2022年の敬老の日の発表によると、日本人の9.9%が80歳以上だそう。人々の栄養状態がよくなったうえ医療の発達もあって、個人差はあるものの、元気な高齢者が増えているのも事実のようです。一方で「実は年齢というのは意外に意味のないもの」と語るのは、老年医学を専門とする精神科医・和田秀樹先生。和田先生いわく「むしろ若い世代のほうが心が老いてしまっていることが多い」のだそうで――。
【写真】「孤独は気楽」開き直るべきと語る和田先生* * * * * * *年齢を当てはめて答えを出そうとする少し気になることがあります。平均年齢が50歳に近づき、世の中に高齢者が溢(あふ)れ、職場にも中高年世代が居座るようになると、今度は若い世代に「年寄りが目障り」とか「大人しくしていればいい」といった反感が広がっているように感じるのです。実年齢を当てはめようとしたり、齢で相手を見るのが心の老いの始まりだとすれば、むしろ20代のようなうんと若い世代にもそういう傾向が強まっていないでしょうか。たとえば高齢者が運転する車が事故を起こすと、「80過ぎて運転なんていい迷惑だよ」とか「免許証に年齢制限作ればいいだけの話じゃないか」といった見方をします。運転しているそれぞれの高齢者の実像はまったく無視して、年齢を当てはめて答えを出そうとします。わたしが不思議に思うのは、若い人ならむしろ「自動運転システムをなぜ実用化できないんだ」とか「いまの技術でもできることはあるはずなのに」といった技術改革やシステム開発のほうに関心が向けられてもいいような気がするのに、そういう意見はまったく出てこないところ。ただ高齢者の年齢だけを見てしまいます。むしろ若い世代に心の老いが広がっていないだろうか職場にもそういう見方はないでしょうか。相手が上司であれ先輩であれ、「50過ぎの言うことはズレている」とか「いまのトレンドがわかってない」といった見方をして年齢で決めつけてしまいます。『心が老いない生き方 – 年齢呪縛をふりほどけ! – 』(著:和田秀樹/ワニブックスPLUS新書)トレンドを言うなら自分たちより高齢世代の意見にも耳を傾けてもいいはずですし、相手の年齢ではなくどんな意見があるんだろうと向き合うほうが自然な態度のように思えます。そのほうが心が柔らかくて自由です。もし年齢で決めつけてしまう若い人が、自分の親の老いに向き合えばどうなるでしょうか。やはり実年齢を当てはめて親の心の若さを無視してしまわないでしょうか。80歳過ぎた親が派手な色のセーターを着ただけで「いい齢をしてみっともない」と諭したり、楽器を習い始めたりすると「齢なんだからカネの無駄」と叱るかもしれません。少なくとも「うちの親は気が若くていいなあ」とは喜んでくれないような気がします。心の老いは、年齢が若くても始まることがあるし、むしろ若い世代のほうが心が老いてしまっていることが多いのです。「どうせなら若いほうがいい」という年齢差別それからこれは腹立たしいくらいいまの日本に刷り込まれた考え方として「若いほうがいい」というのがあります。たとえば政治の世界がそうです。国政でも自治体の首長選挙でも、二人の候補者がいると「若い人のほうがいい」と考えます。「若い人のほうが思い切ったことをやってくれそうな気がする」とか「年寄りは行動力がないし発想が古い」といった受け止め方をします。高齢者が運転する車が事故を起こすと「80過ぎて運転なんていい迷惑だよ」とか「免許証に年齢制限作ればいいだけの話じゃないか」といった見方をしがちですが(写真提供:Photo AC)でも大事なのはそれぞれの候補者が何を訴えているか、どんな政治をやろうとしているかということです。若い政治家が若いというだけで市民の生活を守ってくれるとは限りません。いくら年齢が若くても心の老いが始まっている政治家もいます。自治体の首長でも国の言いなりになって市民に不自由を強いる例だって多いのです。まして国の政治をリードする総理大臣のようなトップが、ただ年齢が若いというだけで有権者に支持されたらそれこそどんな政策を押しつけてくるかわかりません。たとえ高齢の政治家であっても、要は国民の気持ちを汲み取る能力があればいいわけで、どんなに若くても聞く耳を持たない政治家では困るのです。つまり政治に年齢は関係ありません。ちなみのアメリカの大統領は2代続いて70代です。いまのバイデン大統領はもうすぐ81歳になります。アメリカの平均年齢は38歳で日本よりはるかに若いことを考えると、年齢へのこだわりがないとわかります。さすが年齢差別禁止法が実施されている国だと納得します。「若いほうがいい」と決めつけるのは頭が固い日本は雇用の場でも「若いほうがいい」という考えが根強くあります。キャリアや能力が同じなら少しでも年齢の若い人材を選ぼうとします。でも重労働や勤務時間が特殊な職場ならともかく、たいていの仕事は幅広い年代の人が従事しています。「若いほうが使いやすい」とか「覚えが早いだろう」「それだけ長く働いて貰える」といった理由で高齢者を雇用しないのは、本人の能力や個性でなく年齢だけを見ているからでしょう。たとえば接客のようなサービス業に「若いほうがいい」という発想を持ち込むのは大きな間違いでしょう。コンビニのレジ業務でも、最近は意外に高齢の男性や女性が働いていたりします。ケンタッキーフライドチキンで店長の雇用を65歳まで、店舗職員の雇用を70歳まで延長したというニュースがありました。ディスカウントショップのドン・キホーテのように80代の高齢者を積極的に雇用している企業もあります。もともとホテルやレストランの接客係には高齢の男性というイメージがあります。物腰が穏やかで、落ち着いている年代のほうが、客に安心感を与えます。少しぐらい動作が鈍くても、バタバタと動き回られるよりは料理や雰囲気をゆっくりと楽しめるのです。高齢者には長く生きてきて備わった長所があり、少なくとも一人ひとりにそれぞれの魅力や能力があります。それを無視して「若いほうがいい」と決めつけてしまうのはいかにも頭の固い考え方ということになります。※本稿は、『心が老いない生き方 – 年齢呪縛をふりほどけ! – 』(ワニブックスPLUS新書)の一部を再編集したものです。
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少し気になることがあります。
平均年齢が50歳に近づき、世の中に高齢者が溢(あふ)れ、職場にも中高年世代が居座るようになると、今度は若い世代に「年寄りが目障り」とか「大人しくしていればいい」といった反感が広がっているように感じるのです。
実年齢を当てはめようとしたり、齢で相手を見るのが心の老いの始まりだとすれば、むしろ20代のようなうんと若い世代にもそういう傾向が強まっていないでしょうか。
たとえば高齢者が運転する車が事故を起こすと、「80過ぎて運転なんていい迷惑だよ」とか「免許証に年齢制限作ればいいだけの話じゃないか」といった見方をします。
運転しているそれぞれの高齢者の実像はまったく無視して、年齢を当てはめて答えを出そうとします。
わたしが不思議に思うのは、若い人ならむしろ「自動運転システムをなぜ実用化できないんだ」とか「いまの技術でもできることはあるはずなのに」といった技術改革やシステム開発のほうに関心が向けられてもいいような気がするのに、そういう意見はまったく出てこないところ。ただ高齢者の年齢だけを見てしまいます。
職場にもそういう見方はないでしょうか。
相手が上司であれ先輩であれ、「50過ぎの言うことはズレている」とか「いまのトレンドがわかってない」といった見方をして年齢で決めつけてしまいます。
『心が老いない生き方 – 年齢呪縛をふりほどけ! – 』(著:和田秀樹/ワニブックスPLUS新書)
トレンドを言うなら自分たちより高齢世代の意見にも耳を傾けてもいいはずですし、相手の年齢ではなくどんな意見があるんだろうと向き合うほうが自然な態度のように思えます。そのほうが心が柔らかくて自由です。
もし年齢で決めつけてしまう若い人が、自分の親の老いに向き合えばどうなるでしょうか。
やはり実年齢を当てはめて親の心の若さを無視してしまわないでしょうか。80歳過ぎた親が派手な色のセーターを着ただけで「いい齢をしてみっともない」と諭したり、楽器を習い始めたりすると「齢なんだからカネの無駄」と叱るかもしれません。
少なくとも「うちの親は気が若くていいなあ」とは喜んでくれないような気がします。
心の老いは、年齢が若くても始まることがあるし、むしろ若い世代のほうが心が老いてしまっていることが多いのです。
それからこれは腹立たしいくらいいまの日本に刷り込まれた考え方として「若いほうがいい」というのがあります。たとえば政治の世界がそうです。
国政でも自治体の首長選挙でも、二人の候補者がいると「若い人のほうがいい」と考えます。「若い人のほうが思い切ったことをやってくれそうな気がする」とか「年寄りは行動力がないし発想が古い」といった受け止め方をします。
高齢者が運転する車が事故を起こすと「80過ぎて運転なんていい迷惑だよ」とか「免許証に年齢制限作ればいいだけの話じゃないか」といった見方をしがちですが(写真提供:Photo AC)
でも大事なのはそれぞれの候補者が何を訴えているか、どんな政治をやろうとしているかということです。
若い政治家が若いというだけで市民の生活を守ってくれるとは限りません。いくら年齢が若くても心の老いが始まっている政治家もいます。自治体の首長でも国の言いなりになって市民に不自由を強いる例だって多いのです。
まして国の政治をリードする総理大臣のようなトップが、ただ年齢が若いというだけで有権者に支持されたらそれこそどんな政策を押しつけてくるかわかりません。
たとえ高齢の政治家であっても、要は国民の気持ちを汲み取る能力があればいいわけで、どんなに若くても聞く耳を持たない政治家では困るのです。
つまり政治に年齢は関係ありません。ちなみのアメリカの大統領は2代続いて70代です。
いまのバイデン大統領はもうすぐ81歳になります。アメリカの平均年齢は38歳で日本よりはるかに若いことを考えると、年齢へのこだわりがないとわかります。さすが年齢差別禁止法が実施されている国だと納得します。
日本は雇用の場でも「若いほうがいい」という考えが根強くあります。キャリアや能力が同じなら少しでも年齢の若い人材を選ぼうとします。
でも重労働や勤務時間が特殊な職場ならともかく、たいていの仕事は幅広い年代の人が従事しています。「若いほうが使いやすい」とか「覚えが早いだろう」「それだけ長く働いて貰える」といった理由で高齢者を雇用しないのは、本人の能力や個性でなく年齢だけを見ているからでしょう。
たとえば接客のようなサービス業に「若いほうがいい」という発想を持ち込むのは大きな間違いでしょう。コンビニのレジ業務でも、最近は意外に高齢の男性や女性が働いていたりします。
ケンタッキーフライドチキンで店長の雇用を65歳まで、店舗職員の雇用を70歳まで延長したというニュースがありました。
ディスカウントショップのドン・キホーテのように80代の高齢者を積極的に雇用している企業もあります。
もともとホテルやレストランの接客係には高齢の男性というイメージがあります。物腰が穏やかで、落ち着いている年代のほうが、客に安心感を与えます。
少しぐらい動作が鈍くても、バタバタと動き回られるよりは料理や雰囲気をゆっくりと楽しめるのです。
高齢者には長く生きてきて備わった長所があり、少なくとも一人ひとりにそれぞれの魅力や能力があります。
それを無視して「若いほうがいい」と決めつけてしまうのはいかにも頭の固い考え方ということになります。
※本稿は、『心が老いない生き方 – 年齢呪縛をふりほどけ! – 』(ワニブックスPLUS新書)の一部を再編集したものです。