「虐待は絶対にやっちゃいけないけど…」現役介護施設職員が明かす、利用者の“恐るべき行動”と介護する側の“本音”

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日本の高齢化率(日本の総人口に占める高齢者の割合)は28.8%。誰もが介護と無縁ではいられない社会になっているといっても過言ではない。もしも、家族に介護が必要となったとき、あなたならどうするか……。
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ここでは、認知症介護施設で働く畑江ちか子氏の著書『気がつけば認知症介護の沼にいた。』(古書みつけ)の一部を抜粋。同氏の職場で施設長を務める森田さんが直面した、肉親を介護する難しさについて紹介する。
◆◆◆
その日、出勤してきた森田さんに挨拶をすると無視された。表情もムスッとしている。返事くらいしろよと思ったが、腹でも痛いのかなと私はさほど気にしなかった。
休憩時間、彼女は喫煙所でタバコを吸っていた。相変わらず機嫌が悪そうな顔だ。私は、「お疲れさまで~す……」と声をかけ、自分のタバコに火を点けた。
いつもなら、「お疲れさま!」と返事をしてくれるのに、このときの森田さんはうっすらうなずくだけ。
さすがにおかしいなと思ったので、「どうかしたんですか?」と尋ねてみた。
「何が?」
「何がって……朝からずっと具合悪そうにしてるじゃないですか」
しばらくの沈黙。
頭上を行く飛行機の音が聞こえる。長い休みをとって、のんびり海外旅行にでも行きたかったが、この職場にいる以上、それは無理そうだ――そんなことを考えていると、鼻をすする音が聞こえた。
森田さんは、泣いていた。
「えっ!? どうしたんですか!? すみません、私、何か変なこと言っちゃいました!?」
うううっ……と、彼女はそのまま声を上げて泣き続けた。
私は新しいタバコに火を点けることも、立ち去ることもできずに、ただ森田さんが落ち着くのを待つしかなかった。
森田さんは独身で、実家で自分の両親と一緒に暮らしている。食事の用意や掃除、洗濯などの家事は全て母親がやってくれていたのだが、半年ほど前から認知症の症状が見られ始めたのだという。
「昨日、母親をお風呂に入れてるとき、バカ! って怒鳴られて、シャワーでお湯をかけられて……。私、カッとなってほっぺを叩いちゃっ……」
最後まで言い終えることができず、森田さんは嗚咽をもらした。
AFLO
「利用者さんにはこんなことしたことないのに……私、今までずっと介護の仕事をしてきたのに……それなのに……」
なんと言葉をかけたらいいのか、わからなかった。けれど、やはり認知症、親の介護といったお題は、私が実感している以上に身近なものなのだと、改めて痛感させられた。このときの森田さんの姿は、数年後の自分かもしれないのだ。
森田さんは、自身が介護士であること、母親の認知症がそれほど重度でないことから、施設に入れるとは考えていなかったらしい。自分の経験があれば、母親ひとりくらいの面倒は見ていける……そう思っていたのだそうだ。
この話を聞いたとき、私は介護の仕事に就く前に通っていた講座の先生のことを思い出した。
その先生は、「自分は実の親を介護することはできない」と言っていた。
昔をよく知っているだけに、自分の親が変わっていくことを受け入れられない。他人への介助の場合と異なり、仕事だからと割り切ることもできない。他人だからこそ、介護することができる……介護職を経験した今ならば、この言葉の意味がよくわかる。きっと、もがくほどきつく締まる縄で縛られたように、実の親だからと一生懸命になった分だけ、苦しみの縄で締め付けられてゆくのではないだろうか。
だが一方で、一生懸命ゆえというのは施設の介護職員にも同じことが言えるかもしれない。
昨今ニュースで頻繁に取り上げられる、介護施設での虐待行為。利用者の家族が設置したのであろう隠しカメラの映像がテレビで流れるたび、以前の私は、「なんてひどいことをするんだろう」「こういうことをする奴は、そもそも介護の仕事に向いてない」……と、怒りをおかずにしながら夕飯をムシャムシャ食べていた。
しかし、実際に介護の仕事をしてみて思ったことは、「虐待は絶対にやっちゃいけないけど、正直気持ちはめちゃくちゃわかる」だ。
入職して間もなく、キヨエさんに口の中のごはんを顔へ吹き付けられたとき。あのとき私は、喉詰めをしないよう慎重に食事介助を進めていただけでなく、食べる物の順番や、お茶と汁物を飲んでもらうタイミングはこれでいいだろうか? おいしくごはんを食べられているだろうか? ということで頭をいっぱいにしながら介助にあたっていた。
もちろんそれが介護士の仕事なのだが、そこへあの毒霧攻撃を食らえば、「ふざけんなよクソババア」と、後頭部を渾身の力で引っぱたきたくもなった。
他の利用者に対しても、介助中に叩かれたり引っ掻かれたり暴言を吐かれたりすると、確かにイラッとしている自分がいる。
たとえば、便失禁をした利用者がいたとする。
水っぽい便で、お尻だけでなく下肢全体にわたって便で汚れていたとする。そうすると我々介護職は、まず陰部~下肢をキレイにしてあげなくてはいけないわけだが、利用者は便を失禁してしまったことに対してパニックを起こしていたりもする。私だって、自分がいきなり便を漏らしてしまったら大混乱するだろう。そして、そんなの他人に絶対見られたくないし、ましてや人にキレイにしてもらうなんてしんどすぎる。
だから、パニックを起こして大騒ぎするのは仕方のないことだ。そんな利用者の気持ちを落ち着かせるために、「キレイにしに行きましょう」「このくらい大丈夫、なんの心配もいりませんよ」「私に任せて」……と声をかけながら、なんとかお風呂場まで連れて行く。
陰部はきちんと清潔にしておかないと、尿路感染などの様々な感染症に罹患するリスクが高まる。なので、洗い残しがないよう石鹸を使ってしっかりと洗うわけだが、利用者が嫌がったり暴れたりすると、当然その分時間がかかるし、洗浄も満足におこなえなかったりする。その都度、穏やかに声をかけながら進めようとしても、まず聞く耳を持ってくれないこともある。
そんななか、「早くしなさいよ!」「なんでそんなひどいことするのよ!」「人でなし!」と蹴とばされたり、桶や洗面器を投げつけられたらどんな気分になるだろう。
私だったら、「誰のためにやってると思っとんじゃ!」「あんたがちょっと大人しくしててくれればすぐに終わるんだよ!」と怒鳴りつけたい気分になると思う。
その他にも、薬を飲むのが苦手な利用者が薬を床にペッと吐き出して、「苦いんだよ、このバカ女」と言ってきたとき。
歩行が不安定な利用者に付き添っていて、手が離せないときに、「おい、茶ァ淹れろよ! いつまでやってんだよ、このノロマ!」と他の利用者に言われたとき。
熱中症が怖い時期に、冷房嫌いの利用者から、「冷房切れよ! グズグズするな! キビキビ動かないと殴るぞ!」と怒鳴られたとき。
……思い出すとキリがないが、「人の気も知らないでぇぇぇぇぇえッッ!!」と、業務中利用者にパイルドライバーをキメたくなった瞬間は、これまで何度もあった。
同じような場面に出くわしても、「利用者さんにイライラしたことは一度もないかな?」と話す先輩職員を見て、「私は介護士失格だ」「やっぱり向いてないんだ」と落ち込むこともあったが、幸いにも私は今まで利用者を怒鳴りつけたこともなければ、パイルドライバーもジャーマンスープレックスも掌底もキメていない。
その代わり、心の中ではもう言いたい放題&やりたい放題だ。
最近は、それでいいんじゃないかと思っている。
当たり前だが、介護士も人間である。
乱暴な言葉遣いをされたり、暴力を振るわれれば、怒りや悲しみの感情が刺激される。それがたとえ、認知症ゆえのものだったとしても、瞬間的にはカッとなってしまうこともあると思う。
どんなケースでもそうだが、“刺激された感情”を否定し、無視し、あるいは抑え続け ていると、いつか爆発するときが来る。そうならないためには、まず自分の感情と向き合い、肯定してみることも大事だと思う。攻撃されてムカつくのは当然だし、それは何より心が生きている証拠だ。何も恥じることではない。 心の中でだったら、いくらでも悪態をついていい。聞くに堪えない言葉で言い返しても、ジャイアントスイングをキメても、なんなら場外乱闘に持ち込んだっていい。 大事なのは、それを実際に行動に移してしまわないことだ。そのためだったら、心の中でどんなことをしたって構わない。 声かけの仕方が悪かったんじゃないかとか、その人に合ったケアができていなかったのではないかとか、そういう反省もひとまずあと回しでいい。利用者の顔を見たり声を聞いていたりすると気持ちが鎮まらないのであれば、いったんその場を離れて外の空気を吸ったり、一服しにいくのも手だ。 いつでも優しく丁寧でありたい、穏やかな心の持ち主でありたい、利用者の健康と生活を大事にしたい……など、介護士としてこうありたい、という理想は多くの介護職員が持っていると思う。 けれど、だからこそ、一生懸命やるほど、相手を思うほど、ちょっとしたきっかけで呆気なく鬼になってしまう……。 やってしまったことは許されないが、ニュースになってしまった介護職員のなかには、きっとそんな人たちもいたんじゃないだろうか。 数日後、森田さんから、「母を施設に入れることにした」と報告をもらった。ちょっとさみしそうな、悔しそうな口ぶりだったけれど、どこかホッとしたような顔つきだったのも忘れられない。〈ヤバいヤバいヤバいヤバい! 「バカ女、殺す」「包丁で首切って殺す」…現役介護施設職員が体験した“恐るべき一夜”〉へ続く(畑江 ちか子/Webオリジナル(外部転載))
どんなケースでもそうだが、“刺激された感情”を否定し、無視し、あるいは抑え続け ていると、いつか爆発するときが来る。そうならないためには、まず自分の感情と向き合い、肯定してみることも大事だと思う。攻撃されてムカつくのは当然だし、それは何より心が生きている証拠だ。何も恥じることではない。
心の中でだったら、いくらでも悪態をついていい。聞くに堪えない言葉で言い返しても、ジャイアントスイングをキメても、なんなら場外乱闘に持ち込んだっていい。
大事なのは、それを実際に行動に移してしまわないことだ。そのためだったら、心の中でどんなことをしたって構わない。
声かけの仕方が悪かったんじゃないかとか、その人に合ったケアができていなかったのではないかとか、そういう反省もひとまずあと回しでいい。利用者の顔を見たり声を聞いていたりすると気持ちが鎮まらないのであれば、いったんその場を離れて外の空気を吸ったり、一服しにいくのも手だ。
いつでも優しく丁寧でありたい、穏やかな心の持ち主でありたい、利用者の健康と生活を大事にしたい……など、介護士としてこうありたい、という理想は多くの介護職員が持っていると思う。
けれど、だからこそ、一生懸命やるほど、相手を思うほど、ちょっとしたきっかけで呆気なく鬼になってしまう……。
やってしまったことは許されないが、ニュースになってしまった介護職員のなかには、きっとそんな人たちもいたんじゃないだろうか。
数日後、森田さんから、「母を施設に入れることにした」と報告をもらった。ちょっとさみしそうな、悔しそうな口ぶりだったけれど、どこかホッとしたような顔つきだったのも忘れられない。
〈ヤバいヤバいヤバいヤバい! 「バカ女、殺す」「包丁で首切って殺す」…現役介護施設職員が体験した“恐るべき一夜”〉へ続く
(畑江 ちか子/Webオリジナル(外部転載))

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