「就職氷河期世代は棄民世代」と言われる根拠となるデータがある。厚生労働省の「労働力調査」によれば、非正規社員数は35歳~44歳で322万人、45歳~54歳で437万人で人口の3割近くが非正規社員の異常事態…。他方、Z世代~ミドル世代25~34歳の非正規社員率は22.1%。就職氷河期世代の非正規社員の多さは桁違いだ。
そして、40代で介護離職すれば、正社員の採用率は49.8%と低く、年収は男性が214万円、女性は75万円も減少。こうした就職氷河期ケアラーは89万7500人で平成24年度の調査から11万9200人も急増中。令和6年現在、潜在的人数も含めると100万人を優に超えているだろう。
ところが、国の支援は主に雇用面であり、ほぼ孤立無援が続いている。いくら少子化対策を打っても10~15年後就職氷河期が60代になり支えるのは今や未来の若者達だ。
筆者は、30代前半から認知症祖母と精神疾患やガンの母親の介護を長年経験した「就職氷河期ケアラー」である。ケア経験と同等に社会から孤立、生活困窮、未婚で、正社員への再就職難など実感した一人。今回は他人事とは思えない同世代の男性を取材した。
今回の取材対象は、筆者が代表を務める大阪・兵庫・宝塚発ケアラーひきこもり伴走支援団体「よしてよせての会」メンバーで関西出身の岡本聡さん(仮名、以下同)。
聡さんは高校を中退後、製造業で勤務し、30代半ばからは主任を任され数十人のリーダーで現場を統括していた。
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聡さんが幼い頃、母親は夫と離婚。しばらくしてガンを罹患し、また心臓に持病もあり無理ができない……。そんな経緯もあって、聡さんは高校を途中でやめ工場に勤務、今年で76歳になる母親の自宅近くに住んでいる。
母親の異変を感じたのは、今から3年前、聡さんが40代前半の頃だ。聡さんは、母親と月に1回程度一緒に外食し普段通り待ち合わせをしていたが、母親が約束の時間に現れない……。
「おかん、11時に駅で待ち合わせやで。今どこにおんの?」(聡さん)「今日、約束してへんよ。あんた何を冗談言うてんの、アハハ」(母親)
母親のこのような言動は3回繰り返され、聡さんは母親を病院に連れて行った。診断名は「アルツハイマー型認知症」。「アルツハイマー型認知症」とは、脳の神経細胞が通常よりも早く減ってしまうことで認知機能が徐々に低下していく病気で、もの忘れ、時間や場所がわからないなど中核症状が現れる。これにより暴言や暴行、不安、気分が落ち込むなどの症状がみられ寝たきりになる。認知症で一番多い疾患である。
「おかんの介護せなあかんのかな、仕事どないしたらええねん……」
漠然とした不安や動揺が隠せない聡さん。母親のケアの大変さは想像を上回るものだった……。
聡さんは「仕事と並行できるならしばらく母親と過ごそう」、母親は「聡に迷惑かけへんけど、施設には行きたないわ」。そんな思いもあり、ケアマネージャーとの話し合いで「しばらくの間、在宅介護をする」と決定した。
母親の介護認定度は「要介護1」。社交的で明るい性格が功を奏し週3回デイサービスにさほど抵抗なく通った。
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とはいえ、母親の認知症の症状はじょじょに現れてきて、聡さんが仕事中の時も電話をかけるペースが増えてきた。
「聡、私が留守にしているうちに印鑑が盗まれたんや。悪いけど、なるべく早く来てくれへんかな」(母親)
「聡、今な商店街で買い物してるんやけど、何買うのかと帰り道がわからんようなってもうたんや。はよ帰ってきて」(母親)
ヘルパーや訪問看護と介護サービスをフル活用していたものの、時間が足りない……。結局、聡さんが度々母親の元に向かい続けるので、従業員の中には「またかよ」と陰口を叩く者まで出始めた。
ある日、上司に呼び出され「お母さんのことが心配なのはわかるけど、これだけ作業が滞って、他の職員が代行するのはもう限界だよ。岡本くんの力が必要だ。1ヶ月の休暇を与えるから、その間、業務に支障が出ないよう環境を整えてほしい」と告げられた。
会社側から「母親を早く施設に預けて仕事に専念してくれ」と勧告をうけたようなもの。法定上は、介護休暇と(対象家族が1人年5日、2人以上年10日)、介護休業(対象家族1人につき93日まで。3回分割取得可能)がとれる。
しかし、実際の取得率は介護休業で1.4%の低さにとどまっていて介護離職の一因といわれる。国からの支援と企業側の理解が不可欠だ。
聡さんは、母親としばらく一緒に過ごしながら考えようと介護離職。母親のケアをはじめて2年目、40代前半働き盛りの男性の苦渋の決断……。この決断に「早く母親を施設に預けたらいいだけ」と思う人がいるだろう。だが、親子愛が強い、経済的事情、家庭環境のいずれかあるいは、それらの複合的な理由で、そう簡単に割り切れないケースの人が一定数いる。
筆者も30代前半から認知症祖母の介護や、ガン・精神疾患母の見守りを長く経験しただけに、聡さんの心中を察するにあまりある。祖母から「車椅子には絶対乗らないわよ、私はシンゴと一緒に歩きます」と言われ、ケアの後押しをされたものだ。こうした心境は、介護を深く経験した人にしかきっとわからないだろうし、介護者を責める人がいるがもってのほかだ。機会があれば筆者の著書『おばあちゃんは、ぼくが介護します。』を参照してほしい。
聡さんの工場勤務時の年収は500万円。そこから介護離職で一気に激減し、母親の年金が月7万円。
母親の1ヶ月の介護にかかる費用は月約2万円の他、食費が月約5万円、光熱費月約1万円、管理費や余暇の費用が月約2万円発生し合わせると月約10万円。母親の年金からみれば、毎月約3万円オーバーしていた。そのため、不足分は聡さんが会社員の頃からの貯金を切り崩し、母親に渡している。
「今は母親がデイサービスなどで不在の間、アルバイトで週4日ほど9時から17時まで働きながら収入を得ていますが会社員の時と比べると月とスッポンですわ。母親のための貯金も減ってくるし、これからの人生を考えればお先真っ暗やわ」(聡さん)
聡さんは、母親だけはしっかりした食事を摂取してほしいと思い、自分の朝食はパン1つ、夜ご飯は200~300円の弁当や自炊の1日2食に抑えた。給料日に近所のラーメン屋で野菜いっぱいラーメン900円を食べるのが唯一の楽しみで、なるべくお金を減らさないように努力している。
このように、会社員時代から急転直下の極貧生活に転落してしまった聡さん……。さらに、母親の症状は皮肉にも進行し、聡さんと口ゲンカが増えた。
「同じ話を1日50回ぐらいしてくる時があるんですよ。明日デイサービス休みか通所する日かや、年金が昨日出たのを忘れて今日出る日やろとかね。いちいち答えるのにイライラして心身疲弊してしまってるかもしれません」
加えて、母親自身で洋服が着れなくなってきたというのだ。
「外出時に自身でオシャレして用意するのが好きだった母親が洋服や下着の着方がわからなくなって、母親はなんでこんな事になっていくんやろってよく泣くんです。母親の気持ちにも寄り添わなあかんし、これまでの倍ぐらい時間がかかるし。こんな大変になるとは思っていませんでした」
その頃には、母親の要介護度は「要介護1」から「要介護3」まで上がった。
介護サービスの利用は、毎週2泊3日のショートステイ、週3日のデイサービス、車椅子貸与、訪問看護週1回で1ヶ月の上限額に達してしまうので聡さんのケア負担は増すばかり。
それでも聡さんは、母親の介護を経験し、「母親が生きている間になんとしても嫁と子どもを見せたい」と結婚の意欲が高まった。
学生時代から女性に奥手だった聡さんは、初めて恋人ができたのが26歳。それから、何人か付き合ったものの価値観の違いや交際女性に浮気されて結婚に至らなかった。今は恋人すらいない。なので、まずは聡さんの状況を理解してくれ支えてくれる恋人を探そうと意気込んでいたが、現実はそう甘くなかった……。
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〈母を介護する40代就職氷河期ケアラー男性、貧困生活に転落するなか「婚活」でも絶望したワケ〉では、介護をしながら婚活を進める聡さんの前に立ちはだかる困難について、詳しくお伝えする。
奥村シンゴ宝塚在住。「ヤングケアラー」、「就職氷河期ケアラー」、「ひきこもり」を経験。現在、介護・福祉担当ライター、関西経営管理協会講師、ケアラー・ひきこもり伴走支援団体「よしてよせての会」代表を務める。NHKおはよう日本、読売新聞などメディア多数出演。著書『おばあちゃんは、ぼくが介護します。』国際ソロプチミスト賞受賞者。ツイッター @okumurashingo43