【長谷部 真奈見】ダウン症のある娘との「世界一周」、ベトナムで驚いた娘の「適応能力」

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待望の第一子を産んだ直後に、ダウン症と知らされたフリーアナウンサーの長谷部真奈見さん。出産当初は娘がダウン症である事実を受け入れることができず、誰にも明かせないまま、自殺を考えるほど思いつめた時期もあったというが、今では娘さんとの楽しい日々をブログなどで積極的に発信している。
今春、娘さんは卒業し、現在長谷部さんは、娘さんと夫の3人でなんと世界一周の旅に出発した。「世界一周は夫の夢で、私は正直、行きたいとは思っていませんでした。娘の健康やその準備、自分の仕事や資金のことなど考えると、不安や迷いだらけで……。でも、きっと娘の視野が広がり、いい機会になるはずと思い、決心しました」と長谷部さん。前編では、その葛藤する決心のいきさつについて、寄稿いただいた。後編では、最初の国「ベトナム」での様子についてお伝えいただく。
私たち家族の世界一周の旅は、ベトナムの首都ハノイから始まった。
心配していたことのひとつに娘の食事があった。
日本にいる時、娘はベトナム料理やアジア料理のお店に連れて行ってもほとんど何も食べなかった。ところが、現地の表示に「Noodle(ヌードル)」とあったことで、日本の有名なあの美味しいカップ麺を想像したのか、すぐに手を伸ばした。一口食べて「フォー」の美味しさににっこり。すっかり魅了されたようで、どこに行っても「フォーを食べたい」と言うようになった。
よっぽど私の方が、現地の水など衛生事情がつかめるまでは、お腹を壊してはいけないので、生野菜や果物は慎重に……とか、魚介類もやめておいた方が……など、恐る恐る食べるものを選んでいた。そんな私の隣で、娘はあっという間にスイカジュースを飲み干し、パイナップルにマンゴーなど果物を食べ終えていた。
私はこれまで外国のマーケットや屋台で何か買って食べるなんて自らお腹をこわしそうな行為はあり得ないと思っていたが、すっかり娘に感化された私は、ナイトマーケットで、美味しそうな串焼きを見て、勢いで見事この歳で屋台デビューまで果たしてしまった。
この他にも、娘の順応性と積極性には驚いた。
ハノイ市内は、歩行者、バイク、車が無秩序に道を走っている。一見するとカオスなのだが、衝突することは無く、お互いがお互いを思い遣って運転しているのがよくわかる。我先にと行こうとするドライバーはいない。こうしてみると、ルールや信号がなくても、お互いを思い遣る気持ちがあれば、事故は起きないのだという、当たり前のことに気付かされる。
だから、堂々と歩いていれば、上手に避けてくれるのだが、やっぱり、ぶつかりそうで怖くて仕方ない。横断歩道があっても、信号があっても、お構いなしにバイクが突っ込んで来るのだからどうしようもない。もはや、自分の動物としての野生の勘(?)が鈍りまくっていることに落ち込みながら、歩道を歩こうにも、歩道は店先で何か食べている人たちで埋め尽くされているため、やっぱり車道を歩くしかない状態。道路の反対側へ渡りたくても、タイミングをはかっていると永遠に渡れない……。
こんな時、普通なら、娘は怖がって、私が手を引っ張っても頑固としてその場に固まって(時には座り込んで)しまうところだが、究極に追い込まれて腹を括ったのか、(もしかしたら、野生の勘は娘の方があるのかもしれない)私の「行くよ!」の合図で、繋いだ手を離さず小走りに着いて来てくれるようになった。
人生は、楽しいこと、簡単なことばかりではない。
大変なこと、怖いとき、辛いときも自分で乗り越えなくてはならない場面が沢山ある。
「可愛い子には旅をさせよ」
障がいがあってもなくても、大袈裟かもしれないが、こんな経験の一つ一つが大切なのだと、身をもって感じていた。
さて、ハノイ滞在3日目には、ベトナムが誇る世界遺産「ハロン湾」へ向かった。ハロン湾には、大昔、海底にあった大小2000以上もの神秘的な岩が、海の上に浮かび上がっているという、まさに地球の奇跡、大自然の作り出す幻想的な絶景が広がる。1994年にユネスコの世界遺産に認定されて以来、世界中から多くの人が訪れている。
船乗り場から、小型船でクルーズ船まで行き、クルーズ船に乗り込むとすぐに奇岩の数々が現れて来た。こんなにすぐ見られるのなら、わざわざ船の上で宿泊しなくても良かったのではないかと、娘の船酔いの心配と、宿泊の荷造りをするのが面倒だった私はついそう思ってしまったが、夕日が沈み、夜が来て、夜が明けて朝が来る……そんな時間の経過と共に壮大な景色が幻想的に様変わりしていく様子を見て、わざわざ宿泊することの意味を理解した。
ベトナムに来て、この国の人々のホスピタリティに感銘を受けている。とにかく、一生懸命に出来る限りを尽くしてくれようとしていることがよく伝わってくる。
ハロン湾クルーズの案内人の女性も素晴らしかった。アクセントが強めの英語で一生懸命、船内の案内はもちろん、観光ガイドから、ダイビングや、カヤックの指南、時にはコック姿で料理のデモンストレーションまでして見せてくれた。
カヤックが上手く漕げなくて(苦笑)怖くなり、早めに船に上がった私に対して、彼女は「なぜもっとやらないのか?漕ぐのは簡単だから、もう少し頑張れば気持ちよくカヤックを楽しめるのに、どうしてやめた? 遠い国からわざわざ来たのに、なぜ?」と不思議そうに聞いてくるので、ちょっと面倒になった私は「そんなにカヤックは私にとって大事ではないかもしれないから、命の危険を冒してまで頑張れなかったの」と苦笑いしながら言い訳がましく答えた。
話を切り替えたかった私は、逆に「あなたは、なぜそんなに一人で何役もしてくれるの? すごいね。何でそんなに何でも出来るの?」と彼女に尋ねてみた。
すると、
「私は田舎育ちで忙しい両親のもとで育ったから、幼い頃から何でも一人でしていた。裁縫も得意で洋服も自分で作ったり、料理も作ったり、簡単なことは自分でできる」
まさかと思い、「英語はどうやって覚えたの?」と聞いてみたら、
「YouTubeの無料動画で覚えた。英語圏にはもちろん、海外には一度も行ったことがない」というのだ。これには驚いた。
「英語のアクセントが強すぎて、何を言っているのか少し聞き取りにくいな」と思ってしまっていた自分を心から恥じた。本当にすごい、努力ができることが素晴らしいと思った。
そして、彼女はこう続けた。
「自分は、22歳から英語を覚え始めたから少し大変だったから、娘さんには早く英語を学び始めるように言ってあげてほしい。自分は寝る間も惜んで練習し、今も働きながら英語が学べる環境だから、お客様が教えてくれるからありがたい」と。
本当に謙虚で、真面目、勤勉な姿勢に、私自身、忘れかけていた大事なことを思い出させてくれているようで、思わず、涙が滲んだ。決して、育った環境に文句を言ったり、卑下したりすることもなく、「小さい頃から何も与えられていないと、自分で何でもできるようになる。何でも与えられていると、自分で何もできなくなる。良い面と悪い面の両方があるよね」と、優しい笑顔で私に話し続けてくれた。
このハングリー精神こそ、今、我々日本人が取り戻さなければならないものなのかもしれないとも感じながら、初心に返るような気持ちになった。
ベトナムにはどこか懐かしさを感じる。レストランやタクシーでは日本の演歌のような音楽が流れていたり、初めて会った人にも、実家に帰った時の親戚のような雰囲気を感じていたり。だからついつい、沢山喋りかけてしまう。
そんな私を見て、夫がひと言。
「世界一周(旅行)には保守的だったのに、現地に入るとアグレッシブだね」
その通りかもしれない(笑)
この先も、どんな出会いがあるのか少し楽しみになってきた。
◇今後も長谷部真奈見さんの連載『私が「母」になるまで』の他に、長谷部さんファミリーの世界一周の旅をお伝えする予定です。
「夫の夢」は…ダウン症のある娘と家族で”世界一周の旅”をすると決めた理由

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