【高木 瑞穂】「ジャニオタが聖地巡礼」「修学旅行生が宿泊」三重県に実在した「売春島」の最盛期と現在の「驚きの姿」

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三重県に公然と売春が行われている「売春島」がある──。ルポライターの高木瑞穂氏は2017年に『売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』を発表し、タブー視されてきた島の実態に迫った。同書は文庫化もされ、ロングセラーとなっている。この秋、その高木氏が原作をつとめる漫画『売春島1981』の連載が『実話ナックルズ』で始まり、話題を呼んでいる。作画は鬼才・金風呂タロウ氏。現代を生きる冴えない高校生が、「いちばんヤバかった時代」(高木氏)の売春島にタイムスリップするという奇想天外のストーリーはいかにして生まれたのか。『売春島』取材の裏側を高木氏に聞いた。「ついに伝説の島を体験できたぞ」―そもそも、どんなキッカケで売春島というテーマに出会ったのでしょうか。「2010年冬のことです。この島のことが書かれた潜入ルポを読み、いつかは行ってみたいと思っていたところにそのチャンスが訪れ、某週刊誌の取材で編集者、カメラマン、ライター(僕)の3人で初めて上陸しました。そのときは、慰安旅行じゃないけど、『1年間頑張ったから年の瀬にみんなで現状を探りに行こう』という軽いノリで、置屋が何件あるとか、女の子が何人いるとか、まだ実際に売春はお行われているかなどを調べ、それを体験したただけでした。

当時は、置屋が6軒に女の子は20人いました。うち半分がタイ人女性で、残り半分が日本人女性。タイ人女性は20代が中心でしたが、日本人女性は若くても30代前半。いま振り返ればよくある潜入ルポの域をでない取材でしたが、『ついに伝説の島を体験できたぞ』という高揚感だけはあったのを覚えています」「売春島のままの方がよかった」という声も―実際に島に行き、取材をして何を感じましたか。「島の現状はわかりました。歴史を調べると、この島の売春は古くは江戸時代から始まっていることもわかりました。そして、かつてはこの島のように売春が盛んな島が四国などにもあったことも判明。そこで思ったのは、『なぜこの島だけが現代まで“売春島”として残ったのか』ということでした。その疑問を解明すべく取材を始めました。取材で島を何度も訪れ感じたのは、この島にはこれといって産業がなく、ある意味『売春』が観光資源であり、島民たちの生活の基盤になっていたことです。ホテルや旅館の経営をする。娼婦が暮らすアパートを経営する。娼婦や観光客のため雑貨店や飲食店を開く。彼らが自販機で缶ジュース一つを買うにしても島民たちの実入りになる。バブル崩壊やデリヘルなどの台頭で売春産業が疲弊し、島は2010年頃から『クリーン化』に舵をきり、売春産業を排除する方針に向かいました。でも、『売春島のままの方がよかった』『売春で潤っていた時代が懐かしい』という声も少なくありませんでした。売春が、この島にとっては必要悪だった、ということです」―売春島は話題の書となりました。読者からはどんな反応がありましたか。2年ほど前に最後の娼婦が出ていき…「『こんな島があるのか』、しかも『現代まで残っていたなんて』という驚きの声や、『もうそっとしておいてくれ』『いまさら暗部を暴くな』といった島民たちによる批判など、賛否両論ありました。また単行本を出版した後に、裏取りができなかった『事件屋』の関係者から連絡がありました。その『事件屋』とは、売春島が凋落した原因の一つになった、一介の娼婦から大型ホテル『つたや』を建てるまでのし上がった女帝『岡田雅子』の財産を、詐欺で根こそぎ奪った男のことです。文庫化にあたり、関係者への取材でその顛末を追記することができました。―その後の売春島はどんな様子なのでしょうか。「2年ほど前に最後の娼婦(タイ人女性)が島を出てからは、売春産業は皆無に等しいと聞いています。2020年1月に放送されたTBS系バラエティー『NEWSな2人SP』の新春スペシャル番組で、過疎化が進む三重県・渡鹿野島で“島おこしプロジェクト”をする様子が放送されました。そのときNEWSのメンバーたちが島を訪れ、島の玄関口にハート型のイリュミネーション・オブジェを設えました。それにより現在は、NEWSファンがこぞってそのオブジェを『聖地巡礼』しているようです。また2021年10月には、初めて修学旅行生が島内に宿泊した。島民らは、そんなNEWSファンや修学旅行生を歓迎するなど、島は変わりつつあるようです」『「島で覚せい剤が蔓延」「殺された娼婦も」三重県に実在した「売春島」最盛期だった1981年の「衝撃の実態」』に続く…
三重県に公然と売春が行われている「売春島」がある──。ルポライターの高木瑞穂氏は2017年に『売春島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』を発表し、タブー視されてきた島の実態に迫った。同書は文庫化もされ、ロングセラーとなっている。
―そもそも、どんなキッカケで売春島というテーマに出会ったのでしょうか。
「2010年冬のことです。この島のことが書かれた潜入ルポを読み、いつかは行ってみたいと思っていたところにそのチャンスが訪れ、某週刊誌の取材で編集者、カメラマン、ライター(僕)の3人で初めて上陸しました。そのときは、慰安旅行じゃないけど、『1年間頑張ったから年の瀬にみんなで現状を探りに行こう』という軽いノリで、置屋が何件あるとか、女の子が何人いるとか、まだ実際に売春はお行われているかなどを調べ、それを体験したただけでした。
当時は、置屋が6軒に女の子は20人いました。うち半分がタイ人女性で、残り半分が日本人女性。タイ人女性は20代が中心でしたが、日本人女性は若くても30代前半。いま振り返ればよくある潜入ルポの域をでない取材でしたが、『ついに伝説の島を体験できたぞ』という高揚感だけはあったのを覚えています」「売春島のままの方がよかった」という声も―実際に島に行き、取材をして何を感じましたか。「島の現状はわかりました。歴史を調べると、この島の売春は古くは江戸時代から始まっていることもわかりました。そして、かつてはこの島のように売春が盛んな島が四国などにもあったことも判明。そこで思ったのは、『なぜこの島だけが現代まで“売春島”として残ったのか』ということでした。その疑問を解明すべく取材を始めました。取材で島を何度も訪れ感じたのは、この島にはこれといって産業がなく、ある意味『売春』が観光資源であり、島民たちの生活の基盤になっていたことです。ホテルや旅館の経営をする。娼婦が暮らすアパートを経営する。娼婦や観光客のため雑貨店や飲食店を開く。彼らが自販機で缶ジュース一つを買うにしても島民たちの実入りになる。バブル崩壊やデリヘルなどの台頭で売春産業が疲弊し、島は2010年頃から『クリーン化』に舵をきり、売春産業を排除する方針に向かいました。でも、『売春島のままの方がよかった』『売春で潤っていた時代が懐かしい』という声も少なくありませんでした。売春が、この島にとっては必要悪だった、ということです」―売春島は話題の書となりました。読者からはどんな反応がありましたか。2年ほど前に最後の娼婦が出ていき…「『こんな島があるのか』、しかも『現代まで残っていたなんて』という驚きの声や、『もうそっとしておいてくれ』『いまさら暗部を暴くな』といった島民たちによる批判など、賛否両論ありました。また単行本を出版した後に、裏取りができなかった『事件屋』の関係者から連絡がありました。その『事件屋』とは、売春島が凋落した原因の一つになった、一介の娼婦から大型ホテル『つたや』を建てるまでのし上がった女帝『岡田雅子』の財産を、詐欺で根こそぎ奪った男のことです。文庫化にあたり、関係者への取材でその顛末を追記することができました。―その後の売春島はどんな様子なのでしょうか。「2年ほど前に最後の娼婦(タイ人女性)が島を出てからは、売春産業は皆無に等しいと聞いています。2020年1月に放送されたTBS系バラエティー『NEWSな2人SP』の新春スペシャル番組で、過疎化が進む三重県・渡鹿野島で“島おこしプロジェクト”をする様子が放送されました。そのときNEWSのメンバーたちが島を訪れ、島の玄関口にハート型のイリュミネーション・オブジェを設えました。それにより現在は、NEWSファンがこぞってそのオブジェを『聖地巡礼』しているようです。また2021年10月には、初めて修学旅行生が島内に宿泊した。島民らは、そんなNEWSファンや修学旅行生を歓迎するなど、島は変わりつつあるようです」『「島で覚せい剤が蔓延」「殺された娼婦も」三重県に実在した「売春島」最盛期だった1981年の「衝撃の実態」』に続く…
当時は、置屋が6軒に女の子は20人いました。うち半分がタイ人女性で、残り半分が日本人女性。タイ人女性は20代が中心でしたが、日本人女性は若くても30代前半。いま振り返ればよくある潜入ルポの域をでない取材でしたが、『ついに伝説の島を体験できたぞ』という高揚感だけはあったのを覚えています」
―実際に島に行き、取材をして何を感じましたか。
「島の現状はわかりました。歴史を調べると、この島の売春は古くは江戸時代から始まっていることもわかりました。そして、かつてはこの島のように売春が盛んな島が四国などにもあったことも判明。そこで思ったのは、『なぜこの島だけが現代まで“売春島”として残ったのか』ということでした。その疑問を解明すべく取材を始めました。
取材で島を何度も訪れ感じたのは、この島にはこれといって産業がなく、ある意味『売春』が観光資源であり、島民たちの生活の基盤になっていたことです。ホテルや旅館の経営をする。娼婦が暮らすアパートを経営する。娼婦や観光客のため雑貨店や飲食店を開く。彼らが自販機で缶ジュース一つを買うにしても島民たちの実入りになる。
バブル崩壊やデリヘルなどの台頭で売春産業が疲弊し、島は2010年頃から『クリーン化』に舵をきり、売春産業を排除する方針に向かいました。でも、『売春島のままの方がよかった』『売春で潤っていた時代が懐かしい』という声も少なくありませんでした。売春が、この島にとっては必要悪だった、ということです」
―売春島は話題の書となりました。読者からはどんな反応がありましたか。
「『こんな島があるのか』、しかも『現代まで残っていたなんて』という驚きの声や、『もうそっとしておいてくれ』『いまさら暗部を暴くな』といった島民たちによる批判など、賛否両論ありました。
また単行本を出版した後に、裏取りができなかった『事件屋』の関係者から連絡がありました。その『事件屋』とは、売春島が凋落した原因の一つになった、一介の娼婦から大型ホテル『つたや』を建てるまでのし上がった女帝『岡田雅子』の財産を、詐欺で根こそぎ奪った男のことです。文庫化にあたり、関係者への取材でその顛末を追記することができました。
―その後の売春島はどんな様子なのでしょうか。「2年ほど前に最後の娼婦(タイ人女性)が島を出てからは、売春産業は皆無に等しいと聞いています。2020年1月に放送されたTBS系バラエティー『NEWSな2人SP』の新春スペシャル番組で、過疎化が進む三重県・渡鹿野島で“島おこしプロジェクト”をする様子が放送されました。そのときNEWSのメンバーたちが島を訪れ、島の玄関口にハート型のイリュミネーション・オブジェを設えました。それにより現在は、NEWSファンがこぞってそのオブジェを『聖地巡礼』しているようです。また2021年10月には、初めて修学旅行生が島内に宿泊した。島民らは、そんなNEWSファンや修学旅行生を歓迎するなど、島は変わりつつあるようです」『「島で覚せい剤が蔓延」「殺された娼婦も」三重県に実在した「売春島」最盛期だった1981年の「衝撃の実態」』に続く…
―その後の売春島はどんな様子なのでしょうか。
「2年ほど前に最後の娼婦(タイ人女性)が島を出てからは、売春産業は皆無に等しいと聞いています。
2020年1月に放送されたTBS系バラエティー『NEWSな2人SP』の新春スペシャル番組で、過疎化が進む三重県・渡鹿野島で“島おこしプロジェクト”をする様子が放送されました。そのときNEWSのメンバーたちが島を訪れ、島の玄関口にハート型のイリュミネーション・オブジェを設えました。
それにより現在は、NEWSファンがこぞってそのオブジェを『聖地巡礼』しているようです。また2021年10月には、初めて修学旅行生が島内に宿泊した。島民らは、そんなNEWSファンや修学旅行生を歓迎するなど、島は変わりつつあるようです」
『「島で覚せい剤が蔓延」「殺された娼婦も」三重県に実在した「売春島」最盛期だった1981年の「衝撃の実態」』に続く…

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