ウクライナ人のビクトリア・モルチャノヴァさん(33)と母リュボーフィ・クシニリエンコさん(58)、ビクトリアさんの息子(9)の3人が4月に福井市に避難してきてから、10月で半年を迎えた。日本語を覚え始め、車の免許も取得して自家用車で運転するなど、日本での生活に慣れてきている。表情も半年前に比べすっかり緊張はほぐれているが、ロシアからの侵攻が続く祖国ウクライナの現状に話題が及ぶと、顔を曇らせ募る郷愁を口にした。【大原翔】
ウクライナ避難3カ月 日本で暮らし抱いた違和感 「日本の生活に慣れるのに必死で、時間が過ぎるのはあっという間でした」。福井市内の自宅で取材に応じたビクトリアさんとリュボーフィさんの2人は、日本での半年間をこう振り返る。 まず驚かされたのが、2人の日本語の上達ぶりだ。2人は週2回、ボランティアから教えてもらっている程度だが、記者が「日本語には慣れましたか?」と聞くと、ビクトリアさんは通訳役で同席した姉のイリーナさんを介さず「分かるようになってきたけど、やっぱり日本語は難しい」と返答。リュボーフィさんは会話はまだ苦手だが、読み書きは着実にできるようになっているという。 背景には、日本人の友人ができたことがあるようだ。2人は毎週日曜、自宅近くの教会に通っている。毎回約30人が集まるが、2人以外はほぼ全員日本人。ともに神父の話を聞いたり、お祈りをしたりするために通ううちに友人ができた。ビクトリアさんは「みんな良い人で、先日は一緒に食事にも連れて行ってくれた。教会に通うことでウクライナのためにも祈れる」と楽しげに話す。リュボーフィさんも「優しく接してくれ、交流することで日本語も上達させてもらえるのでありがたい」と感謝する。 5月中旬から市内の小学校に通う息子も、学校生活に徐々に慣れてきたという。当初、まずは日本での生活に慣れるため午前中だけで下校していたが、9月後半からは他の児童と同じ時間に登下校するようになった。「給食がおいしい」と喜んでもいる。ただ、日本語はまだ話せないため友達との仲が深まらず、イリーナさんに「『私と友達になってください』を日本語で教えて」と求めてくるという。 また、ビクトリアさんは7月に車の運転免許を取得し、その後自家用車を購入。当初は「車線やハンドルがウクライナと左右反対で苦労した」が、毎日息子の通学時の送迎や買い物で運転することで、慣れてきた。記者は取材時、助手席に乗せてもらった。道路の運転やバックでの駐車を一つ一つの操作を丁寧に確認しながら運転するビクトリアさんの姿に、半年間必死で日本の生活になじもうとしてきた努力がうかがい知れた。 ただ、難航しているのが仕事探しだ。ビクトリアさんは8月からハローワークに複数回行き、衣料品店などの募集情報について相談したが、就職には至らなかった。ビクトリアさんは「日本語がまだ十分に話せないから雇ってもらえないのかも」と漏らす。リュボーフィさんも「日本語は毎日勉強していて少しずつ上達しているが、言葉をそこまで話さずに済む仕事ができたらうれしい。週3~4回のアルバイトでもよいので、とにかく早く働きたい」ともどかしさを訴える。 仕事面での苦労はありつつも日本での生活になじんできた2人だが、ウクライナ侵攻を続けるロシアについて問うと、途端に表情をこわばらせた。ビクトリアさんは「いつまで戦争を続けるのか。ロシア人は早くウクライナから出ていってほしい」と語気を強める。 現地に残る家族への思いは日に日に強まっている。現地は特に夜中にロシア軍のミサイルが飛び交っているため、現地時間の朝6時ごろに当たる日本の午後2~3時ごろ、現地の家族と電話をして安否を確認する毎日だが、リュボーフィさんは「ウクライナ北東部のスムイ州に住む妹や友人は『(電話で話せるのは)今日で最後かもしれない。明日は生きていないかも』と恐怖を口にしている。こんな思いをさせるロシア人がすごく嫌いです」と明かす。ビクトリアさんは「日本の人たちはとても良くしてくれて感謝しているが、やっぱりウクライナが恋しい。できれば、いつかは故郷に帰りたい」とこぼした。
「日本の生活に慣れるのに必死で、時間が過ぎるのはあっという間でした」。福井市内の自宅で取材に応じたビクトリアさんとリュボーフィさんの2人は、日本での半年間をこう振り返る。
まず驚かされたのが、2人の日本語の上達ぶりだ。2人は週2回、ボランティアから教えてもらっている程度だが、記者が「日本語には慣れましたか?」と聞くと、ビクトリアさんは通訳役で同席した姉のイリーナさんを介さず「分かるようになってきたけど、やっぱり日本語は難しい」と返答。リュボーフィさんは会話はまだ苦手だが、読み書きは着実にできるようになっているという。
背景には、日本人の友人ができたことがあるようだ。2人は毎週日曜、自宅近くの教会に通っている。毎回約30人が集まるが、2人以外はほぼ全員日本人。ともに神父の話を聞いたり、お祈りをしたりするために通ううちに友人ができた。ビクトリアさんは「みんな良い人で、先日は一緒に食事にも連れて行ってくれた。教会に通うことでウクライナのためにも祈れる」と楽しげに話す。リュボーフィさんも「優しく接してくれ、交流することで日本語も上達させてもらえるのでありがたい」と感謝する。
5月中旬から市内の小学校に通う息子も、学校生活に徐々に慣れてきたという。当初、まずは日本での生活に慣れるため午前中だけで下校していたが、9月後半からは他の児童と同じ時間に登下校するようになった。「給食がおいしい」と喜んでもいる。ただ、日本語はまだ話せないため友達との仲が深まらず、イリーナさんに「『私と友達になってください』を日本語で教えて」と求めてくるという。
また、ビクトリアさんは7月に車の運転免許を取得し、その後自家用車を購入。当初は「車線やハンドルがウクライナと左右反対で苦労した」が、毎日息子の通学時の送迎や買い物で運転することで、慣れてきた。記者は取材時、助手席に乗せてもらった。道路の運転やバックでの駐車を一つ一つの操作を丁寧に確認しながら運転するビクトリアさんの姿に、半年間必死で日本の生活になじもうとしてきた努力がうかがい知れた。
ただ、難航しているのが仕事探しだ。ビクトリアさんは8月からハローワークに複数回行き、衣料品店などの募集情報について相談したが、就職には至らなかった。ビクトリアさんは「日本語がまだ十分に話せないから雇ってもらえないのかも」と漏らす。リュボーフィさんも「日本語は毎日勉強していて少しずつ上達しているが、言葉をそこまで話さずに済む仕事ができたらうれしい。週3~4回のアルバイトでもよいので、とにかく早く働きたい」ともどかしさを訴える。
仕事面での苦労はありつつも日本での生活になじんできた2人だが、ウクライナ侵攻を続けるロシアについて問うと、途端に表情をこわばらせた。ビクトリアさんは「いつまで戦争を続けるのか。ロシア人は早くウクライナから出ていってほしい」と語気を強める。
現地に残る家族への思いは日に日に強まっている。現地は特に夜中にロシア軍のミサイルが飛び交っているため、現地時間の朝6時ごろに当たる日本の午後2~3時ごろ、現地の家族と電話をして安否を確認する毎日だが、リュボーフィさんは「ウクライナ北東部のスムイ州に住む妹や友人は『(電話で話せるのは)今日で最後かもしれない。明日は生きていないかも』と恐怖を口にしている。こんな思いをさせるロシア人がすごく嫌いです」と明かす。ビクトリアさんは「日本の人たちはとても良くしてくれて感謝しているが、やっぱりウクライナが恋しい。できれば、いつかは故郷に帰りたい」とこぼした。