100年続いた老舗銭湯「一の湯」復活へ、Iターン女性の奮闘 群馬

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100年以上にわたり地域で愛されながらも、2018年に後継者不足で廃業した銭湯「一の湯」(群馬県桐生市本町1)の復活に向け、埼玉県から移住した女性が奮闘している。木造で趣のある建物は、絹織物産業で栄えた歴史を残す国の重要伝統的建造物群保存地区の一角にある。かつて織物工場で働く女性従業員のために生まれた老舗銭湯は、早ければ年内にも営業を再開する見込みだ。
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しっとりとした秋雨にぬれ、郷愁を感じさせる焦げ茶色の外観。10月上旬、一の湯を訪ねると、山本真央さん(50)が迎えてくれた。1日に建物の賃貸契約を結んだばかり。電気、水道、ガスなどインフラを整え、内装も必要な部分は改修するものの、木製の靴箱や籐(とう)のカゴなど往年使用された備品や設備は極力残すつもりだ。「昔ながらの一の湯のイメージを損なわないよう準備したい」と語る。 桐生市には地縁も血縁もない。出身は東京都府中市。親の仕事の都合で大阪府、さいたま市桜区と移り住んだ。高校卒業後、地元の金融機関に就職。20歳の時に大型バイクの免許を取得してからバイクツーリングが趣味となり、人生が大きく変わった。 大好きなバイクに触れる毎日を過ごしたいと、埼玉県伊奈町の二輪車の中古車販売店に転職。社員として20年以上勤務し、休日は趣味のバイクで仲間と全国を回る生活が続いた。 そんな生活の中、バイク仲間の紹介で桐生市末広町で約30年続くバイクウエア専門店「フリーライド」の店長、二渡(ふたわたり)一弘さん(57)と出会った。最初は店でウエアやグッズを購入するだけだったが、二渡さんが桐生をよく知ってほしいと街を案内した中に、一の湯があった。 「僕の大好きなこの銭湯を山本さんの手で復活させてほしい」。同湯の常連客だった二渡さんが半ば冗談のつもりで提案すると、山本さんは「復活に力を尽くせないか」と考えるように。足を運ぶ度、昭和レトロな外観や風格のある看板に魅了されていった。織物の街を象徴する建物 郷土史に詳しい八染和弘さん(59)によると、一の湯は明治時代末期から大正時代にかけて織物工場などに勤務する女性従業員のため創業されたとみられ、北陸出身の吉岡家が代々経営してきた。ところが吉岡藤吉さんが2018年に亡くなってから後継する人材がいないため廃業し、経営者が見つからない状態が続いていた。 織物の街を象徴する建物でもあり、一の湯の行く末を案じていた地元関係者らにより支援の輪が広がり、山本さんは移住を決断。バイク店を退職して4月に移り住み、地域の伝統技術を伝える展示施設への就職も決まった。 ただ、銭湯の開業には課題が山積みだ。保健所の許可や駐車場の確保、設備更新に燃料代――。関連各所をめまぐるしく回りながら、地元商工会や市役所で経営について助言を受け、同市に拠点があるプログラミング会社「CICAC(シカク)」の今氏一路さん(38)の協力でクラウドファンディングによる資金調達も検討中だ。 山本さんは「桐生はいい意味で『世話焼きが好きな人の街』。その思いに応え、銭湯を復活させて地域の皆さんの笑顔が見られたらと今からわくわくしています」と意気込みを語った。【大澤孝二】
バイク仲間の冗談がきっかけ
しっとりとした秋雨にぬれ、郷愁を感じさせる焦げ茶色の外観。10月上旬、一の湯を訪ねると、山本真央さん(50)が迎えてくれた。1日に建物の賃貸契約を結んだばかり。電気、水道、ガスなどインフラを整え、内装も必要な部分は改修するものの、木製の靴箱や籐(とう)のカゴなど往年使用された備品や設備は極力残すつもりだ。「昔ながらの一の湯のイメージを損なわないよう準備したい」と語る。
桐生市には地縁も血縁もない。出身は東京都府中市。親の仕事の都合で大阪府、さいたま市桜区と移り住んだ。高校卒業後、地元の金融機関に就職。20歳の時に大型バイクの免許を取得してからバイクツーリングが趣味となり、人生が大きく変わった。
大好きなバイクに触れる毎日を過ごしたいと、埼玉県伊奈町の二輪車の中古車販売店に転職。社員として20年以上勤務し、休日は趣味のバイクで仲間と全国を回る生活が続いた。
そんな生活の中、バイク仲間の紹介で桐生市末広町で約30年続くバイクウエア専門店「フリーライド」の店長、二渡(ふたわたり)一弘さん(57)と出会った。最初は店でウエアやグッズを購入するだけだったが、二渡さんが桐生をよく知ってほしいと街を案内した中に、一の湯があった。
「僕の大好きなこの銭湯を山本さんの手で復活させてほしい」。同湯の常連客だった二渡さんが半ば冗談のつもりで提案すると、山本さんは「復活に力を尽くせないか」と考えるように。足を運ぶ度、昭和レトロな外観や風格のある看板に魅了されていった。
織物の街を象徴する建物
郷土史に詳しい八染和弘さん(59)によると、一の湯は明治時代末期から大正時代にかけて織物工場などに勤務する女性従業員のため創業されたとみられ、北陸出身の吉岡家が代々経営してきた。ところが吉岡藤吉さんが2018年に亡くなってから後継する人材がいないため廃業し、経営者が見つからない状態が続いていた。
織物の街を象徴する建物でもあり、一の湯の行く末を案じていた地元関係者らにより支援の輪が広がり、山本さんは移住を決断。バイク店を退職して4月に移り住み、地域の伝統技術を伝える展示施設への就職も決まった。
ただ、銭湯の開業には課題が山積みだ。保健所の許可や駐車場の確保、設備更新に燃料代――。関連各所をめまぐるしく回りながら、地元商工会や市役所で経営について助言を受け、同市に拠点があるプログラミング会社「CICAC(シカク)」の今氏一路さん(38)の協力でクラウドファンディングによる資金調達も検討中だ。
山本さんは「桐生はいい意味で『世話焼きが好きな人の街』。その思いに応え、銭湯を復活させて地域の皆さんの笑顔が見られたらと今からわくわくしています」と意気込みを語った。【大澤孝二】

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