〈皇統の安定 現実策を〉
【画像】愛子さまは2日間とも機能性の高いパンツルックでお出ましに
読売新聞が5月15日の一面でぶち上げた女系天皇を容認する提言が賛否を巻き起こす渦中――。愛子さまが能登半島地震の被災地視察のため、初めて石川県に足を運ばれた。
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「愛子さまー!!」
行く先々に大勢の人たちが集まり、歓声を上げる。夥しい数の警察官が配置される厳戒態勢下、お出迎えやお見送りは沿道の規制されたエリアのみ。金属探知機による検査を受け、手荷物は配布されるビニール袋に入れて足元に置く。それでも、愛子さまが到着すると、一瞬で空気が華やいだ。柔和な笑みを湛えながら、沿道の声にお手ふりで応える愛子さま。
厳重な警備
お召しものは、七尾市を訪れた初日が淡いベージュのジャケットとグレーのパンツ、志賀町に赴いた2日目がチェックのジャケットに黒のパンツだ。皇室担当記者が解説する。
「2日連続のパンツルックは初めてのこと。愛子さまはこれまで、出張を伴う公務では、初日と2日目でがらりと印象の異なる服装をされることが多かった。今回は2日間とも機能性の高いパンツルックをお召しになったところに、被災地を訪れる愛子さまのご覚悟を感じました」
本来であれば、昨年9月末に石川県を訪れる予定だった。だが、直前の同月21日に発生した奥能登豪雨を受け、取りやめに。
「愛子さまにとって初の単独地方公務となるはずでした。2022年、成年皇族となって初めて臨まれた記者会見でも、愛子さまは被災地への思いを口にされており、今回は悲願の初訪問だったと言えます」(同前)
訪問初日の18日、七尾市の仮設住宅万行第二団地。愛子さまは集会所で週1回行われる高齢の入居者向けの健康体操を見学された。この日の体操曲は「三百六十五歩のマーチ」と「パプリカ」。参加した奥原菊枝さん(78)が感極まる。
「前日、7年前に亡くなった夫のお墓参りをして、愛子さまに会えるよと報告しました。本当なら一生会うことができない方。愛子さまは『健康でいてくださいね』と優しく話しかけてくださいました」
同じく最前列に座っていた閨谷礼子さん(74)もこう振り返る。
「テレビで見るよりずっと素敵な方。膝をついて、じっと目を見て話してくださって。感激で胸がいっぱいになり、話しているうちにウルウルしてきました」
膝を落とし、目線の高さを合わせて被災者たちに語りかけるスタイルは“平成流”と呼ばれるが、
「始まりは美智子さま。皇太子妃だった昭和の時代から福祉施設で膝をついて利用者と交流していました。皇太子(現上皇)が次第にそれに倣うようになり、平成の時代に定着しました。今回の“膝つき交流”は、美智子さまから雅子さま、そして愛子さまへと引き継がれたものと言えるでしょう」(前出・皇室担当記者)
集会所を出た愛子さまは外に集まっていた数十人の入居者たちにも近寄り、順に声をかけられた。
「あいこさま、ありがとうございます」
愛くるしい声が飛ぶ。岡部俊成さん(45)と麻美さん(43)の長女、芽依ちゃん(3)だ。
「愛子さまは笑顔で『かわいいですね。おいくつですか?』と声をかけてくださいました。娘には『お姫様が来るんだよ』と伝えていました。愛子さまに『おうちはどうですか?』と聞かれた娘は、仮設の室内を娘の好きな色にしていたことから『ピンク色です』と答えました」(俊成さん)
当然ながら、仮設住宅に暮らす入居者は、地震によって慣れ親しんだ住まいを奪われた人たち。
「建築費も家賃も高騰していて、まだ次に住む場所は決まっていませんが、愛子さまが来てくれて、声までかけてくださったのは、本当にありがたく、励みになりました」(同前)
同日、愛子さまは七尾市内の観光拠点施設「和倉温泉お祭り会館」で旅館の若手経営者らとご懇談。和倉温泉にある20の旅館のうち営業を再開できているのはまだ5館のみだ。かつての賑わいには程遠いが、沿道から愛子さまを見守った旅館「花ごよみ」女将の北村良子さん(66)が語る。
「和倉にこんなに人が集まったのは、去年の地震以降では初めて。愛子さまの穏やかな笑顔は、皇太子妃時代に和倉にお泊りになった雅子さまと重なりました」
初日の最後、愛子さまは金沢大学のボランティアサークル「ボランティアさぽーとステーション」の喜多見浩介さん(20)、間山春太郎さん(19)、湯澤実柚さん(19)らとご交流。現在2年生の3人は、顧問で同大学講師の原田魁成さん(30)や仲間とともに毎週末、奥能登の被災地に出向き、被災した住宅の片づけや被災者の心のケアを行う傾聴などの活動を続ける。間山さんが語る。
「愛子さまはボランティアに参加したきっかけや印象に残った活動などを、熱心に聞いてくださいました。被災して汚れた写真の洗浄の様子をお見せすると、『こんなに綺麗になるんですね』と感心しておられました」
日本赤十字社の嘱託職員として2年目を迎えられた愛子さまは、ボランティア活動推進室の青少年・ボランティア課に勤務。志を同じくする大学生たちとのやりとりにも、自然と熱がこもる。喜多見さんが語る。
「愛子さまは、ニーズとシーズのマッチング、どんな仕組みがあればボランティアに参加しやすくなるかなど、専門的なことも積極的に聞いてこられました。関心の高さを感じ、あっという間の時間でした」
快晴に恵まれた2日目の19日。愛子さまは志賀町の道の駅「とぎ海街道」で昨年9月に営業を再開した仮設店舗を訪ねられた。
地元スーパー「トギストア」は、元店舗の10分の1ほどの広さだが、奥の厨房で調理した自慢の刺身や総菜が店内に並ぶ。愛子さまを案内した専務の冨澤美紀子さん(69)が振り返る。
「愛子さまは、こうしたスーパーに入られるのが初めてだったそうで、『品揃えが豊富で、綺麗に並んでいますね』と、優しい口調で話してくださいました」
愛子さまが足を止めて興味を示されたのが「茶わんとうふ」だったという。お碗型の丸い豆腐の中に練辛子が入っている、能登で生まれた石川県民のソウルフードの一つである。
愛子さまは、この道の駅でも、隣接する仮設住宅とぎ第三団地の入居者に声をかけられた。前日の体験を踏まえた問いかけを受けたのは大谷文子さん(78)だ。
「愛子さまが『健康体操はされていますか』と。ここには集会所がないので『していませんが、災害で繋がった皆さんとの絆があります』と答えると、『よかったですね』と言ってくださいました。眼差しの優しさに感動しました」
志賀町富来行政センターでは、ボランティアの運営体制に耳を傾けられた。職員とともに対応した災害支援の任意団体「ユナイテッドコッカーズ」代表の境圭代子さん(45)が語る。
「一般ボランティアが入っていけない半壊以上の建物の片づけや荷物を取り出す活動をしています。愛子さまは活動風景のパネルも熱心に見てくださいました」
同団体で活動する木坂伸子さん(43)が明かす。
「活動を通じてご依頼主さんが笑顔になったお話をすると、愛子さまは『喜んでくれたんですね』とほほ笑んでおられました」
愛子さまは、「また来ます」とのお言葉を残して帰路につかれた。今後も被災者の心に寄り添い続ける――。愛子さまの思いが伝わる濃密な2日間だった。
(「週刊文春」編集部/週刊文春 2025年5月29日号)