「嘘でしょう、こんな簡単に死ぬなんて!」再婚して5年目の夫が急死。延命措置、冷たい親族、お墓の場所…。「話し合っておけば」の後悔から私が学んだこと

家族の死を悼みたいのに、想定外のことに振り回されて。東京都在住の北島由布子さん(会社員・66歳)は、再婚して5年目になる夫をがんで亡くした時、「話しておくべきだった」と思った5つの後悔があったそうです。いまだから語れる戸惑いやあきらめとはーー。
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「もうご主人の体は持ちません。延命措置はどうしますか?」。個室に移された夫が亡くなる10時間前、医師から問われた私は即答できなかった。
夫を送った後、「話し合っておけばよかった」と思った第1の後悔は、この延命措置のこと。
夫に大腸がんが見つかったときは抗がん剤治療を受け、仕事にも復帰したが、今回の再発ではすでに治療できない状態だった。息も絶え絶えの夫にどうしたいかなんて聞けやしない。救急車で運ばれる間も生きる希望を持っていたのだから……。
その日、私は夕飯を用意していた。「うまそう」と食卓についた夫が、「血圧が下がっている気がする」と言う。食後落ち着いてからお風呂に入った夫だが、私を呼ぶ声が聞こえた。急いで駆けつけると、浴槽のふちに座って「立てない、救急車を呼んで」と言う。
そこからの急変だったのだ。延命措置についてはなんとしても回答しないといけないらしい。あんなに答えに困ったのは人生初。そして私が出した結論は「延命しません」だった。
第2の後悔は、葬儀について夫の希望を聞いていなかったこと。病院に運ばれた当初、夫は「勤務先、母親、親友に連絡して」と話し、駆け付けた子どもや親友と写真を撮ったりしていた。ところが、突然意識がなくなったのだ。
私の母が彼の手をにぎっているときに、心電図が「ピー」と鳴って心拍が0に。医師が死亡を告げた。その言葉がドラマのような「ご臨終です」だったかは覚えていない。
私は「嘘でしょう、こんな簡単に死ぬなんて」と叫んだ。さっきまで夫は生きていて、声を振り絞ってアイ・ラブ・ユーと言ってくれたのに。
死去後はただちに、遺体をどこに運ぶか、葬儀社はどこにするかを尋ねられた。時間の猶予はないとのこと。
霊安室に移されると、病院担当の葬儀業者が現れて、「葬儀が決まっていなければお受けします」と声をかけてくれた。夫の母に訊いたが、「わからない」と言う。そのとき私の勤務先の社長が仕事の電話をかけてきたので、渡りに船と相談した。
前後して、友人に夫の死を知らせたところ、「業者には予算を先に言うべし」と教えてくれたため、費用を抑えることができたのは幸いだった。
結局、私の勤務先の社長が懇意の神主さんに頼んでくれて、とても温かくユーモアのある神葬祭を執り行うことができた。ただ、本人はどう思っているか不明のままだ。
第3の後悔は、ちょっと意外なこと。世の妻たちは、夫の「歴史」を知っているだろうか。葬儀で故人の略歴を読み上げてくれるのだが、そのための情報が必要だ。
子連れで再婚して5年。私と出会って以降の勤務先は知っていても、その前のことは何一つ知らない。結婚するときには互いの履歴書を交わしておくとよさそうだ。夫の友人に知らせようにも、私が知る2人しか連絡先がわからない。参列者のほとんどは私の友人たちになった。
第4の後悔として、夫の親族が親身になってくれなかったこと。夫の母が「火葬場には行かない」と言うので驚いたが、喪主で忙しかった私は理由を聞かなかった。夫の伯父夫妻、弟夫妻がやってきて、伯父が夫の思い出話を始めたが、その内容に私たち家族はドン引きした。「あいつは勉強ができなくてバカだった」。
私たちにとって、夫は物知りでユーモアにあふれ、雑学ならなんでもこい、という教養ある人間だった。再婚のため、いきなり私の子どもたちの父親役をすることになったのだが、5年間、よき相談相手であり、保護者だった。
温かく見送る場でバカ扱いされたことにショックを受けた。以来、夫の親族と疎遠となったのは言うまでもない。
最後の第5の後悔はお墓のこと。夫のために、私は新しく公園墓地を購入した。治療に多額の費用を支払ったので、予算もなく小さなお墓だが、夫とよく出かけたハーブ園の隣に納骨。生前に話し合えなかったことが残念だが、親より早く、夫婦の墓を決めることになるとは思わなかったのだから仕方がない。
通夜のあと、夫の親友が封筒を渡してくれた。入院ベッドの夫からレターセットとペンを頼まれて、最後に封筒を預かったのだと言う。文章を書くのが好きだった夫のこと、きっとメッセージを残してくれているはず、と期待して便箋を開くと、白紙のままだった。私たち家族はまっさらな便箋を見て拍子抜け。もしメッセージがあれば、今後の人生の励みになっただろう。
でも、これも遺された者が感じることで、書けなかったのか書かなかったのか、夫の真意はわからない。せめて便箋に書き残そうとしたその気持ちに感謝しよう。「なんか詰めが甘いんだよね、パパらしいね」と、子どもと私は泣き笑いした。
夫の死から7年、いまも彼を思い続けている。
私も後悔しない見送りのために、エンディングノートの必要性を感じ、情報を残すべきなのは重々承知している。遺影用の写真だって必要だ。でもまったく準備は進まない。
死にゆく人と話し合うことは難しいものだとつくづく思う。いっぽう、「死んでしまえば本人にはわからないから、できる範囲でいい」という考えもある。
今回私が抱いた後悔というのは、遺された私がすべて決めなくてはならないことの「心細さ」の表れだったと思う。元気なうちに話し合っておけば、死ぬ人、遺される人、双方が安心できるだろう。
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