沖縄尚学の優勝で幕を閉じた今夏の甲子園。全力で戦う選手たちの姿に心揺さぶられた人も多いことだろうが、大会期間中に大きな関心を集めたのが広島県代表である広陵高校だった。
史上初めて大会中に出場を辞退。その理由は、2025年1月、寮内で禁止されていたカップラーメンを食べた1年生に対し、複数の野球部員が暴力をふるい、3月に日本高等学校野球連盟(高野連)から厳重注意を受けたことに端を発している。暴力を受けた選手の父親がSNSにその暴力の実態を投稿したことから、そのひどさが明らかになり、SNSでの攻撃にもつながった。
なぜスポーツの現場で暴力が起きてしまったのか。それに目を向け大きな改善をすることが、被害を訴えた側や、真摯に野球に取り組みながら辞退することになった選手たちが前に進むために必要なことではないだろうか。
長くスポーツ指導の現場や暴力について取材し、先頃『叱らない時代の指導術 主体性を伸ばすスポーツ現場の実践』(NHK出版新書)を上梓したジャーナリストの島沢優子さんが、広陵高校野球部のOBに取材。禁欲的な環境が生み出す「歪んだ正義」が浮かび上がった。
「今日、雨天な」
天気予報の説明ではない。これを上級生から言われたSさんは震え上がった。
広陵高校野球部内の暴力事件を受け、OBらが過去の被害を告発する記事が相次いでいる。文春オンラインなどで同野球部OBが2015年に上級生による暴力を告発したものの、広陵は同校公式サイトで「当時から暴力行為やいじめなどがないよう厳しく指導をしていた」「(暴力やいじめの)事実はなかった」と発表した。
これに対し「それは違う。確かに暴力はありました」と反論するのが、上記OBと同級生だったSさんだ。中村奨成(現広島東洋カープ)らの同期で、3年時に夏の甲子園で準優勝を果たすことになる学年だ。1年生だったある日のこと。寮内で禁止されている電子機器を使っていたことが発覚し、3年生から「ちょっと来いよ」と雨天練習場に連れていかれた。正座させられると、次々と詰問された。
なんでこんなもの持ってんの?
「えっとあの、一般生からお借りしました……」
3年生は「ふざけんじゃねえよ!」と叫んで腹をこぶしで殴ってきた。その後は「そんな甘えた考え、いらねえよ」とSさんの腹を蹴り上げた。殴ったり蹴ったりしながら「みんな頑張ってんだよ。おまえだけズルしてんじゃねえよ!」などと、説教と暴力が30分ほど続いた。
「まあ、説教は正論めいていて。ルールを破った僕が悪いんですけど、だからといってボコボコにするのは明確に暴力じゃないですか。顔に内出血ができて監督にバレたりしないよう、主に腹とか背中を殴られたり蹴られたりしました。僕は3年生ひとりにやられましたが、複数の上級生にやられた同級生もいました。今回SNSで親が被害を訴えた1年生とまったく一緒でした。なので、いまだにやってたのかって驚きました」(Sさん)。
上級生から暴力を振るわれるのは「1年生が悪いことをしたときですね」とSさんは言う。入寮するとき告げられる「菓子類やカップラーメン禁止」「携帯などの電子機器は持ち込み禁止」というルールを破ったり、消灯時間なのにずっと喋っていた、集合時間に遅れた、忘れ物をした、寮内でふざけ合っていたり、態度が悪いという理由もあった。
Sさんのように1人が標的にされることがほとんどだが、時折「連帯責任だから」と全員が呼び出されては殴られることもあった。そうすることがチームのためになると上級生らは考え、Sさん自身も当時は「自分が悪いのだから殴られても仕方ないんだと思ってました」。上級生から下級生への暴力や制裁は、選手たちにとって疑いようのない「正義」だったのだろう。
この上級生からの呼び出しは「雨天」という隠語が使われた。制裁の場所が、雨天の際に使用する室内練習場だったからだ。夕飯後に自由参加となっている1時間ほどの自主練があり、その時間に行われた。寮内ですれ違った上級生から「おまえ、今日、“雨天”な」と言われては震え上がり、1年生のなかで何らかの失敗が続くと「今日あたり雨天かも」とみんなでビクビクして過ごした。暴力イコール「雨天」。このような隠語が生まれるほど、上級生による暴力は常態化していたとも考えられる。
Sさんによると、前年の秋頃に新チームなった際、2年生の途中で「自分はもうA・Bチームのメンバーに入れない」と考えた生徒たちが 全員「学生コーチ」 という肩書きになった。その学生コーチの中でも特に戦力に近かったA・Bチームに所属していた3人の優秀な3年生が、1年生が入寮して3ヵ月の間、トレーニングや声出しを指導するなどして練習を見てくれたという。Sさんに暴力を振るったのは、上記の3人の優秀な3年生以外の3年生だった。
その年度(2015)の部員は合計およそ160人で、A・Bチームに40人、Cに60人、Dに60人と振り分けられていた。CとD合わせて120人を3人で見るのは一苦労だったと思うが、「3人の学生コーチはA、Bにいたからか優秀でしたし、下級生に暴力を振るうことはなかったです」(Sさん)。
1年生に鉄拳を下すのは主に2年生だったが、なかには暴力と一線を画す者もいた。入部した1年生2人に対し、同じポジションの2年生1人がつくメンターのような制度があったため、自主練習を一緒にし、終われば一緒に風呂にも入った。そうやってSさんの面倒をみてくれた2年生は「他の2年がもしおまえをしばくようなことがあったら、俺が助けに行くからな」と言ってくれた。
「でも、2年生の良い先輩は3年生の暴力は止められません。止めたら自分がやられちゃうんで。私以外の被害者のSNSでも出てましたが、1年生がいけないことをしたら2年生が3年生にしばかれる。そして2年も1年生をしばき倒す。伝統と言っていいのか、そういうサイクルが完成されていました」
とはいえ、試合で起用されるA・Bチームの上級生は、「雨天」にかかわらなかった。Sさんは、その年のキャプテンが「(A・Bチームの)メンバーは絶対そういうことには加えさせないからな」と他の3年生に話すのを聞いた。それなのにある日、A・Bチームにいた1年生部員が上級生に雨天を告げられた直後、監督室に退部届を置いて寮を脱走してしまう。
「それで一度、(上級生による暴力が)コーチや中井(哲之)監督にバレてしまいました。上級生は監督に『おまえら、こういうことしとんのか!?』みたいに言われて騒動になった。2015年の11月か12月ごろだったと思います」
それなのに「暴力がバレたのは1年の子の行動がきっかけだったので、こうなったのはおまえら(が原因)だろうみたいになって、(暴力が)エスカレートしたように思います」とSさんは声を落とす。
Sさんの、上級生による下級生への暴力が監督ら首脳陣に「バレた」という話が真実だとすれば、広陵はこの時点で一度、活動を抜本的に改革する機会を得ていたはずだ。そこで、Sさんからの告発について、広陵高校宛にFRaUweb編集部を通して事実確認の質問状を送った。
まず、Sさん自身が当時の3年生部員より、腹部を殴られたり、蹴られるといった暴力を受けたと話しているうえ、Sさんと同級生とみられる元部員が暴力を告発した記事が8月16日付の「文春オンライン」にて報じられている。これに対し広陵は学校公式サイトで「当時から暴力行為やいじめなどがないよう厳しく指導をしていた。そのような事実はなかった」と発表している。しかしながら、同時期に異なる人物が上級生からの暴力を明かしている事実は、重く受け取るべきではないか。
これについて尋ねると、当初広陵側はSさんの名前を明かすよう求めてきた。が、取材源の秘匿はジャーナリストが守るべき鉄則なので断った。すると、Sさんが受けた暴力に対して広陵サイドから以下のような回答があった。
「S氏自身も当時の3年生部員より、腹部を殴られたり、蹴られるといった暴力を受けていますという点についても、当事者、時期等が不明確であり、本校が調査する限り事案の存在を確認することができません」
「S氏に対するものと思われる事案の存在を確認することができておりません。(質問状の)複数の上級生にやられた同級生もいました、顔に内出血ができて監督にバレたりしないよう、主に腹とか背中を殴られたり蹴られたりしましたというS氏のお話についても、2015年前後に在籍した野球部員からそのように申し出がされた事案を把握しておりません」
次に「雨天を予告された1年生の脱走事件」については、何回か質問をしたところ、以下の回答となった。
「『有力選手による脱走と退部届で首脳陣が上級生の暴力を知った』というご指摘ですが、その当時、『部員が寮から脱走した』事案、『退部届により首脳陣が上級生の暴力を知った』事案、いずれもありません」
しかし、Sさんに問い直すと、Sさんに対しヒアリングなどはなかったという。個人を特定せずとも、「事案はいずれもありません」と言い切るには、それ相応の調査があったはずだが、両者の主張は食い違ったままだ。
また、「野球部員からそのように申し出がされた事案を把握しておりません」という回答があるが、部員からの申し出が当時されなかったのは当然だ。Sさんが暴力を親にも言えなかった理由として「みんな我慢しているのに、自分が言ってしまえばチームに迷惑がかかる。自分が夢見ていた甲子園にも行けなくなると考えた」と明かしている。これもひとつの歪んだ正義と言える。すべての被害者が同じ気持ちだったに違いない。
◇広陵「強豪校の歪み」中編「携帯もお菓子も禁止…OBが「刑務所」と表現した広陵高校野球部寮の過度な禁欲生活」では、広陵高校野球部に暴力が蔓延る3つの背景、先ごろ監督を退任した中井氏に対するSさんの思いなどをお伝えする。
【中編】携帯もカップラーメンも禁止…OBが語る広陵高校野球部の禁欲的すぎる生活とその影響