いま、小さな背中に負うものは 世田谷一家殺害23年、母の悲しみと焦り

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2人の孫のためにお菓子の詰まったリュックサックを背負っていた背中は年を追うごとに、小さく丸くなっていく。2000年12月に東京都世田谷区で起きた一家殺害事件で、息子の宮沢みきおさん(当時44歳)ら家族4人を失った母節子さんは92歳になった。「私が生きているうちに犯人は捕まるんでしょうか」。語る口調に、自身の老いと記憶の「風化」への悲しみと焦りがにじむ。しかし事件は未解決のまま、発生から23年がたとうとしている。
【写真と図解】警視庁公開の犯人像や現場 4人の命日が近付いた12月初旬。埼玉県内の自宅で、節子さんはテーブルに手をつき、ゆっくり立ち上がると、戸棚の奥から紙箱を取り出した。 「おばあちゃんいつもおせわになります」と、みきおさんの長女にいなさん(同8歳)の字で書かれたメッセージや、長男礼ちゃん(同6歳)のために折り紙で作った手裏剣。普段はめったに開けない紙箱の中をのぞけば、2人の孫との思い出があふれ出す。 節子さんはそれらの品一つ一つを手に取り、深いしわが刻まれた指先で優しくなでた。「かわいかったんだよなあ。幸せだったんだよなあ」 あの頃、週2回は電車やバスを乗り継ぎ、2時間ほどかけて、4人の暮らす世田谷の家へ通った。小柄な節子さんに「ちっちゃいおばあちゃん」と駆け寄ってくる2人の手を引き、公園で一緒に木の実を拾い、動物園にも出かけた。おやつのお菓子を詰めたリュックサックを背負って。 00年の12月23日には、クリスマスパーティーに招かれ、2人が飾り付けしたケーキや、みきおさんの妻泰子さん(同41歳)の手料理をみんなでほおばった。その1週間後、全てを奪われた。 「あれから何をやっても楽しくなくなった」。節子さんは事件後、世田谷の家に一度も足を踏み入れていない。22年の12月、追悼集会に参加するため近くを訪れた。その時も、もう4人はいないと思うと、家を見ることさえできなかった。 その家がある敷地にこの秋、「肝試し感覚」で男子高校生ら約10人が侵入する騒ぎがあった。警視庁によると、そこで幼い子どもを含む4人の命が奪われたことは「知らなかった」と説明したという。 節子さんは、そんな出来事にすら救いを求める。「これをきっかけに、誰かが思い出してくれたら。若者たちが知ってくれたら」 夫の良行さんが12年に84歳で亡くなってから取材を受け、胸中を語ってきたのも、「忘れてほしくない」との一心からだった。それも最近は、「会話がおぼつかなくなっているんじゃないか」と不安に感じる。今では外出も、デイサービスや通院などに限られる。 22年末の墓参りの帰り、何もない道路でつまずき、足を痛めた。自宅でもふらつき、家具や壁に体をぶつけることが増え、気付けば体のあちこちにあざができた。心細さが募り、4人と良行さんの遺影に「早く私も連れて行ってほしい」と願ったこともある。深夜まで寝付けず、見えない犯人に問いかける。 なぜ明かりがついている家に侵入したのか。どうしてたくさんの証拠を残し、家の中に居座ったのか。そして何よりも、なぜ幼い子どもたちの命までも奪ったのか――。 「もう待ちくたびれました。このまま何も変わらずに時間が過ぎてしまうかもと思うとつらいんです。私にはもう時間があまり残されていないんです」 1人暮らしになった自宅の居間で日々、痛む足をさすりながら仏壇に祈る。【岩崎歩】世田谷一家殺害事件 2000年12月31日、東京都世田谷区上祖師谷3の民家で、会社員の宮沢みきおさん(当時44歳)と妻泰子さん(同41歳)、長女にいなさん(同8歳)、長男礼ちゃん(同6歳)が殺害されているのが見つかった。犯行時刻は30日午後11時ごろ~31日未明とみられている。現場で犯人が身につけていたジャンパーや帽子、ヒップバッグなど多くの遺留品が見つかり、室内の血痕からDNAが採取されている。犯人が4人を殺害後、冷蔵庫のアイスクリームを食べたり、パソコンを操作したりするなど特異な行動を取ったことも判明している。
4人の命日が近付いた12月初旬。埼玉県内の自宅で、節子さんはテーブルに手をつき、ゆっくり立ち上がると、戸棚の奥から紙箱を取り出した。
「おばあちゃんいつもおせわになります」と、みきおさんの長女にいなさん(同8歳)の字で書かれたメッセージや、長男礼ちゃん(同6歳)のために折り紙で作った手裏剣。普段はめったに開けない紙箱の中をのぞけば、2人の孫との思い出があふれ出す。
節子さんはそれらの品一つ一つを手に取り、深いしわが刻まれた指先で優しくなでた。「かわいかったんだよなあ。幸せだったんだよなあ」
あの頃、週2回は電車やバスを乗り継ぎ、2時間ほどかけて、4人の暮らす世田谷の家へ通った。小柄な節子さんに「ちっちゃいおばあちゃん」と駆け寄ってくる2人の手を引き、公園で一緒に木の実を拾い、動物園にも出かけた。おやつのお菓子を詰めたリュックサックを背負って。
00年の12月23日には、クリスマスパーティーに招かれ、2人が飾り付けしたケーキや、みきおさんの妻泰子さん(同41歳)の手料理をみんなでほおばった。その1週間後、全てを奪われた。
「あれから何をやっても楽しくなくなった」。節子さんは事件後、世田谷の家に一度も足を踏み入れていない。22年の12月、追悼集会に参加するため近くを訪れた。その時も、もう4人はいないと思うと、家を見ることさえできなかった。
その家がある敷地にこの秋、「肝試し感覚」で男子高校生ら約10人が侵入する騒ぎがあった。警視庁によると、そこで幼い子どもを含む4人の命が奪われたことは「知らなかった」と説明したという。
節子さんは、そんな出来事にすら救いを求める。「これをきっかけに、誰かが思い出してくれたら。若者たちが知ってくれたら」
夫の良行さんが12年に84歳で亡くなってから取材を受け、胸中を語ってきたのも、「忘れてほしくない」との一心からだった。それも最近は、「会話がおぼつかなくなっているんじゃないか」と不安に感じる。今では外出も、デイサービスや通院などに限られる。
22年末の墓参りの帰り、何もない道路でつまずき、足を痛めた。自宅でもふらつき、家具や壁に体をぶつけることが増え、気付けば体のあちこちにあざができた。心細さが募り、4人と良行さんの遺影に「早く私も連れて行ってほしい」と願ったこともある。深夜まで寝付けず、見えない犯人に問いかける。
なぜ明かりがついている家に侵入したのか。どうしてたくさんの証拠を残し、家の中に居座ったのか。そして何よりも、なぜ幼い子どもたちの命までも奪ったのか――。
「もう待ちくたびれました。このまま何も変わらずに時間が過ぎてしまうかもと思うとつらいんです。私にはもう時間があまり残されていないんです」
1人暮らしになった自宅の居間で日々、痛む足をさすりながら仏壇に祈る。【岩崎歩】
世田谷一家殺害事件 2000年12月31日、東京都世田谷区上祖師谷3の民家で、会社員の宮沢みきおさん(当時44歳)と妻泰子さん(同41歳)、長女にいなさん(同8歳)、長男礼ちゃん(同6歳)が殺害されているのが見つかった。犯行時刻は30日午後11時ごろ~31日未明とみられている。現場で犯人が身につけていたジャンパーや帽子、ヒップバッグなど多くの遺留品が見つかり、室内の血痕からDNAが採取されている。犯人が4人を殺害後、冷蔵庫のアイスクリームを食べたり、パソコンを操作したりするなど特異な行動を取ったことも判明している。
2000年12月31日、東京都世田谷区上祖師谷3の民家で、会社員の宮沢みきおさん(当時44歳)と妻泰子さん(同41歳)、長女にいなさん(同8歳)、長男礼ちゃん(同6歳)が殺害されているのが見つかった。犯行時刻は30日午後11時ごろ~31日未明とみられている。現場で犯人が身につけていたジャンパーや帽子、ヒップバッグなど多くの遺留品が見つかり、室内の血痕からDNAが採取されている。犯人が4人を殺害後、冷蔵庫のアイスクリームを食べたり、パソコンを操作したりするなど特異な行動を取ったことも判明している。

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