年齢を重ねるにつれて、生活形式も変化していきます。高齢者向け団地でひとり暮らしをしている73歳の小笠原洋子さんは、「ケチカロジー」という言葉の生みの親で、お金を使わずに豊かに暮らす工夫をしています。そんな小笠原さんの暮らしをつづった新刊『財布は軽く、暮らしはシンプル。74歳、心はいつもエレガンス』(扶桑社刊)が2月21日に発売。今回は、1日1000円の予算で暮らす小笠原さんのお金にまつわる工夫について紹介します。
73歳で年金暮らしのおひとりさまは、たしかに”わび住まい”で、体力もありません。ただ、老いても元気だけが唯一の価値ではなく、ポジティブで美的な”枯れ”があってもいいものと思っています。シワやシミをチャームポイントと思えれば、なおいいですよね。
【写真】リメイクしたスカートとカバン
その1つはお金づかいであり、名づけて「ケチカロジー」(ケチで環境にも優しいエコロジーな生き方という意味を込め生み出した言葉)です。私は1日1000円生活を数十年間続けてきました。
お財布の中には、1000円札で10日分の10000円と予備金を区分して入れておき、買い物にはお札1枚だけ使うという仕組みです。ただ、予備金が入っていることは忘れているくらい、ほぼ使うことはありません。
これが「ケチカロジー」の一例ですが、絶対に1000円以上使わないというわけではありません。それでも月末に、毎日簡単にメモしておく出費額を算出すると、1日平均約1000円になるので嘘でもないのです。例えば2000円使ってしまった日の翌日は、買い物に行かないというようなやりくりをすることもケチカロジーの1つです。
またときには予期せぬ修繕費や、健康維持のための電化製品や医療費などに、大出費をしてしまうこともあります。そのときは日常通いの銀行以外の、別枠に置いてある預金から捻出します。つまり銀行を2手に分け、ひとつは約10日目に引き出すいわば財布代わりに、もうひとつの銀行はほとんど手出しをしない大出費用です。
その銀行には、若い頃から趣味だったともいえる貯蓄や、特別収入を得たときなど、使わないで預けてきた、いわば「余剰金バンク」です。趣味とは言いすぎでも、現金を手取りで受けとっていた在職時代、給料袋を開封すると即、中身の3割~5割額は見なかったふりをして袋に戻し、素早く預金してしまうことを意識してきました。
現在、無職である私にとって、貯金は楽しみのひとつ。たとえば1000円さえも使わなかった日に、ポイと引き出しの奥地に入れて、忘れてしまう。それがまとまって出てきたときなどにはとてもうれしいものです。そんなときは、おしゃれしてレストランでも行き、一皿を楽しむ足しにする。そんなささやかな優雅さが、私の生活なのです。
「めったに買わない。買ったものはとことん使いきる!」をモットーにしている私が実践する「ケチカロジー」の代表的なワザをまとめてご紹介します。
ビニール袋は便利で貴重な「資産」。サッと取り出せるよう、ひと手間かけておしゃれなあき箱にイン。「気に入った箱なので、長く使っています」
「食品が入っていたパック類は洗ってとっておきます」ボウルの代わりにしたり、残り物の上にかぶせてホコリよけにしたり、フタはラップ代わりにもなりますよ」
木彫りが美しいマガジンラックの持ち手は、ひもでつるしてふきんかけに。「不要になっても、いいものは第二の人生を、と知恵を絞ります」
納豆のタレやソースは簡単には捨てません。「濃い味が苦手なので、残ったらお豆腐のあきパックに立てて冷蔵庫に保存し、使いきります」
ティッシュペーパーはうっかり使いすぎてしまうため、少しずつ使えるトイレットペーパーを部屋でも活用。ただ、むき出しはイヤなのでちょっと工夫を。「箱に入れて、きれいな紙を貼って装飾しています」
食材などについてくるテープやシールは、きれいにはがして保存しています。「ゴミを出すときに袋の口をとめるなど、二次利用しています」
半世紀もまえの20歳の頃にチープシックという言葉を知った私は、それ以来、これが服装のテーマです。「上品な安物」ともいいましょうか。とりあえず装いは非流行、反流行から始めます。ブティックで、あこがれの人が着ていたすてきな服を見つけたら、足早にそこをスルーして『それ以上』の服を探すのです。
流行りのデザインや、ブランドコーナーをサッサ通り抜けたら、自分だけが着こなせるの服を探してみましょう。感性も問われますが、自分が見えていないと探しにくいので、センス磨きと自己表現の実験現場かもしれません。
具体的には安価で、次にありふれていないもの。できれば装飾過多でなく、落ち着いた色合いで、素材感が生きている服。でも私の場合、いちばん大事にしてきたのは、一生着られそうな服選びです。
そんな私は、晴れ着を持っていません。理由は、振袖や真っ白い襟巻は、生涯に二度着ることがあるとは思えなかったからです。ですから卒業式には旅行着のようなスーツを。20歳のお祝いにはコートを買ってもらいました。今も着ていますよ!
それでも若気の至りでつい買ってしまったものの、さすがにもう着られそうもない服は、リメイクにチャレンジしてみました。決してすぐ処分することはしません。
派手目なジャケットは、袖を切り取ってベストにしたり、赤い絣の着物は、袖をバッグとギャザースカートにしたり、上下を断裁した着物はチャンチャンコとスカートにリノベーションしてみたり、不用の肩パッドはポシェットに作り替えて見たりしました。それでも大事なことは、ピンク色や花柄の可愛い服を、老いても、わくわくしながら着てみる精神的な若さかもしれません。
所有物を減らすことと、ものを買わないこと。また今持っているものをフル活用して不足を補うこと。これが長年の節約生活のなかで、私が到達した「ケチカロジー」。
減らす、つまり捨てることと、所有物は捨てないで活かすことには矛盾するようですが、要るか要らないかを判断して、「捨てる」と「活かす」を分けるという違いがあります。
その捨てるものは、品物だけではありません。見えないものにも捨てるものはあります。まず45歳にして、私は正規雇用の仕事を捨てました。それから友達との交流を捨てました。ともに私にとってストレスだったからです。
これを「第二のケチカロジー」と呼んでいます。
職に関しては、年金の受給年までは食べていくために働いたつもりです。また、友達はまったくいないわけではなく、心が通じ合う数少ない人はいます。でも定期的に会ったり、一緒に外食するような友達はいません。むしろそこまでべったりする相手は要らないと思っているからです。
私の場合は、交際費をゼロにするというを日々のルールにしているので、自然とひとり行動をするようになっています。これは我慢ではなく、ひとり行動が好きだからやっていることです。
私は、友達を減らすことは、究極の節約術だと思っています。ひとりで自分の生活をつくり上げていく、この孤独のケチカロジーこそ、交際費のゼロ化を目指す最強の方策です。
もちろん私も「友達のありがたさ」を知っています。ケチカロジーなどよりずっと勝った宝物は、友達なのです。災害時には国際規模による”トモダチ作戦”というのもありました。そんな特殊な例でなくても、ご近所や親しい人の助けによって命を救われた例は山ほどあります。でも、その目的のために友達を大事にするというのは、本末転倒ではないでしょうか?
ひとりはさみしいと感じる人も多いと思いますが、ひとり身ほどの自由はないでしょう。
65歳のとき、二度と働かないぞと決意した私は、わずかな年金ともっとわずかな貯蓄を切り崩しで生計をつないできました。そして孤独な時間を得て、自由をフル活用し続けています。なお友達づき合いを減らした後は、ひとりで遊ぶことのおもしろさや、ひとりで生きるための、少なくとも精神的な力を得たように思っています。