今年5月、1人の受刑者が代理人の弁護士をつけず、塀の中から自ら裁判を起こし、国の責任を認めさせるという異例の判決を勝ち取った。どうやって闘ったのか。仮出所したばかりの本人に聞いた。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)
八木橋健太郎さん(39)は、約2億円相当の仮想通貨「ビットコイン」をだまし取ったとして警視庁に逮捕され、2019年9月に懲役7年の実刑判決を受けた。
服役中は、まず喜連川社会復帰促進センター(栃木県)に収容され、その後、長野刑務所(長野県)を経て、今年7月末に加古川刑務所(兵庫県)から仮釈放された。
もともと金属アレルギーがあった八木橋さんは、喜連川社会復帰促進センター入所後に、電池式カミソリでのひげ剃りを拒否した。
すると、職員2人に両腕を押さえつけられ、別の職員に無理やりひげを剃られたうえ、ひげ剃りを拒否した行為が刑務所のルールに反するとして、懲罰を受けた。
これを不服とした八木橋さんは2022年11月、本人訴訟で、国を相手取り損害賠償を求める裁判を東京地裁に起こした。
東京地裁(篠田賢治裁判長)は5月14日、「刑事収容施設法が定める制止措置として合理的に必要な限度を超えるものであって、許容されるものではない」などとして、センターの対応の違法性を認定した。
さらに、ひげ剃りの拒否を理由とした懲罰についても違法とし、国に計18万円の支払いを命じる判決を下した。

「絶対に勝てると思っていました」
八木橋さんはこう振り返る。
「裁判を起こそうと決めたとき、弁護士からは『刑務所の対応は問題だけど、国に勝つのは大変だぞ』と言われました。でも、外なら問題になることが、塀の中だからと言って許されて良いはずがないと思ったんです」
弁護士に依頼すると、事実関係を伝えるだけでも大変だと感じ、「一番知っているのは自分自身」と考えて、自ら提訴に踏み切ったという。
法律知識は素人同然だったが、平日は刑務作業後から就寝まで、休日も多くの時間を勉強にあてた。
図書館のように刑務所の中でも「官本」と呼ばれる蔵書を借りられる仕組みがあるが、数や種類が少ないうえ古いものばかり。法律の専門書もほとんどなく、あっても法改正が反映されていないことはざらだった。
八木橋さんは、刑務所に願い出て、書籍を注文して外部から仕入れながら知識を得た。刑務所では、社会に流通する情報を入手すること自体にハードルがあるため、新聞の広告欄や書籍の最後のほうに載っている新刊情報などを参考にして、必要な本を取り寄せた。

そうはいっても、法律文書を1人で書き上げたり、裁判で国に勝てる内容の主張をまとめることは簡単ではないはずだ。記者がそう質問を向けると、八木橋さんは一瞬戸惑う表情を見せながら次のように説明した。
「いや、そんなに難しくないですよ。訴状の書き方は本に載っていますし、自分が訴えていることに似た過去の裁判を判例六法で探して、論点を参考にしながら書いていけばいいだけです。難しい言葉が出てきたら法律用語辞典で調べれば簡単にわかります」
受刑者が1人で裁判を闘うことの大変さは他にもある。
一般的に、訴状や準備書面などの書類はパソコンで作る。いつどこでも修正や追記、コピーができ、大量に印刷することも可能だ。一方で、日本の刑務所ではパソコンやスマートフォンを使うことはできない。
八木橋さんは自身の主張や証拠を書面にまとめる際、まずは鉛筆で下書きを準備。文字がきれいにそろうように、定規で縦横に線を引いてマス目を作り、それを下敷きにして上に載せた紙に1文字ずつペンで清書していったという。
「もともと字が汚いんです」というが、裁判書類を書き上げるのに時間をかけたのは、裁判官にストレスなく読んでほしいという思いのほかに意外な理由がある。
「手書きのままだと自分が出所したあとに裁判の資料をまとめるのが大変なので、OCRしたときに文字を読み取る精度が上がるようにしたかったんです」
OCRとは、「Optical Character Recognition(光学文字認識)」の略で、文書や画像を機械でスキャンしてテキストデータに変換する技術のこと。OCRすることでパソコンで保存や修正などをしやすくなる。
八木橋さんは裁判が長期化することも想定し、刑務所を出たあとのことまでも見通して裁判の準備を進めたという。

7月30日に仮出所したが、八木橋さんの闘いは続いている。
長野刑務所にいた2022年8月には、受刑者に選挙権がないのは違憲だとして、投票できる地位があることの確認などを求めて裁判を起こした。
公職選挙法11条は、選挙権や被選挙権を持たない対象として「禁錮以上の刑に処せられその執行を終わるまでの者」などを挙げており、実際に2021年衆議院議員選挙と2022年参議院議員選挙では投票できなかった。
「受刑者はみなそろって選挙の公正を害する者であるという考えは、何の根拠もないただの感情によった偏見で、不当な差別そのもの」
八木橋さんは裁判でそう主張してきたが、1審の東京地裁、2審の東京高裁はいずれも訴えを退けた。
すぐに上告し、現在、最高裁で結論が覆されるのを願いながら残りの刑期を過ごしている。
「僕は、受刑者として選挙権がほしいと言っているわけではありません。合理的な根拠がないのに、投票を禁止しているのは違法ではないのかということを聞きたいんです。もし認めないなら、憲法を改正して明記すべき。きちんとルール通りにやってほしいんです」