なぜ旧統一教会の信者は狂ったように献金するのか…収入の3分の1を納める現役信者が語る”信仰のリアル”

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「2世の葛藤」ということでいえば、やはり山上徹也被告の話題を避けることはできない。2世信者の伊藤わかこさんと、合同結婚式によって夫婦となった2世信者の夫は彼についてどう考えているのか。私がそう質問をすると、彼女は言葉をひとつひとつ噛み締めるようにゆっくりと語り始めた。
「1世信者のお義父さんの前ですが正直に話すと、旦那さんは“山上徹也被告の気持ちはわかる”と言ってました。それは私も否定できません。私の家もかなり信仰熱心なので、信仰を強要するようなところがまったくなかったわけではないので」
安倍元首相が銃撃された事件が起きてから、わかこさんと夫は、山上徹也被告という人物について書かれた記事などを読んで、2人でいろんな話をしたという。そこで、2人が最終的に出した見解は、「親の愛が足りていなかったのではないか」ということだった。
「1世信者というのは自分で苦労をして信仰を掴んだ人たちなので『信仰第一』なんですよ。でも、私たちはそういうものがないのでとにかくまずは親から愛されたいという『愛情第一』なんです。だから、信仰第一の親に放っておかれたと思ってしまった2世はすごく傷付く。そこですべてが親や教団への恨みに思ってしまうんじゃないですか」
わかこさんの話に、義父の伊藤たかしさんは厳しい顔をして黙って耳を傾けていた。自分が育てた長男が、教団を憎み、教団を破壊するために殺人を犯した男の気持ちがわかると言っていたと聞くと、さすがのポジティブシンキングの伊藤さんも思うところがあるようだ。
その空気を察して、わかこさんがフォローを入れる。
「でも、この家はすごく不思議なんですよ。旦那さんも正直、お義父さんとお義母さんには不満はめちゃくちゃあるんですよ。小さい時に外食に連れていってくれなかったとか、欲しいものを買ってくれなかったとか。でも、信仰に関してはまったくブレていないんですよ。やっぱりそれって、お義父さんとお義母さんが信仰に関しては迷いがなかったからでしょうね。親が迷えばやっぱり子どもも迷うんですよ」
義理の娘からそう評価されて、伊藤さんの表情が柔らかく明るくなった。そして、自分自身の「子育て」についてこう振り返った。
「やっぱり、小さい時というのは(信仰を)強要してしまうところもあるじゃないですか。でも、そうするとすごく反発もする。それしか方法がないのでやってしまうんですけど、ある時から考えを切り替えて、もうやれるところまででいいかなという感じになりました。それがかえって子どもたちに良かったんじゃないですかね」
その後、たかしさんのタイ人の妻であるノイさんのお話を聞いた。彼女は定期的にタイへ渡って、地方の村などで伝道活動をしているそうで、最近は少しずつだが信者も増えてきて手応えを感じているという。
また、タイでアクセサリー屋を経営しているお母さんは、旧統一教会の教えに理解があることに加えて、韓国の文化も気に入って、韓国ブランドやメイド・イン・コリアの電化製品なども購入しているという。韓国で感じたことだが、日本では非常に危険で反社会的な「カルト」と叩かれているのに、海外では「数多とある新興宗教のひとつ」という認識に過ぎないということをあらためて感じた。
そんな風にいろいろな話をしているうちに、私に対して警戒心を抱かなくなってきたのか、わかこさんが冗談まじりではあるが、義父に対する「本音」を赤裸々に語ってくれた。
「でも、ひどいんですよ。お義父さんは。さっきは子どもに対して“やれるところまででいいかいう感じになった”とか言ってたじゃないですか、ぜんぜん嘘ですよ。うちの旦那さんに対して、もっと献金をするように言うのなんかかなり厳しいんです。うちもまだ子ども小さいですし、この家のローンもありますからね。でも、お義父さんは本当に絶対信仰なんで、とにかくたくさん献金するのが当たり前という感じですよ」
わかこさんは笑っていたが、義父のあまりの信仰心の強さに困っているという雰囲気が全面に出ていた。
しかし、伊藤さんは、そんな嫁のオーラにまったく意に介した様子はなく淡々とした表情で語り始めた。
「確かに、自分から見たら“ここまで頑張って欲しい”っていうところがありますから、つい息子たちに対していろいろと言いすぎてしまうところもあるのかもしれません。そういうところは、やっぱり親子の間で難しいとこだと思いますね」
新築マイホームを建てたファミリーがここまで嫌がるというのは、伊藤さんはどれくらいの献金をしているのか。質問をしたところ、伊藤さんは「10分の3を目指しています」と答えた。
それを聞いて、横にいた鴨野さんが驚いて「え? 本当に10分の3ですか」と聞き返した。伊藤さんが頷くと「これはすごい人ですね」と感心をして、私に信者の「献金事情」を解説した。
「キリスト教では昔から収入の10分の1を神様の教会に献金しなさいという伝統的な教えがありまして、うちの教団でもそうなっています。でもね、実はこの教えを守っている人というのはうちの教会でも大変真面目で優秀な信徒という扱いですね」
「高額献金」「霊感商法」という言葉が世間で飛び交っているので、世間では旧統一教会の信者はみんな家計をかえりみることなくとにかく私財を投げ打って極貧生活を送っている、と誤解をしている人も多いが、実は山上徹也被告の母のように破滅的に献金をする人ばかりではなく、収入の10分の1という目標もクリアできていない信者も大勢いるという。
「手取りではなく、給与の額面の10分の1をきちんとやっている人がいたら“すごいですね”と尊敬されます。当然ですよね。給料が額面で30万円だったら毎月3万円を献金されるわけですから、家族を養う場合はかなり大変ですよね。でも、それなのにこの伊藤さんは10分の3だとおっしゃっている。私も長いことこの教会にいますけれど、そんな方にはあまり出会えたことがないですよ」
そんな風に伊藤さんを紹介してくれた鴨野さんが興奮気味に驚いていると、伊藤さんは少し照れながら「本当は3分の1という意識だったんです。タイにいた時からずっとそうしてきたので」と言った。すると、鴨野さんは前のめりになって、さらに目を丸くした。
「3分の1! いや、それはすごいですね」
伊藤さんによれば、タイにいる時は収入の3分の1を目指して献金をしていたので、日本に帰ってきてからもその意識が続いているという。しかし、工場勤務や介護の仕事はそれほど高収入ではなく、経済的には厳しい部分があるので10分の3にしているという。
「できてない部分がほとんどなんですけれどね」と謙遜をしながら笑う伊藤さんを、鴨野さんは目を丸くして驚いている。しかし、伊藤さんの隣で、笑っているわかこさんの表情が、どことなく引きつっていたことを私は見逃さなかった。
「こういうすごいお義父さんのいる家に嫁いできていかがですか? とんでもない家にお嫁に来ちゃったなという感じですか?」
そのように私が冗談っぽく質問を投げかけると、わかこさんも笑って答えた。
「やっぱり信仰観のズレのようなことは感じますよ。お義父さんはとにかく感謝をして献金をすればいいって人ですけど、私と旦那さんはまだこれから夫婦で子育てもして、信仰心も育ててる段階なので、そういうところはちょっと……本当にね、お義父さんはノアじいさんですよ、黙々と箱舟をつくっている」
ノア? ノアの箱舟の人か? 私がピンときていないのを察して、隣で鴨野さんが解説をしてくれた。
「ノアというのは、旧約聖書に出てくるノアの箱舟で知られる人ですね。ご存知のように、ノアは神様から大洪水がくるという啓示を受けて、1人でコツコツと箱舟をつくりますよね。しかも、その箱舟を海岸ではなく山頂に築きました。それは、洪水が大規模なため、神様がそうさせたのです。さらに、その箱舟建造の期間は120年という実に長き期間でした。周囲の人々から気がふれた男と見られ、愚か者扱いされても神様を信じ続けるという信仰心のある人です。そのノアを義理のお父さんに例えるというのは、ある意味で最高の褒め言葉です、そうですよね?」
わかこさんは、「はい、そうですね」と頷きながらも笑いをこらえて何か言いたげである。
ただ、そこは長男の嫁である。すぐに義理のお父さんのフォローをしていた。
「でも、なんでも言えるんですよ。お義父さんは本当に優しいし本当に素直な人なんです。ですから私もだいぶワガママを言わせてもらっているので、すごく助かってますよ」
確かに、さっきからわかこさんは伊藤さんに面と向かって「献金」について文句を言っているし、自分たち夫婦と考え方の違いがあることもストレートに伝えている。それを聞いている伊藤さんも特に不快になっているというわけでもなく、ニコニコと微笑みながら聞いている。ある意味で、「信仰」という共通点があるので、世間一般の「舅と嫁」よりも腹を割ってなんでも言い合えているのかもしれないな、と思った。
2時間ほどのインタビューを終えて、私たちは伊藤家を後にした。来た時と同じように駅まで伊藤さんに送ってもらった。電車を待っている間、鴨野さんが興奮冷めやらぬ感じで語った。
「いやあ、ああいう人はなかなかいませんよ。窪田さんが会いたいということで取材を申し込んだだけで、どういう方というのは知らなかったんですけれど、すごい人ですよ。10分の3でも驚きますが、10分の3じゃ足りないから、3分の1を目指したいなんて言っている人に正直、私もあまりお会いしたことがないです」
「そうなんですね、すごい人にお話が聞けてよかったです」
そう頷きながら私はここに問題の根幹があるのではないかという気がしていた。つまり、社会で批判されている「高額献金」や「霊感商法」や「マインドコントロール」などは、伊藤さんのような「すごい人」たちの信仰心が暴走をした結果ではないかと感じたのである。
伊藤さんの「3分の1献金したい」という思いは、長男やその嫁が文句を言って断れる。「お義父さんはちょっと言い方がひどい」とか「そっちは信仰第一で私たちと違う」と思っていることを告げて、逆らうこともできる。だから、長男もお嫁さんも、自分たちの収入を子育てやローン返済にあてることができる。
しかし、もしかしたらそういうことができない家庭もあるのではないか。
わかりやすく言えば、伊藤さんのように敬虔(けいけん)な信者が、「3分の1献金したい」と言ったら、子どもたちなど家族全員がそれに逆らうことができない家庭だ。これがさまざまな「悲劇」を生むのではないか。
伊藤さんのように「マジメすぎる信者」は、わかこさんが言っていたように「信仰第一」なので、たくさん献金をするのは当たり前だ。諫める人がいなければ当然、家計をかえりみない「高額献金」に走ってしまう。また、家族など身近な人にも自分と同じ水準の献身ぶりを勧めるので、場合によってはそれが「霊感商法」と呼ばれるようなトラブルを引き起こす恐れもある。
そして、「マジメすぎる信者」の敬虔ぶりというのは、他の信者が驚くほどなので、一般人や信仰を失った「元信者」などから見れば完全に狂っているようにしか見えない。つまり、「マインドコントロールされている」と思われてしまうのだ。
教団を追及するジャーナリストや弁護士、そして元信者によれば、「高額献金」や「霊感商法」はすべて教団の指示において行われ、これらを実行するために「マインドコントロール」という手法が使われているという。
だが、果たして本当にそうなのか。これまで多くの現役信者に話を聞いてきたが、みんな好き勝手にいろんな話をして、マインドコントロールで操られているという印象を受けなかった。教会の中に入ってみても、末端の信者まで指示や命令が行き届いているように見えなかった。
よく言えば、自由。悪く言えば、組織として統率されていない、厳しいガバナンスがあるように思えない。
しかし、世間的には「高額献金や霊感商法が組織的に行われている団体」と見えている。この表面的なイメージと「実像」のギャップがなぜ生じるのか。これがずっと私の中で疑問として残っていた。
しかし、この日、伊藤さんに会って話を聞いてなんとなく見えてきた。一般信者が驚くほど、畏敬の念を抱くほどの「マジメすぎる信者」というのは極端な話、「神様」しか見ていないので、浮世のことなどにとらわれない。だから、時に社会の常識やルールを大きく逸脱してしまうような「暴走」をしてしまうのではないか。
この構造は、まさしく「ノア」がわかりやすい。
「大洪水がくる」という神様の言葉を信じ箱舟をひとりで黙々とつくる、というのは宗教的エピソードとしては何も間違っていない。信者の鑑だ。しかし、もし現代社会でそれをやられたら、社会常識を大きく逸脱した「暴走」である。
箱舟をつくっている間は収入ゼロなので、家族は貧しい暮らしを余儀なくされる。そして、「大洪水がくる」とワケのわからないことを言って、痩せほそりながら重労働に没頭するノアや、ノアを信じる家族を見て、社会の人々はこう言うはずだ。
「マインドコントロールされて騙されている」
しかし、ノアからすればこれは「信仰」だ。誰かに騙されているものではなく、あくまで自分の自由意志でそれをやっている。そこで問題は「ノアの家族はどうか?」ということである。
ノアは自分自身の「信念」でやっているので、どれほど貧しくなろうとも満足だ。しかし、ノアの家族は別に神様から直接啓示を受けたわけではないので、ノアを信じるしかない。だから、信じられなくなったら「悲劇」だ。
自分の親がある日、突然ワケのわからないことを口にして収入ゼロで箱舟づくりに没頭をする。子どもたちは飢えとネグレクトで心に傷を負う。まさしく、山上徹也被告が訴えているような「悲惨な幼少時代」になるので、ノアを恨むだろう。そして、ノアをそそのかした「神様」への憎みが膨らんでしまうだろう。そういう意味では、旧統一教会の信者は「現代のノア」なのかもしれない。
ローカル線で名古屋駅まで向かう帰路、私の頭の中では、わかこさんが最後に言った「お義父さんはノアじいさんですよ」という言葉がずっとぐるぐると回っていた。
宗教の信者としては、「ノアじいさん」になることは正しい。俗世間の雑音に惑わされず、神様の言葉をひたすら信じる。しかし、この社会の中で生きる市民として「ノアじいさん」になると、周囲とさまざまなトラブルが起きてしまう。浮世離れした金銭感覚や、理想とする献金のレベル、伝道へかける熱意などが、時に家族や知人によく思われないこともあるのだ。
この「信仰」と「現実社会」のバランスをどうとっていくのかということこそが、旧統一教会がこれから考えなくてはいけないことなのではないのか。
———-窪田 順生(くぼた・まさき)ノンフィクションライター1974年生。テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者等を経て現職。報道対策アドバイザーとしても活動。数多くの広報コンサルティングや取材対応トレーニングを行っている。著書に『スピンドクター“モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)、『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)、『潜入旧統一教会 「解散命令請求」取材NG最深部の全貌』(徳間書店)など。———-
(ノンフィクションライター 窪田 順生)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。