遺体の骨折は20か所以上… ボクシングジム練習生の男が常習的に拳で殴打 隣人”暴行死”事件…男は遺体を見た瞬間「僕が暴行したことでお亡くなりになったのかなと…」『誓約書』交わし”金銭搾取”も 6月5日判決【前編】

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2022年に大阪府堺市のマンションで、隣人男性(当時63)に暴行を加え死亡させたとして、傷害致死罪に問われた34歳の男。遺体は肋骨(ろっこつ)の骨折が20か所以上に及び、法医学者も「交通事故死や転落死以外で、これほど肋骨が折れている遺体は見たことがない」と証言するほどだった。ボクシングジムに通う身でありながら、自らの拳で初老の隣人に暴力を振るっていた男は、法廷や拘置所で何を語ったのか。
楠本大樹被告(34)は2022年11月、堺市中区のマンションで、隣人の唐田健也さん(当時63)に肋骨多発骨折が生じるほどの暴行を加え、両側気胸で死亡させたとして傷害致死の罪に問われている。折れた肋骨が胸膜に刺さり、左右両方の肺に穴が開いたというのが解剖医などの見立てだ。
楠本被告はさらに、その約1か月前から、拳で腹部を殴るなどの暴力を常習的に振るっていたとして暴行罪にも問われている。
初公判で楠本被告は、暴行罪は認めたものの、「人が死ぬような力を加えて殴ったことはないです」と傷害致死罪の成立は争う姿勢を見せた。

法廷での楠本被告の供述によれば、被告と唐田さんは2022年10月初旬に知り合ったという。“マンションのエントランスで寝ていた唐田さんを被告が見つけ、警察官に来てもらい自宅に送り届けてもらった”のがきっかけだったとのことだ。
そして、唐田さんに仕事を紹介するといった名目で行動を共にするようになる。知り合って間もないのに、レンタカーを借りて(名義は唐田さん)、和歌山まで旅行にも出かけている。ところが、被告自身はコミュニケーションに難しさを感じていたという。
(5月16日の被告人質問 以下同)
弁護人 「友だちだったんですか?」楠本被告「年齢の差もあるので、友だちかと言われれば友だちではないんですけど、年上として敬う気持ちもあったんですけど、出会って数日しているうちに、“ちょっと普通の人ではないんだ”という気持ちが強くなりました」弁護人 「距離を置けば良かったのでは?」楠本被告「2人で(料金を折半して)レンタカーを借りる約束をしてまして、唐田さんがレンタカー代を払ってくれず…。1人にして連絡が取れなくなっても困るので…」
認知症にも似た言動が見られた唐田さんへのいら立ちからか、10月中旬以降、被告は唐田さんにたびたび暴行を加えた。レンタカー店、ディスカウントストア、ホテルのロビー…。いずれも“拳1発”ではあったが、唐田さんの腹部を殴打した。

被告 「(レンタカー店で)勝手に保険に入ろうとしたり、店を出ようとしたりしたので、イライラして(殴った)」「(ホテルのロビーで)独りでウロウロしたんじゃないかと思い、イライラして(殴った)」弁護人「逮捕時の供述はおぼえている?」被告 「おぼえてないです」弁護人「“じゃれあう程度だった”と供述しているよね。いまでもそう思っているの?」被告 「そうですね。自分の中では3割、強くても4割(の力)だったと思っていますし、そんなに強い力で殴った記憶はないです」
しかし当時、楠本被告は週3,4回の頻度でボクシングジムに通い、プロテストを受ける予定もあったという。自らの拳が凶器になるという考えには至らなかったのだろうか…。

さらに楠本被告は、「唐田さんのケガについて、被告は一切責任を負わない」という旨の誓約書を書かせていたことが確認されている。加えて、「被告の携帯電話機を壊したことの弁償代」や「自宅の鍵を失くした際に被告が見つけたことの“謝礼”」を被告に支払うという旨の誓約書も見つかった。暴行だけではなく、金銭的な搾取にも及んでいたのだ。
被告の法廷での供述によれば、“唐田さん自ら、携帯電話機を踏んでしまったと申し出た”という。さらに鍵の紛失は、唐田さん本人や堺市中区役所のケースワーカーが必死に探しても見つからなかったのに、被告が捜索に加わると小銭入れからすぐに見つかったという経緯だった…。
検察官「適当な因縁をつけて、お金をぼったくろうとは思っていなかった?」被告 「ぼったくろうとは思っていませんでした」検察官「誓約書を交わした時点では、唐田さんは意思疎通ができない状態ではなかったということですか?」被告 「はい」検察官「弁護人の質問に対しては、『出会ってから1週間ほどで(意思疎通は困難とわかった)』と…」被告 「いや、1週間ではなかったかなと」検察官「ではなぜ1週間と言ったんですか?」被告 「……あんまり考えていなかったです」

そして、唐田さんが亡くなった11月20日。
被告 「お腹のまわりを殴るという暴行をしました。数で言えば、5回から10回ぐらいじゃないかと思うんですけど」弁護人「なぜ殴ったんですか?」被告 「暖房を思いっきりつけたりしていて、自分に挑発的な行動をしているんじゃないかと思ってしまって。タバコがほしい、飲み物がほしい、食べ物がほしいとも言われ…。自分の中ではですけど、6割、7割くらいの力だったと思います。それまでの暴行と比べたら、強い力で殴ってしまいました」
裁判長「あなたとしては、加減して殴ったということ?」被告 「全力というのは勢いをつけて殴るということになると思うんですけど、そこまではやってないですし」

弁護人「殴られた唐田さんはどうしていました?」被告 「お腹を抱えて痛そうにしているのは見えましたね」弁護人「救急車を呼ぼうとは思わなかった?」被告 「思わなかったです」弁護人「どうして?」被告 「アザとかがあれば、通報されてしまうと思って」
初公判では傷害致死罪を否認した楠本被告だったが、暴行翌日、中区役所のケースワーカーとともに唐田さんの遺体を見つけた際の状況や心境を、こう語った。
被告 「亡くなっているのは見てわかった。目も開いていて…。僕が暴行をしたことでお亡くなりになったのかなとは考えました」弁護人「いま唐田さんに対して思うことを述べてください」被告 「本当に僕が暴行を働いたことでお亡くなりになって、まさかという気持ちがあるんですけど、本当に申し訳ない気持ちと…」

被告は「回数は5~10回」「パワーは6~7割程度」の殴打だったと繰り返した。しかし、解剖医の法廷での証言によれば、唐田さんの肋骨は左右計22か所で完全に折れていた。遺体の写真を見た別の法医学者も「車に轢かれたケースや、高い所から転落したケース以外で、これほど多くの肋骨が折れている事例は見たことがない」と証言した。もっと多数回の、より強力な暴行だったはずだと検察官は主張している。
後編では、拘置所での面会取材で被告が語った言葉、そして被告の暴行や金銭搾取を実質的に黙認していた、行政の職員が法廷で語った悔恨などについて詳報する。
(MBS大阪司法担当 松本陸)

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