父は市議会議長の傍ら果樹園を営み、母はジェラート店を切り盛りするフラワーアーティスト。そんな地元の名家に、長男のどす黒いわだかまりが密かに増幅していた。長野県中野市の4人殺害立てこもり事件。猟銃を駆使する凶悪犯を、なぜ「排除」できなかったのか。
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【写真を見る】野球部のユニフォーム姿の容疑者 卒業文集につづった「冷めた言葉」とは それは、おぞましくも奇妙な「現場ドキュメント」だった。近隣の女性二人を刺殺、さらに駆けつけた警官二人を殺害して自宅に籠城した青木政憲容疑者(31)。犯行後およそ4時間をともにした母親(57)が、地元紙「信濃毎日新聞」5月28日朝刊で、以下のような息子との会話を明かしていたのだ。
中学時代の青木容疑者〈お父さんもお母さんも罪を背負うから。自首しよう〉〈絞首刑は一気に死ねない。そんな死に方は嫌だ〉〈出頭できないなら一緒に死のう〉〈母さんは撃てない〉 そんな息子に、母は驚くべき言葉で迫ったという。〈お母さんがそばで見ているから。最後の場所は自分で決めて〉〈だったらおれリンゴの木がいい〉 が、息子は思いを遂げられず、試行錯誤のなか空に向けて2回誤射してしまう。〈意気地がないんだな。生きたいんだな〉 母親はそう考え、〈だったらお母さんが撃とうか〉 と持ちかけ、〈心臓の裏を撃ってくれ〉 そう言ってうつぶせになった息子から猟銃を受け取ると、そのまま脱出。が、重さに耐え切れず、近くに隠したという――。殺傷力の強い「スラッグ弾」 事件発生は先月25日の16時過ぎ。青木家の前を歩いていた竹内靖子さん(70)と村上幸枝さん(66)を立て続けに刃物で刺し、政憲容疑者はいったん自宅に。そして、村上さんが倒れている現場に到着したパトカーに近づくと、運転席側から窓越しに猟銃を2発発砲。61歳と46歳の警官の命を奪ったのである。「父親で中野市議会議長の正道さん(57)と母親は不在、母親の姉(60)が在宅中で、その後、正道さんから連絡を受けた母親が帰宅しました。政憲が持ち出した猟銃は散弾銃より威力の強いハーフライフルで、警官二人に発砲したのも、熊などの駆除に用いる、殺傷力の強い『スラッグ弾』でした」(全国紙社会部デスク) 件の母親は20時半過ぎに脱出。日付が変わって間もなく、伯母も自宅から逃れて保護された。最後は正道氏による電話での説得もあり、息子は午前4時37分、両手を上げて投降した。「政憲は8時21分、まず運転席で撃たれた61歳巡査部長への殺人容疑で逮捕されました。女性二人を刺殺した動機については『(ひとり)ぼっちでいることをバカにされた』と話し、警官らについては『撃たれると思ったので先に撃った』と供述しています」(同) 記事で母親が明かした通り、犯行に使われたとみられる銃1丁が、現場近くの民家と土蔵の間から見つかり、県警に押収されている。“人間関係が苦しく…” 父親の正道氏は、地元で代々続く果樹園で桃やシャインマスカットなどを栽培しながら、2014年に市議会議員に初当選。3期目の22年から議長職にあった。青木家を知る農業関係者が言う。「奥さんは隣の山ノ内町の出身で、正道さんとは高校の同級生。子どもは3人で、政憲君の年子の妹は東京の体育大を卒業後、結婚して県外に住んでいます。その七つ下の次男は自衛官で、北海道にいると聞きました」 政憲容疑者は地元の小中学校を卒業し、進学校である県立須坂高校へ。中学校では野球部でキャッチャーを務め、高校では山岳部に在籍していたという。「卒業後は一浪して東京の私大に進学しました。ところが、初めての一人暮らしで環境の変化もあって大学生活になじめず、3年生の時に中退して地元に戻ってきた。それ以来、お父さんも何とか立ち直らせようと心を砕いてきました」(同) その頃、正道氏は勤めていた肥料販売会社を退職、独立して農業支援会社を立ち上げている。古くからの仕事仲間が言う。「会社を興した少し後でしたか、政憲君が中野に戻ってきました。小さい頃は私を見ると『おっちゃーん』とかわいく駆け寄ってきたのに、すっかり変わってしまい、家を訪ねて話しかけても、小声で『ウス』とだけ言って押し黙ってしまう。無愛想を通り越し、面と向かって座ったらにらみ合いになってしまうほどコミュニケーションが取れない子でした。正道さんは『(東京で)人間関係が苦しくなったみたいだ』と漏らしており、敷地内のプルーン栽培などを手伝わせていました」従業員とトラブルに 議員に当選した正道氏は、代々の農地を継いで一本立ちしてほしいとの願いから、自らの果樹園を「マサノリ園」と命名した。収穫した果物を用いたジェラート店も展開し、19年に軽井沢へ出店、昨年は中野市内に2号店をオープンさせている。が、先の農業関係者は、「2号店は政憲君に任せていたはずが、従業員とのトラブルなどもあって店に顔を出さなくなり、実際にはお母さんが切り盛りしていました。自宅に配布物を届けに行っても、政憲君は庭で農作業をしながらあいさつもしないで小さくうなずくだけ。社交的な両親とは大違いでした」 当日、自宅前で竹内さんを刺した政憲容疑者は、逃げる村上さんを追って150メートルほど離れた場所で背中をひと突き。あお向けに倒れたところで胸を刺し、絶命させた。畑仕事をしながらこの光景を目撃したのは、かつて正道氏の後援会長を務めていた男性(72)だった。「しばらくすると正道が帰って来て、いつもの口調で『何があったんですか』と聞く。私が見たままを話すと彼は、無言で頭を抱えて座り込んでしまったのです」 名声は、一夜にして地に堕ちたのだった。国内に17万丁以上の銃が 犯行に使った猟銃を含め、政憲容疑者は県公安委員会から計4丁の銃の所持を許可されていた。先のデスクが言う。「内訳は散弾銃2丁と空気銃1丁、そしてライフル及び散弾銃以外の猟銃1丁。いずれも15年1月から19年2月にかけて『狩猟』『標的射撃』の目的で許可されています」 所持許可証を得るには講習会や試験を受けねばならず、アルコール中毒や精神疾患、ストーカー行為や犯罪歴などは欠格事由と見なされる。3年ごとの更新では医師による診断書が必要で、警察官との面談も定期的に行われている。 警察庁の統計によれば21年末の時点で、全国で約8万8千人が猟銃及び空気銃の所持を許可されており、数にして17万7700丁余りだというのだが、「過去にも、許可を得た銃による犯罪が起きています。例えば07年、長崎県佐世保市のスポーツクラブで男が散弾銃を乱射、8人を死傷させて自殺を遂げている。これをきっかけに規制が強まり、申請時の診断書の作成が精神科医に限定されました」 それでも昨年1月には、埼玉県ふじみ野市で男が散弾銃で医師ら2人を死傷させる事件が発生。銃規制にかけては世界に比類なきわが国の現実がこれである。銃を預けるシステムが有効? 犯罪学が専門である立正大学の小宮信夫教授が言う。「今回のような事件は必ず起こります。銃規制に反対する人たちは“申請時にきちんとチェックすればいい”などと言いますが、検査や診断の当日は正常でも、翌日には激高して手元の銃を取り出すかもしれません」 銃の所持者を定期的に観察するのは不可能であり、「生活範囲から銃を遠ざけるしかありません。現実的な預け場所は警察署、猟友会、射撃場の3カ所でしょう。他人に腹を立てても、警察署まで取りに行くハードルは高く、その間に気持ちが鎮まることもある。あるいは、1丁ごとにGPSをつけ、自宅から持ち出せば警察署に伝わる仕組みにするのも有効だと思います」 自家薬籠中の「合法銃」を振り回せるのだから、こんな手ごわい犯罪者はいまい。専門家は「作戦は失敗」 その分、警察当局にも相応の準備が求められ、現場には今回、長野県警の要請を受けて警視庁の捜査1課特殊班(SIT)と神奈川県警の特殊急襲部隊(SAT)が派遣されている。「県ごとに呼称は異なりますが、特殊班は各都道府県警の刑事部に属する誘拐事件や人質事件のスペシャリスト。犯人との交渉も担当し、人質の安全を保ちながら犯人を生きたまま確保することを目指します。SATは全国の8都道府県警にあり、警備部に所属。テロやハイジャック事件などの後方支援で出動し、突入や狙撃による制圧を任務としています」(警察庁担当記者) そうした態勢で臨んだにもかかわらず、立てこもりはおよそ12時間に及び、その間、竹内さんは屋外に放置されたまま。最終的には犯人が投降したものの、半日間の長丁場が市民生活に甚大な影響を及ぼしたのは言うまでもない。 警視庁SATの元隊員である伊藤鋼一氏は、「SATは四つのグループに大別されます。情報分析作戦指揮、遠距離から狙撃支援を行うスナイパー、突入、技術的支援です。今回の事件では神奈川県警察SAT所属の作戦指揮隊員とスナイパー隊員が派遣されたものと思われます」 そう解説した上で、「警察にとって被害者救出は最優先です。交渉によって犯人を投降確保しているものの、被害に遭われた女性がずっと屋外に放置されていた点において、作戦は失敗だと思います。犯人との交渉を続けながら、20時半過ぎに犯人の母親が逃げ出す前に、倒れている被害者を救わねばなりません。さらに母親が逃げてきた時点で情報を共有し、まだ伯母が残っているとしても突入を決断すべきでした」「本部長判断が遅かった」 それがかなわなかったのは、現場の県警捜査1課長と、最終判断を下す本部長の優柔不断が原因だというのだ。「重大な立てこもり事件の際には、SITやSATを派遣する前にまず、警視庁と大阪府警にのみ置かれている警察庁指定のサポートチーム(タスクフォース)が現地に赴いて状況を見極めます。彼らは早期突入の具申もしているはずですが、今回は本部長判断が遅かったと思わざるを得ません」 実際に長野県警関係者は、「自宅に複数の銃がある可能性もあり、県警による説得の電話は明け方まで複数回、行われていました。ところが男はこれを拒絶し、最後は父親に依頼せざるを得なかった。午前4時過ぎの通話で、男は父親に『どうしたらいい』と尋ね、父親が『警察に行くしかない』と促してようやく解決につながったのです」狙撃は念頭になかった? とはいえ、犯人は身勝手な妄想で地域社会を恐怖のるつぼへと投げ込んだ。そんな対象は早期に“排除”、すなわち狙撃すべきではなかったか。今回の母親と伯母が「人質」であるかはさておき、国内の人質事件で、犯人射殺で解決したケースは1979年1月、大阪の「三菱銀行人質事件」が最後である。さる警察庁OBが言う。「父親が市議会議長である上に説得を試みており、また県警本部長は言うに及ばず警察庁幹部にも断を下せる人材がいない。さらに大前提として警察幹部は前例踏襲が第一。こうしたことから、実際には狙撃など念頭になかったのでしょう」 26日に会見した小山巌県警本部長は、〈2名が殉職することとなり、痛恨の極み〉 と述べていた。その厳粛な物言いとは打って変わり、2日後の日曜日にはTシャツに綿パンというラフな格好で、部下と現場を歩く姿があった。視察というより週末の散策といった趣だが、試しに県警本部に尋ねると、「本部長は現場の確認のため赴きました。服装については動きやすいものとしました」(広報相談課) 警察力が衰えれば、凶悪犯がほくそ笑むだけである。統合失調症の疑い さて今後の問題は、犯行時の“コンディション”である。先のデスクが言う。「“近所の女性に悪口を言われた”という事実は確認できておらず、両親も事情聴取でこれを否定している。本人の供述も支離滅裂で、動機の解明は一筋縄ではいきそうにありません」 それを裏付けるかのような記事も。冒頭の「信濃毎日新聞」の翌29日付紙面だ。父の正道氏が取材に応じており、そこでは、政憲容疑者が東京で一人暮らしをしていた学生時代の話として、〈住んでいたアパート1階の部屋に入る際、青木容疑者は「ここは盗聴されているから気を付けて」と言った。聞くと、盗聴を恐れて携帯電話の電源も切っており「部屋の隅に監視カメラがある」。だが、両親からはカメラがあるようには見えなかった〉 驚いた両親は息子を実家に連れ帰り、大学も中退。〈両親は病院の受診を勧めたが、青木容疑者は「俺は正常だ」と拒否した〉 一方で政憲容疑者は、〈「猟銃の免許を取りたい」と言い始めた。正道さんは危険な銃の扱いに不安を覚えたが、狩猟仲間の輪の中で人付き合いができれば─と考えた〉 ここまで読めば、「刑事責任能力」の有無が焦点となるのはお分かりだろう。診断した医師の目は節穴だったのかと嘆きたくもなるが、「今回の被疑者が、鑑定留置(医師が犯行時の精神状態を調べる制度)を受ける可能性は高いでしょう」 とは、元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士。「警官二人の殺害は過剰防衛とみなされるかもしれませんが、女性二人の刺殺については『バカにした』との供述が幻聴や妄想で、統合失調症など精神的な問題の疑いがあるからです。責任能力には物事の善悪を判断する能力と、それによって行動を律する能力があります。そうした能力が十分でなかったとされれば心神耗弱、全くなかったとされれば心神喪失と判断されます」不起訴の可能性も 鑑定の結果、四人の殺害全てが精神的な問題によって強く導かれていたと判断されれば、心神喪失で不起訴になる可能性もあるという。また起訴されても、心神耗弱となれば最終的に無期懲役への減刑もあり得るのだ。「鑑定留置の結果を踏まえて心神喪失で不起訴や無罪になった場合、被疑者もしくは被告人には医療観察法が適用されます。刑事的な罪がないとはいえ、そのまま世に出すわけにはいかないので、強制的に精神科に入院することになる。ただし、その期間は長くて3年ほど。治療を受けたのち社会復帰することになります」“絞首刑は嫌だ”と口にするあたり、ことの重大さは理解しているのだろう。こんな凶悪犯が堂々と銃を持てるのだから、つくづくあべこべな世の中である。「週刊新潮」2023年6月8日号 掲載
それは、おぞましくも奇妙な「現場ドキュメント」だった。近隣の女性二人を刺殺、さらに駆けつけた警官二人を殺害して自宅に籠城した青木政憲容疑者(31)。犯行後およそ4時間をともにした母親(57)が、地元紙「信濃毎日新聞」5月28日朝刊で、以下のような息子との会話を明かしていたのだ。
〈お父さんもお母さんも罪を背負うから。自首しよう〉
〈絞首刑は一気に死ねない。そんな死に方は嫌だ〉
〈出頭できないなら一緒に死のう〉
〈母さんは撃てない〉
そんな息子に、母は驚くべき言葉で迫ったという。
〈お母さんがそばで見ているから。最後の場所は自分で決めて〉
〈だったらおれリンゴの木がいい〉
が、息子は思いを遂げられず、試行錯誤のなか空に向けて2回誤射してしまう。
〈意気地がないんだな。生きたいんだな〉
母親はそう考え、
〈だったらお母さんが撃とうか〉
と持ちかけ、
〈心臓の裏を撃ってくれ〉
そう言ってうつぶせになった息子から猟銃を受け取ると、そのまま脱出。が、重さに耐え切れず、近くに隠したという――。
事件発生は先月25日の16時過ぎ。青木家の前を歩いていた竹内靖子さん(70)と村上幸枝さん(66)を立て続けに刃物で刺し、政憲容疑者はいったん自宅に。そして、村上さんが倒れている現場に到着したパトカーに近づくと、運転席側から窓越しに猟銃を2発発砲。61歳と46歳の警官の命を奪ったのである。
「父親で中野市議会議長の正道さん(57)と母親は不在、母親の姉(60)が在宅中で、その後、正道さんから連絡を受けた母親が帰宅しました。政憲が持ち出した猟銃は散弾銃より威力の強いハーフライフルで、警官二人に発砲したのも、熊などの駆除に用いる、殺傷力の強い『スラッグ弾』でした」(全国紙社会部デスク)
件の母親は20時半過ぎに脱出。日付が変わって間もなく、伯母も自宅から逃れて保護された。最後は正道氏による電話での説得もあり、息子は午前4時37分、両手を上げて投降した。
「政憲は8時21分、まず運転席で撃たれた61歳巡査部長への殺人容疑で逮捕されました。女性二人を刺殺した動機については『(ひとり)ぼっちでいることをバカにされた』と話し、警官らについては『撃たれると思ったので先に撃った』と供述しています」(同)
記事で母親が明かした通り、犯行に使われたとみられる銃1丁が、現場近くの民家と土蔵の間から見つかり、県警に押収されている。
父親の正道氏は、地元で代々続く果樹園で桃やシャインマスカットなどを栽培しながら、2014年に市議会議員に初当選。3期目の22年から議長職にあった。青木家を知る農業関係者が言う。
「奥さんは隣の山ノ内町の出身で、正道さんとは高校の同級生。子どもは3人で、政憲君の年子の妹は東京の体育大を卒業後、結婚して県外に住んでいます。その七つ下の次男は自衛官で、北海道にいると聞きました」
政憲容疑者は地元の小中学校を卒業し、進学校である県立須坂高校へ。中学校では野球部でキャッチャーを務め、高校では山岳部に在籍していたという。
「卒業後は一浪して東京の私大に進学しました。ところが、初めての一人暮らしで環境の変化もあって大学生活になじめず、3年生の時に中退して地元に戻ってきた。それ以来、お父さんも何とか立ち直らせようと心を砕いてきました」(同)
その頃、正道氏は勤めていた肥料販売会社を退職、独立して農業支援会社を立ち上げている。古くからの仕事仲間が言う。
「会社を興した少し後でしたか、政憲君が中野に戻ってきました。小さい頃は私を見ると『おっちゃーん』とかわいく駆け寄ってきたのに、すっかり変わってしまい、家を訪ねて話しかけても、小声で『ウス』とだけ言って押し黙ってしまう。無愛想を通り越し、面と向かって座ったらにらみ合いになってしまうほどコミュニケーションが取れない子でした。正道さんは『(東京で)人間関係が苦しくなったみたいだ』と漏らしており、敷地内のプルーン栽培などを手伝わせていました」
議員に当選した正道氏は、代々の農地を継いで一本立ちしてほしいとの願いから、自らの果樹園を「マサノリ園」と命名した。収穫した果物を用いたジェラート店も展開し、19年に軽井沢へ出店、昨年は中野市内に2号店をオープンさせている。が、先の農業関係者は、
「2号店は政憲君に任せていたはずが、従業員とのトラブルなどもあって店に顔を出さなくなり、実際にはお母さんが切り盛りしていました。自宅に配布物を届けに行っても、政憲君は庭で農作業をしながらあいさつもしないで小さくうなずくだけ。社交的な両親とは大違いでした」
当日、自宅前で竹内さんを刺した政憲容疑者は、逃げる村上さんを追って150メートルほど離れた場所で背中をひと突き。あお向けに倒れたところで胸を刺し、絶命させた。畑仕事をしながらこの光景を目撃したのは、かつて正道氏の後援会長を務めていた男性(72)だった。
「しばらくすると正道が帰って来て、いつもの口調で『何があったんですか』と聞く。私が見たままを話すと彼は、無言で頭を抱えて座り込んでしまったのです」
名声は、一夜にして地に堕ちたのだった。
犯行に使った猟銃を含め、政憲容疑者は県公安委員会から計4丁の銃の所持を許可されていた。先のデスクが言う。
「内訳は散弾銃2丁と空気銃1丁、そしてライフル及び散弾銃以外の猟銃1丁。いずれも15年1月から19年2月にかけて『狩猟』『標的射撃』の目的で許可されています」
所持許可証を得るには講習会や試験を受けねばならず、アルコール中毒や精神疾患、ストーカー行為や犯罪歴などは欠格事由と見なされる。3年ごとの更新では医師による診断書が必要で、警察官との面談も定期的に行われている。
警察庁の統計によれば21年末の時点で、全国で約8万8千人が猟銃及び空気銃の所持を許可されており、数にして17万7700丁余りだというのだが、
「過去にも、許可を得た銃による犯罪が起きています。例えば07年、長崎県佐世保市のスポーツクラブで男が散弾銃を乱射、8人を死傷させて自殺を遂げている。これをきっかけに規制が強まり、申請時の診断書の作成が精神科医に限定されました」
それでも昨年1月には、埼玉県ふじみ野市で男が散弾銃で医師ら2人を死傷させる事件が発生。銃規制にかけては世界に比類なきわが国の現実がこれである。
犯罪学が専門である立正大学の小宮信夫教授が言う。
「今回のような事件は必ず起こります。銃規制に反対する人たちは“申請時にきちんとチェックすればいい”などと言いますが、検査や診断の当日は正常でも、翌日には激高して手元の銃を取り出すかもしれません」
銃の所持者を定期的に観察するのは不可能であり、
「生活範囲から銃を遠ざけるしかありません。現実的な預け場所は警察署、猟友会、射撃場の3カ所でしょう。他人に腹を立てても、警察署まで取りに行くハードルは高く、その間に気持ちが鎮まることもある。あるいは、1丁ごとにGPSをつけ、自宅から持ち出せば警察署に伝わる仕組みにするのも有効だと思います」
自家薬籠中の「合法銃」を振り回せるのだから、こんな手ごわい犯罪者はいまい。
その分、警察当局にも相応の準備が求められ、現場には今回、長野県警の要請を受けて警視庁の捜査1課特殊班(SIT)と神奈川県警の特殊急襲部隊(SAT)が派遣されている。
「県ごとに呼称は異なりますが、特殊班は各都道府県警の刑事部に属する誘拐事件や人質事件のスペシャリスト。犯人との交渉も担当し、人質の安全を保ちながら犯人を生きたまま確保することを目指します。SATは全国の8都道府県警にあり、警備部に所属。テロやハイジャック事件などの後方支援で出動し、突入や狙撃による制圧を任務としています」(警察庁担当記者)
そうした態勢で臨んだにもかかわらず、立てこもりはおよそ12時間に及び、その間、竹内さんは屋外に放置されたまま。最終的には犯人が投降したものの、半日間の長丁場が市民生活に甚大な影響を及ぼしたのは言うまでもない。
警視庁SATの元隊員である伊藤鋼一氏は、
「SATは四つのグループに大別されます。情報分析作戦指揮、遠距離から狙撃支援を行うスナイパー、突入、技術的支援です。今回の事件では神奈川県警察SAT所属の作戦指揮隊員とスナイパー隊員が派遣されたものと思われます」
そう解説した上で、
「警察にとって被害者救出は最優先です。交渉によって犯人を投降確保しているものの、被害に遭われた女性がずっと屋外に放置されていた点において、作戦は失敗だと思います。犯人との交渉を続けながら、20時半過ぎに犯人の母親が逃げ出す前に、倒れている被害者を救わねばなりません。さらに母親が逃げてきた時点で情報を共有し、まだ伯母が残っているとしても突入を決断すべきでした」
それがかなわなかったのは、現場の県警捜査1課長と、最終判断を下す本部長の優柔不断が原因だというのだ。
「重大な立てこもり事件の際には、SITやSATを派遣する前にまず、警視庁と大阪府警にのみ置かれている警察庁指定のサポートチーム(タスクフォース)が現地に赴いて状況を見極めます。彼らは早期突入の具申もしているはずですが、今回は本部長判断が遅かったと思わざるを得ません」
実際に長野県警関係者は、
「自宅に複数の銃がある可能性もあり、県警による説得の電話は明け方まで複数回、行われていました。ところが男はこれを拒絶し、最後は父親に依頼せざるを得なかった。午前4時過ぎの通話で、男は父親に『どうしたらいい』と尋ね、父親が『警察に行くしかない』と促してようやく解決につながったのです」
とはいえ、犯人は身勝手な妄想で地域社会を恐怖のるつぼへと投げ込んだ。そんな対象は早期に“排除”、すなわち狙撃すべきではなかったか。今回の母親と伯母が「人質」であるかはさておき、国内の人質事件で、犯人射殺で解決したケースは1979年1月、大阪の「三菱銀行人質事件」が最後である。さる警察庁OBが言う。
「父親が市議会議長である上に説得を試みており、また県警本部長は言うに及ばず警察庁幹部にも断を下せる人材がいない。さらに大前提として警察幹部は前例踏襲が第一。こうしたことから、実際には狙撃など念頭になかったのでしょう」
26日に会見した小山巌県警本部長は、
〈2名が殉職することとなり、痛恨の極み〉
と述べていた。その厳粛な物言いとは打って変わり、2日後の日曜日にはTシャツに綿パンというラフな格好で、部下と現場を歩く姿があった。視察というより週末の散策といった趣だが、試しに県警本部に尋ねると、
「本部長は現場の確認のため赴きました。服装については動きやすいものとしました」(広報相談課)
警察力が衰えれば、凶悪犯がほくそ笑むだけである。
さて今後の問題は、犯行時の“コンディション”である。先のデスクが言う。
「“近所の女性に悪口を言われた”という事実は確認できておらず、両親も事情聴取でこれを否定している。本人の供述も支離滅裂で、動機の解明は一筋縄ではいきそうにありません」
それを裏付けるかのような記事も。冒頭の「信濃毎日新聞」の翌29日付紙面だ。父の正道氏が取材に応じており、そこでは、政憲容疑者が東京で一人暮らしをしていた学生時代の話として、
〈住んでいたアパート1階の部屋に入る際、青木容疑者は「ここは盗聴されているから気を付けて」と言った。聞くと、盗聴を恐れて携帯電話の電源も切っており「部屋の隅に監視カメラがある」。だが、両親からはカメラがあるようには見えなかった〉
驚いた両親は息子を実家に連れ帰り、大学も中退。
〈両親は病院の受診を勧めたが、青木容疑者は「俺は正常だ」と拒否した〉
一方で政憲容疑者は、
〈「猟銃の免許を取りたい」と言い始めた。正道さんは危険な銃の扱いに不安を覚えたが、狩猟仲間の輪の中で人付き合いができれば─と考えた〉
ここまで読めば、「刑事責任能力」の有無が焦点となるのはお分かりだろう。診断した医師の目は節穴だったのかと嘆きたくもなるが、
「今回の被疑者が、鑑定留置(医師が犯行時の精神状態を調べる制度)を受ける可能性は高いでしょう」
とは、元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士。
「警官二人の殺害は過剰防衛とみなされるかもしれませんが、女性二人の刺殺については『バカにした』との供述が幻聴や妄想で、統合失調症など精神的な問題の疑いがあるからです。責任能力には物事の善悪を判断する能力と、それによって行動を律する能力があります。そうした能力が十分でなかったとされれば心神耗弱、全くなかったとされれば心神喪失と判断されます」
鑑定の結果、四人の殺害全てが精神的な問題によって強く導かれていたと判断されれば、心神喪失で不起訴になる可能性もあるという。また起訴されても、心神耗弱となれば最終的に無期懲役への減刑もあり得るのだ。
「鑑定留置の結果を踏まえて心神喪失で不起訴や無罪になった場合、被疑者もしくは被告人には医療観察法が適用されます。刑事的な罪がないとはいえ、そのまま世に出すわけにはいかないので、強制的に精神科に入院することになる。ただし、その期間は長くて3年ほど。治療を受けたのち社会復帰することになります」
“絞首刑は嫌だ”と口にするあたり、ことの重大さは理解しているのだろう。こんな凶悪犯が堂々と銃を持てるのだから、つくづくあべこべな世の中である。
「週刊新潮」2023年6月8日号 掲載