【週刊誌からみた「ニッポンの後退」】
高橋容疑者の「慶応人脈」“飛び火”にビクビク…後輩の竹田JOC前会長も五輪汚職巡り聴取「なぜ森喜朗元総理はいつも逃げ切れるのか」と週刊新潮(9月15日号)が報じているように、これまで森喜朗にはカネにまつわる多くの疑惑が囁かれたが、塀の中に落ちることはなかった。「リクルート事件」「西松建設の違法献金事件」「森が最高顧問を務める全日本私立幼稚園連合会の4億円を超える使途不明金事件」などなど。しかし、今回の五輪汚職事件では、高橋治之元電通専務が受託収賄容疑で逮捕されたが、高橋のボスである森組織委会長(当時)が、まったく知らなかったと考えるのは無理があるのではないか。
贈賄容疑で逮捕されたAOKIの青木拡憲前会長は、虎屋の紙袋に入れて森に200万円渡したと供述しているという。組織委会長だった森もみなし公務員。利害関係者からカネをもらうことは禁止されている。東京地検特捜部は任意の参考人として森から何度か事情を聴取しているようだが、森は今回も逃げ切ってしまうのだろうか。 昔、“政界の牛若丸”といわれた山口敏夫元労働大臣は、カネに対する嗅覚が抜群だといわれた。一時親しくしていた私は、リクルート事件の最中に彼に聞いた。「今回は名前が出ませんね」。すると彼はおおむねこう答えた。「僕は名前が出るような下手なことはしない」。そんな彼も信用組合の乱脈融資事件に絡んで有罪になり、塀の中に落ちた。22年前、首相になった経緯と嘘を思い出した 話は変わるが、週刊文春(9月15日号)は、東京五輪のスポンサーをめぐってKADOKAWAと講談社が参入しようとしたが、森喜朗元首相が「講談社だけは絶対、私は相いれないんです」と退け、KADOKAWA1社に決まったと報じている。何が森をそこまで怒らせたのか。 週刊文春は、講談社が発行している週刊現代やフライデーで報じた、森が早大在学中に買春していたのではないかという記事や、長男・祐喜(故人)の醜聞記事が森を怒らせたのではないかとみているようだ。 だが、私が思い当たるのは、フライデーの歴史的スクープのことである。2000年4月2日未明、小渕首相が小沢一郎自由党党首と会談後に倒れ、順天堂医院に緊急入院した。当時の青木幹雄官房長官、森喜朗幹事長、野中広務幹事長代理、村上正邦自民党参院議員会長、亀井静香政調会長は、小渕が病室で青木に対して、「万事よろしく頼む」と言ったとして、密室で森を後継首相に決めてしまうのである。 だが、フライデー(2000年6月2日号)が報じた一枚の写真が、彼らの嘘を白日の下にさらした。集中治療室で全身に人工呼吸器や多くの管をつけられて横たわる小渕首相の姿を見れば、後継指名などできる状態になかったことは誰にでも分かる。 つまり「森喜朗政権には正当性がない」と国民に知らしめたのである。正当性のない政権が長続きするはずはない。首相在任中、「ノミの心臓、サメの脳みそ」とはやされ、何の実績も残せずに森はわずか387日で、首相の座を追われてしまったのである。「国民の多くが俺を宰相だと認めない」。森首相は忸怩(じくじ)たる思いを抱えていたのではないか。それもこれも講談社のせいだと逆恨みして、野間佐和子社長(当時)のところへ恨み言を言いに行ったのではないだろうか。 だが野間社長は毅然とはねのけた。さすが“女傑”といわれた野間社長である。このことが今でも森のトラウマになっている。私はそうみている。 それにしても、KADOKAWAの会長まで逮捕された。それでも森は逃げ切れるのだろうか。(文中敬称略)(「週刊現代」「週刊フライデー」元編集長・元木昌彦)
「なぜ森喜朗元総理はいつも逃げ切れるのか」と週刊新潮(9月15日号)が報じているように、これまで森喜朗にはカネにまつわる多くの疑惑が囁かれたが、塀の中に落ちることはなかった。
「リクルート事件」「西松建設の違法献金事件」「森が最高顧問を務める全日本私立幼稚園連合会の4億円を超える使途不明金事件」などなど。しかし、今回の五輪汚職事件では、高橋治之元電通専務が受託収賄容疑で逮捕されたが、高橋のボスである森組織委会長(当時)が、まったく知らなかったと考えるのは無理があるのではないか。
贈賄容疑で逮捕されたAOKIの青木拡憲前会長は、虎屋の紙袋に入れて森に200万円渡したと供述しているという。組織委会長だった森もみなし公務員。利害関係者からカネをもらうことは禁止されている。東京地検特捜部は任意の参考人として森から何度か事情を聴取しているようだが、森は今回も逃げ切ってしまうのだろうか。
昔、“政界の牛若丸”といわれた山口敏夫元労働大臣は、カネに対する嗅覚が抜群だといわれた。一時親しくしていた私は、リクルート事件の最中に彼に聞いた。「今回は名前が出ませんね」。すると彼はおおむねこう答えた。「僕は名前が出るような下手なことはしない」。そんな彼も信用組合の乱脈融資事件に絡んで有罪になり、塀の中に落ちた。
話は変わるが、週刊文春(9月15日号)は、東京五輪のスポンサーをめぐってKADOKAWAと講談社が参入しようとしたが、森喜朗元首相が「講談社だけは絶対、私は相いれないんです」と退け、KADOKAWA1社に決まったと報じている。何が森をそこまで怒らせたのか。
週刊文春は、講談社が発行している週刊現代やフライデーで報じた、森が早大在学中に買春していたのではないかという記事や、長男・祐喜(故人)の醜聞記事が森を怒らせたのではないかとみているようだ。
だが、私が思い当たるのは、フライデーの歴史的スクープのことである。2000年4月2日未明、小渕首相が小沢一郎自由党党首と会談後に倒れ、順天堂医院に緊急入院した。当時の青木幹雄官房長官、森喜朗幹事長、野中広務幹事長代理、村上正邦自民党参院議員会長、亀井静香政調会長は、小渕が病室で青木に対して、「万事よろしく頼む」と言ったとして、密室で森を後継首相に決めてしまうのである。
だが、フライデー(2000年6月2日号)が報じた一枚の写真が、彼らの嘘を白日の下にさらした。集中治療室で全身に人工呼吸器や多くの管をつけられて横たわる小渕首相の姿を見れば、後継指名などできる状態になかったことは誰にでも分かる。
つまり「森喜朗政権には正当性がない」と国民に知らしめたのである。正当性のない政権が長続きするはずはない。首相在任中、「ノミの心臓、サメの脳みそ」とはやされ、何の実績も残せずに森はわずか387日で、首相の座を追われてしまったのである。
「国民の多くが俺を宰相だと認めない」。森首相は忸怩(じくじ)たる思いを抱えていたのではないか。それもこれも講談社のせいだと逆恨みして、野間佐和子社長(当時)のところへ恨み言を言いに行ったのではないだろうか。
だが野間社長は毅然とはねのけた。さすが“女傑”といわれた野間社長である。このことが今でも森のトラウマになっている。私はそうみている。
それにしても、KADOKAWAの会長まで逮捕された。それでも森は逃げ切れるのだろうか。(文中敬称略)
(「週刊現代」「週刊フライデー」元編集長・元木昌彦)