子育てにまつわる情報は世にあふれている。情報がありすぎて、かえって親は不安になることも多い。そもそも万人にあてはまる子育ての「正解」はない。しかし、子供に対して「これだけはやってはいけない!」ということならある。長年、家族に起きているさまざまな問題に対処してきた臨床心理士・信田さよ子さんによる大好評連載のリバイバルをお届けします。
後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと
■子育てにも流行がある「しつけ」という言葉は、最近育児雑誌にもあまり登場していないようです。しかし、社会の一員として生きていくためには、守らなければならないルールやきまりがあります。それを子どもたちが身に着けることは、社会生活を送るためにも必要なことでしょう。ここでは、親が子どもにそれらを身に着けさせることを「しつけ」と呼びたいと思います。しつけとは、簡単に言えば、社会で生きていくために望ましい行動を習慣化させていくことです。時には、叱ることも必要になるでしょう。じつは子育てやしつけにも流行があります。かなり前になりますが、元東京都知事である石原慎太郎の著書『スパルタ教育』(光文社、1969)が70万部の大ベストセラーになりました。当時子育て中の親たちは、その影響を受けて子どもをきつく叱ればいいと思ったのかもしれません。カウンセリングに訪れる50代の女性たちの中には、記憶の中で、ふだん本を読まない親が『スパルタ教育』という表紙の本だけは読んでいたと証言する人が多いのです。彼女たちは、もちろん子ども時代に親から壮絶な身体的虐待を受けて育ってきた人たちです。photo by iStock日本で児童虐待という言葉が一般化したのは、1990年代に入ってからです。80年代までは、殴る蹴るといった行為もスパルタ育児として正当化され、体罰は「愛のむち」「せっかん」として肯定されていたのです。中でもスポーツにおいては、根性をきたえることを目的に、今から思うとかなりひどいこともしてきたようです。マンガ『巨人の星』の主人公、星飛雄馬が父の命令でホームランバンドを肩にはめ、涙を流してトレーニングする場面など、今読むとかなり悲惨です。目撃したひとが児童相談所に「虐待だ」と通報しても今なら不思議ではないでしょう。これは単なる根性論からくるものではなく、心理学の学習理論などが影響している行為だと思われます。■しつけの基礎は「苦痛への恐れ」学習理論というのは、簡単にいえば、人間は「ある行為の結果、痛い思いをした」「叱られて体罰を与えられ、苦痛だった」といった経験をすると、次回はそれを回避しようとするというものです。生きていくためには、生存を危うくするような苦痛を回避しなければならないからです。これは一種の学習行動とも言えます。 また行動主義心理学では、人間の行動は、与えられた刺激に反応するということが習慣化することで形成されていくと考えられています。こうしたことから、痛い思いをしないようにというのは、一種の「苦痛への恐れ」が基礎になっていることがわかります。失敗したらお父さんから殴られる、だから失敗しないように試験勉強もがんばる、というのも学習理論に立脚しているといえます。ところが、恐怖からくる学習に基づいて行動するには、絶えず緊張していなければなりません。大きな震災を経験すると、ちょっとした揺れにもびくっとします。この恐怖が親からのしつけだったとき、親に対する緊張感が強くなるということもしばしば起こります。そんな子どもたちは、二度と痛い目に遭わされたくないため、親の前では、失敗しないように、口答えして叱られないように、いい子となります。しつけというものは、このように学習理論によって、親から見た望ましい行動を強い、それを習慣づけていくことだといえます。基礎にあるものは、苦痛を回避したいという生存のための行動、それに伴う緊張ということになります。■「95点のテストは見せられない」子どもの習慣形成において、恐怖や緊張を用いたしつけこそが有効であるという考えは、現在でも説得力を持っています。特に規律を重んじる教育では、体罰や怒鳴ることが今でも行われています。親もそのことを望んでいれば、それほど問題にはなりません。特に運動部などの体育会系といわれる教育現場ではこのようなことが珍しくないようです。いっぽうで「子どもをほめて育てる」という考え方も、多くの育児書で推奨されています。それに対して、前者の教育を支持するひとたちは、「甘やかすとろくなことはない」「ほめてばかりいたら増長して何もしなくなってしまう」と批判します。AC(アダルト・チルドレン)と自認したひとたちが回想する親の姿は驚くほど似通っています。「絶対にほめない」「ダメな部分を見つけて批判する」だけでなく、楽しそうな雰囲気を漂わせていると「いい気になるんじゃない」「人生そんな甘いもんじゃない」と腰を折るのです。「テストで95点をとると、家に帰って母親に見せるのが怖くてたまらなかった」という彼女たちの言葉が不思議だったのですが、謎は解けました。photo by iStock 彼女たちの母は、「あと5点なのに、たった一問なのに、なぜ間違えたの!」と激しく叱責するのでした。もし60点だったらそれはそれでボロボロになるまで叱られ、100点をとれば「いい気になったらダメ」と言われ、要するに決してほめられることはないのです。■しつけのための2つの報酬その対極にあるような、ほめて育てる子育てとはどのようなものでしょう。さきほど述べた学習理論に必要なもうひとつの要素は、「報酬」です。苦痛を回避するための、恐怖にもとづいた行動習慣に加えて、もうひとつ、「言われたとおりにやるといいことがある」という経験によっても行動は形成されるのです。パブロフの犬の実験はとても有名です。ベルが鳴るとえさが出てくるということを繰り返し経験した犬は、ベルの音を聞いただけで、よだれが出てくるようになったのです。 子どもにとっての報酬とは、なんでしょう。それは「物質的報酬」と「心理的報酬」とに分けることができます。ピアノのレッスンを熱心にしたら、おやつを与える。言うことをきいてお片付けをしたら、ほしがっていたおもちゃを与える。これらは、物を報酬として与えることになります。photo by iStock一方、心理的報酬の多くは言葉によって与えることができます。「ほんとにがんばったね」「よくやったね」「えらかったね」「ママ、ほんとうにうれしいわ」などとほめることです。子どもが小さければ、抱きしめてあげて、いい子ねと頭を撫でることも報酬になるでしょう。子どもは違いに敏感さて、次のほめ方をさきほどのほめ方と比べてみましょう。「これでみんなより上になれるね」「目標達成できたね」「すごい成績だったね」前者は、本人の取り組む姿勢、一生懸命さをほめていますが、後者は、望ましい結果を出せたことをほめています。親はそれほど区別していないかもしれませんが、子どもはその違いに敏感なものです。「ママは、結果を評価し、結果を出した私をほめている」とすぐわかってしまいます。一生懸命やるだけではだめで、結果を出さなければほめてもらえないこともすぐに理解します。もちろん、この両方をほめる親もいると思います。がんばりや一生懸命さをほめ、結果が出たらそのこともほめるというように。 しかし前者のように、結果を伴わなくてもその姿勢やプロセスの取り組み方をほめることは、それほどやさしくありません。親自身が受験にしろ、勉強にしろ、運動にしろ、結果にこだわっていれば、やはりほめ方にもそれは表れてしまうものです。■「結果がすべて」の世界カウンセリングで出会う多くの人たちは、中学校や高校まで水泳や剣道といったスポーツで将来を嘱望されたのに、けがやアクシデント、そのほかさまざまな理由から一流選手になることができなかったという経験を持っています。 中には超名門の中学校に合格したのに、その後成績が伸びず、不登校になった人もいます。エミコさんは、4歳から水泳教室に通いました。水遊びはもちろん、水の中にいると、陸の上で靴を履いているときより自由になれる気がして、楽しくてたまらなかったのです。小学校3年のころには、近隣でも名門と呼ばれるスイミングスクールに通うようになり、なぜか「将来の夢はオリンピック選手」と言うようになっていました。3歳下の弟も泳ぎが速く、近所では水泳一家と呼ばれるような家庭でした。それというのも、父親が国体に出場経験のある水泳選手だったからです。当時は日本の企業が有望な水泳選手を何人も抱え込むことが珍しくなく、エミコさんの父は大企業に就職することができました。両親の夢は、自分たちの子どもが水泳選手として国体を超える大きな大会に出場すること、できればオリンピックの舞台でメダルを獲得することでした。小学校6年まではエミコさんのタイムは県大会でも注目されるほどでしたが、中学校に入ってからそれが止まってしまいました。体重も増え、体型も変わり、エミコさん自身がなんのために泳ぐのかがわからなくなってしまったのです。プールと学校以外にも世界はあるはずだ、もっとふつうの中学校生活を送りたい、そう考えながら、でもそれを父親に主張することなどできませんでした。 エミコさんは、原因不明の体調不良からドクターストップがかかり、3ヵ月間休学することになりました。これで大手を振って水泳から離れられる、そう思うとどこかほっとしました。ところが、それからは別の地獄が始まりました。両親の関心は弟に一極集中し、エミコさんは、まるで「いない者」のように扱われるようになったのです。両親はエミコさんが居間にいても目もくれず、ごはんをつくってもエミコさんがどれだけ食べたのかを気にもとめない。エミコさんが何時に寝て何時に起きたか、両親にとってはそれもどうでもいいことでした。弟はあからさまにエミコさんを下に見て、その視線のはしばしに侮蔑を浮かべるのでした。中学校は卒業できましたが、高校には行けないまま、エミコさんは25歳になるまで自宅に引きこもっていました。弟はオリンピックには出場できなかったものの、有名大学の水泳部で活躍し就職しました。弟が家を出たのも影響したのか、エミコさんは半年前からやっと外出できるようになり、カウンセリングにやってきました。左手首には何本ものリストカットの跡が残っています。エミコさんは明るく言いました。「これ、目立ちますか? リストカットのことなんか、母はまったく気付いてませんから。同じ屋根の下にいながら不思議でしょ」「結果がすべてでしたからね、結果が出せなくなったらもう人生終わりだという考えから、やっと半歩踏み出せた気がしています」 ■親の欲望スイッチが入るときエミコさんは極端な例かもしれませんが、結果がすべての判断基準であるということは、そこから外れた存在にとっては、このように残酷この上ない世界なのです。子どもが小さいころには、姿や言葉、すべてがいとおしくかけがえのないものだと思える親たちが、ある年齢から結果を追い求めていくようになるのはなぜでしょう。どこでスイッチが入るのでしょうか。おそらく、「ふつう」であることからこぼれ落ちないように、自分が味わったような思いをさせないために、自分が求めても得られなかったものを子どもに達成させるために、といった数々の親の欲望が、そのスイッチを押すのではないでしょうか。社会全体が「成果主義」的で「達成」を重んじるようになりつつある今、親だけは、子どもの姿勢や、一生懸命さをほめてあげたいものです。「よくやったね」「ほんとにがんばったね」と言って、抱きしめてあげる。これにまさる報酬はないでしょうし、きっと報酬という表現を超える何かを与えると思います。■お金で子どもを操作するさて、物質的報酬もよく見かけるものです。言うことを聞かせるために、「○○を買ってあげるから」という親は珍しくないでしょう。子ども自身が「○○が欲しい」と言い募ることもありますし、お友達の持っている物を自分はなぜ買ってもらえないのか、と言うこともあります。photo by iStockここで重要なことは、本来、物に対する要求は、それを得ることで広がる可能性と豊かになる世界の実現を意味しているということです。それがいつのまにか、物を得るために必要な金銭の要求へとすり替わっていきます。子どもの要求は、「○○が欲しい」から「○○を買って」に変化していくのです。中には、誕生日プレゼントを買う前に、子どもに何が欲しいかを言わせて、それを買ってプレゼントにするという親もいます。まるで誕生日プレゼントというものが、普段買ってもらえない物を特別に買ってもらうためだけにあるようではないでしょうか。 プレゼントとは、親が何を選んでくれたかをドキドキして待ち、自分のために一生懸命何かを買って(時には手作りして)くれたことを実感するものだと思います。そこに金銭の寡多は関与しないはずです。たしかに、お金があれば物を買うことも、行きたいところに行くこともできるでしょう。しかし、あくまでもお金は「手段」であり「目的」ではありません。親自身の価値観を、そのまま育児に反映させないようにしたいものです。子どもを操作するためにお金を利用する親もいます。たとえば、「今度のテストでいい成績をとったら、ずっとほしかったゲームソフトを買ってあげる」という場合。中にはお小遣い増額と言う親もいるようです。結果を出させるために、報酬である金銭を事前に予告するのです。受験をめぐる親子関係において、このようにお金を用いて勉強へのモチベーションを高める親は珍しくありません。さらに、親が疲れていたりすると、ついついお金を与えがちになります。言葉で説明するよりお金を与えたほうがずっと簡単に子どもを動かせるからです。 ■母の愛とお金ミキさんは、物心ついてからずっと、教師だった母親から「あんたにはちゃんとお金を用意してあるからね」と言い聞かされてきました。小学生のころから成績もよく、家事も手伝っていたミキさんは、ことあるごとに「ミキはしっかりしてるね」「あんたはほんとに手がかからない子だ」の二語をいつも言われてきました。ミキさんにとってそれは「しっかりしなければならない」「親にめんどうをかけてはいけない」という気持ちになる言葉でしかありませんでした。甘えや依存とは無縁の親子関係でしたが、唯一の例外が「あんたにはちゃんとお金を出してあげるからね」というささやきでした。現実には、志望する大学も自宅から通えという母親の言葉によってあきらめ、画家になりたいという希望も美術の先生になることに変更しました。しかしどこかで、人生で困ったときのために母親はお金を用意しておいてくれるという最後の絆だけは信じていたのです。7歳年下の弟のマコトさんは、ミキさんより成績は悪く、借金を重ねていろいろと職を変えた末に介護関連の仕事に就いていました。あまりに勝手な行動に腹を立てたミキさんは、ある時から弟とは絶縁状態になりました。母親から弟の愚痴をずっと聞かされてきたせいで、最後は自分が母のめんどうを見る覚悟でした。ところがあるとき、母親が弟にマンションを買い与えていたことが発覚したのです。結婚をあきらめて、母と同居も考えていたミキさんにとって、それは衝撃的な裏切りでした。お金を出してあげるからという母の言葉は、ミキさんにとっては母の愛をぎりぎり信じさせるものでした。ところが母は、弟にマンションを買い与え、おそらく借金の返済も引き受けていたのです。それを責めるミキさんに、母親は言い放ちました。「あんたと同居するつもりなんかないよ、マコトの勤める介護施設にもう予約してあるから」このように、愛情とお金とは、時には重なって見えるものです。だからこそ、育児においては、親の愛とお金とは切り離すということが重要になります。つまり報酬にお金を介在させないことです。具体的には、物を買ってあげることを条件にしない、子どもに嫌われないためにお金をあげたりはしない、などなどいくつも挙げることができます。まとめてみましょう。子どもに報酬を与えるときには、親自身がどのような金銭に対する価値観を持っているかを、点検する必要があります。「世の中すべて金次第」と考えてしまうことが多くても、子育てにおいてはそれ以外の報酬を与えるようにしましょう。子どもの態度や取り組み方、頑張る姿をほめたり、家族で楽しいことをしたりするような報酬を与えるようにしたいものです。第4回【子どもに「命令」できない親が急増中! それはただの責任放棄だ】に続きます。後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと
「しつけ」という言葉は、最近育児雑誌にもあまり登場していないようです。しかし、社会の一員として生きていくためには、守らなければならないルールやきまりがあります。
それを子どもたちが身に着けることは、社会生活を送るためにも必要なことでしょう。ここでは、親が子どもにそれらを身に着けさせることを「しつけ」と呼びたいと思います。
しつけとは、簡単に言えば、社会で生きていくために望ましい行動を習慣化させていくことです。時には、叱ることも必要になるでしょう。
じつは子育てやしつけにも流行があります。かなり前になりますが、元東京都知事である石原慎太郎の著書『スパルタ教育』(光文社、1969)が70万部の大ベストセラーになりました。
当時子育て中の親たちは、その影響を受けて子どもをきつく叱ればいいと思ったのかもしれません。
カウンセリングに訪れる50代の女性たちの中には、記憶の中で、ふだん本を読まない親が『スパルタ教育』という表紙の本だけは読んでいたと証言する人が多いのです。
彼女たちは、もちろん子ども時代に親から壮絶な身体的虐待を受けて育ってきた人たちです。
photo by iStock
日本で児童虐待という言葉が一般化したのは、1990年代に入ってからです。80年代までは、殴る蹴るといった行為もスパルタ育児として正当化され、体罰は「愛のむち」「せっかん」として肯定されていたのです。
中でもスポーツにおいては、根性をきたえることを目的に、今から思うとかなりひどいこともしてきたようです。
マンガ『巨人の星』の主人公、星飛雄馬が父の命令でホームランバンドを肩にはめ、涙を流してトレーニングする場面など、今読むとかなり悲惨です。目撃したひとが児童相談所に「虐待だ」と通報しても今なら不思議ではないでしょう。
これは単なる根性論からくるものではなく、心理学の学習理論などが影響している行為だと思われます。
学習理論というのは、簡単にいえば、人間は「ある行為の結果、痛い思いをした」「叱られて体罰を与えられ、苦痛だった」といった経験をすると、次回はそれを回避しようとするというものです。
生きていくためには、生存を危うくするような苦痛を回避しなければならないからです。これは一種の学習行動とも言えます。
また行動主義心理学では、人間の行動は、与えられた刺激に反応するということが習慣化することで形成されていくと考えられています。こうしたことから、痛い思いをしないようにというのは、一種の「苦痛への恐れ」が基礎になっていることがわかります。失敗したらお父さんから殴られる、だから失敗しないように試験勉強もがんばる、というのも学習理論に立脚しているといえます。ところが、恐怖からくる学習に基づいて行動するには、絶えず緊張していなければなりません。大きな震災を経験すると、ちょっとした揺れにもびくっとします。この恐怖が親からのしつけだったとき、親に対する緊張感が強くなるということもしばしば起こります。そんな子どもたちは、二度と痛い目に遭わされたくないため、親の前では、失敗しないように、口答えして叱られないように、いい子となります。しつけというものは、このように学習理論によって、親から見た望ましい行動を強い、それを習慣づけていくことだといえます。基礎にあるものは、苦痛を回避したいという生存のための行動、それに伴う緊張ということになります。■「95点のテストは見せられない」子どもの習慣形成において、恐怖や緊張を用いたしつけこそが有効であるという考えは、現在でも説得力を持っています。特に規律を重んじる教育では、体罰や怒鳴ることが今でも行われています。親もそのことを望んでいれば、それほど問題にはなりません。特に運動部などの体育会系といわれる教育現場ではこのようなことが珍しくないようです。いっぽうで「子どもをほめて育てる」という考え方も、多くの育児書で推奨されています。それに対して、前者の教育を支持するひとたちは、「甘やかすとろくなことはない」「ほめてばかりいたら増長して何もしなくなってしまう」と批判します。AC(アダルト・チルドレン)と自認したひとたちが回想する親の姿は驚くほど似通っています。「絶対にほめない」「ダメな部分を見つけて批判する」だけでなく、楽しそうな雰囲気を漂わせていると「いい気になるんじゃない」「人生そんな甘いもんじゃない」と腰を折るのです。「テストで95点をとると、家に帰って母親に見せるのが怖くてたまらなかった」という彼女たちの言葉が不思議だったのですが、謎は解けました。photo by iStock 彼女たちの母は、「あと5点なのに、たった一問なのに、なぜ間違えたの!」と激しく叱責するのでした。もし60点だったらそれはそれでボロボロになるまで叱られ、100点をとれば「いい気になったらダメ」と言われ、要するに決してほめられることはないのです。■しつけのための2つの報酬その対極にあるような、ほめて育てる子育てとはどのようなものでしょう。さきほど述べた学習理論に必要なもうひとつの要素は、「報酬」です。苦痛を回避するための、恐怖にもとづいた行動習慣に加えて、もうひとつ、「言われたとおりにやるといいことがある」という経験によっても行動は形成されるのです。パブロフの犬の実験はとても有名です。ベルが鳴るとえさが出てくるということを繰り返し経験した犬は、ベルの音を聞いただけで、よだれが出てくるようになったのです。 子どもにとっての報酬とは、なんでしょう。それは「物質的報酬」と「心理的報酬」とに分けることができます。ピアノのレッスンを熱心にしたら、おやつを与える。言うことをきいてお片付けをしたら、ほしがっていたおもちゃを与える。これらは、物を報酬として与えることになります。photo by iStock一方、心理的報酬の多くは言葉によって与えることができます。「ほんとにがんばったね」「よくやったね」「えらかったね」「ママ、ほんとうにうれしいわ」などとほめることです。子どもが小さければ、抱きしめてあげて、いい子ねと頭を撫でることも報酬になるでしょう。子どもは違いに敏感さて、次のほめ方をさきほどのほめ方と比べてみましょう。「これでみんなより上になれるね」「目標達成できたね」「すごい成績だったね」前者は、本人の取り組む姿勢、一生懸命さをほめていますが、後者は、望ましい結果を出せたことをほめています。親はそれほど区別していないかもしれませんが、子どもはその違いに敏感なものです。「ママは、結果を評価し、結果を出した私をほめている」とすぐわかってしまいます。一生懸命やるだけではだめで、結果を出さなければほめてもらえないこともすぐに理解します。もちろん、この両方をほめる親もいると思います。がんばりや一生懸命さをほめ、結果が出たらそのこともほめるというように。 しかし前者のように、結果を伴わなくてもその姿勢やプロセスの取り組み方をほめることは、それほどやさしくありません。親自身が受験にしろ、勉強にしろ、運動にしろ、結果にこだわっていれば、やはりほめ方にもそれは表れてしまうものです。■「結果がすべて」の世界カウンセリングで出会う多くの人たちは、中学校や高校まで水泳や剣道といったスポーツで将来を嘱望されたのに、けがやアクシデント、そのほかさまざまな理由から一流選手になることができなかったという経験を持っています。 中には超名門の中学校に合格したのに、その後成績が伸びず、不登校になった人もいます。エミコさんは、4歳から水泳教室に通いました。水遊びはもちろん、水の中にいると、陸の上で靴を履いているときより自由になれる気がして、楽しくてたまらなかったのです。小学校3年のころには、近隣でも名門と呼ばれるスイミングスクールに通うようになり、なぜか「将来の夢はオリンピック選手」と言うようになっていました。3歳下の弟も泳ぎが速く、近所では水泳一家と呼ばれるような家庭でした。それというのも、父親が国体に出場経験のある水泳選手だったからです。当時は日本の企業が有望な水泳選手を何人も抱え込むことが珍しくなく、エミコさんの父は大企業に就職することができました。両親の夢は、自分たちの子どもが水泳選手として国体を超える大きな大会に出場すること、できればオリンピックの舞台でメダルを獲得することでした。小学校6年まではエミコさんのタイムは県大会でも注目されるほどでしたが、中学校に入ってからそれが止まってしまいました。体重も増え、体型も変わり、エミコさん自身がなんのために泳ぐのかがわからなくなってしまったのです。プールと学校以外にも世界はあるはずだ、もっとふつうの中学校生活を送りたい、そう考えながら、でもそれを父親に主張することなどできませんでした。 エミコさんは、原因不明の体調不良からドクターストップがかかり、3ヵ月間休学することになりました。これで大手を振って水泳から離れられる、そう思うとどこかほっとしました。ところが、それからは別の地獄が始まりました。両親の関心は弟に一極集中し、エミコさんは、まるで「いない者」のように扱われるようになったのです。両親はエミコさんが居間にいても目もくれず、ごはんをつくってもエミコさんがどれだけ食べたのかを気にもとめない。エミコさんが何時に寝て何時に起きたか、両親にとってはそれもどうでもいいことでした。弟はあからさまにエミコさんを下に見て、その視線のはしばしに侮蔑を浮かべるのでした。中学校は卒業できましたが、高校には行けないまま、エミコさんは25歳になるまで自宅に引きこもっていました。弟はオリンピックには出場できなかったものの、有名大学の水泳部で活躍し就職しました。弟が家を出たのも影響したのか、エミコさんは半年前からやっと外出できるようになり、カウンセリングにやってきました。左手首には何本ものリストカットの跡が残っています。エミコさんは明るく言いました。「これ、目立ちますか? リストカットのことなんか、母はまったく気付いてませんから。同じ屋根の下にいながら不思議でしょ」「結果がすべてでしたからね、結果が出せなくなったらもう人生終わりだという考えから、やっと半歩踏み出せた気がしています」 ■親の欲望スイッチが入るときエミコさんは極端な例かもしれませんが、結果がすべての判断基準であるということは、そこから外れた存在にとっては、このように残酷この上ない世界なのです。子どもが小さいころには、姿や言葉、すべてがいとおしくかけがえのないものだと思える親たちが、ある年齢から結果を追い求めていくようになるのはなぜでしょう。どこでスイッチが入るのでしょうか。おそらく、「ふつう」であることからこぼれ落ちないように、自分が味わったような思いをさせないために、自分が求めても得られなかったものを子どもに達成させるために、といった数々の親の欲望が、そのスイッチを押すのではないでしょうか。社会全体が「成果主義」的で「達成」を重んじるようになりつつある今、親だけは、子どもの姿勢や、一生懸命さをほめてあげたいものです。「よくやったね」「ほんとにがんばったね」と言って、抱きしめてあげる。これにまさる報酬はないでしょうし、きっと報酬という表現を超える何かを与えると思います。■お金で子どもを操作するさて、物質的報酬もよく見かけるものです。言うことを聞かせるために、「○○を買ってあげるから」という親は珍しくないでしょう。子ども自身が「○○が欲しい」と言い募ることもありますし、お友達の持っている物を自分はなぜ買ってもらえないのか、と言うこともあります。photo by iStockここで重要なことは、本来、物に対する要求は、それを得ることで広がる可能性と豊かになる世界の実現を意味しているということです。それがいつのまにか、物を得るために必要な金銭の要求へとすり替わっていきます。子どもの要求は、「○○が欲しい」から「○○を買って」に変化していくのです。中には、誕生日プレゼントを買う前に、子どもに何が欲しいかを言わせて、それを買ってプレゼントにするという親もいます。まるで誕生日プレゼントというものが、普段買ってもらえない物を特別に買ってもらうためだけにあるようではないでしょうか。 プレゼントとは、親が何を選んでくれたかをドキドキして待ち、自分のために一生懸命何かを買って(時には手作りして)くれたことを実感するものだと思います。そこに金銭の寡多は関与しないはずです。たしかに、お金があれば物を買うことも、行きたいところに行くこともできるでしょう。しかし、あくまでもお金は「手段」であり「目的」ではありません。親自身の価値観を、そのまま育児に反映させないようにしたいものです。子どもを操作するためにお金を利用する親もいます。たとえば、「今度のテストでいい成績をとったら、ずっとほしかったゲームソフトを買ってあげる」という場合。中にはお小遣い増額と言う親もいるようです。結果を出させるために、報酬である金銭を事前に予告するのです。受験をめぐる親子関係において、このようにお金を用いて勉強へのモチベーションを高める親は珍しくありません。さらに、親が疲れていたりすると、ついついお金を与えがちになります。言葉で説明するよりお金を与えたほうがずっと簡単に子どもを動かせるからです。 ■母の愛とお金ミキさんは、物心ついてからずっと、教師だった母親から「あんたにはちゃんとお金を用意してあるからね」と言い聞かされてきました。小学生のころから成績もよく、家事も手伝っていたミキさんは、ことあるごとに「ミキはしっかりしてるね」「あんたはほんとに手がかからない子だ」の二語をいつも言われてきました。ミキさんにとってそれは「しっかりしなければならない」「親にめんどうをかけてはいけない」という気持ちになる言葉でしかありませんでした。甘えや依存とは無縁の親子関係でしたが、唯一の例外が「あんたにはちゃんとお金を出してあげるからね」というささやきでした。現実には、志望する大学も自宅から通えという母親の言葉によってあきらめ、画家になりたいという希望も美術の先生になることに変更しました。しかしどこかで、人生で困ったときのために母親はお金を用意しておいてくれるという最後の絆だけは信じていたのです。7歳年下の弟のマコトさんは、ミキさんより成績は悪く、借金を重ねていろいろと職を変えた末に介護関連の仕事に就いていました。あまりに勝手な行動に腹を立てたミキさんは、ある時から弟とは絶縁状態になりました。母親から弟の愚痴をずっと聞かされてきたせいで、最後は自分が母のめんどうを見る覚悟でした。ところがあるとき、母親が弟にマンションを買い与えていたことが発覚したのです。結婚をあきらめて、母と同居も考えていたミキさんにとって、それは衝撃的な裏切りでした。お金を出してあげるからという母の言葉は、ミキさんにとっては母の愛をぎりぎり信じさせるものでした。ところが母は、弟にマンションを買い与え、おそらく借金の返済も引き受けていたのです。それを責めるミキさんに、母親は言い放ちました。「あんたと同居するつもりなんかないよ、マコトの勤める介護施設にもう予約してあるから」このように、愛情とお金とは、時には重なって見えるものです。だからこそ、育児においては、親の愛とお金とは切り離すということが重要になります。つまり報酬にお金を介在させないことです。具体的には、物を買ってあげることを条件にしない、子どもに嫌われないためにお金をあげたりはしない、などなどいくつも挙げることができます。まとめてみましょう。子どもに報酬を与えるときには、親自身がどのような金銭に対する価値観を持っているかを、点検する必要があります。「世の中すべて金次第」と考えてしまうことが多くても、子育てにおいてはそれ以外の報酬を与えるようにしましょう。子どもの態度や取り組み方、頑張る姿をほめたり、家族で楽しいことをしたりするような報酬を与えるようにしたいものです。第4回【子どもに「命令」できない親が急増中! それはただの責任放棄だ】に続きます。後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと
また行動主義心理学では、人間の行動は、与えられた刺激に反応するということが習慣化することで形成されていくと考えられています。
こうしたことから、痛い思いをしないようにというのは、一種の「苦痛への恐れ」が基礎になっていることがわかります。
失敗したらお父さんから殴られる、だから失敗しないように試験勉強もがんばる、というのも学習理論に立脚しているといえます。
ところが、恐怖からくる学習に基づいて行動するには、絶えず緊張していなければなりません。大きな震災を経験すると、ちょっとした揺れにもびくっとします。この恐怖が親からのしつけだったとき、親に対する緊張感が強くなるということもしばしば起こります。
そんな子どもたちは、二度と痛い目に遭わされたくないため、親の前では、失敗しないように、口答えして叱られないように、いい子となります。
しつけというものは、このように学習理論によって、親から見た望ましい行動を強い、それを習慣づけていくことだといえます。基礎にあるものは、苦痛を回避したいという生存のための行動、それに伴う緊張ということになります。
子どもの習慣形成において、恐怖や緊張を用いたしつけこそが有効であるという考えは、現在でも説得力を持っています。特に規律を重んじる教育では、体罰や怒鳴ることが今でも行われています。
親もそのことを望んでいれば、それほど問題にはなりません。特に運動部などの体育会系といわれる教育現場ではこのようなことが珍しくないようです。
いっぽうで「子どもをほめて育てる」という考え方も、多くの育児書で推奨されています。
それに対して、前者の教育を支持するひとたちは、「甘やかすとろくなことはない」「ほめてばかりいたら増長して何もしなくなってしまう」と批判します。
AC(アダルト・チルドレン)と自認したひとたちが回想する親の姿は驚くほど似通っています。
「絶対にほめない」「ダメな部分を見つけて批判する」だけでなく、楽しそうな雰囲気を漂わせていると「いい気になるんじゃない」「人生そんな甘いもんじゃない」と腰を折るのです。
「テストで95点をとると、家に帰って母親に見せるのが怖くてたまらなかった」という彼女たちの言葉が不思議だったのですが、謎は解けました。
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彼女たちの母は、「あと5点なのに、たった一問なのに、なぜ間違えたの!」と激しく叱責するのでした。もし60点だったらそれはそれでボロボロになるまで叱られ、100点をとれば「いい気になったらダメ」と言われ、要するに決してほめられることはないのです。■しつけのための2つの報酬その対極にあるような、ほめて育てる子育てとはどのようなものでしょう。さきほど述べた学習理論に必要なもうひとつの要素は、「報酬」です。苦痛を回避するための、恐怖にもとづいた行動習慣に加えて、もうひとつ、「言われたとおりにやるといいことがある」という経験によっても行動は形成されるのです。パブロフの犬の実験はとても有名です。ベルが鳴るとえさが出てくるということを繰り返し経験した犬は、ベルの音を聞いただけで、よだれが出てくるようになったのです。 子どもにとっての報酬とは、なんでしょう。それは「物質的報酬」と「心理的報酬」とに分けることができます。ピアノのレッスンを熱心にしたら、おやつを与える。言うことをきいてお片付けをしたら、ほしがっていたおもちゃを与える。これらは、物を報酬として与えることになります。photo by iStock一方、心理的報酬の多くは言葉によって与えることができます。「ほんとにがんばったね」「よくやったね」「えらかったね」「ママ、ほんとうにうれしいわ」などとほめることです。子どもが小さければ、抱きしめてあげて、いい子ねと頭を撫でることも報酬になるでしょう。子どもは違いに敏感さて、次のほめ方をさきほどのほめ方と比べてみましょう。「これでみんなより上になれるね」「目標達成できたね」「すごい成績だったね」前者は、本人の取り組む姿勢、一生懸命さをほめていますが、後者は、望ましい結果を出せたことをほめています。親はそれほど区別していないかもしれませんが、子どもはその違いに敏感なものです。「ママは、結果を評価し、結果を出した私をほめている」とすぐわかってしまいます。一生懸命やるだけではだめで、結果を出さなければほめてもらえないこともすぐに理解します。もちろん、この両方をほめる親もいると思います。がんばりや一生懸命さをほめ、結果が出たらそのこともほめるというように。 しかし前者のように、結果を伴わなくてもその姿勢やプロセスの取り組み方をほめることは、それほどやさしくありません。親自身が受験にしろ、勉強にしろ、運動にしろ、結果にこだわっていれば、やはりほめ方にもそれは表れてしまうものです。■「結果がすべて」の世界カウンセリングで出会う多くの人たちは、中学校や高校まで水泳や剣道といったスポーツで将来を嘱望されたのに、けがやアクシデント、そのほかさまざまな理由から一流選手になることができなかったという経験を持っています。 中には超名門の中学校に合格したのに、その後成績が伸びず、不登校になった人もいます。エミコさんは、4歳から水泳教室に通いました。水遊びはもちろん、水の中にいると、陸の上で靴を履いているときより自由になれる気がして、楽しくてたまらなかったのです。小学校3年のころには、近隣でも名門と呼ばれるスイミングスクールに通うようになり、なぜか「将来の夢はオリンピック選手」と言うようになっていました。3歳下の弟も泳ぎが速く、近所では水泳一家と呼ばれるような家庭でした。それというのも、父親が国体に出場経験のある水泳選手だったからです。当時は日本の企業が有望な水泳選手を何人も抱え込むことが珍しくなく、エミコさんの父は大企業に就職することができました。両親の夢は、自分たちの子どもが水泳選手として国体を超える大きな大会に出場すること、できればオリンピックの舞台でメダルを獲得することでした。小学校6年まではエミコさんのタイムは県大会でも注目されるほどでしたが、中学校に入ってからそれが止まってしまいました。体重も増え、体型も変わり、エミコさん自身がなんのために泳ぐのかがわからなくなってしまったのです。プールと学校以外にも世界はあるはずだ、もっとふつうの中学校生活を送りたい、そう考えながら、でもそれを父親に主張することなどできませんでした。 エミコさんは、原因不明の体調不良からドクターストップがかかり、3ヵ月間休学することになりました。これで大手を振って水泳から離れられる、そう思うとどこかほっとしました。ところが、それからは別の地獄が始まりました。両親の関心は弟に一極集中し、エミコさんは、まるで「いない者」のように扱われるようになったのです。両親はエミコさんが居間にいても目もくれず、ごはんをつくってもエミコさんがどれだけ食べたのかを気にもとめない。エミコさんが何時に寝て何時に起きたか、両親にとってはそれもどうでもいいことでした。弟はあからさまにエミコさんを下に見て、その視線のはしばしに侮蔑を浮かべるのでした。中学校は卒業できましたが、高校には行けないまま、エミコさんは25歳になるまで自宅に引きこもっていました。弟はオリンピックには出場できなかったものの、有名大学の水泳部で活躍し就職しました。弟が家を出たのも影響したのか、エミコさんは半年前からやっと外出できるようになり、カウンセリングにやってきました。左手首には何本ものリストカットの跡が残っています。エミコさんは明るく言いました。「これ、目立ちますか? リストカットのことなんか、母はまったく気付いてませんから。同じ屋根の下にいながら不思議でしょ」「結果がすべてでしたからね、結果が出せなくなったらもう人生終わりだという考えから、やっと半歩踏み出せた気がしています」 ■親の欲望スイッチが入るときエミコさんは極端な例かもしれませんが、結果がすべての判断基準であるということは、そこから外れた存在にとっては、このように残酷この上ない世界なのです。子どもが小さいころには、姿や言葉、すべてがいとおしくかけがえのないものだと思える親たちが、ある年齢から結果を追い求めていくようになるのはなぜでしょう。どこでスイッチが入るのでしょうか。おそらく、「ふつう」であることからこぼれ落ちないように、自分が味わったような思いをさせないために、自分が求めても得られなかったものを子どもに達成させるために、といった数々の親の欲望が、そのスイッチを押すのではないでしょうか。社会全体が「成果主義」的で「達成」を重んじるようになりつつある今、親だけは、子どもの姿勢や、一生懸命さをほめてあげたいものです。「よくやったね」「ほんとにがんばったね」と言って、抱きしめてあげる。これにまさる報酬はないでしょうし、きっと報酬という表現を超える何かを与えると思います。■お金で子どもを操作するさて、物質的報酬もよく見かけるものです。言うことを聞かせるために、「○○を買ってあげるから」という親は珍しくないでしょう。子ども自身が「○○が欲しい」と言い募ることもありますし、お友達の持っている物を自分はなぜ買ってもらえないのか、と言うこともあります。photo by iStockここで重要なことは、本来、物に対する要求は、それを得ることで広がる可能性と豊かになる世界の実現を意味しているということです。それがいつのまにか、物を得るために必要な金銭の要求へとすり替わっていきます。子どもの要求は、「○○が欲しい」から「○○を買って」に変化していくのです。中には、誕生日プレゼントを買う前に、子どもに何が欲しいかを言わせて、それを買ってプレゼントにするという親もいます。まるで誕生日プレゼントというものが、普段買ってもらえない物を特別に買ってもらうためだけにあるようではないでしょうか。 プレゼントとは、親が何を選んでくれたかをドキドキして待ち、自分のために一生懸命何かを買って(時には手作りして)くれたことを実感するものだと思います。そこに金銭の寡多は関与しないはずです。たしかに、お金があれば物を買うことも、行きたいところに行くこともできるでしょう。しかし、あくまでもお金は「手段」であり「目的」ではありません。親自身の価値観を、そのまま育児に反映させないようにしたいものです。子どもを操作するためにお金を利用する親もいます。たとえば、「今度のテストでいい成績をとったら、ずっとほしかったゲームソフトを買ってあげる」という場合。中にはお小遣い増額と言う親もいるようです。結果を出させるために、報酬である金銭を事前に予告するのです。受験をめぐる親子関係において、このようにお金を用いて勉強へのモチベーションを高める親は珍しくありません。さらに、親が疲れていたりすると、ついついお金を与えがちになります。言葉で説明するよりお金を与えたほうがずっと簡単に子どもを動かせるからです。 ■母の愛とお金ミキさんは、物心ついてからずっと、教師だった母親から「あんたにはちゃんとお金を用意してあるからね」と言い聞かされてきました。小学生のころから成績もよく、家事も手伝っていたミキさんは、ことあるごとに「ミキはしっかりしてるね」「あんたはほんとに手がかからない子だ」の二語をいつも言われてきました。ミキさんにとってそれは「しっかりしなければならない」「親にめんどうをかけてはいけない」という気持ちになる言葉でしかありませんでした。甘えや依存とは無縁の親子関係でしたが、唯一の例外が「あんたにはちゃんとお金を出してあげるからね」というささやきでした。現実には、志望する大学も自宅から通えという母親の言葉によってあきらめ、画家になりたいという希望も美術の先生になることに変更しました。しかしどこかで、人生で困ったときのために母親はお金を用意しておいてくれるという最後の絆だけは信じていたのです。7歳年下の弟のマコトさんは、ミキさんより成績は悪く、借金を重ねていろいろと職を変えた末に介護関連の仕事に就いていました。あまりに勝手な行動に腹を立てたミキさんは、ある時から弟とは絶縁状態になりました。母親から弟の愚痴をずっと聞かされてきたせいで、最後は自分が母のめんどうを見る覚悟でした。ところがあるとき、母親が弟にマンションを買い与えていたことが発覚したのです。結婚をあきらめて、母と同居も考えていたミキさんにとって、それは衝撃的な裏切りでした。お金を出してあげるからという母の言葉は、ミキさんにとっては母の愛をぎりぎり信じさせるものでした。ところが母は、弟にマンションを買い与え、おそらく借金の返済も引き受けていたのです。それを責めるミキさんに、母親は言い放ちました。「あんたと同居するつもりなんかないよ、マコトの勤める介護施設にもう予約してあるから」このように、愛情とお金とは、時には重なって見えるものです。だからこそ、育児においては、親の愛とお金とは切り離すということが重要になります。つまり報酬にお金を介在させないことです。具体的には、物を買ってあげることを条件にしない、子どもに嫌われないためにお金をあげたりはしない、などなどいくつも挙げることができます。まとめてみましょう。子どもに報酬を与えるときには、親自身がどのような金銭に対する価値観を持っているかを、点検する必要があります。「世の中すべて金次第」と考えてしまうことが多くても、子育てにおいてはそれ以外の報酬を与えるようにしましょう。子どもの態度や取り組み方、頑張る姿をほめたり、家族で楽しいことをしたりするような報酬を与えるようにしたいものです。第4回【子どもに「命令」できない親が急増中! それはただの責任放棄だ】に続きます。後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと
彼女たちの母は、「あと5点なのに、たった一問なのに、なぜ間違えたの!」と激しく叱責するのでした。
もし60点だったらそれはそれでボロボロになるまで叱られ、100点をとれば「いい気になったらダメ」と言われ、要するに決してほめられることはないのです。
その対極にあるような、ほめて育てる子育てとはどのようなものでしょう。
さきほど述べた学習理論に必要なもうひとつの要素は、「報酬」です。苦痛を回避するための、恐怖にもとづいた行動習慣に加えて、もうひとつ、「言われたとおりにやるといいことがある」という経験によっても行動は形成されるのです。
パブロフの犬の実験はとても有名です。ベルが鳴るとえさが出てくるということを繰り返し経験した犬は、ベルの音を聞いただけで、よだれが出てくるようになったのです。
子どもにとっての報酬とは、なんでしょう。それは「物質的報酬」と「心理的報酬」とに分けることができます。ピアノのレッスンを熱心にしたら、おやつを与える。言うことをきいてお片付けをしたら、ほしがっていたおもちゃを与える。これらは、物を報酬として与えることになります。photo by iStock一方、心理的報酬の多くは言葉によって与えることができます。「ほんとにがんばったね」「よくやったね」「えらかったね」「ママ、ほんとうにうれしいわ」などとほめることです。子どもが小さければ、抱きしめてあげて、いい子ねと頭を撫でることも報酬になるでしょう。子どもは違いに敏感さて、次のほめ方をさきほどのほめ方と比べてみましょう。「これでみんなより上になれるね」「目標達成できたね」「すごい成績だったね」前者は、本人の取り組む姿勢、一生懸命さをほめていますが、後者は、望ましい結果を出せたことをほめています。親はそれほど区別していないかもしれませんが、子どもはその違いに敏感なものです。「ママは、結果を評価し、結果を出した私をほめている」とすぐわかってしまいます。一生懸命やるだけではだめで、結果を出さなければほめてもらえないこともすぐに理解します。もちろん、この両方をほめる親もいると思います。がんばりや一生懸命さをほめ、結果が出たらそのこともほめるというように。 しかし前者のように、結果を伴わなくてもその姿勢やプロセスの取り組み方をほめることは、それほどやさしくありません。親自身が受験にしろ、勉強にしろ、運動にしろ、結果にこだわっていれば、やはりほめ方にもそれは表れてしまうものです。■「結果がすべて」の世界カウンセリングで出会う多くの人たちは、中学校や高校まで水泳や剣道といったスポーツで将来を嘱望されたのに、けがやアクシデント、そのほかさまざまな理由から一流選手になることができなかったという経験を持っています。 中には超名門の中学校に合格したのに、その後成績が伸びず、不登校になった人もいます。エミコさんは、4歳から水泳教室に通いました。水遊びはもちろん、水の中にいると、陸の上で靴を履いているときより自由になれる気がして、楽しくてたまらなかったのです。小学校3年のころには、近隣でも名門と呼ばれるスイミングスクールに通うようになり、なぜか「将来の夢はオリンピック選手」と言うようになっていました。3歳下の弟も泳ぎが速く、近所では水泳一家と呼ばれるような家庭でした。それというのも、父親が国体に出場経験のある水泳選手だったからです。当時は日本の企業が有望な水泳選手を何人も抱え込むことが珍しくなく、エミコさんの父は大企業に就職することができました。両親の夢は、自分たちの子どもが水泳選手として国体を超える大きな大会に出場すること、できればオリンピックの舞台でメダルを獲得することでした。小学校6年まではエミコさんのタイムは県大会でも注目されるほどでしたが、中学校に入ってからそれが止まってしまいました。体重も増え、体型も変わり、エミコさん自身がなんのために泳ぐのかがわからなくなってしまったのです。プールと学校以外にも世界はあるはずだ、もっとふつうの中学校生活を送りたい、そう考えながら、でもそれを父親に主張することなどできませんでした。 エミコさんは、原因不明の体調不良からドクターストップがかかり、3ヵ月間休学することになりました。これで大手を振って水泳から離れられる、そう思うとどこかほっとしました。ところが、それからは別の地獄が始まりました。両親の関心は弟に一極集中し、エミコさんは、まるで「いない者」のように扱われるようになったのです。両親はエミコさんが居間にいても目もくれず、ごはんをつくってもエミコさんがどれだけ食べたのかを気にもとめない。エミコさんが何時に寝て何時に起きたか、両親にとってはそれもどうでもいいことでした。弟はあからさまにエミコさんを下に見て、その視線のはしばしに侮蔑を浮かべるのでした。中学校は卒業できましたが、高校には行けないまま、エミコさんは25歳になるまで自宅に引きこもっていました。弟はオリンピックには出場できなかったものの、有名大学の水泳部で活躍し就職しました。弟が家を出たのも影響したのか、エミコさんは半年前からやっと外出できるようになり、カウンセリングにやってきました。左手首には何本ものリストカットの跡が残っています。エミコさんは明るく言いました。「これ、目立ちますか? リストカットのことなんか、母はまったく気付いてませんから。同じ屋根の下にいながら不思議でしょ」「結果がすべてでしたからね、結果が出せなくなったらもう人生終わりだという考えから、やっと半歩踏み出せた気がしています」 ■親の欲望スイッチが入るときエミコさんは極端な例かもしれませんが、結果がすべての判断基準であるということは、そこから外れた存在にとっては、このように残酷この上ない世界なのです。子どもが小さいころには、姿や言葉、すべてがいとおしくかけがえのないものだと思える親たちが、ある年齢から結果を追い求めていくようになるのはなぜでしょう。どこでスイッチが入るのでしょうか。おそらく、「ふつう」であることからこぼれ落ちないように、自分が味わったような思いをさせないために、自分が求めても得られなかったものを子どもに達成させるために、といった数々の親の欲望が、そのスイッチを押すのではないでしょうか。社会全体が「成果主義」的で「達成」を重んじるようになりつつある今、親だけは、子どもの姿勢や、一生懸命さをほめてあげたいものです。「よくやったね」「ほんとにがんばったね」と言って、抱きしめてあげる。これにまさる報酬はないでしょうし、きっと報酬という表現を超える何かを与えると思います。■お金で子どもを操作するさて、物質的報酬もよく見かけるものです。言うことを聞かせるために、「○○を買ってあげるから」という親は珍しくないでしょう。子ども自身が「○○が欲しい」と言い募ることもありますし、お友達の持っている物を自分はなぜ買ってもらえないのか、と言うこともあります。photo by iStockここで重要なことは、本来、物に対する要求は、それを得ることで広がる可能性と豊かになる世界の実現を意味しているということです。それがいつのまにか、物を得るために必要な金銭の要求へとすり替わっていきます。子どもの要求は、「○○が欲しい」から「○○を買って」に変化していくのです。中には、誕生日プレゼントを買う前に、子どもに何が欲しいかを言わせて、それを買ってプレゼントにするという親もいます。まるで誕生日プレゼントというものが、普段買ってもらえない物を特別に買ってもらうためだけにあるようではないでしょうか。 プレゼントとは、親が何を選んでくれたかをドキドキして待ち、自分のために一生懸命何かを買って(時には手作りして)くれたことを実感するものだと思います。そこに金銭の寡多は関与しないはずです。たしかに、お金があれば物を買うことも、行きたいところに行くこともできるでしょう。しかし、あくまでもお金は「手段」であり「目的」ではありません。親自身の価値観を、そのまま育児に反映させないようにしたいものです。子どもを操作するためにお金を利用する親もいます。たとえば、「今度のテストでいい成績をとったら、ずっとほしかったゲームソフトを買ってあげる」という場合。中にはお小遣い増額と言う親もいるようです。結果を出させるために、報酬である金銭を事前に予告するのです。受験をめぐる親子関係において、このようにお金を用いて勉強へのモチベーションを高める親は珍しくありません。さらに、親が疲れていたりすると、ついついお金を与えがちになります。言葉で説明するよりお金を与えたほうがずっと簡単に子どもを動かせるからです。 ■母の愛とお金ミキさんは、物心ついてからずっと、教師だった母親から「あんたにはちゃんとお金を用意してあるからね」と言い聞かされてきました。小学生のころから成績もよく、家事も手伝っていたミキさんは、ことあるごとに「ミキはしっかりしてるね」「あんたはほんとに手がかからない子だ」の二語をいつも言われてきました。ミキさんにとってそれは「しっかりしなければならない」「親にめんどうをかけてはいけない」という気持ちになる言葉でしかありませんでした。甘えや依存とは無縁の親子関係でしたが、唯一の例外が「あんたにはちゃんとお金を出してあげるからね」というささやきでした。現実には、志望する大学も自宅から通えという母親の言葉によってあきらめ、画家になりたいという希望も美術の先生になることに変更しました。しかしどこかで、人生で困ったときのために母親はお金を用意しておいてくれるという最後の絆だけは信じていたのです。7歳年下の弟のマコトさんは、ミキさんより成績は悪く、借金を重ねていろいろと職を変えた末に介護関連の仕事に就いていました。あまりに勝手な行動に腹を立てたミキさんは、ある時から弟とは絶縁状態になりました。母親から弟の愚痴をずっと聞かされてきたせいで、最後は自分が母のめんどうを見る覚悟でした。ところがあるとき、母親が弟にマンションを買い与えていたことが発覚したのです。結婚をあきらめて、母と同居も考えていたミキさんにとって、それは衝撃的な裏切りでした。お金を出してあげるからという母の言葉は、ミキさんにとっては母の愛をぎりぎり信じさせるものでした。ところが母は、弟にマンションを買い与え、おそらく借金の返済も引き受けていたのです。それを責めるミキさんに、母親は言い放ちました。「あんたと同居するつもりなんかないよ、マコトの勤める介護施設にもう予約してあるから」このように、愛情とお金とは、時には重なって見えるものです。だからこそ、育児においては、親の愛とお金とは切り離すということが重要になります。つまり報酬にお金を介在させないことです。具体的には、物を買ってあげることを条件にしない、子どもに嫌われないためにお金をあげたりはしない、などなどいくつも挙げることができます。まとめてみましょう。子どもに報酬を与えるときには、親自身がどのような金銭に対する価値観を持っているかを、点検する必要があります。「世の中すべて金次第」と考えてしまうことが多くても、子育てにおいてはそれ以外の報酬を与えるようにしましょう。子どもの態度や取り組み方、頑張る姿をほめたり、家族で楽しいことをしたりするような報酬を与えるようにしたいものです。第4回【子どもに「命令」できない親が急増中! それはただの責任放棄だ】に続きます。後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと
子どもにとっての報酬とは、なんでしょう。
それは「物質的報酬」と「心理的報酬」とに分けることができます。
ピアノのレッスンを熱心にしたら、おやつを与える。言うことをきいてお片付けをしたら、ほしがっていたおもちゃを与える。これらは、物を報酬として与えることになります。
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一方、心理的報酬の多くは言葉によって与えることができます。
「ほんとにがんばったね」「よくやったね」「えらかったね」「ママ、ほんとうにうれしいわ」
などとほめることです。
子どもが小さければ、抱きしめてあげて、いい子ねと頭を撫でることも報酬になるでしょう。
さて、次のほめ方をさきほどのほめ方と比べてみましょう。
「これでみんなより上になれるね」「目標達成できたね」「すごい成績だったね」
前者は、本人の取り組む姿勢、一生懸命さをほめていますが、後者は、望ましい結果を出せたことをほめています。
親はそれほど区別していないかもしれませんが、子どもはその違いに敏感なものです。
「ママは、結果を評価し、結果を出した私をほめている」とすぐわかってしまいます。一生懸命やるだけではだめで、結果を出さなければほめてもらえないこともすぐに理解します。
もちろん、この両方をほめる親もいると思います。がんばりや一生懸命さをほめ、結果が出たらそのこともほめるというように。
しかし前者のように、結果を伴わなくてもその姿勢やプロセスの取り組み方をほめることは、それほどやさしくありません。親自身が受験にしろ、勉強にしろ、運動にしろ、結果にこだわっていれば、やはりほめ方にもそれは表れてしまうものです。■「結果がすべて」の世界カウンセリングで出会う多くの人たちは、中学校や高校まで水泳や剣道といったスポーツで将来を嘱望されたのに、けがやアクシデント、そのほかさまざまな理由から一流選手になることができなかったという経験を持っています。 中には超名門の中学校に合格したのに、その後成績が伸びず、不登校になった人もいます。エミコさんは、4歳から水泳教室に通いました。水遊びはもちろん、水の中にいると、陸の上で靴を履いているときより自由になれる気がして、楽しくてたまらなかったのです。小学校3年のころには、近隣でも名門と呼ばれるスイミングスクールに通うようになり、なぜか「将来の夢はオリンピック選手」と言うようになっていました。3歳下の弟も泳ぎが速く、近所では水泳一家と呼ばれるような家庭でした。それというのも、父親が国体に出場経験のある水泳選手だったからです。当時は日本の企業が有望な水泳選手を何人も抱え込むことが珍しくなく、エミコさんの父は大企業に就職することができました。両親の夢は、自分たちの子どもが水泳選手として国体を超える大きな大会に出場すること、できればオリンピックの舞台でメダルを獲得することでした。小学校6年まではエミコさんのタイムは県大会でも注目されるほどでしたが、中学校に入ってからそれが止まってしまいました。体重も増え、体型も変わり、エミコさん自身がなんのために泳ぐのかがわからなくなってしまったのです。プールと学校以外にも世界はあるはずだ、もっとふつうの中学校生活を送りたい、そう考えながら、でもそれを父親に主張することなどできませんでした。 エミコさんは、原因不明の体調不良からドクターストップがかかり、3ヵ月間休学することになりました。これで大手を振って水泳から離れられる、そう思うとどこかほっとしました。ところが、それからは別の地獄が始まりました。両親の関心は弟に一極集中し、エミコさんは、まるで「いない者」のように扱われるようになったのです。両親はエミコさんが居間にいても目もくれず、ごはんをつくってもエミコさんがどれだけ食べたのかを気にもとめない。エミコさんが何時に寝て何時に起きたか、両親にとってはそれもどうでもいいことでした。弟はあからさまにエミコさんを下に見て、その視線のはしばしに侮蔑を浮かべるのでした。中学校は卒業できましたが、高校には行けないまま、エミコさんは25歳になるまで自宅に引きこもっていました。弟はオリンピックには出場できなかったものの、有名大学の水泳部で活躍し就職しました。弟が家を出たのも影響したのか、エミコさんは半年前からやっと外出できるようになり、カウンセリングにやってきました。左手首には何本ものリストカットの跡が残っています。エミコさんは明るく言いました。「これ、目立ちますか? リストカットのことなんか、母はまったく気付いてませんから。同じ屋根の下にいながら不思議でしょ」「結果がすべてでしたからね、結果が出せなくなったらもう人生終わりだという考えから、やっと半歩踏み出せた気がしています」 ■親の欲望スイッチが入るときエミコさんは極端な例かもしれませんが、結果がすべての判断基準であるということは、そこから外れた存在にとっては、このように残酷この上ない世界なのです。子どもが小さいころには、姿や言葉、すべてがいとおしくかけがえのないものだと思える親たちが、ある年齢から結果を追い求めていくようになるのはなぜでしょう。どこでスイッチが入るのでしょうか。おそらく、「ふつう」であることからこぼれ落ちないように、自分が味わったような思いをさせないために、自分が求めても得られなかったものを子どもに達成させるために、といった数々の親の欲望が、そのスイッチを押すのではないでしょうか。社会全体が「成果主義」的で「達成」を重んじるようになりつつある今、親だけは、子どもの姿勢や、一生懸命さをほめてあげたいものです。「よくやったね」「ほんとにがんばったね」と言って、抱きしめてあげる。これにまさる報酬はないでしょうし、きっと報酬という表現を超える何かを与えると思います。■お金で子どもを操作するさて、物質的報酬もよく見かけるものです。言うことを聞かせるために、「○○を買ってあげるから」という親は珍しくないでしょう。子ども自身が「○○が欲しい」と言い募ることもありますし、お友達の持っている物を自分はなぜ買ってもらえないのか、と言うこともあります。photo by iStockここで重要なことは、本来、物に対する要求は、それを得ることで広がる可能性と豊かになる世界の実現を意味しているということです。それがいつのまにか、物を得るために必要な金銭の要求へとすり替わっていきます。子どもの要求は、「○○が欲しい」から「○○を買って」に変化していくのです。中には、誕生日プレゼントを買う前に、子どもに何が欲しいかを言わせて、それを買ってプレゼントにするという親もいます。まるで誕生日プレゼントというものが、普段買ってもらえない物を特別に買ってもらうためだけにあるようではないでしょうか。 プレゼントとは、親が何を選んでくれたかをドキドキして待ち、自分のために一生懸命何かを買って(時には手作りして)くれたことを実感するものだと思います。そこに金銭の寡多は関与しないはずです。たしかに、お金があれば物を買うことも、行きたいところに行くこともできるでしょう。しかし、あくまでもお金は「手段」であり「目的」ではありません。親自身の価値観を、そのまま育児に反映させないようにしたいものです。子どもを操作するためにお金を利用する親もいます。たとえば、「今度のテストでいい成績をとったら、ずっとほしかったゲームソフトを買ってあげる」という場合。中にはお小遣い増額と言う親もいるようです。結果を出させるために、報酬である金銭を事前に予告するのです。受験をめぐる親子関係において、このようにお金を用いて勉強へのモチベーションを高める親は珍しくありません。さらに、親が疲れていたりすると、ついついお金を与えがちになります。言葉で説明するよりお金を与えたほうがずっと簡単に子どもを動かせるからです。 ■母の愛とお金ミキさんは、物心ついてからずっと、教師だった母親から「あんたにはちゃんとお金を用意してあるからね」と言い聞かされてきました。小学生のころから成績もよく、家事も手伝っていたミキさんは、ことあるごとに「ミキはしっかりしてるね」「あんたはほんとに手がかからない子だ」の二語をいつも言われてきました。ミキさんにとってそれは「しっかりしなければならない」「親にめんどうをかけてはいけない」という気持ちになる言葉でしかありませんでした。甘えや依存とは無縁の親子関係でしたが、唯一の例外が「あんたにはちゃんとお金を出してあげるからね」というささやきでした。現実には、志望する大学も自宅から通えという母親の言葉によってあきらめ、画家になりたいという希望も美術の先生になることに変更しました。しかしどこかで、人生で困ったときのために母親はお金を用意しておいてくれるという最後の絆だけは信じていたのです。7歳年下の弟のマコトさんは、ミキさんより成績は悪く、借金を重ねていろいろと職を変えた末に介護関連の仕事に就いていました。あまりに勝手な行動に腹を立てたミキさんは、ある時から弟とは絶縁状態になりました。母親から弟の愚痴をずっと聞かされてきたせいで、最後は自分が母のめんどうを見る覚悟でした。ところがあるとき、母親が弟にマンションを買い与えていたことが発覚したのです。結婚をあきらめて、母と同居も考えていたミキさんにとって、それは衝撃的な裏切りでした。お金を出してあげるからという母の言葉は、ミキさんにとっては母の愛をぎりぎり信じさせるものでした。ところが母は、弟にマンションを買い与え、おそらく借金の返済も引き受けていたのです。それを責めるミキさんに、母親は言い放ちました。「あんたと同居するつもりなんかないよ、マコトの勤める介護施設にもう予約してあるから」このように、愛情とお金とは、時には重なって見えるものです。だからこそ、育児においては、親の愛とお金とは切り離すということが重要になります。つまり報酬にお金を介在させないことです。具体的には、物を買ってあげることを条件にしない、子どもに嫌われないためにお金をあげたりはしない、などなどいくつも挙げることができます。まとめてみましょう。子どもに報酬を与えるときには、親自身がどのような金銭に対する価値観を持っているかを、点検する必要があります。「世の中すべて金次第」と考えてしまうことが多くても、子育てにおいてはそれ以外の報酬を与えるようにしましょう。子どもの態度や取り組み方、頑張る姿をほめたり、家族で楽しいことをしたりするような報酬を与えるようにしたいものです。第4回【子どもに「命令」できない親が急増中! それはただの責任放棄だ】に続きます。後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと
しかし前者のように、結果を伴わなくてもその姿勢やプロセスの取り組み方をほめることは、それほどやさしくありません。
親自身が受験にしろ、勉強にしろ、運動にしろ、結果にこだわっていれば、やはりほめ方にもそれは表れてしまうものです。
カウンセリングで出会う多くの人たちは、中学校や高校まで水泳や剣道といったスポーツで将来を嘱望されたのに、けがやアクシデント、そのほかさまざまな理由から一流選手になることができなかったという経験を持っています。
中には超名門の中学校に合格したのに、その後成績が伸びず、不登校になった人もいます。エミコさんは、4歳から水泳教室に通いました。水遊びはもちろん、水の中にいると、陸の上で靴を履いているときより自由になれる気がして、楽しくてたまらなかったのです。小学校3年のころには、近隣でも名門と呼ばれるスイミングスクールに通うようになり、なぜか「将来の夢はオリンピック選手」と言うようになっていました。3歳下の弟も泳ぎが速く、近所では水泳一家と呼ばれるような家庭でした。それというのも、父親が国体に出場経験のある水泳選手だったからです。当時は日本の企業が有望な水泳選手を何人も抱え込むことが珍しくなく、エミコさんの父は大企業に就職することができました。両親の夢は、自分たちの子どもが水泳選手として国体を超える大きな大会に出場すること、できればオリンピックの舞台でメダルを獲得することでした。小学校6年まではエミコさんのタイムは県大会でも注目されるほどでしたが、中学校に入ってからそれが止まってしまいました。体重も増え、体型も変わり、エミコさん自身がなんのために泳ぐのかがわからなくなってしまったのです。プールと学校以外にも世界はあるはずだ、もっとふつうの中学校生活を送りたい、そう考えながら、でもそれを父親に主張することなどできませんでした。 エミコさんは、原因不明の体調不良からドクターストップがかかり、3ヵ月間休学することになりました。これで大手を振って水泳から離れられる、そう思うとどこかほっとしました。ところが、それからは別の地獄が始まりました。両親の関心は弟に一極集中し、エミコさんは、まるで「いない者」のように扱われるようになったのです。両親はエミコさんが居間にいても目もくれず、ごはんをつくってもエミコさんがどれだけ食べたのかを気にもとめない。エミコさんが何時に寝て何時に起きたか、両親にとってはそれもどうでもいいことでした。弟はあからさまにエミコさんを下に見て、その視線のはしばしに侮蔑を浮かべるのでした。中学校は卒業できましたが、高校には行けないまま、エミコさんは25歳になるまで自宅に引きこもっていました。弟はオリンピックには出場できなかったものの、有名大学の水泳部で活躍し就職しました。弟が家を出たのも影響したのか、エミコさんは半年前からやっと外出できるようになり、カウンセリングにやってきました。左手首には何本ものリストカットの跡が残っています。エミコさんは明るく言いました。「これ、目立ちますか? リストカットのことなんか、母はまったく気付いてませんから。同じ屋根の下にいながら不思議でしょ」「結果がすべてでしたからね、結果が出せなくなったらもう人生終わりだという考えから、やっと半歩踏み出せた気がしています」 ■親の欲望スイッチが入るときエミコさんは極端な例かもしれませんが、結果がすべての判断基準であるということは、そこから外れた存在にとっては、このように残酷この上ない世界なのです。子どもが小さいころには、姿や言葉、すべてがいとおしくかけがえのないものだと思える親たちが、ある年齢から結果を追い求めていくようになるのはなぜでしょう。どこでスイッチが入るのでしょうか。おそらく、「ふつう」であることからこぼれ落ちないように、自分が味わったような思いをさせないために、自分が求めても得られなかったものを子どもに達成させるために、といった数々の親の欲望が、そのスイッチを押すのではないでしょうか。社会全体が「成果主義」的で「達成」を重んじるようになりつつある今、親だけは、子どもの姿勢や、一生懸命さをほめてあげたいものです。「よくやったね」「ほんとにがんばったね」と言って、抱きしめてあげる。これにまさる報酬はないでしょうし、きっと報酬という表現を超える何かを与えると思います。■お金で子どもを操作するさて、物質的報酬もよく見かけるものです。言うことを聞かせるために、「○○を買ってあげるから」という親は珍しくないでしょう。子ども自身が「○○が欲しい」と言い募ることもありますし、お友達の持っている物を自分はなぜ買ってもらえないのか、と言うこともあります。photo by iStockここで重要なことは、本来、物に対する要求は、それを得ることで広がる可能性と豊かになる世界の実現を意味しているということです。それがいつのまにか、物を得るために必要な金銭の要求へとすり替わっていきます。子どもの要求は、「○○が欲しい」から「○○を買って」に変化していくのです。中には、誕生日プレゼントを買う前に、子どもに何が欲しいかを言わせて、それを買ってプレゼントにするという親もいます。まるで誕生日プレゼントというものが、普段買ってもらえない物を特別に買ってもらうためだけにあるようではないでしょうか。 プレゼントとは、親が何を選んでくれたかをドキドキして待ち、自分のために一生懸命何かを買って(時には手作りして)くれたことを実感するものだと思います。そこに金銭の寡多は関与しないはずです。たしかに、お金があれば物を買うことも、行きたいところに行くこともできるでしょう。しかし、あくまでもお金は「手段」であり「目的」ではありません。親自身の価値観を、そのまま育児に反映させないようにしたいものです。子どもを操作するためにお金を利用する親もいます。たとえば、「今度のテストでいい成績をとったら、ずっとほしかったゲームソフトを買ってあげる」という場合。中にはお小遣い増額と言う親もいるようです。結果を出させるために、報酬である金銭を事前に予告するのです。受験をめぐる親子関係において、このようにお金を用いて勉強へのモチベーションを高める親は珍しくありません。さらに、親が疲れていたりすると、ついついお金を与えがちになります。言葉で説明するよりお金を与えたほうがずっと簡単に子どもを動かせるからです。 ■母の愛とお金ミキさんは、物心ついてからずっと、教師だった母親から「あんたにはちゃんとお金を用意してあるからね」と言い聞かされてきました。小学生のころから成績もよく、家事も手伝っていたミキさんは、ことあるごとに「ミキはしっかりしてるね」「あんたはほんとに手がかからない子だ」の二語をいつも言われてきました。ミキさんにとってそれは「しっかりしなければならない」「親にめんどうをかけてはいけない」という気持ちになる言葉でしかありませんでした。甘えや依存とは無縁の親子関係でしたが、唯一の例外が「あんたにはちゃんとお金を出してあげるからね」というささやきでした。現実には、志望する大学も自宅から通えという母親の言葉によってあきらめ、画家になりたいという希望も美術の先生になることに変更しました。しかしどこかで、人生で困ったときのために母親はお金を用意しておいてくれるという最後の絆だけは信じていたのです。7歳年下の弟のマコトさんは、ミキさんより成績は悪く、借金を重ねていろいろと職を変えた末に介護関連の仕事に就いていました。あまりに勝手な行動に腹を立てたミキさんは、ある時から弟とは絶縁状態になりました。母親から弟の愚痴をずっと聞かされてきたせいで、最後は自分が母のめんどうを見る覚悟でした。ところがあるとき、母親が弟にマンションを買い与えていたことが発覚したのです。結婚をあきらめて、母と同居も考えていたミキさんにとって、それは衝撃的な裏切りでした。お金を出してあげるからという母の言葉は、ミキさんにとっては母の愛をぎりぎり信じさせるものでした。ところが母は、弟にマンションを買い与え、おそらく借金の返済も引き受けていたのです。それを責めるミキさんに、母親は言い放ちました。「あんたと同居するつもりなんかないよ、マコトの勤める介護施設にもう予約してあるから」このように、愛情とお金とは、時には重なって見えるものです。だからこそ、育児においては、親の愛とお金とは切り離すということが重要になります。つまり報酬にお金を介在させないことです。具体的には、物を買ってあげることを条件にしない、子どもに嫌われないためにお金をあげたりはしない、などなどいくつも挙げることができます。まとめてみましょう。子どもに報酬を与えるときには、親自身がどのような金銭に対する価値観を持っているかを、点検する必要があります。「世の中すべて金次第」と考えてしまうことが多くても、子育てにおいてはそれ以外の報酬を与えるようにしましょう。子どもの態度や取り組み方、頑張る姿をほめたり、家族で楽しいことをしたりするような報酬を与えるようにしたいものです。第4回【子どもに「命令」できない親が急増中! それはただの責任放棄だ】に続きます。後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと
中には超名門の中学校に合格したのに、その後成績が伸びず、不登校になった人もいます。
エミコさんは、4歳から水泳教室に通いました。水遊びはもちろん、水の中にいると、陸の上で靴を履いているときより自由になれる気がして、楽しくてたまらなかったのです。
小学校3年のころには、近隣でも名門と呼ばれるスイミングスクールに通うようになり、なぜか「将来の夢はオリンピック選手」と言うようになっていました。
3歳下の弟も泳ぎが速く、近所では水泳一家と呼ばれるような家庭でした。それというのも、父親が国体に出場経験のある水泳選手だったからです。
当時は日本の企業が有望な水泳選手を何人も抱え込むことが珍しくなく、エミコさんの父は大企業に就職することができました。
両親の夢は、自分たちの子どもが水泳選手として国体を超える大きな大会に出場すること、できればオリンピックの舞台でメダルを獲得することでした。
小学校6年まではエミコさんのタイムは県大会でも注目されるほどでしたが、中学校に入ってからそれが止まってしまいました。
体重も増え、体型も変わり、エミコさん自身がなんのために泳ぐのかがわからなくなってしまったのです。
プールと学校以外にも世界はあるはずだ、もっとふつうの中学校生活を送りたい、そう考えながら、でもそれを父親に主張することなどできませんでした。 エミコさんは、原因不明の体調不良からドクターストップがかかり、3ヵ月間休学することになりました。これで大手を振って水泳から離れられる、そう思うとどこかほっとしました。ところが、それからは別の地獄が始まりました。両親の関心は弟に一極集中し、エミコさんは、まるで「いない者」のように扱われるようになったのです。両親はエミコさんが居間にいても目もくれず、ごはんをつくってもエミコさんがどれだけ食べたのかを気にもとめない。エミコさんが何時に寝て何時に起きたか、両親にとってはそれもどうでもいいことでした。弟はあからさまにエミコさんを下に見て、その視線のはしばしに侮蔑を浮かべるのでした。中学校は卒業できましたが、高校には行けないまま、エミコさんは25歳になるまで自宅に引きこもっていました。弟はオリンピックには出場できなかったものの、有名大学の水泳部で活躍し就職しました。弟が家を出たのも影響したのか、エミコさんは半年前からやっと外出できるようになり、カウンセリングにやってきました。左手首には何本ものリストカットの跡が残っています。エミコさんは明るく言いました。「これ、目立ちますか? リストカットのことなんか、母はまったく気付いてませんから。同じ屋根の下にいながら不思議でしょ」「結果がすべてでしたからね、結果が出せなくなったらもう人生終わりだという考えから、やっと半歩踏み出せた気がしています」 ■親の欲望スイッチが入るときエミコさんは極端な例かもしれませんが、結果がすべての判断基準であるということは、そこから外れた存在にとっては、このように残酷この上ない世界なのです。子どもが小さいころには、姿や言葉、すべてがいとおしくかけがえのないものだと思える親たちが、ある年齢から結果を追い求めていくようになるのはなぜでしょう。どこでスイッチが入るのでしょうか。おそらく、「ふつう」であることからこぼれ落ちないように、自分が味わったような思いをさせないために、自分が求めても得られなかったものを子どもに達成させるために、といった数々の親の欲望が、そのスイッチを押すのではないでしょうか。社会全体が「成果主義」的で「達成」を重んじるようになりつつある今、親だけは、子どもの姿勢や、一生懸命さをほめてあげたいものです。「よくやったね」「ほんとにがんばったね」と言って、抱きしめてあげる。これにまさる報酬はないでしょうし、きっと報酬という表現を超える何かを与えると思います。■お金で子どもを操作するさて、物質的報酬もよく見かけるものです。言うことを聞かせるために、「○○を買ってあげるから」という親は珍しくないでしょう。子ども自身が「○○が欲しい」と言い募ることもありますし、お友達の持っている物を自分はなぜ買ってもらえないのか、と言うこともあります。photo by iStockここで重要なことは、本来、物に対する要求は、それを得ることで広がる可能性と豊かになる世界の実現を意味しているということです。それがいつのまにか、物を得るために必要な金銭の要求へとすり替わっていきます。子どもの要求は、「○○が欲しい」から「○○を買って」に変化していくのです。中には、誕生日プレゼントを買う前に、子どもに何が欲しいかを言わせて、それを買ってプレゼントにするという親もいます。まるで誕生日プレゼントというものが、普段買ってもらえない物を特別に買ってもらうためだけにあるようではないでしょうか。 プレゼントとは、親が何を選んでくれたかをドキドキして待ち、自分のために一生懸命何かを買って(時には手作りして)くれたことを実感するものだと思います。そこに金銭の寡多は関与しないはずです。たしかに、お金があれば物を買うことも、行きたいところに行くこともできるでしょう。しかし、あくまでもお金は「手段」であり「目的」ではありません。親自身の価値観を、そのまま育児に反映させないようにしたいものです。子どもを操作するためにお金を利用する親もいます。たとえば、「今度のテストでいい成績をとったら、ずっとほしかったゲームソフトを買ってあげる」という場合。中にはお小遣い増額と言う親もいるようです。結果を出させるために、報酬である金銭を事前に予告するのです。受験をめぐる親子関係において、このようにお金を用いて勉強へのモチベーションを高める親は珍しくありません。さらに、親が疲れていたりすると、ついついお金を与えがちになります。言葉で説明するよりお金を与えたほうがずっと簡単に子どもを動かせるからです。 ■母の愛とお金ミキさんは、物心ついてからずっと、教師だった母親から「あんたにはちゃんとお金を用意してあるからね」と言い聞かされてきました。小学生のころから成績もよく、家事も手伝っていたミキさんは、ことあるごとに「ミキはしっかりしてるね」「あんたはほんとに手がかからない子だ」の二語をいつも言われてきました。ミキさんにとってそれは「しっかりしなければならない」「親にめんどうをかけてはいけない」という気持ちになる言葉でしかありませんでした。甘えや依存とは無縁の親子関係でしたが、唯一の例外が「あんたにはちゃんとお金を出してあげるからね」というささやきでした。現実には、志望する大学も自宅から通えという母親の言葉によってあきらめ、画家になりたいという希望も美術の先生になることに変更しました。しかしどこかで、人生で困ったときのために母親はお金を用意しておいてくれるという最後の絆だけは信じていたのです。7歳年下の弟のマコトさんは、ミキさんより成績は悪く、借金を重ねていろいろと職を変えた末に介護関連の仕事に就いていました。あまりに勝手な行動に腹を立てたミキさんは、ある時から弟とは絶縁状態になりました。母親から弟の愚痴をずっと聞かされてきたせいで、最後は自分が母のめんどうを見る覚悟でした。ところがあるとき、母親が弟にマンションを買い与えていたことが発覚したのです。結婚をあきらめて、母と同居も考えていたミキさんにとって、それは衝撃的な裏切りでした。お金を出してあげるからという母の言葉は、ミキさんにとっては母の愛をぎりぎり信じさせるものでした。ところが母は、弟にマンションを買い与え、おそらく借金の返済も引き受けていたのです。それを責めるミキさんに、母親は言い放ちました。「あんたと同居するつもりなんかないよ、マコトの勤める介護施設にもう予約してあるから」このように、愛情とお金とは、時には重なって見えるものです。だからこそ、育児においては、親の愛とお金とは切り離すということが重要になります。つまり報酬にお金を介在させないことです。具体的には、物を買ってあげることを条件にしない、子どもに嫌われないためにお金をあげたりはしない、などなどいくつも挙げることができます。まとめてみましょう。子どもに報酬を与えるときには、親自身がどのような金銭に対する価値観を持っているかを、点検する必要があります。「世の中すべて金次第」と考えてしまうことが多くても、子育てにおいてはそれ以外の報酬を与えるようにしましょう。子どもの態度や取り組み方、頑張る姿をほめたり、家族で楽しいことをしたりするような報酬を与えるようにしたいものです。第4回【子どもに「命令」できない親が急増中! それはただの責任放棄だ】に続きます。後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと
プールと学校以外にも世界はあるはずだ、もっとふつうの中学校生活を送りたい、そう考えながら、でもそれを父親に主張することなどできませんでした。
エミコさんは、原因不明の体調不良からドクターストップがかかり、3ヵ月間休学することになりました。これで大手を振って水泳から離れられる、そう思うとどこかほっとしました。ところが、それからは別の地獄が始まりました。両親の関心は弟に一極集中し、エミコさんは、まるで「いない者」のように扱われるようになったのです。両親はエミコさんが居間にいても目もくれず、ごはんをつくってもエミコさんがどれだけ食べたのかを気にもとめない。エミコさんが何時に寝て何時に起きたか、両親にとってはそれもどうでもいいことでした。弟はあからさまにエミコさんを下に見て、その視線のはしばしに侮蔑を浮かべるのでした。中学校は卒業できましたが、高校には行けないまま、エミコさんは25歳になるまで自宅に引きこもっていました。弟はオリンピックには出場できなかったものの、有名大学の水泳部で活躍し就職しました。弟が家を出たのも影響したのか、エミコさんは半年前からやっと外出できるようになり、カウンセリングにやってきました。左手首には何本ものリストカットの跡が残っています。エミコさんは明るく言いました。「これ、目立ちますか? リストカットのことなんか、母はまったく気付いてませんから。同じ屋根の下にいながら不思議でしょ」「結果がすべてでしたからね、結果が出せなくなったらもう人生終わりだという考えから、やっと半歩踏み出せた気がしています」 ■親の欲望スイッチが入るときエミコさんは極端な例かもしれませんが、結果がすべての判断基準であるということは、そこから外れた存在にとっては、このように残酷この上ない世界なのです。子どもが小さいころには、姿や言葉、すべてがいとおしくかけがえのないものだと思える親たちが、ある年齢から結果を追い求めていくようになるのはなぜでしょう。どこでスイッチが入るのでしょうか。おそらく、「ふつう」であることからこぼれ落ちないように、自分が味わったような思いをさせないために、自分が求めても得られなかったものを子どもに達成させるために、といった数々の親の欲望が、そのスイッチを押すのではないでしょうか。社会全体が「成果主義」的で「達成」を重んじるようになりつつある今、親だけは、子どもの姿勢や、一生懸命さをほめてあげたいものです。「よくやったね」「ほんとにがんばったね」と言って、抱きしめてあげる。これにまさる報酬はないでしょうし、きっと報酬という表現を超える何かを与えると思います。■お金で子どもを操作するさて、物質的報酬もよく見かけるものです。言うことを聞かせるために、「○○を買ってあげるから」という親は珍しくないでしょう。子ども自身が「○○が欲しい」と言い募ることもありますし、お友達の持っている物を自分はなぜ買ってもらえないのか、と言うこともあります。photo by iStockここで重要なことは、本来、物に対する要求は、それを得ることで広がる可能性と豊かになる世界の実現を意味しているということです。それがいつのまにか、物を得るために必要な金銭の要求へとすり替わっていきます。子どもの要求は、「○○が欲しい」から「○○を買って」に変化していくのです。中には、誕生日プレゼントを買う前に、子どもに何が欲しいかを言わせて、それを買ってプレゼントにするという親もいます。まるで誕生日プレゼントというものが、普段買ってもらえない物を特別に買ってもらうためだけにあるようではないでしょうか。 プレゼントとは、親が何を選んでくれたかをドキドキして待ち、自分のために一生懸命何かを買って(時には手作りして)くれたことを実感するものだと思います。そこに金銭の寡多は関与しないはずです。たしかに、お金があれば物を買うことも、行きたいところに行くこともできるでしょう。しかし、あくまでもお金は「手段」であり「目的」ではありません。親自身の価値観を、そのまま育児に反映させないようにしたいものです。子どもを操作するためにお金を利用する親もいます。たとえば、「今度のテストでいい成績をとったら、ずっとほしかったゲームソフトを買ってあげる」という場合。中にはお小遣い増額と言う親もいるようです。結果を出させるために、報酬である金銭を事前に予告するのです。受験をめぐる親子関係において、このようにお金を用いて勉強へのモチベーションを高める親は珍しくありません。さらに、親が疲れていたりすると、ついついお金を与えがちになります。言葉で説明するよりお金を与えたほうがずっと簡単に子どもを動かせるからです。 ■母の愛とお金ミキさんは、物心ついてからずっと、教師だった母親から「あんたにはちゃんとお金を用意してあるからね」と言い聞かされてきました。小学生のころから成績もよく、家事も手伝っていたミキさんは、ことあるごとに「ミキはしっかりしてるね」「あんたはほんとに手がかからない子だ」の二語をいつも言われてきました。ミキさんにとってそれは「しっかりしなければならない」「親にめんどうをかけてはいけない」という気持ちになる言葉でしかありませんでした。甘えや依存とは無縁の親子関係でしたが、唯一の例外が「あんたにはちゃんとお金を出してあげるからね」というささやきでした。現実には、志望する大学も自宅から通えという母親の言葉によってあきらめ、画家になりたいという希望も美術の先生になることに変更しました。しかしどこかで、人生で困ったときのために母親はお金を用意しておいてくれるという最後の絆だけは信じていたのです。7歳年下の弟のマコトさんは、ミキさんより成績は悪く、借金を重ねていろいろと職を変えた末に介護関連の仕事に就いていました。あまりに勝手な行動に腹を立てたミキさんは、ある時から弟とは絶縁状態になりました。母親から弟の愚痴をずっと聞かされてきたせいで、最後は自分が母のめんどうを見る覚悟でした。ところがあるとき、母親が弟にマンションを買い与えていたことが発覚したのです。結婚をあきらめて、母と同居も考えていたミキさんにとって、それは衝撃的な裏切りでした。お金を出してあげるからという母の言葉は、ミキさんにとっては母の愛をぎりぎり信じさせるものでした。ところが母は、弟にマンションを買い与え、おそらく借金の返済も引き受けていたのです。それを責めるミキさんに、母親は言い放ちました。「あんたと同居するつもりなんかないよ、マコトの勤める介護施設にもう予約してあるから」このように、愛情とお金とは、時には重なって見えるものです。だからこそ、育児においては、親の愛とお金とは切り離すということが重要になります。つまり報酬にお金を介在させないことです。具体的には、物を買ってあげることを条件にしない、子どもに嫌われないためにお金をあげたりはしない、などなどいくつも挙げることができます。まとめてみましょう。子どもに報酬を与えるときには、親自身がどのような金銭に対する価値観を持っているかを、点検する必要があります。「世の中すべて金次第」と考えてしまうことが多くても、子育てにおいてはそれ以外の報酬を与えるようにしましょう。子どもの態度や取り組み方、頑張る姿をほめたり、家族で楽しいことをしたりするような報酬を与えるようにしたいものです。第4回【子どもに「命令」できない親が急増中! それはただの責任放棄だ】に続きます。後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと
エミコさんは、原因不明の体調不良からドクターストップがかかり、3ヵ月間休学することになりました。
これで大手を振って水泳から離れられる、そう思うとどこかほっとしました。ところが、それからは別の地獄が始まりました。
両親の関心は弟に一極集中し、エミコさんは、まるで「いない者」のように扱われるようになったのです。
両親はエミコさんが居間にいても目もくれず、ごはんをつくってもエミコさんがどれだけ食べたのかを気にもとめない。エミコさんが何時に寝て何時に起きたか、両親にとってはそれもどうでもいいことでした。
弟はあからさまにエミコさんを下に見て、その視線のはしばしに侮蔑を浮かべるのでした。
中学校は卒業できましたが、高校には行けないまま、エミコさんは25歳になるまで自宅に引きこもっていました。弟はオリンピックには出場できなかったものの、有名大学の水泳部で活躍し就職しました。
弟が家を出たのも影響したのか、エミコさんは半年前からやっと外出できるようになり、カウンセリングにやってきました。
左手首には何本ものリストカットの跡が残っています。エミコさんは明るく言いました。
「これ、目立ちますか? リストカットのことなんか、母はまったく気付いてませんから。同じ屋根の下にいながら不思議でしょ」
「結果がすべてでしたからね、結果が出せなくなったらもう人生終わりだという考えから、やっと半歩踏み出せた気がしています」
■親の欲望スイッチが入るときエミコさんは極端な例かもしれませんが、結果がすべての判断基準であるということは、そこから外れた存在にとっては、このように残酷この上ない世界なのです。子どもが小さいころには、姿や言葉、すべてがいとおしくかけがえのないものだと思える親たちが、ある年齢から結果を追い求めていくようになるのはなぜでしょう。どこでスイッチが入るのでしょうか。おそらく、「ふつう」であることからこぼれ落ちないように、自分が味わったような思いをさせないために、自分が求めても得られなかったものを子どもに達成させるために、といった数々の親の欲望が、そのスイッチを押すのではないでしょうか。社会全体が「成果主義」的で「達成」を重んじるようになりつつある今、親だけは、子どもの姿勢や、一生懸命さをほめてあげたいものです。「よくやったね」「ほんとにがんばったね」と言って、抱きしめてあげる。これにまさる報酬はないでしょうし、きっと報酬という表現を超える何かを与えると思います。■お金で子どもを操作するさて、物質的報酬もよく見かけるものです。言うことを聞かせるために、「○○を買ってあげるから」という親は珍しくないでしょう。子ども自身が「○○が欲しい」と言い募ることもありますし、お友達の持っている物を自分はなぜ買ってもらえないのか、と言うこともあります。photo by iStockここで重要なことは、本来、物に対する要求は、それを得ることで広がる可能性と豊かになる世界の実現を意味しているということです。それがいつのまにか、物を得るために必要な金銭の要求へとすり替わっていきます。子どもの要求は、「○○が欲しい」から「○○を買って」に変化していくのです。中には、誕生日プレゼントを買う前に、子どもに何が欲しいかを言わせて、それを買ってプレゼントにするという親もいます。まるで誕生日プレゼントというものが、普段買ってもらえない物を特別に買ってもらうためだけにあるようではないでしょうか。 プレゼントとは、親が何を選んでくれたかをドキドキして待ち、自分のために一生懸命何かを買って(時には手作りして)くれたことを実感するものだと思います。そこに金銭の寡多は関与しないはずです。たしかに、お金があれば物を買うことも、行きたいところに行くこともできるでしょう。しかし、あくまでもお金は「手段」であり「目的」ではありません。親自身の価値観を、そのまま育児に反映させないようにしたいものです。子どもを操作するためにお金を利用する親もいます。たとえば、「今度のテストでいい成績をとったら、ずっとほしかったゲームソフトを買ってあげる」という場合。中にはお小遣い増額と言う親もいるようです。結果を出させるために、報酬である金銭を事前に予告するのです。受験をめぐる親子関係において、このようにお金を用いて勉強へのモチベーションを高める親は珍しくありません。さらに、親が疲れていたりすると、ついついお金を与えがちになります。言葉で説明するよりお金を与えたほうがずっと簡単に子どもを動かせるからです。 ■母の愛とお金ミキさんは、物心ついてからずっと、教師だった母親から「あんたにはちゃんとお金を用意してあるからね」と言い聞かされてきました。小学生のころから成績もよく、家事も手伝っていたミキさんは、ことあるごとに「ミキはしっかりしてるね」「あんたはほんとに手がかからない子だ」の二語をいつも言われてきました。ミキさんにとってそれは「しっかりしなければならない」「親にめんどうをかけてはいけない」という気持ちになる言葉でしかありませんでした。甘えや依存とは無縁の親子関係でしたが、唯一の例外が「あんたにはちゃんとお金を出してあげるからね」というささやきでした。現実には、志望する大学も自宅から通えという母親の言葉によってあきらめ、画家になりたいという希望も美術の先生になることに変更しました。しかしどこかで、人生で困ったときのために母親はお金を用意しておいてくれるという最後の絆だけは信じていたのです。7歳年下の弟のマコトさんは、ミキさんより成績は悪く、借金を重ねていろいろと職を変えた末に介護関連の仕事に就いていました。あまりに勝手な行動に腹を立てたミキさんは、ある時から弟とは絶縁状態になりました。母親から弟の愚痴をずっと聞かされてきたせいで、最後は自分が母のめんどうを見る覚悟でした。ところがあるとき、母親が弟にマンションを買い与えていたことが発覚したのです。結婚をあきらめて、母と同居も考えていたミキさんにとって、それは衝撃的な裏切りでした。お金を出してあげるからという母の言葉は、ミキさんにとっては母の愛をぎりぎり信じさせるものでした。ところが母は、弟にマンションを買い与え、おそらく借金の返済も引き受けていたのです。それを責めるミキさんに、母親は言い放ちました。「あんたと同居するつもりなんかないよ、マコトの勤める介護施設にもう予約してあるから」このように、愛情とお金とは、時には重なって見えるものです。だからこそ、育児においては、親の愛とお金とは切り離すということが重要になります。つまり報酬にお金を介在させないことです。具体的には、物を買ってあげることを条件にしない、子どもに嫌われないためにお金をあげたりはしない、などなどいくつも挙げることができます。まとめてみましょう。子どもに報酬を与えるときには、親自身がどのような金銭に対する価値観を持っているかを、点検する必要があります。「世の中すべて金次第」と考えてしまうことが多くても、子育てにおいてはそれ以外の報酬を与えるようにしましょう。子どもの態度や取り組み方、頑張る姿をほめたり、家族で楽しいことをしたりするような報酬を与えるようにしたいものです。第4回【子どもに「命令」できない親が急増中! それはただの責任放棄だ】に続きます。後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと
エミコさんは極端な例かもしれませんが、結果がすべての判断基準であるということは、そこから外れた存在にとっては、このように残酷この上ない世界なのです。
子どもが小さいころには、姿や言葉、すべてがいとおしくかけがえのないものだと思える親たちが、ある年齢から結果を追い求めていくようになるのはなぜでしょう。どこでスイッチが入るのでしょうか。
おそらく、「ふつう」であることからこぼれ落ちないように、自分が味わったような思いをさせないために、自分が求めても得られなかったものを子どもに達成させるために、といった数々の親の欲望が、そのスイッチを押すのではないでしょうか。
社会全体が「成果主義」的で「達成」を重んじるようになりつつある今、親だけは、子どもの姿勢や、一生懸命さをほめてあげたいものです。
「よくやったね」「ほんとにがんばったね」と言って、抱きしめてあげる。これにまさる報酬はないでしょうし、きっと報酬という表現を超える何かを与えると思います。
さて、物質的報酬もよく見かけるものです。言うことを聞かせるために、「○○を買ってあげるから」という親は珍しくないでしょう。
子ども自身が「○○が欲しい」と言い募ることもありますし、お友達の持っている物を自分はなぜ買ってもらえないのか、と言うこともあります。
photo by iStock
ここで重要なことは、本来、物に対する要求は、それを得ることで広がる可能性と豊かになる世界の実現を意味しているということです。
それがいつのまにか、物を得るために必要な金銭の要求へとすり替わっていきます。子どもの要求は、「○○が欲しい」から「○○を買って」に変化していくのです。
中には、誕生日プレゼントを買う前に、子どもに何が欲しいかを言わせて、それを買ってプレゼントにするという親もいます。
まるで誕生日プレゼントというものが、普段買ってもらえない物を特別に買ってもらうためだけにあるようではないでしょうか。
プレゼントとは、親が何を選んでくれたかをドキドキして待ち、自分のために一生懸命何かを買って(時には手作りして)くれたことを実感するものだと思います。そこに金銭の寡多は関与しないはずです。たしかに、お金があれば物を買うことも、行きたいところに行くこともできるでしょう。しかし、あくまでもお金は「手段」であり「目的」ではありません。親自身の価値観を、そのまま育児に反映させないようにしたいものです。子どもを操作するためにお金を利用する親もいます。たとえば、「今度のテストでいい成績をとったら、ずっとほしかったゲームソフトを買ってあげる」という場合。中にはお小遣い増額と言う親もいるようです。結果を出させるために、報酬である金銭を事前に予告するのです。受験をめぐる親子関係において、このようにお金を用いて勉強へのモチベーションを高める親は珍しくありません。さらに、親が疲れていたりすると、ついついお金を与えがちになります。言葉で説明するよりお金を与えたほうがずっと簡単に子どもを動かせるからです。 ■母の愛とお金ミキさんは、物心ついてからずっと、教師だった母親から「あんたにはちゃんとお金を用意してあるからね」と言い聞かされてきました。小学生のころから成績もよく、家事も手伝っていたミキさんは、ことあるごとに「ミキはしっかりしてるね」「あんたはほんとに手がかからない子だ」の二語をいつも言われてきました。ミキさんにとってそれは「しっかりしなければならない」「親にめんどうをかけてはいけない」という気持ちになる言葉でしかありませんでした。甘えや依存とは無縁の親子関係でしたが、唯一の例外が「あんたにはちゃんとお金を出してあげるからね」というささやきでした。現実には、志望する大学も自宅から通えという母親の言葉によってあきらめ、画家になりたいという希望も美術の先生になることに変更しました。しかしどこかで、人生で困ったときのために母親はお金を用意しておいてくれるという最後の絆だけは信じていたのです。7歳年下の弟のマコトさんは、ミキさんより成績は悪く、借金を重ねていろいろと職を変えた末に介護関連の仕事に就いていました。あまりに勝手な行動に腹を立てたミキさんは、ある時から弟とは絶縁状態になりました。母親から弟の愚痴をずっと聞かされてきたせいで、最後は自分が母のめんどうを見る覚悟でした。ところがあるとき、母親が弟にマンションを買い与えていたことが発覚したのです。結婚をあきらめて、母と同居も考えていたミキさんにとって、それは衝撃的な裏切りでした。お金を出してあげるからという母の言葉は、ミキさんにとっては母の愛をぎりぎり信じさせるものでした。ところが母は、弟にマンションを買い与え、おそらく借金の返済も引き受けていたのです。それを責めるミキさんに、母親は言い放ちました。「あんたと同居するつもりなんかないよ、マコトの勤める介護施設にもう予約してあるから」このように、愛情とお金とは、時には重なって見えるものです。だからこそ、育児においては、親の愛とお金とは切り離すということが重要になります。つまり報酬にお金を介在させないことです。具体的には、物を買ってあげることを条件にしない、子どもに嫌われないためにお金をあげたりはしない、などなどいくつも挙げることができます。まとめてみましょう。子どもに報酬を与えるときには、親自身がどのような金銭に対する価値観を持っているかを、点検する必要があります。「世の中すべて金次第」と考えてしまうことが多くても、子育てにおいてはそれ以外の報酬を与えるようにしましょう。子どもの態度や取り組み方、頑張る姿をほめたり、家族で楽しいことをしたりするような報酬を与えるようにしたいものです。第4回【子どもに「命令」できない親が急増中! それはただの責任放棄だ】に続きます。後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと
プレゼントとは、親が何を選んでくれたかをドキドキして待ち、自分のために一生懸命何かを買って(時には手作りして)くれたことを実感するものだと思います。そこに金銭の寡多は関与しないはずです。
たしかに、お金があれば物を買うことも、行きたいところに行くこともできるでしょう。しかし、あくまでもお金は「手段」であり「目的」ではありません。親自身の価値観を、そのまま育児に反映させないようにしたいものです。
子どもを操作するためにお金を利用する親もいます。
たとえば、「今度のテストでいい成績をとったら、ずっとほしかったゲームソフトを買ってあげる」という場合。中にはお小遣い増額と言う親もいるようです。
結果を出させるために、報酬である金銭を事前に予告するのです。受験をめぐる親子関係において、このようにお金を用いて勉強へのモチベーションを高める親は珍しくありません。
さらに、親が疲れていたりすると、ついついお金を与えがちになります。言葉で説明するよりお金を与えたほうがずっと簡単に子どもを動かせるからです。
■母の愛とお金ミキさんは、物心ついてからずっと、教師だった母親から「あんたにはちゃんとお金を用意してあるからね」と言い聞かされてきました。小学生のころから成績もよく、家事も手伝っていたミキさんは、ことあるごとに「ミキはしっかりしてるね」「あんたはほんとに手がかからない子だ」の二語をいつも言われてきました。ミキさんにとってそれは「しっかりしなければならない」「親にめんどうをかけてはいけない」という気持ちになる言葉でしかありませんでした。甘えや依存とは無縁の親子関係でしたが、唯一の例外が「あんたにはちゃんとお金を出してあげるからね」というささやきでした。現実には、志望する大学も自宅から通えという母親の言葉によってあきらめ、画家になりたいという希望も美術の先生になることに変更しました。しかしどこかで、人生で困ったときのために母親はお金を用意しておいてくれるという最後の絆だけは信じていたのです。7歳年下の弟のマコトさんは、ミキさんより成績は悪く、借金を重ねていろいろと職を変えた末に介護関連の仕事に就いていました。あまりに勝手な行動に腹を立てたミキさんは、ある時から弟とは絶縁状態になりました。母親から弟の愚痴をずっと聞かされてきたせいで、最後は自分が母のめんどうを見る覚悟でした。ところがあるとき、母親が弟にマンションを買い与えていたことが発覚したのです。結婚をあきらめて、母と同居も考えていたミキさんにとって、それは衝撃的な裏切りでした。お金を出してあげるからという母の言葉は、ミキさんにとっては母の愛をぎりぎり信じさせるものでした。ところが母は、弟にマンションを買い与え、おそらく借金の返済も引き受けていたのです。それを責めるミキさんに、母親は言い放ちました。「あんたと同居するつもりなんかないよ、マコトの勤める介護施設にもう予約してあるから」このように、愛情とお金とは、時には重なって見えるものです。だからこそ、育児においては、親の愛とお金とは切り離すということが重要になります。つまり報酬にお金を介在させないことです。具体的には、物を買ってあげることを条件にしない、子どもに嫌われないためにお金をあげたりはしない、などなどいくつも挙げることができます。まとめてみましょう。子どもに報酬を与えるときには、親自身がどのような金銭に対する価値観を持っているかを、点検する必要があります。「世の中すべて金次第」と考えてしまうことが多くても、子育てにおいてはそれ以外の報酬を与えるようにしましょう。子どもの態度や取り組み方、頑張る姿をほめたり、家族で楽しいことをしたりするような報酬を与えるようにしたいものです。第4回【子どもに「命令」できない親が急増中! それはただの責任放棄だ】に続きます。後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと
ミキさんは、物心ついてからずっと、教師だった母親から「あんたにはちゃんとお金を用意してあるからね」と言い聞かされてきました。
小学生のころから成績もよく、家事も手伝っていたミキさんは、ことあるごとに「ミキはしっかりしてるね」「あんたはほんとに手がかからない子だ」の二語をいつも言われてきました。
ミキさんにとってそれは「しっかりしなければならない」「親にめんどうをかけてはいけない」という気持ちになる言葉でしかありませんでした。
甘えや依存とは無縁の親子関係でしたが、唯一の例外が「あんたにはちゃんとお金を出してあげるからね」というささやきでした。
現実には、志望する大学も自宅から通えという母親の言葉によってあきらめ、画家になりたいという希望も美術の先生になることに変更しました。
しかしどこかで、人生で困ったときのために母親はお金を用意しておいてくれるという最後の絆だけは信じていたのです。
7歳年下の弟のマコトさんは、ミキさんより成績は悪く、借金を重ねていろいろと職を変えた末に介護関連の仕事に就いていました。
あまりに勝手な行動に腹を立てたミキさんは、ある時から弟とは絶縁状態になりました。母親から弟の愚痴をずっと聞かされてきたせいで、最後は自分が母のめんどうを見る覚悟でした。
ところがあるとき、母親が弟にマンションを買い与えていたことが発覚したのです。結婚をあきらめて、母と同居も考えていたミキさんにとって、それは衝撃的な裏切りでした。
お金を出してあげるからという母の言葉は、ミキさんにとっては母の愛をぎりぎり信じさせるものでした。ところが母は、弟にマンションを買い与え、おそらく借金の返済も引き受けていたのです。
それを責めるミキさんに、母親は言い放ちました。
「あんたと同居するつもりなんかないよ、マコトの勤める介護施設にもう予約してあるから」
このように、愛情とお金とは、時には重なって見えるものです。
だからこそ、育児においては、親の愛とお金とは切り離すということが重要になります。つまり報酬にお金を介在させないことです。
具体的には、物を買ってあげることを条件にしない、子どもに嫌われないためにお金をあげたりはしない、などなどいくつも挙げることができます。
まとめてみましょう。
子どもに報酬を与えるときには、親自身がどのような金銭に対する価値観を持っているかを、点検する必要があります。「世の中すべて金次第」と考えてしまうことが多くても、子育てにおいてはそれ以外の報酬を与えるようにしましょう。
子どもの態度や取り組み方、頑張る姿をほめたり、家族で楽しいことをしたりするような報酬を与えるようにしたいものです。
第4回【子どもに「命令」できない親が急増中! それはただの責任放棄だ】に続きます。
後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと