2024年12月で23歳になられた愛子さまは、同年4月から日本赤十字社に勤務され、公務との両立でお忙しい毎日をお過ごしになっている。働きはじめた頃には寝坊で遅刻されてしまったこともあったが、徐々に慣れてきた公務では“愛子さまスタイル”が随所に見られるようになってきた、とジャーナリストの友納尚子氏がレポートしている。
【画像】工房で紙すきを体験する愛子さま
誕生日を迎えられた愛子さま 時事通信社
2024年5月、愛子さまは国立公文書館で開催された「夢みる光源氏―公文書館で平安文学ナナメ読み!―」を鑑賞された。この展覧会は、古来、神仏のお告げとされてきた「夢」をテーマにしていた。
〈『更級日記』に関する史料をご覧になった際には、「他にも夢が出てくるところがありましたね」と鋭く指摘され、説明役の調査員を驚かせる一幕もあった〉
学習院大学で中世期を中心とした日本文学を学ばれた愛子さまらしい場面だったが、それ以上に“愛子さまスタイル”が垣間見えたのは、次のシーンだった。
〈鑑賞を終えられて帰り際に、館長が「またおいでください」と伝えると、愛子さまは、「はい。近くですので、シュッと来られます」と右手首を素早く内側にひねるジェスチャーを交えてお応えになった。そんな気さくなふるまいが、自然と周囲を和ませていた〉
社会人生活が早くも半年を迎えようとする頃、初めての地方単独公務が検討された。当初は、能登半島地震の被災地訪問をされる予定だった。内親王の初の単独公務先としては異例だったが、愛子さまたっての希望だったという。
だが、予定されていた9月28日、29日を前にして、石川県に記録的な豪雨が降って甚大な被害が生じたため、被災地訪問は取りやめとなった。
かわって初の地方単独公務先となったのが、佐賀県で開催された第78回国民スポーツ大会「SAGA2024」だ。大会をご覧になっている際、愛子さまは関係者に積極的に質問を重ねられたという。
〈陸上選手の歩幅や手脚の動かし方が、いかに走るスピードに繋がるかに関心を寄せられて、選手たちのフォームに着目されていたという。お好きな競技の一つである柔道は、事前にパリ五輪の映像を何度も鑑賞され、技をかけるタイミングなどの説明に耳を傾けられていた〉
事前に下調べをしておいて、それを踏まえて質問をする――それは、ご両親である両陛下からアドバイスされたことだった。さらに、両陛下の姿勢に学ぶだけでなく、愛子さまが独特のスタイルを築きつつあるのは、ご自身の感性から自然な言葉が発せられるところだ。
〈(佐賀の)「名尾手すき和紙」では、紙すきを実際に体験された。同工房職人の田中ももさんは、愛子さまの手すき体験を補助した。その時の印象を、田中さんは当時、こう語っていた。
「愛子さまから『水の流れる音や、紙の感触がとても新鮮ですね』との言葉をかけていただき驚きました。水が冷たくて大変ですね、と労われるのかと思っていたので。でも、普段から私たちが楽しいと思っている気持ちを理解して、共有していただけて、とても嬉しかったです」
愛子さまは公務において、両陛下から受け継いだ国民への寄り添い方に学びつつ、ご自分の心から自然と出る言葉をかけられているように見受けられる。そんな姿勢が人々の心を打ち解けさせるようだ〉
皇族として国民の苦労を労うことも大切だろう。だが、同じ思いや喜びを分かち合う、それが令和という時代にそったスタイルなのかもしれない。
このほか、愛子さまのお気に入りの朝食メニューや、23歳の誕生日に両陛下から贈られたプレゼント、さらに悠仁さまが筑波大学に進学された理由などを詳述したレポート「愛子さまと悠仁さま」は文藝春秋2月号(1月10日発売)、および「文藝春秋 電子版」(1月9日先行公開)に掲載されている。
(「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2025年2月号)