「爪が太ももに食い込んで」「一か八か喉元にナイフを」 唸り声を上げ襲いかかる人食いヒグマを撃退した消防署員の告白

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北海道函館市の南西、福島町にそびえる大千軒岳で、今年10月、登山中の地元消防署員の大原巧海(41)さん、船板克志さん(41)ら3人が思わぬ形でクマに遭遇し、襲われた。以下は知られざる壮絶な「格闘」の一部始終である。(前編「クマは猫のように近づいてきた」「太ももと首を噛まれ…」 登山中に人食いヒグマに襲われた壮絶体験 消防署員の告白からの続き)
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【写真を見る】襲われながらも、ナイフを武器にクマを撃退した現場付近ベルトに差していたナイフを握りしめ 大千軒岳に 登山中にクマに遭遇した船板さん。クマと揉み合いになりながら、必死に抵抗した。

「歯形はついていましたけど、もろに噛まれたわけではなかったんだと思います。噛みちぎられていたら終わりでしたね。その揉み合っているときに所持していたピストルも破壊されていました。クマは私を襲っている間、唸り声を上げていました。揉み合っていたのは10秒か20秒ほどだったと思います」(船板さん) それを間近で見ていた大原さんは、「船板を襲ったのは一瞬の出来事で、彼のどこを襲ったのかはわからなかった。クマと船板がごろんと転がって、揉み合っていて……」人食いクマが出現 大原さんは意を決し、ベルトに差していたナイフを握りしめた。「咄嗟に急所の目を狙うしかないと思ったんです。右手でナイフを握り、クマの右目を狙いました。刺しに行く瞬間、怖さを感じませんでした。とにかく船板を助けなくてはという一心で」 しかし、その渾身の一撃は“カツン”という音とともに跳ね返されてしまった。「目の周囲の骨に当たってしまったんだと思います。するとクマが標的を変え、私に襲いかかってきました。右の前足で足を払われ、バーンと倒されたんです。尻餅をつくような格好になり、覆い被さるように襲ってきた。そこでクマの顎を左足で押し出し、顎をロックして、巴投げのような姿勢になりました。クマの力に負けないように左足をビーンと張って。クマは顔を近づけるように押してきました。それと同時に、右前足の爪が太もも裏に食い込んでいて、ぐーっと熱くなっていった」命を賭した大勝負「その瞬間、“あ、これは肉持っていかれるな”と。足をやられたら、力が入らなくなるからとても勝負できない。そこで力が残っているうちに何とかしようと思ったんです」(大原さん) まさに命を賭した闘いである。「クマの喉元にナイフを刺そうとしたんです。直感で首しかないと思いました。致命傷にならなくても、怯んでくれればいいかなって。もうこちらはナイフしかないし、最後の切り札です。左足の力を緩め、前屈みのクマの頭部が手前に落ちる形に仕向けた。首元にナイフを無我夢中で刺しました」 一連の様子を船板さんはどう見ていたのか。「クマが自分の前からいなくなったことはわかりましたが、大原さんと格闘しているところは見ていません。大原さんとクマの格闘も10秒から20秒程度だったのでは」 再び大原さんの談。「ナイフで刺したら、のっし、のっしとクマは離れていきました。僕は仰向けから尻餅の状態へと態勢を戻して、その後、クマが僕と船板の方にもう一回向かって来たんです。しかし足で蹴って追い払いました。喉への攻撃が効いたのか、じわじわと後ろに下がって、逃げていきました」「自分が起き上がった時は、クマは後ずさりしているところでした。首にはナイフが刺さったままで、血が流れていた。4、5メートル離れたところでクマが止まり、我々と睨み合いになりました」(船板さん) 睨み合うこと1分弱。クマはその間も首から血が滴り落ちていた。助かってよかった「我々はクマの目は見ず、全体を見るようにして。その時間はものすごく長く感じました。そして、クマは振り返って、山を下って行きました。クマが見えなくなると、警戒しながら下山することになりました。後で聞くと、同行していたもう一人の後輩は私が襲われたとき、知らぬ間に道脇の斜面を2、3メートル滑落していたみたいです」(船板さん) 二人とも服はボロボロ。船板さんは出血していたものの自力での歩行は可能で、大原さんも幸い軽傷で済んだ。その場で10分ほど様子を見て、クマが戻ってこないことを確認した上で、3人はお互いに声を掛け合いながら、ゆっくりと山を下りていった。「“とりあえず命が助かってよかった”“下りるまで何があるかわからないから、警戒していこう”と話し合っていました。大原さんには“よく助けに来てくれたね”と感謝を述べました。彼は“ほっといたら死んでしまう”と助けようという一心だったそうです。下山中には何ヶ所かクマの血痕と思われる跡がありました。そうした痕跡を見つける度に5分ほど待ったりして、ゆっくり下りて行きました。今さら怖がっても仕方ないと思って、たわいもない会話をしていました。登山用のスティックを持って、また遭遇したらそれを武器にしようと考えていましたね」 二人は下山後、病院で治療を受けた。まさに「奇跡の生還」だった。クマのテリトリーに足を踏み入れた 地元猟友会のメンバーが言う。「福島町はクマがよく出るところなので、出くわすのはある程度仕方のないことなんです。地元の人間は大山軒岳に山菜を採りに行っても、登山道入り口近くのところまでしか行きません」 実は、船板さん、大原さんが襲われたのは、クマが大学生の遺体を隠していた場所の近くだった。大学生の遺体の近くでクマは息絶えたのだ。「クマは獲物を仕留めると一度に全部食べきれないので、土を被せ、土饅頭にして保管するんですね。その周囲に安易に近づくと襲われることがあります。3名はそのテリトリーに足を踏み入れてしまったのではないでしょうか。最近では高温の影響でどんぐりなどの木の実も少なく、鹿の肉を食べるクマが出てきている。肉の味を覚え、冬眠もしない。備えとしては、クマスプレーを持って撃退するしかありません。襲われたら大きな音を鳴らしても効果はありませんから。ナイフを使ったのは結果的に良かったですが、一般の人には難しいでしょう。消防隊員で訓練されていたから、対処できたのかなと思います」クマの恐怖が脳裏をよぎる 最後に船板さんが振り返る。「大原さんとは事前にクマについて話はしていました。“危険だから慎重に行こう”と。大原さんはクマを何度か目撃したことがあると話していました。でもまさかこんなに近距離では遭遇していないはずです。大原さんがナイフを持ってきていたのは、万が一を考えてのことでした。冗談半分で“クマと出くわしたら俺のナイフがある”と話していた。まさかそれを本当に使うことになるとは……」 船板さんは助かった後も、クマの恐怖が脳裏をよぎると語る。「首の傷は病院でホッチキスみたいなもので止 め、軽傷で入院もせず、翌日には仕事に出ていました。私は去年から登山を始め、いくつか山を登った程度の経験でした。クマとの格闘のトラウマは時間が解決する思っていますが、夜、寝ようとして目を閉じると目撃した一連の光景がフラッシュバックするんです。当分、登山はする気にならないと思います」 デイリー新潮編集部
大千軒岳に 登山中にクマに遭遇した船板さん。クマと揉み合いになりながら、必死に抵抗した。
「歯形はついていましたけど、もろに噛まれたわけではなかったんだと思います。噛みちぎられていたら終わりでしたね。その揉み合っているときに所持していたピストルも破壊されていました。クマは私を襲っている間、唸り声を上げていました。揉み合っていたのは10秒か20秒ほどだったと思います」(船板さん)
それを間近で見ていた大原さんは、
「船板を襲ったのは一瞬の出来事で、彼のどこを襲ったのかはわからなかった。クマと船板がごろんと転がって、揉み合っていて……」
大原さんは意を決し、ベルトに差していたナイフを握りしめた。
「咄嗟に急所の目を狙うしかないと思ったんです。右手でナイフを握り、クマの右目を狙いました。刺しに行く瞬間、怖さを感じませんでした。とにかく船板を助けなくてはという一心で」
しかし、その渾身の一撃は“カツン”という音とともに跳ね返されてしまった。
「目の周囲の骨に当たってしまったんだと思います。するとクマが標的を変え、私に襲いかかってきました。右の前足で足を払われ、バーンと倒されたんです。尻餅をつくような格好になり、覆い被さるように襲ってきた。そこでクマの顎を左足で押し出し、顎をロックして、巴投げのような姿勢になりました。クマの力に負けないように左足をビーンと張って。クマは顔を近づけるように押してきました。それと同時に、右前足の爪が太もも裏に食い込んでいて、ぐーっと熱くなっていった」
「その瞬間、“あ、これは肉持っていかれるな”と。足をやられたら、力が入らなくなるからとても勝負できない。そこで力が残っているうちに何とかしようと思ったんです」(大原さん)
まさに命を賭した闘いである。
「クマの喉元にナイフを刺そうとしたんです。直感で首しかないと思いました。致命傷にならなくても、怯んでくれればいいかなって。もうこちらはナイフしかないし、最後の切り札です。左足の力を緩め、前屈みのクマの頭部が手前に落ちる形に仕向けた。首元にナイフを無我夢中で刺しました」
一連の様子を船板さんはどう見ていたのか。
「クマが自分の前からいなくなったことはわかりましたが、大原さんと格闘しているところは見ていません。大原さんとクマの格闘も10秒から20秒程度だったのでは」
再び大原さんの談。
「ナイフで刺したら、のっし、のっしとクマは離れていきました。僕は仰向けから尻餅の状態へと態勢を戻して、その後、クマが僕と船板の方にもう一回向かって来たんです。しかし足で蹴って追い払いました。喉への攻撃が効いたのか、じわじわと後ろに下がって、逃げていきました」
「自分が起き上がった時は、クマは後ずさりしているところでした。首にはナイフが刺さったままで、血が流れていた。4、5メートル離れたところでクマが止まり、我々と睨み合いになりました」(船板さん)
睨み合うこと1分弱。クマはその間も首から血が滴り落ちていた。
「我々はクマの目は見ず、全体を見るようにして。その時間はものすごく長く感じました。そして、クマは振り返って、山を下って行きました。クマが見えなくなると、警戒しながら下山することになりました。後で聞くと、同行していたもう一人の後輩は私が襲われたとき、知らぬ間に道脇の斜面を2、3メートル滑落していたみたいです」(船板さん)
二人とも服はボロボロ。船板さんは出血していたものの自力での歩行は可能で、大原さんも幸い軽傷で済んだ。その場で10分ほど様子を見て、クマが戻ってこないことを確認した上で、3人はお互いに声を掛け合いながら、ゆっくりと山を下りていった。
「“とりあえず命が助かってよかった”“下りるまで何があるかわからないから、警戒していこう”と話し合っていました。大原さんには“よく助けに来てくれたね”と感謝を述べました。彼は“ほっといたら死んでしまう”と助けようという一心だったそうです。下山中には何ヶ所かクマの血痕と思われる跡がありました。そうした痕跡を見つける度に5分ほど待ったりして、ゆっくり下りて行きました。今さら怖がっても仕方ないと思って、たわいもない会話をしていました。登山用のスティックを持って、また遭遇したらそれを武器にしようと考えていましたね」 二人は下山後、病院で治療を受けた。まさに「奇跡の生還」だった。
地元猟友会のメンバーが言う。
「福島町はクマがよく出るところなので、出くわすのはある程度仕方のないことなんです。地元の人間は大山軒岳に山菜を採りに行っても、登山道入り口近くのところまでしか行きません」
実は、船板さん、大原さんが襲われたのは、クマが大学生の遺体を隠していた場所の近くだった。大学生の遺体の近くでクマは息絶えたのだ。
「クマは獲物を仕留めると一度に全部食べきれないので、土を被せ、土饅頭にして保管するんですね。その周囲に安易に近づくと襲われることがあります。3名はそのテリトリーに足を踏み入れてしまったのではないでしょうか。最近では高温の影響でどんぐりなどの木の実も少なく、鹿の肉を食べるクマが出てきている。肉の味を覚え、冬眠もしない。備えとしては、クマスプレーを持って撃退するしかありません。襲われたら大きな音を鳴らしても効果はありませんから。ナイフを使ったのは結果的に良かったですが、一般の人には難しいでしょう。消防隊員で訓練されていたから、対処できたのかなと思います」
最後に船板さんが振り返る。
「大原さんとは事前にクマについて話はしていました。“危険だから慎重に行こう”と。大原さんはクマを何度か目撃したことがあると話していました。でもまさかこんなに近距離では遭遇していないはずです。大原さんがナイフを持ってきていたのは、万が一を考えてのことでした。冗談半分で“クマと出くわしたら俺のナイフがある”と話していた。まさかそれを本当に使うことになるとは……」 船板さんは助かった後も、クマの恐怖が脳裏をよぎると語る。
「首の傷は病院でホッチキスみたいなもので止 め、軽傷で入院もせず、翌日には仕事に出ていました。私は去年から登山を始め、いくつか山を登った程度の経験でした。クマとの格闘のトラウマは時間が解決する思っていますが、夜、寝ようとして目を閉じると目撃した一連の光景がフラッシュバックするんです。当分、登山はする気にならないと思います」
デイリー新潮編集部

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