4月9日投開票の神奈川県知事選で、4期目の当選を果たした黒岩祐治氏(68)。自民、公明、国民民主の推薦を受け、圧倒的優位で選挙戦を進めてきたが、当選確実の報に、笑顔はまったくなかった。
【写真】仕事ぶりはカッコよかった黒岩知事「バンザイと言って喜ぶ心境ではない。ゼロではなくマイナスからのスタートだと受け止めていますので、これまで以上に真摯な形で向き合って、県民のみなさまのご不快な懸念に対してもお応えできるように全力を尽くして参りたいと思っています」

神妙な面持ちで挨拶したのも無理はない。黒岩氏がフジテレビに勤務していた2000年頃から、初めて知事に就任した11年ごろまで不倫関係にあった女性の告白が、選挙戦終盤になって「週刊文春」によって報じられたのである。当選したのになんとも複雑な顔「まもなく投票日という大事なタイミングでありながら、黒岩氏は自身のブログだけでなく、会見まで開き、事実関係を認めました。メディア出身ということもあってか、手堅い対応ではありましたが、ただ、アレはちょっとなあと思いましたね」(社会部記者) アレというのは、黒岩氏が交際当時に女性に送ったメールの内容である。『生放送前の〇〇だよ~!!』のあとに卑猥な擬音語が続く下ネタの連発なのだ。しかも、その女性にお気に入りのセクシービデオまで調達させていたことなども明かされている。「記事を読んだ第一印象は、イタイなぁでした。あの真面目でものすごく紳士的だった黒岩先輩が……。あれじゃ、政治家じゃなくて性治家ですよ」 というのは、都内在住の30代会社員。早稲田大学雄弁会出身で、黒岩氏の後輩にあたる。早大雄弁会は121年の歴史を誇る弁論部で、多くの政治家が輩出したことでも知られる。竹下登、小渕恵三、海部俊樹、森喜朗といった総理大臣はもちろん、現職の衆参両院議員や黒岩氏のような地方首長などもいる。輝ける報道キャスターとして「いわゆる地盤(組織)、看板(知名度)、カバン(資金)の3バンが最初から揃っていない限り、雄弁会から即政治家というコースはありません。そのため、まずはマスコミに入って取材の過程で政治家と接点を持って転身するとか、中央省庁で秘書官などを務めて大臣に目をかけてもらい、政治家に転身するというケースが多いです。会の活動の中で、各界で活躍するOB訪問というのがありました。そこで黒岩先輩に初めて会ったのです」(同) この会社員氏が、フジテレビに黒岩氏を訪ねたのは2000年代初め。件の女性との不倫関係が始まったばかりの頃だった。「多忙を理由に断るOBが多い中で、黒岩先輩は快く訪問を引き受けてくれました。1年と2年の学生、数人でお台場のフジテレビに向かったのです。慣れないスーツを着ていましたが、何しろフジテレビが絶好調の頃ですし、お台場の社屋はとにかく凄くて。本社ビル25階の球体展望室など社屋を見学し、喫茶室でコーヒーをご馳走になりながら、1時間ほど、話をうかがいました」 その席で黒岩氏は、自ら手掛けた救急医療キャンペーンから救急救命士制度が誕生したことや、一連の報道により第16回放送文化基金賞や民間放送連盟賞を受賞したことなどを話し、さらにシリーズで制作していた「感動の看護婦最前線」でも民間放送連盟賞を受賞したことなどを話したという。「決して威張ることもなく、テレビと同じ穏やかな口調で、ご自身の取材活動を振り返っていました。展望室から見える景色も最高で、素晴らしい仕事をして、こんな素敵な社屋で働いている先輩が羨ましく、そして誇りに思ったことを思い出します」 黒岩氏は名門・灘高校から早大政経学部に入学。高校生の時にみた映画「ウエストサイド物語」に影響を受けており、雄弁会の他にミュージカル研究会にも所属していた。かつて受けた取材で本人が語っているところでは、フジテレビへはミュージカル番組制作を志しての入社で、「ピンポンパン」のような子供の夢を育てる番組を作りたいと思っていたという。「それは知りませんでしたが、私にとって黒岩先輩は尊敬する偉大な先輩でした。早大雄弁会は社会変革を志すことを重要な指針にしています。まさに黒岩先輩の活動は社会変革を成し遂げた訳ですから。でも、自信満々で後輩の私たちに熱く語っていた、まさに その時期に『A子だけに本音を放出!(擬音語)』なんてしょーもないメールしていたのでしょう。あの姿とギャップがあり過ぎて……。雄弁会は女性にモテるタイプは少ないし、ちょっと変わった人間が多かったとはいえ、アレではねぇ……」 雄弁会の後輩も、黒岩氏のアレには辟易しているご様子。身から出た錆とはいえ、黒岩氏には初心に立ち返り、もう一度、社会変革を成し遂げてもらいたいものである。デイリー新潮編集部
「バンザイと言って喜ぶ心境ではない。ゼロではなくマイナスからのスタートだと受け止めていますので、これまで以上に真摯な形で向き合って、県民のみなさまのご不快な懸念に対してもお応えできるように全力を尽くして参りたいと思っています」
神妙な面持ちで挨拶したのも無理はない。黒岩氏がフジテレビに勤務していた2000年頃から、初めて知事に就任した11年ごろまで不倫関係にあった女性の告白が、選挙戦終盤になって「週刊文春」によって報じられたのである。
「まもなく投票日という大事なタイミングでありながら、黒岩氏は自身のブログだけでなく、会見まで開き、事実関係を認めました。メディア出身ということもあってか、手堅い対応ではありましたが、ただ、アレはちょっとなあと思いましたね」(社会部記者)
アレというのは、黒岩氏が交際当時に女性に送ったメールの内容である。『生放送前の〇〇だよ~!!』のあとに卑猥な擬音語が続く下ネタの連発なのだ。しかも、その女性にお気に入りのセクシービデオまで調達させていたことなども明かされている。
「記事を読んだ第一印象は、イタイなぁでした。あの真面目でものすごく紳士的だった黒岩先輩が……。あれじゃ、政治家じゃなくて性治家ですよ」
というのは、都内在住の30代会社員。早稲田大学雄弁会出身で、黒岩氏の後輩にあたる。早大雄弁会は121年の歴史を誇る弁論部で、多くの政治家が輩出したことでも知られる。竹下登、小渕恵三、海部俊樹、森喜朗といった総理大臣はもちろん、現職の衆参両院議員や黒岩氏のような地方首長などもいる。
「いわゆる地盤(組織)、看板(知名度)、カバン(資金)の3バンが最初から揃っていない限り、雄弁会から即政治家というコースはありません。そのため、まずはマスコミに入って取材の過程で政治家と接点を持って転身するとか、中央省庁で秘書官などを務めて大臣に目をかけてもらい、政治家に転身するというケースが多いです。会の活動の中で、各界で活躍するOB訪問というのがありました。そこで黒岩先輩に初めて会ったのです」(同)
この会社員氏が、フジテレビに黒岩氏を訪ねたのは2000年代初め。件の女性との不倫関係が始まったばかりの頃だった。
「多忙を理由に断るOBが多い中で、黒岩先輩は快く訪問を引き受けてくれました。1年と2年の学生、数人でお台場のフジテレビに向かったのです。慣れないスーツを着ていましたが、何しろフジテレビが絶好調の頃ですし、お台場の社屋はとにかく凄くて。本社ビル25階の球体展望室など社屋を見学し、喫茶室でコーヒーをご馳走になりながら、1時間ほど、話をうかがいました」
その席で黒岩氏は、自ら手掛けた救急医療キャンペーンから救急救命士制度が誕生したことや、一連の報道により第16回放送文化基金賞や民間放送連盟賞を受賞したことなどを話し、さらにシリーズで制作していた「感動の看護婦最前線」でも民間放送連盟賞を受賞したことなどを話したという。
「決して威張ることもなく、テレビと同じ穏やかな口調で、ご自身の取材活動を振り返っていました。展望室から見える景色も最高で、素晴らしい仕事をして、こんな素敵な社屋で働いている先輩が羨ましく、そして誇りに思ったことを思い出します」
黒岩氏は名門・灘高校から早大政経学部に入学。高校生の時にみた映画「ウエストサイド物語」に影響を受けており、雄弁会の他にミュージカル研究会にも所属していた。かつて受けた取材で本人が語っているところでは、フジテレビへはミュージカル番組制作を志しての入社で、「ピンポンパン」のような子供の夢を育てる番組を作りたいと思っていたという。
「それは知りませんでしたが、私にとって黒岩先輩は尊敬する偉大な先輩でした。早大雄弁会は社会変革を志すことを重要な指針にしています。まさに黒岩先輩の活動は社会変革を成し遂げた訳ですから。でも、自信満々で後輩の私たちに熱く語っていた、まさに その時期に『A子だけに本音を放出!(擬音語)』なんてしょーもないメールしていたのでしょう。あの姿とギャップがあり過ぎて……。雄弁会は女性にモテるタイプは少ないし、ちょっと変わった人間が多かったとはいえ、アレではねぇ……」
雄弁会の後輩も、黒岩氏のアレには辟易しているご様子。身から出た錆とはいえ、黒岩氏には初心に立ち返り、もう一度、社会変革を成し遂げてもらいたいものである。
デイリー新潮編集部