大きな病気を患ったとしても、積極的な治療はせず、残された時間は好きなことをして過ごすと、人生の終わり方を決めているという。
「まだ最期の場所は決めていませんが……やっぱり自宅がいいかな。この前、主人に確認したんです。『私、自宅で逝ってもいい?』って。そうしたら『いいよ』って言ってくれたので。父の看取りを通じて、やっぱり自分が慣れ親しんだ環境で最期を迎えたいかな、と思うようになりました」
介護に関する講演で全国を飛び回る大場さん。そのなかで、気づいたことがあるという。
「在宅医療を専門とされる医師の方々とも講演先で会うんですが、自宅で最期を迎えるように患者さんに勧めても、『そうは思っているんだけど……』とその気持ちを抑え込んでしまう方も多いんだそうです。
その理由は、やっぱり不安だから。病気の痛みが出たときに、本当に自宅でそれを抑えられるのか。夜に突然苦しくなったときに、ケアをしてくれる人がいるのか。
あまり無責任なことは言えませんが、調べてみれば自宅で最期を迎えるためのいろんな補助や制度があって、不可能ではないことがわかるはず」
人は、どこで生まれるかを選ぶことはできないが、どこで死ぬかは選べる。自宅で最期を迎えるのが幸せだという声に耳を傾け、いまからその準備を進めてみてはいかがだろうか。
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