幼少期はアトピーで泣き叫びながら起床…133cmの22歳女性が乗り越えた美醜の悩み「両親の愛ある言葉が私の中に満ち溢れていた」

133cmの22歳、低身長だからこそ見える世界があるとSNSで自身の創作物や好きなもののとらえ方についてポジティブに発信している夕霧わかなさん(@Ugiri_W)。アトピーの症状に悩まされた過去があり、肝斑や色素沈着のある自分の肌がどうしようもなく汚く見えて「美醜にとりつかれてしまっていた」と振り返る。そんな夕霧さんが、どのようにして自分を受容することができたのか。前向きに考えられるようになったきっかけを聞いた。
【写真】133cmの世界とは…? 180cmの人と背を比べた時の夕霧わかなちゃんさん■現役大学生で画家として活動、SNSは夢を叶えるための手段――夕霧さんは画家として活動されながらSNSで発信されていらっしゃいます。現役大学生でもいらっしゃるそうですが、現在の活動についてお聞かせいだだけますか?「大学はもう授業数を大体取り終わってしまったので、余暇の時間が多くなって時間的には今は両立ができる形になっています。去年、大学3年生のときに、個展や展示を百貨店さんで3回やらせていただいて、かなり精力的に動けていたんです。でも、4年生になってから忙しくなり、今はあまり作品を準備する時間は取れていませんが、夕霧わかなというアカウント自体は、『絵で食べていきたい』という私の夢を叶えるための足がかりとして作ったものです。クリエイターとしてアカウントで活動を初めて、今では自分の好きなロリィタファッションのこと、自分の過去、考え方など様々な発信をしています」――作品を見ていると、独自の世界観があると感じますが、どういいたところから今の作風になっていったのですか?「絵の勉強は独学です。大学も美術系ではないんです。私はホラー漫画家の伊藤潤二先生が大好きで、小学生のときに初めて読んで、もう衝撃を受けたんです。『富江』という作品を読んで、人間の肉体って美しいなと思って。女性のヌードやトップレスの作品を結構描くんですけど、それはたぶんここから来ています」――どのような時に作品のインスピレーションが湧くのでしょうか? 「“見間違い”から来ていることが多いです。私って、おっとりさんとか天然とか、不思議ちゃんみたいに言われることが割と多くて、普段から見間違いや聞き違いもすごくするんです。その見間違いをしたものがそのまま作品になることがあります。あとは、寝入りばながインスピレーションの宝庫です。半分寝ているけど半分起きている瞬間のときって、色んな情景が見えてくる。しかも、半分夢でもあるから、普段なら考えもしないようなトンチキなものがたくさん出てくるので、それをメモしています。だから、寝かける度にメモで起きるから全然寝られないんですけど(笑)」■肌をかきむしり、朝は泣き叫びながら起きる…「妖怪」といじめられた幼少期――アカウントではご自身のアトピーの症状のことを投稿されていますが、幼少期の頃から症状は出ていたのですか?「年齢が若いときほどひどくて、生後何ヵ月の頃からもうアトピーなので、本当に付き合いは長いですね。体中が生まれたての真っ赤なウサギみたいになって、体の皮膚がペロッと剥がれて。救急車に乗ったこともありました。医者に絶句されたこともあったし、入院も何回もしています。 アトピーは、痛いのが一番しんどいんですよ。寝ている間は意識がないからめちゃくちゃにかきむしっていて、朝が一番つらい。小学生のときは、目が覚めると同時に悲鳴を上げるみたいな…。痛くて叫んで泣いて起きるという感じでした。薬を塗って痛みを抑えながら頑張って服を着て学校に行くっていう日々でしたね」――日常生活もままならない?「はい、とにかくもう体が痛すぎて。傷がすごくあるので、血とか膿とか汁とか、そういうので朝は体がベタベタになるんです。夜になるとそれが固まって、翌朝は服を脱ぐときにバリバリっていうんです。めちゃくちゃ痛いですし、ふさがりかけた傷がそれでダメになってまた一からみたいな…。服の繊維がすべて皮膚の傷口にバッとついているから、それをお風呂でこすりながら落とす感じでした。とにかくもう体が痛すぎましたね」――学校生活はどのように過ごしていた?「結構休みがちでした。いじめもあったので…。汗が大敵なので、登下校だけで死にかけていました。痛すぎて肘の曲げ伸ばしすら大変でしたし、落とした消しゴムを拾うことすらつらかったです」――いじめはアトピーに起因するもの? 「小さな子って、やっぱり正直に言ってくるんですよね。頭皮も肌もグズグズになってフケがものすごく出てしまったり、皮膚から粉が落ちてきたりするんですけど、小学校の制服が黒だったので、もう粉雪みたいになってしまうんです。そしたら『汚い』って言われて、自分も自覚があるから強く言い返せなくて…」――傷つくことを言われることもありましたか?「覚えているのは『妖怪』ですね。あだ名が妖怪だったので。今は化粧ができますけど、顔にも結構ひどくアトピーが出ていたんですよね。皮が浮いてきて髭みたいになっていたりもしたので、『顔を見ていたら食欲が失せるから壁を向いて食べろ』とかも言われていたみたいです。その頃のことは、あんまり覚えていないんですけど…」――ご家族は、そんな夕霧さんを見てどのように?「家族は一緒に苦しんでくれていた感じはします。小学校の低学年のときは、薬を塗るのをやってもらったりもしていました。お風呂上りに何種類もの薬を順番に塗って、体中をコーティングしないといけなかったので。母親は色んな民間療法を調べたり、これがいいと聞いたら食べさせてくれたりしました。ただ、それで悪化することもあったので、すごく大変だっただろうなと思います。金銭的にも『家が何軒か建つね』みたいにいつも言うんですけど、それくらいのお金をかけても私はダメでしたからね。中学校までの私は、本当に毎日死ぬことばかり考えていて、体が楽になるんだったらもうなんでもしたいという気持ちでした」――症状がだんだんと良くなっていくきっかけはあったんですか?「成長するとともに…という感じです。体調が良くなってきた高校生くらいのときには、“そうではない人生”があることにすごく驚きを感じました。現在も完璧には良くなっていないですけど、昔ほどはきつくないですし、汗とかをかかない限りは安定しています。朝に涙なく起きられるようになったことが一番大きいです」■「そのままの姿で一番かわいいよ」ふと思い出した両親からの言葉――その後は、日常生活も問題なく送れるように?「大学生になってから、美への執着に悩まされていました。昔は本当に余裕がなかったので、もう痛くなければそれでいいと思っていたんですけど、大学生くらいになると、やっぱりみんなおしゃれを始めるので。私の場合は肌に痕が残っていて、白い部分とシミの部分が両方あって、それが気になり始めちゃいました」――過去のツイートにも、美醜にとりつかれていた時期があったと書かれていましたね。「高校までは見た目に無関心だったんです。アトピーのこともあって、外見的な美しさという、そのステージやそのフィールドに自分が行ったら、すごく惨めな思いをすることがわかっていたんです。もともと肌がツルツルの普通の何の病気もない女の子がおしゃれをするのと、もともとアトピーで皮膚が硬くなって肌荒れがひどくてシワだらけの私がおしゃれをするのでは全然違う。みんなと同じようになれることはないですし、つらい思いをするだろうなっていうのが無意識にわかっていたと思うんです。昔はおしゃれにまったく興味がないって言っていましたが、今思えばそういうことが深層意識でわかっていたからかもなって…」――大学生になって夕霧さんもおしゃれやメイクをするように?「みんなメイクをして学校に来るので『大学生はメイクしなきゃいけないのか』と思って、ネットで調べて勉強を始めました。その頃には、化粧できるくらいには肌も回復してきていたので。ただ、メイクや美容の勉強を始めると、SNSに行き当たるんです。そうすると、綺麗な人が本当にたくさんいて、それを見て結構病んでしまって…。それが美醜にとりつかれてしまったということですね。肌の汚さが気になり始めて、これまでは日常生活さえ送れればいいと思っていた私が『肌が綺麗じゃないとな…』と思うようになってしまった。シミとか白斑とかがあるので、やってはいないですけど、レーザー治療を検討したり調べたりもしていました」――そこから考え方が変わるようになるのには、どのようなきっかけがあったのですか?「開き直ったというか、思い出したというか。小さい子頃から親に全肯定されて生きてきていて、『そのままの姿で一番可愛いよ』とか『低身長でも最高に可愛いよ』とか言われていたのが、たぶんもう私のなかにずっと蓄えられているんです。幼少期からずっと言われ続けているので、深層意識にめちゃくちゃしっかり入っていて、それを思い出した感じです。『この姿こそが完全だよ』って。これでも十分美しいんだということがわかってきたんです。 アトピーの肌を否定するということは、自分の20年分の人生を全否定したのと同じことだと思ったんですよ。私の人生はアトピーと一緒にありました。シミとかシワを消しちゃいたいと思っていたけど、あれは自分が苦しみながら一所懸命に治療をしてきたものだと。生きてきた証だし勲章だなって思ったんです。誇りであって恥ではないというか」――このままがいいと思えた?「どれだけ傷がついても、自分の皮膚がいつも直してくれたから、今命があると思うんですよ。本当に死にかけていたのでもう感謝しかなくて。そう思ったら、もうこのままで良いよねと感じました」■美の基準、SNSでの批判…自分の存在はそれらを乗り越えてきた証明――SNSを見ていると、「身長133cmの世界」として、ポジティブに発信されている印象が強いです。SNSをやっていることで周囲から嫌な一言を投げかけられたりして、モヤモヤしたような経験はありますか?「自分がまだその問題を解決中だったらモヤモヤするかもしれないですけど、身長もアトピーも自分のなかでもうケリがついているんです。だから、『そうだね、うんうん』みたいな感じです(笑)。SNSってそういうものですしね。誹謗中傷を言ってくるその人の気持ちもわかるので…。悪口を言われたら、できるだけ捉え方を変えようと思っていますね」――夕霧さんにとってSNSは、どんな存在であり、どんな世界ですか?「私みたいに、容姿とか心理的なことで苦しんでいる人が、すごくたくさんいると思うんです。世の中には、作られた美の基準みたいなものがやっぱりあるので、そこからちょっとでも外れていたら『自分はダメだ』と思い込んでしまう人もいると思います。そういった人を私の言葉で勇気づけたいという目標が私にはあります。 世間的な美の基準とか、そこから来る批判とか、そういうものを乗り越えてきた証明が自分だと思っています。だから、それをできるだけ多くの人に向けて発信することで、元気を与えたいという思いがあるので、SNSには本当に感謝しています。SNSがなかったらできなかったことなので、必要不可欠なものですね」――悩みを抱えている人たちを自分のSNSの発信で支えていくという思いになってきているのですね。「そのままの自分でもう百点満点なんだということがわかってもらえたらいいなって思っています。アトピーとか身長が低いとか、私は見た目にわかりやすいんです。だからこそ、SNSに向いているなって思っていて。私の場合は視覚でバンッと入ってくるので、自分にしかできない発信だなって感じました。 肌が綺麗じゃない、背も高くない、世の中の美の基準から外れている私が、色々ありながらも楽しそうにやっている姿を見せたら、ちょっとは勇気づけることができるんじゃないかなって思っています」
■現役大学生で画家として活動、SNSは夢を叶えるための手段
――夕霧さんは画家として活動されながらSNSで発信されていらっしゃいます。現役大学生でもいらっしゃるそうですが、現在の活動についてお聞かせいだだけますか?
「大学はもう授業数を大体取り終わってしまったので、余暇の時間が多くなって時間的には今は両立ができる形になっています。去年、大学3年生のときに、個展や展示を百貨店さんで3回やらせていただいて、かなり精力的に動けていたんです。でも、4年生になってから忙しくなり、今はあまり作品を準備する時間は取れていませんが、夕霧わかなというアカウント自体は、『絵で食べていきたい』という私の夢を叶えるための足がかりとして作ったものです。クリエイターとしてアカウントで活動を初めて、今では自分の好きなロリィタファッションのこと、自分の過去、考え方など様々な発信をしています」
――作品を見ていると、独自の世界観があると感じますが、どういいたところから今の作風になっていったのですか?
「絵の勉強は独学です。大学も美術系ではないんです。私はホラー漫画家の伊藤潤二先生が大好きで、小学生のときに初めて読んで、もう衝撃を受けたんです。『富江』という作品を読んで、人間の肉体って美しいなと思って。女性のヌードやトップレスの作品を結構描くんですけど、それはたぶんここから来ています」
――どのような時に作品のインスピレーションが湧くのでしょうか?
「“見間違い”から来ていることが多いです。私って、おっとりさんとか天然とか、不思議ちゃんみたいに言われることが割と多くて、普段から見間違いや聞き違いもすごくするんです。その見間違いをしたものがそのまま作品になることがあります。あとは、寝入りばながインスピレーションの宝庫です。半分寝ているけど半分起きている瞬間のときって、色んな情景が見えてくる。しかも、半分夢でもあるから、普段なら考えもしないようなトンチキなものがたくさん出てくるので、それをメモしています。だから、寝かける度にメモで起きるから全然寝られないんですけど(笑)」
■肌をかきむしり、朝は泣き叫びながら起きる…「妖怪」といじめられた幼少期
――アカウントではご自身のアトピーの症状のことを投稿されていますが、幼少期の頃から症状は出ていたのですか?
「年齢が若いときほどひどくて、生後何ヵ月の頃からもうアトピーなので、本当に付き合いは長いですね。体中が生まれたての真っ赤なウサギみたいになって、体の皮膚がペロッと剥がれて。救急車に乗ったこともありました。医者に絶句されたこともあったし、入院も何回もしています。
アトピーは、痛いのが一番しんどいんですよ。寝ている間は意識がないからめちゃくちゃにかきむしっていて、朝が一番つらい。小学生のときは、目が覚めると同時に悲鳴を上げるみたいな…。痛くて叫んで泣いて起きるという感じでした。薬を塗って痛みを抑えながら頑張って服を着て学校に行くっていう日々でしたね」
――日常生活もままならない?
「はい、とにかくもう体が痛すぎて。傷がすごくあるので、血とか膿とか汁とか、そういうので朝は体がベタベタになるんです。夜になるとそれが固まって、翌朝は服を脱ぐときにバリバリっていうんです。めちゃくちゃ痛いですし、ふさがりかけた傷がそれでダメになってまた一からみたいな…。服の繊維がすべて皮膚の傷口にバッとついているから、それをお風呂でこすりながら落とす感じでした。とにかくもう体が痛すぎましたね」
――学校生活はどのように過ごしていた?
「結構休みがちでした。いじめもあったので…。汗が大敵なので、登下校だけで死にかけていました。痛すぎて肘の曲げ伸ばしすら大変でしたし、落とした消しゴムを拾うことすらつらかったです」
――いじめはアトピーに起因するもの?
「小さな子って、やっぱり正直に言ってくるんですよね。頭皮も肌もグズグズになってフケがものすごく出てしまったり、皮膚から粉が落ちてきたりするんですけど、小学校の制服が黒だったので、もう粉雪みたいになってしまうんです。そしたら『汚い』って言われて、自分も自覚があるから強く言い返せなくて…」
――傷つくことを言われることもありましたか?
「覚えているのは『妖怪』ですね。あだ名が妖怪だったので。今は化粧ができますけど、顔にも結構ひどくアトピーが出ていたんですよね。皮が浮いてきて髭みたいになっていたりもしたので、『顔を見ていたら食欲が失せるから壁を向いて食べろ』とかも言われていたみたいです。その頃のことは、あんまり覚えていないんですけど…」
――ご家族は、そんな夕霧さんを見てどのように?
「家族は一緒に苦しんでくれていた感じはします。小学校の低学年のときは、薬を塗るのをやってもらったりもしていました。お風呂上りに何種類もの薬を順番に塗って、体中をコーティングしないといけなかったので。母親は色んな民間療法を調べたり、これがいいと聞いたら食べさせてくれたりしました。ただ、それで悪化することもあったので、すごく大変だっただろうなと思います。金銭的にも『家が何軒か建つね』みたいにいつも言うんですけど、それくらいのお金をかけても私はダメでしたからね。中学校までの私は、本当に毎日死ぬことばかり考えていて、体が楽になるんだったらもうなんでもしたいという気持ちでした」
――症状がだんだんと良くなっていくきっかけはあったんですか?
「成長するとともに…という感じです。体調が良くなってきた高校生くらいのときには、“そうではない人生”があることにすごく驚きを感じました。現在も完璧には良くなっていないですけど、昔ほどはきつくないですし、汗とかをかかない限りは安定しています。朝に涙なく起きられるようになったことが一番大きいです」
■「そのままの姿で一番かわいいよ」ふと思い出した両親からの言葉
――その後は、日常生活も問題なく送れるように?
「大学生になってから、美への執着に悩まされていました。昔は本当に余裕がなかったので、もう痛くなければそれでいいと思っていたんですけど、大学生くらいになると、やっぱりみんなおしゃれを始めるので。私の場合は肌に痕が残っていて、白い部分とシミの部分が両方あって、それが気になり始めちゃいました」
――過去のツイートにも、美醜にとりつかれていた時期があったと書かれていましたね。
「高校までは見た目に無関心だったんです。アトピーのこともあって、外見的な美しさという、そのステージやそのフィールドに自分が行ったら、すごく惨めな思いをすることがわかっていたんです。もともと肌がツルツルの普通の何の病気もない女の子がおしゃれをするのと、もともとアトピーで皮膚が硬くなって肌荒れがひどくてシワだらけの私がおしゃれをするのでは全然違う。みんなと同じようになれることはないですし、つらい思いをするだろうなっていうのが無意識にわかっていたと思うんです。昔はおしゃれにまったく興味がないって言っていましたが、今思えばそういうことが深層意識でわかっていたからかもなって…」
――大学生になって夕霧さんもおしゃれやメイクをするように?
「みんなメイクをして学校に来るので『大学生はメイクしなきゃいけないのか』と思って、ネットで調べて勉強を始めました。その頃には、化粧できるくらいには肌も回復してきていたので。
ただ、メイクや美容の勉強を始めると、SNSに行き当たるんです。そうすると、綺麗な人が本当にたくさんいて、それを見て結構病んでしまって…。それが美醜にとりつかれてしまったということですね。肌の汚さが気になり始めて、これまでは日常生活さえ送れればいいと思っていた私が『肌が綺麗じゃないとな…』と思うようになってしまった。シミとか白斑とかがあるので、やってはいないですけど、レーザー治療を検討したり調べたりもしていました」
――そこから考え方が変わるようになるのには、どのようなきっかけがあったのですか?
「開き直ったというか、思い出したというか。小さい子頃から親に全肯定されて生きてきていて、『そのままの姿で一番可愛いよ』とか『低身長でも最高に可愛いよ』とか言われていたのが、たぶんもう私のなかにずっと蓄えられているんです。幼少期からずっと言われ続けているので、深層意識にめちゃくちゃしっかり入っていて、それを思い出した感じです。『この姿こそが完全だよ』って。これでも十分美しいんだということがわかってきたんです。
アトピーの肌を否定するということは、自分の20年分の人生を全否定したのと同じことだと思ったんですよ。私の人生はアトピーと一緒にありました。シミとかシワを消しちゃいたいと思っていたけど、あれは自分が苦しみながら一所懸命に治療をしてきたものだと。生きてきた証だし勲章だなって思ったんです。誇りであって恥ではないというか」
――このままがいいと思えた?
「どれだけ傷がついても、自分の皮膚がいつも直してくれたから、今命があると思うんですよ。本当に死にかけていたのでもう感謝しかなくて。そう思ったら、もうこのままで良いよねと感じました」
■美の基準、SNSでの批判…自分の存在はそれらを乗り越えてきた証明
――SNSを見ていると、「身長133cmの世界」として、ポジティブに発信されている印象が強いです。SNSをやっていることで周囲から嫌な一言を投げかけられたりして、モヤモヤしたような経験はありますか?
「自分がまだその問題を解決中だったらモヤモヤするかもしれないですけど、身長もアトピーも自分のなかでもうケリがついているんです。だから、『そうだね、うんうん』みたいな感じです(笑)。SNSってそういうものですしね。誹謗中傷を言ってくるその人の気持ちもわかるので…。悪口を言われたら、できるだけ捉え方を変えようと思っていますね」
――夕霧さんにとってSNSは、どんな存在であり、どんな世界ですか?
「私みたいに、容姿とか心理的なことで苦しんでいる人が、すごくたくさんいると思うんです。世の中には、作られた美の基準みたいなものがやっぱりあるので、そこからちょっとでも外れていたら『自分はダメだ』と思い込んでしまう人もいると思います。そういった人を私の言葉で勇気づけたいという目標が私にはあります。
世間的な美の基準とか、そこから来る批判とか、そういうものを乗り越えてきた証明が自分だと思っています。だから、それをできるだけ多くの人に向けて発信することで、元気を与えたいという思いがあるので、SNSには本当に感謝しています。SNSがなかったらできなかったことなので、必要不可欠なものですね」
――悩みを抱えている人たちを自分のSNSの発信で支えていくという思いになってきているのですね。
「そのままの自分でもう百点満点なんだということがわかってもらえたらいいなって思っています。アトピーとか身長が低いとか、私は見た目にわかりやすいんです。だからこそ、SNSに向いているなって思っていて。私の場合は視覚でバンッと入ってくるので、自分にしかできない発信だなって感じました。