【奥野克巳】なぜ人類は「近親相姦」をかたく禁じているのか…ひとりの天才学者が考えついた「納得の理由」

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「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。
※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。
人間が持つ根源的な「ルール」のひとつとして、「インセスト・タブー」が挙げられます。ここでは『悲しき熱帯』で出てきたナンビクワラを例にしましょう。ナンビクワラ社会では、「交叉いとこ」の男女同士は、生まれた時から「夫」や「妻」を意味する言葉で呼び合っていました。それは、ある男性にとっては、彼の父の姉や妹あるいは母の兄や弟の娘のことです。男性は、それらの娘のうちの1人とやがて結婚するのです。
その男性にとっては、逆に規則上、結婚を許されない女性たちがいます。母やオバや姉妹がその範疇に入ります。父の兄や弟あるいは母の姉や妹の娘という「平行いとこ」もまたその範疇に入ります。その男性とそれらの範疇の女性たちとの間には結婚だけでなく、性的交渉が禁止されています。つまり「インセスト・タブー」です。
このインセスト・タブーという言葉を聞いたことがある人もいるでしょう。これもまた、人類学において重要な用語です。インセスト・タブーとは、ある範疇の親族との性交渉や結婚を禁ずる規則のことです。近親婚ないしは近親相姦の禁止と訳されます。インセスト・タブーは、それぞれの文化によって恣意的に範囲が決まっているのですが、それは人類社会において普遍的に見られるのです。
このような、人々に意識されないけれども共同体の中で伝承されている習慣は、前述の構造言語学の考えを用いて読み解いてみるとすっきりと理解できます。「姉妹と交叉いとこ」を、無声と有声の弁別特性を持つ音素の二項対立「/t/と/d/」のようなものだと考えてみるのです。
「姉妹と交叉いとこ」を二項対立の要素として捉えることによって、「インセスト・タブーと婚姻」の役割が明確になります。ある男性は、彼の姉妹とは結婚が禁止されています。つまり、インセスト・タブーの範囲にあります。その一方で、ナンビクワラの男性にとっては彼の「交叉いとこ」の女性を結婚相手(妻)とすることができるのです。つまり、婚姻関係を結ぶことができるのです。「/t/と/d/」が単語の意味を決めるように、「姉妹と交叉いとこ」が家族のありかたを規定するのです。
文化人類学者のマルセル・モースによれば、同一集団の男性のメンバーにとって、女性の「利用可能性」は限定されています。利用可能性が限定された範囲が、インセスト・タブーです。
一方、インセスト・タブーの裏返しとして、自集団の女性を他の集団の男性に送り出します。モース的に言えば、インセスト・タブーの範囲にある女性だから交換するのではなく、交換するためにインセスト・タブーが生まれると言うべきなのです。
社会学者・橋爪大三郎は『はじめての構造主義』の中で、女性や物財の交換に関して以下のように述べています。
必要があるから交換がある、のではなく、交換のために交換がある。人間は“交換する動物”なのだ。必要に迫られて、人間は言葉をしゃべったわけじゃない。言葉をしゃべるのは、まったく無償の行為だ。それと同時に、人間には、人間だけのものである豊かな意味の世界がひらけたのだ。ソシュールが、言語記号のことを、物質的な世界に縛られない恣意的なものだと言ったのは、そういういみですよ。同じように、女性を、物財を、交換するのも、必要に迫られてのことじゃない。そうするのが、人間らしいことだからだ。(橋爪大三郎『はじめての構造主義』講談社現代新書、1988年、102―103頁)
様々な社会で人々が交換するのは、交換することで利益を得ようとか、相手を喜ばせるためであるとかではありません。そうではなくて、まずは交換されるという「現実」があるのです。人々は、そういうしきたりがあるために、交換を行っているのです。そしてその交換の体系には、人間が生きている秩序を成り立たせる「構造」が潜んでいます。交換もまた、私たちが何気なく喋っているのに、そこには厳密なルールが隠されている言葉と同じようなものなのです。
さらに連載記事〈ひとりの男によって人類の価値観は一変した…20世紀最大の功績を残した天才学者が「辿り着いた答え」〉では、人類学の「ここだけ押さえておけばいい」という超重要ポイントを紹介しています。
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